岡本栄

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テンプレート:政治家 岡本 栄(おかもと さかえ、1951年(昭和26年)9月18日 - )は、関西テレビ放送の元アナウンサー、政治家(三重県伊賀市長)。血液型A型

来歴・人物

三重県上野市(現在の伊賀市)出身・在住。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学教育学部卒業。両親は教師で、大学進学の影響につながったという。

アナウンサー時代

テンプレート:基礎情報 アナウンサー 1974年(昭和49年)にアナウンサーとして関西テレビへ入社。同期のアナウンサーに、馬場鉄志がいる。入社後は、故郷の上野市(当時)で生活しながら、報道・情報番組を中心に出演。1985年に発生した日本航空123便墜落事故の際には、急遽放送された『FNN報道特別番組』に伊丹空港からの中継リポーターとして出演した。

トレードマークは現代風の長髪。結婚歴は無く、独身。骨董への造詣が深く、『京都!ちゃちゃちゃっ』で骨董を扱ったコーナーを担当。高校在学中に歴史研究部を立ち上げたことをきっかけに、休日に故郷の歴史文化を調査したり、伊賀と関西圏の結び付きなどについて研究したりするなど「伊賀の郷土史家」としての顔も持つ。

その一方で、2012年(平成24年)まで関西テレビの公式サイトに設けられていたブログでは「元祖うさぴょん」と自称。先輩アナウンサーの桑原征平(定年退職を経て現在はフリーアナウンサー大阪芸術大学教授)や後輩アナウンサーの藤本景子からは、出演番組で「栄姐さん」と呼ばれていた。

2011年(平成23年)9月18日で関西テレビの定年に達したため、アナウンス部チーフエキスパート職を最後に、同月30日付で同局を退職した。ただし、同年10月1日以降は子会社に転籍。同局と嘱託契約を結んだうえで、「関西テレビ 岡本栄」[1]として、週に3日のペースで同局のローカルニュースに出演していた[2]。また、2012年(平成24年)9月までは、アナウンサーとしての活動と並行しながら神戸女子大学及び帝塚山大学の非常勤講師を務めていた。[3]

伊賀市長

2008年(平成20年)頃から伊賀市が庁舎老朽化に伴う庁舎建設に対する検討が行われていた。その中で、アナウンサー時代の2010年(平成22年)2月に庁舎保存団体「『先人の思いを街づくりに』の会」を設立し、庁舎保存に関する要望書を提出する[4]。しかし、要望に反して建設計画が進められたことなどを理由に2012年(平成24年)9月3日に、三重県伊賀市長選挙(同年11月11日施行)へ無所属で立候補することを表明[3]。投開票の結果、初当選を果たした[5][6]同月21日に第3代伊賀市長に就任。

市長就任後、庁舎建設計画を白紙撤回し三重県伊賀庁舎隣接地への建設を提案するが、現在地での建設を主張する木津龍平・上野商工会議所会頭らは反発し、住民投票を求めた[7]2014年8月24日に住民投票が行われるも、投票率が50%に満たなかったため、住民投票は不成立となった[7]

アナウンサー時代の出演・担当番組

以下のニュース番組では、いずれも後半の関西ローカルパートでキャスターを担当。

以上の番組以外にも、数多くの番組で提供クレジットの読み上げを担当した。

脚注・出典

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外部リンク

テンプレート:歴代自治体首長 (日本)

  1. ローカルニュースにおけるクレジット表記(氏名の左上に局名)。
  2. ヤマヒロのアナ Pod cafe」2011年11月7日配信分などより。ちなみに、同期入社で前年に定年を迎えた馬場も、関西テレビとの番組出演契約を結んでいる(現在も継続)。
  3. 3.0 3.1 「あかんやろ」と元TVアナ、市長選に出馬表明 読売新聞三重県版 2012年9月4日閲覧
  4. 伊賀市庁舎 市民団体が保存活用求め要望書 - 伊賀タウン情報 YOU - ニュース
  5. テンプレート:Cite web
  6. アナウンサー経験者が市長に就任するのは福岡市長高島宗一郎に次いでである。東海地方では第4代藤枝市長静岡県)の松野輝洋以来、在阪局出身者では第18代大阪市長平松邦夫以来となる。
  7. 7.0 7.1 テンプレート:Cite web