樊カイ

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:特殊文字 樊 噲(はん かい(カイの字は[口偏に會])、? - 紀元前189年)は、中国末から前漢初期にかけての武将沛県の人。爵位は舞陽侯。諡号は武侯。

来歴

剛勇の人だったという。もとは屠殺業をしていた。劉邦の反蜂起に加わり、生涯仕えて武勲を挙げ、鴻門の会項羽から身を救うなど活躍する。秦打倒の功績で賢成君に封じられた。また決起以前より劉邦の妻呂雉の妹呂須(りょしゅ)を娶っていたため、将軍の間でも王室の信頼は厚かった。

漢王朝成立後は韓王信韓信の謀反に同調した陳豨を討伐して、その功績を挙げる。しかし紀元前195年、親友の燕王・盧綰討伐を高祖(劉邦)から命じられるが、ある者の讒言で勅命を受けた陳平によって捕らえられ、周勃と交代される。だが、高祖の死によって釈放された。

孝恵帝6年(紀元前189年)に死去。嫡子の樊伉が舞陽侯を継いだが、呂雉の死を機とした政変により、呂氏一族皆殺しの一環として生母の呂須と共に殺される。のちに側室の子である樊市人(はんしじん)が侯になった。

鴻門の会

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劉邦が咸陽を攻め落とした後、項羽の軍が函谷関で足止めされた。項羽は劉邦が自分を出し抜いて王となる気だと思い、怒って殺そうとした。項伯張良などの斡旋により、鴻門において弁明する機会が与えられた。これが有名な「鴻門の会」である。樊噲は参乗(さんじょう)、つまり警護役として劉邦に付き従っていた。

本営には劉邦と張良のみが中に入るのを許された。宴の席で、劉邦を暗殺しようとする剣舞が始まった。劉邦の危機を知った樊噲は所持していた盾で、制止する兵士を突き飛ばして倒し、本営の中に入り「祝勝の振る舞いがない!」と言った。その剣幕に剣舞は中止される。項羽は彼に大杯のと生のの肩肉を与えた。樊噲は酒を飲み干し、生のままの豚肉を平らげた。そして項羽に「咸陽を攻め落としたのは、出し抜こうとしたわけではなく、項羽の来るのを待っていたのだ」と釈明する。項羽はこれに黙り込んでしまう。その後、劉邦と樊噲は脱出し、張良が残って詫びた。これらにより項羽は劉邦を討つ機会を失い、劉邦は虎口を脱する。この功績により劉邦が漢王になって後に臨武侯に封じられた。