三重県立上野高等学校

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三重県立上野高等学校(みえけんりつ うえのこうとうがっこう)は、三重県伊賀市上野丸之内にある公立高等学校。略称は「上高」(うえこう)。

概要

最寄り駅は、伊賀鉄道伊賀線上野市駅。上野高校周辺は、崇廣堂上野西小学校崇広中学校が甍をつらね、伊賀市の文教地区を形成している。藤堂高虎が築城した上野城も近い。

1999年に創立100周年を迎えた。白亜の明治校舎(三重県指定有形文化財)が上野高校のシンボルである。校訓は「自彊不息(たゆまぬ努力を続けるの意)」。

長らく普通科のみの設置であったが、2009年に理数科が設置されている。

校歌は山口誓子の作詞。また、現在上野高校で使用されているチャイムは、1982年から使用されるようになった。

進路

大半の生徒が大学へ進学しており、進学先として国公立大学は、地元の三重大学が最も多いものの、旧帝大のいわゆる難関国立大の東京大学京都大学大阪大学名古屋大学などにも毎年数名単位で進学する。私立大学では関関同立産近甲龍など京阪神方面が多いが、関東の慶應義塾大学早稲田大学への進学者も毎年数名単位で出している。

歴史

前身は三重県立第三中学校であり、第一中学校が前身の津高校、第二中学校が前身の四日市高校、第四中学校が前身の宇治山田高校とは兄弟のような関係である。戦後の学制改革により、阿山高女、上野市立高女と統合され現在に至る。

  • 1899年4月1日 - 三重県第三尋常中学校として開校。
  • 1919年8月4日 - 三重県立上野中学校に改称。
  • 1948年5月23日 - 学制改革により、三重県立阿山高等女学校と統合、三重県上野北高等学校となる。
  • 1949年4月1日 - 学区制実施により、三重県上野南高等学校(旧上野市立高等女学校、旧上野市立農学校、旧三重県上野工業学校)と統合、三重県上野高等学校となる。
  • 1951年3月31日 - 南校舎が三重県上野商工高等学校(のちの上野工業高校上野商業高校)として分離独立。
  • 1955年4月1日 - 三重県立上野高等学校に改称。
  • 1956年4月1日 - 花之木分校が募集停止。
  • 1964年4月1日 - 家庭科が募集停止、上野商業高校に統合される。
  • 1967年4月1日 - 大山田分校が募集停止。
  • 1968年4月1日 - 春日分校が伊賀高校として分離独立。
  • 1972年4月1日 - 河合分校が募集停止。
  • 1973年4月1日 - 農業学科が上野農業高校として分離独立。
  • 2009年4月1日 - 理数科を設置。

部活動

運動部

  • 卓球部(男・女)
  • 硬式野球部
  • 軟式野球部
  • サッカー部
  • 陸上部(男・女)
  • バレーボール部(男・女)
  • ハンドボール部(男・女)
  • バスケットボール部(男・女)
  • 硬式テニス部(男・女)
  • 女子ソフトボール部
  • 弓道部
  • 剣道部

文化部

  • 吹奏楽部
  • ギター・マンドリン部
  • 新聞部
  • 写真部
  • 化学部
  • 演劇部
  • 茶道部
  • 華道部
  • 美術部
  • 書道部
  • 放送部
  • 将棋部
  • あすなろインターアクト部

など

学校行事

  • 海外研修(英国キングエドワードIV世高校との交換留学。希望者のみ)
  • 月ヶ瀬マラソン(男子は月ヶ瀬中心部までの約12km、女子は岡八幡宮までの約8km)
  • 上高祭(春の体育祭と秋の文化祭を総称して呼ぶ)

交通アクセス

  • 伊賀鉄道伊賀線上野市駅下車徒歩5分。
  • 三重交通バス崇広堂前下車徒歩2分。

著名な卒業生

政治家・官僚・軍人

実業家

学者

文芸家

芸術家

放送関係者

芸能人

関連項目

外部リンク