グラスワンダー

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テンプレート:Infobox グラスワンダー1995年2月18日 - )は、アメリカ合衆国で生産され、日本で調教された競走馬外国産馬)である。朝日杯3歳ステークスを無敗のままレコードで圧勝した後、有馬記念連覇、宝塚記念とグランプリレースを3連覇して、中央競馬GIを4勝するなどして活躍した。

主戦騎手的場均(現調教師)。最後のレースとなった2000年の宝塚記念のみ、蛯名正義が手綱をとった。競走馬引退後は種牡馬生活を送っている。

※現役中に馬齢の表記が変更されたため、競走名をのぞき馬齢は全て新表記を用いる。

出自

1996年9月、キーンランドで行われたセリ市(セプテンバーセール)で馬体のバランスの良さが日本の調教師尾形充弘の目に止り、尾形と同行していた伊東純一(半沢有限会社[1]の社長)が25万ドルで落札した[2]。その後、半沢有限会社の名義で所有され、日本で競走馬としてデビューすることとなった。

競走馬時代

1997年

9月13日、中山競馬場新馬戦(芝1800m)でデビュー、ほとんど馬なりのまま2着馬に3馬身差をつけ初勝利を挙げた。続くアイビーステークスも5馬身差で勝利すると、さらに3戦目の京成杯3歳ステークスも6馬身差で優勝、重賞初制覇を飾った。

勝つ度に着差を広げる底知れない強さから圧倒的1番人気に支持されたGI朝日杯3歳ステークスでも、レース史上初めて1分34秒の壁を破る1分33秒6のレースレコードで優勝した。実況したフジテレビ三宅正治アナウンサーがマルゼンスキーの再来です!」と叫ぶほどの走りであった。三宅の他にも大川慶次郎杉本清との対談において、「ついに出てきたね、マルゼンスキー級が」と語り、この馬に対する並々ならぬ期待感を表していた。同年のJRA賞ではJRA賞最優秀3歳牡馬を受賞したほか、JRAクラシフィケーションでは2歳馬の歴代1位となる116ポンドの評価を受けた[3]。この頃には陣営は翌年秋のアメリカ遠征の青写真を想い描いていた。

1998年

当時外国産馬にクラシックレースへの出走権はなかったため、陣営はNHKマイルカップを前半シーズンの最大目標とした。しかし前哨戦のニュージーランドトロフィー4歳ステークスを目前に控えた3月に右第3中足骨の骨折が判明し、前半シーズンの全休を余儀なくされた[4]。以後、グラスワンダーは常に脚部不安と戦い続けることとなった。

復帰戦は秋の毎日王冠。グラスワンダー不在のNHKマイルカップを同馬の主戦騎手でもあった的場均を背に快勝したエルコンドルパサー、1歳年上の稀代の快速馬サイレンススズカとの対戦となった。的場はエルコンドルパサーもお手馬にしていたが、グラスワンダーに騎乗した。これは当初からエルコンドルパサーの騎乗はグラスワンダーが復帰するまでという約束があったためである[5]。このレースはGIIとしては異例の盛り上がりを見せた。レースではやや出遅れたものの、すぐに持ち直し、予想通りハイペースで飛ばすサイレンススズカをエルコンドルパサー同様徹底的にマークする形で進んだ。グラスワンダーは第4コーナーあたりからまくりをうち、サイレンススズカを負かしに行こうとするも、出遅れ、ハイペース、東京の長い直線の影響もあって5着に敗れた。結局、最も重い斤量を背負いながら快調に飛ばしたサイレンススズカに1.5秒、自らのレースに徹したエルコンドルパサーにも1.1秒も離される結果になった。

続くアルゼンチン共和国杯では、勝ち馬から0.6秒差の6着に敗れた。陣営にはこの敗戦が非常にショックだったという。夏負け(夏の暑さに馬が参ってしまうこと)の影響があったとも報道されているが、前走からのあまりにふがいない敗戦が続いたため限界説や早熟説も飛び出した。

しかし、暮れのグランプリ有馬記念にファン投票14位で出走。尾形調教師は「単勝オッズもファン投票の順位くらいだろう」と考えていたが、その通りに14.5倍で4番人気に支持されていた。レースでは同期の二冠馬セイウンスカイ、女傑エアグルーヴ天皇賞(春)優勝馬メジロブライトらを退け優勝、2度目のGI勝利となった。これは外国産馬としては初の勝利であり、また史上最短キャリアでの有馬記念制覇であった。尾形調教師は、骨折でこの一年間をほぼ棒に振ったことを理由に翌年の国内専念を宣言した。

1999年

産経大阪杯での始動を目指したが、直前になって馬房で暴れたのが原因で左眼瞼部裂創を負い回避した[6]。尾形調教師は血を流すグラスワンダーを見たとき、「またやったか」と肩を落としたという。

仕切り直しの一戦となった京王杯スプリングカップでは直線一気の豪脚でエアジハードを差し切り優勝。続くGI安田記念では単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に推されたが、道中ムータティールに接触するアクシデントもあって[5]前走下したエアジハードの強襲を許し、ハナ差の2着に敗れた。ドリーム競馬内において、最後の直線で手前を替えることができなかったことも指摘され、骨折の影響も残っているのではないかと分析された。

そんな不安が残る中、続いて春のグランプリ宝塚記念に出走した。このレースでは、前走天皇賞(春)を勝った同期のダービースペシャルウィークとの初顔合わせであった。人気面ではスペシャルウィークに続く2番人気であった。しかしレースが始まると終始スペシャルウィークをマークする形から同馬に0.5秒、3馬身差の差をつけ優勝し、前年の有馬記念に続くグランプリ連覇を達成した。さらにスペシャルウィークと3着のステイゴールドの差が7馬身ということもあってグラスワンダーの強さが際立つ結果となった。スペシャルウィークを管理する白井寿昭調教師も、「瞬発力が違いすぎる」と完敗を認める程の内容であった。なお、スペシャルウィークには同レース後、凱旋門賞遠征プランがあったが、この敗戦により白紙撤回した。

秋シーズン初戦の毎日王冠は後続を引き付けてから突き放す作戦であったが、逆に格下馬であるメイショウオウドウに詰め寄られるという予想を裏切る辛勝となった。このあたりから「グラスワンダー左回り不安説」が浮上した。これについて的場は安田記念の接触事故が原因になって左回りを苦手とするようになってしまったとしている[5]

次走に予定していたジャパンカップは左肩の跛行[7]を理由として回避し[8]有馬記念に出走した。宝塚記念で見せたパフォーマンスからか、前走が不甲斐無い内容だったにも関わらず、秋GI連勝中のスペシャルウィークを抑え1番人気に推された。臨戦過程の問題や12kgの馬体重増に加えコズミ(筋肉痛)が抜けないなどの不安要素も多かった中のぞんだレースは、宝塚記念とは逆にグラスワンダーをスペシャルウィークが徹底的にマークするという展開になり、最後の直線では引退の花道を飾ろうとするスペシャルウィークにゴール前で差し切られたように見え、ウイニングランをする武とスペシャルウィークを尻目に負けたことを確信し引き上げていこうとしていたが[9]、写真判定の結果わずか4cm差でスペシャルウィークとのレース史上に残る接戦を制していたことがわかり、グランプリ競走3連覇・有馬記念2連覇を達成した。

同年の年度代表馬こそ海外で活躍したエルコンドルパサーに譲ったが、JRA賞特別賞をスペシャルウィークとともに受賞した(詳細については1999年度JRA賞年度代表馬選考を参照)。

2000年

1999年の競馬界をともに牽引したスペシャルウィークやエルコンドルパサーは引退し、グラスワンダーは世代を代表する現役馬となった。

陣営は年初から凱旋門賞への挑戦プランを表明[10]。またグランプリ4連覇や(この年から条件付きながら外国産馬に開放された)天皇賞(春)制覇も視野に入れていた[11]

年明け初戦の日経賞へは馬体重増が指摘された有馬記念よりさらに18kg増の状態で出走、勝ち馬から0.9秒差の6着に敗れ、尾形調教師は調整失敗を認めている[12]。この敗戦により天皇賞(春)への出走は断念することとなった。続く京王杯スプリングカップでは一気に20kg減で挑んだが勝ったスティンガーからは0.6秒差の9着とまたも大敗。デビュー以来グラスワンダーを担当していたベテラン厩務員の大西が前年の有馬記念を最後に引退(定年退職)し、若い佐々木に変わったことで調整がうまくいかなかったともいわれる[5]

その後安田記念も回避し、海外遠征を賭けて宝塚記念に臨むこととなった。レースではデビューから一貫して手綱をとってきた的場から蛯名正義へと乗り替り再起をかけたが、レース中に左第3中手骨骨折を発症し[13]、1着のテイエムオペラオーから0.9秒も離された6着と惨敗した。この故障が原因となって競走馬を引退した[14]

引退式は12月24日、中山競馬場で行われた[15]

引退後

2010年12月19日に中山競馬場第12競走のJRAプレミアムレースとして開催された「中山ウインタープレミアム」において、当馬が最多得票を獲得し「グラスワンダーメモリアル」の副名称を付与して施行された。

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1997.テンプレート:09.13 中山 3歳新馬 10 8 9 1.5(1人) テンプレート:Color 的場均 53 芝1800m(良) 1:52.4 (35.6) -0.5 (ビルトシェーン)
テンプレート:010.12 東京 アイビーS OP 9 8 8 1.4(1人) テンプレート:Color 的場均 53 芝1400m(良) 1:21.9 (34.0) -0.8 (マチカネサンシロー)
テンプレート:011.テンプレート:08 東京 京成杯3歳S テンプレート:Color 9 2 2 1.1(1人) テンプレート:Color 的場均 54 芝1400m(良) 1:21.9 (34.7) -1.0 (マチカネサンシロー)
テンプレート:012.テンプレート:07 中山 朝日杯3歳S テンプレート:Color 15 6 11 1.3(1人) テンプレート:Color 的場均 54 芝1600m(良) テンプレート:Color (35.4) -0.4 マイネルラヴ
1998.10.11 東京 毎日王冠 テンプレート:Color 9 6 6 3.7(2人) 5着 的場均 55 芝1800m(良) 1:46.4 (36.3) テンプレート:01.5 サイレンススズカ
テンプレート:011.テンプレート:07 東京 アルゼンチン共和国杯 テンプレート:Color 18 7 13 3.0(1人) 6着 的場均 57 芝2500m(良) 2:33.5 (35.3) テンプレート:00.6 ユーセイトップラン
テンプレート:012.27 中山 有馬記念 テンプレート:Color 16 1 2 14.5(4人) テンプレート:Color 的場均 55 芝2500m(良) 2:32.1 (35.3) -0.1 メジロブライト
1999.テンプレート:05.15 東京 京王杯SC テンプレート:Color 18 3 5 2.1(1人) テンプレート:Color 的場均 58 芝1400m(良) 1:20.5 (33.3) -0.1 エアジハード
テンプレート:0テンプレート:06.13 東京 安田記念 テンプレート:Color 14 5 7 1.3(1人) 2着 的場均 58 芝1600m(良) 1:33.3 (35.2) テンプレート:00.0 エアジハード
テンプレート:0テンプレート:07.11 阪神 宝塚記念 テンプレート:Color 12 5 5 2.8(2人) テンプレート:Color 的場均 58 芝2200m(良) 2:12.1 (35.1) -0.5 スペシャルウィーク
テンプレート:010.10 東京 毎日王冠 テンプレート:Color 10 7 8 1.2(1人) テンプレート:Color 的場均 59 芝1800m(良) 1:45.8 (34.7) テンプレート:00.0 (メイショウオウドウ)
テンプレート:012.26 中山 有馬記念 テンプレート:Color 14 4 7 2.8(1人) テンプレート:Color 的場均 57 芝2500m(良) 2:37.2 (34.6) テンプレート:00.0 (スペシャルウィーク)
2000.テンプレート:03.26 中山 日経賞 テンプレート:Color 10 7 7 1.3(1人) 6着 的場均 59 芝2500m(良) 2:36.3 (36.1) テンプレート:00.9 レオリュウホウ
テンプレート:0テンプレート:05.14 東京 京王杯SC テンプレート:Color 18 4 8 2.4(1人) 9着 的場均 59 芝1400m(良) 1:21.6 (34.5) テンプレート:00.6 スティンガー
テンプレート:0テンプレート:06.25 阪神 宝塚記念 テンプレート:Color 11 8 11 2.8(2人) 6着 蛯名正義 58 芝2200m(良) 2:14.7 (36.5) テンプレート:00.9 テイエムオペラオー

※タイム欄のテンプレート:Colorはレコード勝ちを示す。

種牡馬時代

ファイル:Grass Wonder 001.jpg
種牡馬時代のグラスワンダー

2000年に引退が決まると、すぐに13億8000万円の種牡馬シンジケートが組まれた[16]。翌年の2001年から北海道早来町社台スタリオンステーションにて種牡馬として供用される。2003年から2006年までの4シーズンは、日本がシーズンオフになる夏から秋にかけてシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種牡馬生活を送った。2007年より北海道日高町ブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動して種牡馬として繋養されている。

初年度産駒にあたるフェリシアフェアリーステークスで初の重賞を獲得すると、翌年以降もコンスタントに重賞勝馬を輩出し、2006年マルカラスカル中山大障害で産駒初のGI(J・GI)制覇を成し遂げた。その後も毎年産駒が重賞を勝ち上がり、2008年にはスクリーンヒーロージャパンカップを制したことで産駒初の平地GIタイトルを獲得した。同年12月にはセイウンワンダー朝日杯フューチュリティステークス2011年にはアーネストリー宝塚記念を制し、いずれも親子二代制覇となっている。

種牡馬成績

年度別種牡馬成績(中央のみ)
出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 備考
頭数 回数 頭数 回数
2004 64 165 11 13 82 0.42 1億8517万9000円 フェリシアがフェアリーSを勝ち産駒初の重賞制覇。

新種牡馬ランキング4位、2歳リーディング7位。

2005 148 672 37 46 22 0.61 5億9557万8000円 -
2006 170 781 34 46 17 0.85 9億4417万3000円 マルカラスカルが中山大障害を勝ち産駒初のGI級競走制覇。
2007 162 759 39 49 13 1.03 10億9025万9000円 -
2008 162 694 44 58 10 1.55 15億8232万2000円 スクリーンヒーローがジャパンCを勝ち産駒初の平地GI制覇。

総合リーディング10位で初のトップ10入り。

2009 161 675 31 44 20 1.13 11億4002万8000円 本年度までの通算で9頭の中央重賞勝馬、3頭のGI級競走(障害競走を含む)勝馬を輩出。
2010 164 737 40 57 15 1.15 11億6864万4000円 ビッグロマンスが全日本2歳優駿を勝ち産駒初のダートGI級競走制覇。
2011 136 622 24 31 24 1.03 8億5780万8000円
2012 123 468 14 16 32 0.69 5億0526万0000円
2013 135 566 23 29 32 0.59 4億7873万2000円

GI級競走優勝馬

太字はGI級競走

ファイル:Maruka Rascal.jpg
マルカラスカル(2002年産)
ファイル:Screen Hero 20081109P1.jpg
スクリーンヒーロー(2004年産)
ファイル:Earnestly20110626(1).jpg
アーネストリー(2005年産)
ファイル:Seiun Wonder.jpg
セイウンワンダー(2006年産)

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

産駒の傾向

全体としてはやや晩成傾向で、新馬戦からいきなり勝ちあがる産駒は少なく、年を越して3歳になってから勝ちあがるものも多い。ところが一方で2歳時から活躍する産駒も目立ち、それらはグラスワンダー自身がそうであったように、成長力に富み、古馬となってからも活躍する場合が多い。サクラメガワンダーマイネルレーニアセイウンワンダーは2歳時に重賞を勝ち、古馬になってからも重賞を制した例である。また、オースミグラスワンスクリーンヒーローなどのように若駒のときに故障で戦線離脱し古馬になってから重賞を制する産駒もいる。

産駒はダートよりも向きであることが多く、産駒の平地グレード制重賞勝利は全日本2歳優駿(ビッグロマンス)以外すべて芝コースでのものである。産駒の距離適性は短距離から長距離まで多岐にわたっているが、基本的にゆったりと走れる中長距離に向く。

グラスワンダー自身も現役時代に骨折などの故障を経験しているが、2009年にはサクラメガワンダーやマルカラスカル、スクリーンヒーローといった主力産駒が相次いで故障(共に屈腱炎)を発生し、特にスクリーンヒーローはこの故障が原因で引退を余儀なくされた。

牡馬に比べると牝馬の競走成績は著しく劣る。牝馬で重賞を制覇した産駒はフェリシアとヒロアンジェロのみで、2010年にヤマカツマリリンが1600万下条件を勝つまで古馬になってから中央オープンまで出世した産駒はいなかったが、2012年にはシースナイプがオープン入りしている。 2013年にはメイショウマンボフィリーズレビューを制すと同年の優駿牝馬に優勝し、母の父として初めてG1馬を輩出する成績を上げている。

2013年現在、後継種牡馬としてサクラメガワンダー、スクリーンヒーロー、アーネストリーが繋養されている。

特徴

競走馬としての特徴

  • 一般的にサラブレッドは前脚のものよりも後脚のもののほうが小さいが、グラスワンダーの後脚の蹄の大きさは前脚と同じような大きさをしていた[17]
  • 左回りの競馬場でのレースは不得意であったとも言われているが、2歳時の重賞や、異例のローテーションで迎えた京王杯スプリングカップ(いずれも東京)でも豪快な勝ち方をしており、元から不得意であったとは考えにくい。ちなみに、DVD『グラスワンダー 夢色の蹄跡』では「左周りで苦しい競馬を強いられたことで、嫌がるようになってしまった。」と左回りが不得意になった原因について語られている。鞍上の的場は安田記念での接触を原因に挙げている。
  • 骨折休養後や引退前の惨敗のせいで成績にムラがあるように思われがちだが、惨敗した理由はハッキリしており、その時期もごく短期間に限定されており、無敗でGIを制覇したように本質的には高い勝率、連対率を誇る馬である。また、とりわけGIの勝率が高い。
  • 馬体重は2歳時で480kg台、古馬になってからは500kg前後で出走することが多かった。

走法

  • 前脚をかなり高く上げ、大きく掻き込むようにして走る。
  • グラスワンダーの走法は右手前の場合、「(右)前足を地面に叩きつけるようにする」(井崎脩五郎)ため、坂のある競馬場にめっぽう強かったと言われる(ただし同馬は平坦コースで一度も走ったことがない)。また、左手前(左回りの競馬場)の映像ではその特徴があまり見られない点が左回りで苦戦した要因のひとつであるとする向きもあるが、2歳時(旧3歳時)は左回り(左手前)でもこの派手な走法は顕著であった。

競走馬名および愛称・呼称

競走馬名の「グラスワンダー」は冠名の「グラス」に、伊藤がセリ市で見たときにワンダフルな印象を受けたことから「ワンダー」を加えたものである[18]。現役時代の愛称は「栗毛の怪物」。

エピソード

  • 上記の通りキーンランドで行われたセールで競り落とされた当馬だが、その際に競り合いとなった相手は世界的に有名な馬主のアラブ首長国連邦 (UAE) のシェイク・モハメドである。高額での競り合いが予想されたものの、価格が25万ドルに上乗せされたところでモハメドがセリを降りた(当時のレートで2500万円前後)。潤沢な資金を持つはずのモハメド陣営が、キーンランドセールではそれほど高額でもないこの価格で降りた理由は今もって不明。
  • 前述の通りマルゼンスキーとしばしば比較されていた。ただし、マルゼンスキーは先天的な脚部不安から生涯通して目一杯追われた事がなかったという関係者の証言や、1990年代1970年代とでは馬場の質が異なることもあり、単純に走破タイムなどからグラスワンダーの方が上と位置づけることが可能かどうかは解釈の分かれる所である。
  • 同期にはエルコンドルパサースペシャルウィークセイウンスカイアグネスワールドエアジハードマイネルラヴキングヘイローウイングアロー等のGI馬がおり、近年稀にみるレベルが高い世代の一頭といわれている。
  • 引退時、長く主戦騎手を務めた的場均は、「グラスワンダーの本当の強さを皆さんにお見せすることができなかったのが残念でなりません」と悔しさを滲ませた言葉を残した。GI馬に対するコメントとしては極めて異例なもので、いかにグラスワンダー関係者の評価と期待が高かったかを物語っている。
  • 尾形調教師は牧場で他馬に向かってこられたものの動じなかったグラスワンダーの様子を見て、「この馬は相当なバカか、賢くて走る馬だ」と思ったという。

血統表

グラスワンダー血統ロベルト系 / Nearco4×5=9.38%)

Silver Hawk 1979
鹿毛 アメリカ
Roberto 1969
鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Gris Vitesse 1966
芦毛 アメリカ
Amerigo Nearco
Sanlinea
Matchiche Mat de Cocagne
Chimere Fabuleux

Ameriflora 1989
鹿毛 アメリカ
Danzig 1977
鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
Graceful Touch 1978
鹿毛 アメリカ
His Majesty Ribot
Flower Bowl
Pi Phi Gal Raise a Native
Soaring F-No.12-c

近親

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 的場均『夢無限』 流星社、2001年
  • 『競馬名馬&名人読本』 宝島社、1998年

外部リンク

テンプレート:JRA賞最優秀2歳牡馬 テンプレート:JRA賞特別賞 テンプレート:朝日杯フューチュリティステークス勝ち馬 テンプレート:有馬記念勝ち馬

テンプレート:宝塚記念勝ち馬
  1. 半沢有限会社の会長は1970年代の名馬グリーングラスの馬主である半沢吉四郎の双子の弟にあたり、勝負服も同じである。
  2. 『競馬名馬&名人読本』p21-22
  3. JRAホームページ 名馬の蹄跡 グラスワンダー
  4. 競馬ブックの記事
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 的場均『夢無限』(流星社) ISBN 9784947770035
  6. 競馬ブックの記事
  7. 脚を引きずるなどの歩行異常のことで、骨、腱、関節、筋肉、神経などの異常が原因とされる。
  8. 競馬ブックの記事
  9. もともと的場は勝っていたとしても、まず先に騎乗した馬を気遣い、無事に止めて休ませることを優先していたため、ウイニングランもガッツポーズもしない騎手として知られていた。ライスシャワーが天皇賞(春)を制した時も同様であった。
  10. 競馬ネットmagazine第306号
  11. 競馬ブックの記事
  12. 『競馬雑誌馬劇場』
  13. 『競馬ブック』の記事
  14. 『競馬ブック』の記事
  15. 『競馬ブック』の記事
  16. 『競馬ブック』の記事
  17. 『競馬名馬&名人読本』p22
  18. 『競馬名馬&名人読本』p22