戦後
戦後(せんご)は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行われるため、戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。「戦後」はしばしば、戦争による混乱を抜けきっていない時代という意味合いをもつ。しかし終わりを設けず現在までを含めることもある。一時は流行語となった。
目次
第二次世界大戦後
日本での戦後の位置づけ
21世紀の日本において、“戦後”とは、第二次世界大戦(太平洋戦争もしくは大東亜戦争)終結後を指す。ただしその時期については明確な定義はなく、太平洋戦争を挟み、戦前・戦後と区別するという長期的な定義や“戦後”とは一度焼野原になった日本が再び国際社会の一員となり、「もはや戦後ではない」[1]といわれた1956年(昭和31年)までの激動の期間と定義する意見、1975年頃から1993年(平成5年)頃までの辺りを、「戦後」ひいては“近代”の終わりと規定する考察もある(故にポストモダンという言葉が大いに流行った 中曽根康弘による「戦後政治の総決算」なる言葉もある)。
日本において戦前・戦中と戦後では社会システムが大きく変化したため、他の国よりも戦後という言葉のもつ意味合いは大きい。日本は第二次世界大戦以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=第二次世界大戦後から現在というイメージが固定されている。
“戦後”のはじまりについても玉音放送によって日本が降伏したことを多くの日本国民が知ることになった日(1945年(昭和20年)8月15日)を戦後のはじまりとする意見や、1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約の発効までは、停戦(占領)期間であり、文書を調印し、独立国家としての主権が回復し歩みだした以降を“戦後”とする意見が存在する(2013年には第2次安倍内閣により「主権回復の日記念式典」が行われた)。
今日では特に日本人にとって精神的に大きな影響を与えた1945年(昭和20年)8月15日以降を“戦後”のはじまりとし、太平洋戦争を挟み戦前・戦後として区分し、認識されている場合が多い。この1945年を「戦後0年」として、現在の年を「戦後n年」と表現することもあり、2014年は「戦後69年」に当たる。
“戦後”という用語・概念は、日本人・日本にとって1603年の江戸幕府成立や、1868年の明治維新以来のたいへん大きな変革を及ぼした。無謀な戦争で多大な損害をもたらした第二次世界大戦の経験を踏まえ、国民主権・平和主義を謳う日本国憲法を新たに制定した。“戦後”、日本は西側陣営の民主主義国家の一員として国際社会に復帰、高度経済成長を経て世界第2位の経済大国となった。1989年に冷戦終結、ソ連崩壊により冷戦期の仮想敵国であった東側陣営が消滅して国際社会が多様化し、多極化する世界で、再び“戦後”という概念は日本の針路に大きな影響を及ぼしてきているとして、さまざまな論争が行われている。
第二次世界大戦後の日本の年表
- 1945年
- 1946年
- 1949年 ドッジ・ライン。
- 1950年 朝鮮戦争(朝鮮特需)。
- 1951年9月8日 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)調印。
- 1952年4月28日 日本国との平和条約発効、日本の主権回復。
- 1954年
- 1955年
- 1956年
- 1958年 岩戸景気。
- 1960年6月19日 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)調印。
- 1964年
- 1965年6月22日 日韓基本条約を締結。
- 1966年 日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気。
- 1970年3月14日 - 9月13日 日本万国博覧会開催。
- 1971年 ニクソン・ショック。
- 1972年
- 1973年 第一次オイルショック。
- 1976年 ロッキード事件。
- 1978年8月12日 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印。
- 1979年 第二次オイルショック。
- 1982年11月27日 中曽根康弘が「戦後政治の総決算」を掲げ第72代内閣総理大臣に就任。
- 1985年
- 1987年
- 1988年 リクルート事件。
- 1989年
- 1990年 バブル崩壊。「失われた20年」が始まる。
- 1991年
- 1993年8月9日 細川内閣成立により55年体制崩壊。
- 1995年 戦後50年
- 1月17日 阪神・淡路大震災発生。
- 3月20日 地下鉄サリン事件発生。
- 8月15日 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。
- 1997年 アジア通貨危機。
- 1998年2月7日 - 2月22日 長野オリンピック開催。
- 2001年 ITバブル崩壊。
- 2002年5月31日 - 6月30日 サッカーワールドカップを大韓民国と日本が共催。
- 2005年 戦後60年。日本の総人口の減少が始まる。
- 2006年9月26日 「戦後レジームからの脱却」を公約に掲げた安倍晋三が、自由民主党総裁及び第90代内閣総理大臣に就任(初の戦後生まれの総理大臣となる)。
- 2007年
- 1月9日 防衛庁が防衛省に移行。
- 5月14日 日本国憲法の改正手続に関する法律成立(5月18日公布)。
- 2008年 世界金融危機(リーマン・ショック)。
- 2009年9月16日 鳩山由紀夫内閣が発足(民主党による本格的政権交代が実現)。
- 2011年3月11日 東日本大震災・福島第一原発事故発生。
その他の戦後
スイス
スイスで「戦後」は一般的に1815年以降(ナポレオン戦争後)のことを指す。1815年のウィーン会議においてスイスは国家としての「永世中立国」が認められたからである。第一次世界大戦と第二次世界大戦でも武装中立を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。
アメリカ
第二次世界大戦以降も10年から20年単位で不正規戦争を繰り返しているアメリカ合衆国では、「戦後」という概念は存在しない。辛うじて南北戦争を境に「戦前」「戦後」といわれることもある。テンプレート:Seealso
その他
- 韓国・北朝鮮 - 朝鮮戦争後(1953年-)。特に韓国では、日本の植民地支配から解放された1945年を境に「解放前」「解放後」という表現が用いられ、「戦前」「戦後」よりも「解放前」「解放後」の使用頻度が高い。南北に分断された1945年を「分断0年」として、現在の年を「分断n年」と表現することもある(日本の「戦後n年」に相当)。
- 旧ユーゴスラビア連邦諸国 - ユーゴスラビア紛争後(およそ1995年-)
- 京都においては、『この前の「戦」』が第二次世界大戦ではなく応仁の乱を指し、戦後とはそれ以降であるというジョークがある。これは細川護貞が「前の戦争(応仁の乱)で細川家の宝物が焼けた」と言ったという話が元になっている。あくまでもジョークであり、京都府の公文書などの公的な場でこのような表現が行われることはない。
- 福島県会津地方においては、同様に『この前の「戦」』が戊辰戦争を指し、戦後とはそれ以降であるというジョークがある。第二次大戦での戦災が比較的少なく、それよりも戊辰戦争による遺恨が深いためである[2]。
脚注
関連項目
外部リンク
- シリーズ・戦後60年(2005年、西日本新聞社)