とんねるずの生でダラダラいかせて!!
テンプレート:Notice テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(とんねるずのなまでダラダラいかせて!!)は、1991年10月16日から2001年3月14日まで日本テレビ系列で毎週水曜 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていたお笑いバラエティ番組である。とんねるずの冠番組。略称・通称は「とんねるずの生ダラ!!」もしくは「生ダラ」。
出演者の「しゃべり言葉」を字幕として画面に表示するという手法を初めて本格的に導入した番組[1]で、これ以降のバラエティ番組やお笑い番組の制作に多大な影響を与えた。
目次
番組概要
本番組は放送開始までタイトルが明かされず、「とんねるずの番組」または「とんねるず新番組」と表記をしていたが、第1回放送開始の3分後にタイトルが発表された。タイトルに「生で〜」と謳っているとおり、当初は生放送であった。しかし、番組内容の変化(後述)やとんねるずのスケジュールに制約が出ることが主な理由となって、徐々に録画放送の回が増え、完全にVTR収録による「パッケージ番組」へと変化した。
番組開始当初は、とんねるずと一般公募でスタジオに集められた高校生らがバトルトークを繰り広げる番組であったが、各種バラエティ企画中心の内容に変化していった。1992年以降、1996年まではスタジオ内での企画とロケ企画を交えて放送するスタイルを取り、その頃から視聴率も上昇した。
通常放送時では1997年頃からロケ企画の比率が高くなり、1998年以降はオールロケ番組となった(スタジオでロケをメイン出演者がスタジオでVTRを見るという形式をロケのみに変更した日本テレビの番組では1991年の『生ダラ』スタート以降では『鉄腕!DASH!!』(1995年 - )がある。ちなみにこの『鉄腕!DASH!!』には福澤も出演していた)。1998年、平日朝の『ズームイン!!朝!』に専念するために番組を降板した進行役の福澤朗の勇退の際に、「さようなら福澤アナ」企画と題し総集編として約2年ぶりにスタジオから放送した。それ以降においてもロケ企画以外の内容や生放送が時々行われており、一例として2000年5月3日の生放送では、その日行われた巨人戦の模様を定岡正二に解説させるという企画などが行われていた。 とんねるずらは、特番の『スーパークイズスペシャル』には1回も出場していない(ただし、1993年秋から1994年秋まで敗者復活戦の出題VTRに登場していた)。
2001年3月14日の2時間スペシャルをもって番組は終了した。なお、最終回はエンディングで「10年間のご愛顧ありがとうございました。また来週!?」といったテロップが出た。
最高平均視聴率は1994年3月9日放送分の28.1%。番組全体の平均視聴率は19.8%(ビデオリサーチ調べ)。 番組開始当時から視聴率ランキング上位におり、これより上は同じくとんねるず司会のとんねるずのみなさんのおかげです、ねるとん紅鯨団だけである。
日本PTA全国協議会の「子どもに見せたくない番組」では常に上位常連だった。
今まで行った名珍企画
初期
- 大疑問に答える
- 番組最初期にあったバトルトークの総称。番組1回につき3 - 4つの「疑問」を番組側が提示してトークを進行していた。テーマに合わせてゲストを呼ぶこともあった。
- 麻原彰晃の青春人生相談
- 麻原彰晃が若者の悩みを解決するという企画。しかし実際は「風変わりな風貌をし、ちょっと珍しい事をしているおかしなおじさん」である麻原に対して興味本位な質問をぶつけ、その反応を皆で笑っている感じのものであった。一回きりの企画で、初期生ダラの演出を担当していたテリー伊藤が当時麻原を面白がっており、自身が演出する番組にたびたび出演させていた。
- セクシー小学生ゴングショー
- 各回のグランプリを集めたねずみっ子クラブには、現在の仲根かすみや伊藤かなが所属していた。姉妹企画として「ダンディ小学生ゴングショー」もあった。
- 心霊写真ゴングショー
- 視聴者から心霊写真を募集し、織田無道が鑑定。最もインパクトのあった写真を優勝とした。
- このほか様々なジャンルのゴングショーがあり、優勝者には10万円と白いウッドベース(前期)、または白い和太鼓(後期)が贈られた。このコーナーの元ネタはTVジョッキーの人気企画「奇人変人」で、こちらは優勝すると白いギターが贈呈されていた。
- 大喜利
- レギュラーとゲスト数名によるコーナー。面白くないネタを出した者にはペナルティとしてパイ投げをくらっていたが、中にはお題の例が石橋の機嫌を損ねる内容だったために進行役の福澤がパイ投げをくらったケースもたびたびあった。
全盛期
- 生ダラKART GRAND PRIX
- 番組中期の中心コーナーと言っても過言ではない、カートレースの真剣勝負シリーズ。幼少時代からカートをやっていたアイルトン・セナや、ナイジェル・マンセル、ジャン・アレジ、鈴木亜久里、中嶋悟といったF1ドライバーも出演したことがある。近藤真彦、岩城滉一、舘ひろし、三原じゅん子などの大物タレントと対戦し[2]、三原じゅん子がスピンしたカーブが、ヒット曲にちなんで「セクシーナイトコーナー」と名付けられた。コーナーのオープニングは、フジテレビ系の「F1グランプリ中継」のオープニングCGを真似た実写映像やテロップを使用し、テーマ曲も「TRUTH」(T-SQUARE)を使用していた。また、石橋は尊敬するアイルトン・セナに引っ掛けて、「アイルトン・タカ」というドライバー名で出場していた。当初ゲストだった定岡正二(アイルトン・サダ)はこのコーナーで石橋のライバル的役回り(チーム対抗戦の時には石橋のチームメイト)を演じるようになり、コーナーのレギュラーとして人気を博すこととなる。ルールは2種類(前期・後期とする)あり、前期は主に現役のF1ドライバー等との1対1の個人戦。後期はタカチーム、サダチームプラスゲスト2チームに分かれ、1チーム3人(ただし各チームに国内トップドライバーが1人)で1人1スティント5周を2セット計30周、ただし途中15周で後輪タイヤ2本交換のチーム戦として行われた。敗者が罰ゲームを受けることもあり、敗れた鈴木亜久里や石橋が丸坊主となったこともあった。レースは主に新東京サーキットで行われた。
- セナとの対決の際に石橋は「俺が勝ったら鈴鹿で優勝した時のヘルメットくれよな」とセナに約束を取り付ける。結果は、セナがコースを横切ってショートカットしたためにセナの反則負けとなり、約束通り鈴鹿戦のヘルメットをもらうこととなった。しかし、それから間もない1994年にセナは事故死。実際に石橋が前年の日本GPでセナが優勝したときにかぶっていたヘルメットを受け取ったのは、セナが事故死した直後であった。この後石橋は「セナから遺志を受け継いだ」として約2年間コーナーを続けた。
- タカ vs サダ 炎の髪切り十番勝負
- カートグランプリの石橋vs定岡の抗争がエスカレートし、「タカーズvsサダーズ」の十番勝負が行われた。前述の「生ダラKART GRAND PRIX」とともに番組中期の中心コーナーの一つである。カート対決、PK対決、オセロ対決などで両雄が真剣勝負を行った。十番勝負としての敗者に丸坊主の罰があるほか、各対決ごとにも罰ゲームが懸けられていた。番組内でのヘタレっぷりから「へなちょこサダ」「負け犬サダ」などと揶揄された定岡だったが、最終勝負の野球対決でサダーズが6勝目を飾り優勝した。石橋は同時期にモデルに挑戦する企画を行っていたため、定岡の了承を得て執行猶予が与えられ、モデル企画の終了直後に坊主頭にされた。サダーズのメンバーは定岡と輪島大士の異色コンビ。輪島も「(好きな食べ物は)マグロ?」「(好きな女性のタイプは)金髪?」などの名言を残し(なぜか番組内での彼の発言テロップはすべて勘亭流書体の疑問形になる)、「ワジー」として愛されるキャラクターとなった。
- 男性ストリップバー出演
- 前述の「タカ vs サダ 炎の髪切り十番勝負」における罰ゲームで、石橋・定岡・輪島大士・輪島功一・福澤が男性ストリップショーに出演する企画。福澤は最初は乗る気ではなかったものの、最終的には下準備をした上でダンスを披露していた。定岡はショー開始前に「身内でやろう?」と言ったところ、石橋に「長嶋さん呼ぶ?」と言い返されてしまう始末だった。
- PK職人木梨憲武のサッカーPK対決と、ノ・リーグ
- 木梨が田口光久と組み、国内外のサッカー選手たちとPK戦で対決するシリーズ。木梨が勝てば各チームのジャージをもらうことになっていた。ペレやロベルト・リベリーノ、ルート・フリットなど有名選手とも対戦した。ペレ戦では事実上勝利していたが、ペレ側からクレームがつき、木梨の負けとなった。ワールドカップ前後には遠征を行った。1998年のワールドカップ・フランス大会では、日本国内でもチーム情報が全く把握されていなかったジャマイカ代表選手とのPK対決をイギリスで決行。「日本サッカー協会関係者にも見てもらいたい!」と豪語しながら、ジャマイカ代表選手の情報詳細を日本のテレビで初めて紹介しながらPK対決を行い、サッカー関係者からも注目の放送となった。その後、PKトーナメント戦も開催された。
- ここから多くのサッカー企画が生み出され、後に川添孝一、椎名桔平等を加えミニサッカーチーム(当時はフットサルという言葉は浸透せず)「ジーコさんズ」を結成するが、ジーコ本人と対決し敗れチーム名を剥奪され「FCのりの」と改称した。またJリーグの「J」をカタカナの「ノ」に変えたノ・リーグを企画し、各Jリーグチームとフットサル対戦をした。PKで負けたJリーガーが丸坊主にされることもあった。また、定岡正二がシュートの際に発言した「ナイアガラ・ドロップキック」は、あまりのインパクトの強さのため、当時のとんねるずのコンサートツアーのタイトルにもなった。
- トレジャーハンティング
- 貴チームと憲チームに分かれて壮大に繰り広げられた宝探し対決。最初の2回は当時の日テレ麹町本社を利用したが、後に浅草、横浜、箱根、熱海などを舞台に行われた。1995年秋の特番では舞台をアメリカに移し、ロサンゼルス〜(デスバレーで野宿)〜ラスベガスでも行った。対決に使われる暗号部分は、パズル雑誌『パクロス』とのタイアップであり、一時期は視聴者へのプレゼントクイズとして、オリジナルの暗号問題が出題されていた。石橋は開始早々突然コーヒーで休憩を取ったり、トイレにこもり用を足すなどしてメンバーから突っ込まれていた。また、先にゴールしたチームが物陰に隠れ、後から来たチームがゴールしたとぬか喜びしているところで登場して騙すのがお約束だった。
- あっくんとみえちゃん(あっくん十番勝負)
- 当初は「子供はお母さんとの約束を守れるのか」というような趣旨で、男の子の「あっくん」がお母さんが出かけている間におやつのイチゴを食べないように、という約束をしたのだが、結局食べてしまう[3]。その時のあっくんの「宇宙人が来て食べちゃった」という言い訳を受けて、見栄晴が宇宙人「みえちゃん」として登場。あっくんとみえちゃんの不思議な友情が好評だった。その後みえちゃんのライバルとして「おたく星人」(宅八郎)、「ツルピカ星人」(そのまんま東)、みえちゃんの妹(倉沢淳美、高橋真美)などが登場したが、あっくんには不評だった。最終回では、みえちゃんとの別れに涙するあっくんの姿が感動を呼んだ。あっくんのその後については『美術手帖』山下陽光十番勝負! web連動企画「あっくんに会いたい」を参照。
- クイズ年の差なんちて!違うか!→クイズ生ダラ年の差なんちて!
- フジテレビ系『クイズ!年の差なんて』のパロディ。オヤジチーム(とんねるずなどレギュラー陣のほとんどはオヤジチーム)とヤングチーム(佐藤アツヒロや細川直美が多く出場)に分かれて対戦。本家同様のチーム別問題(オヤジ用問題とヤング用問題)のほか、当コーナー独自のクイズやゲームもあった。どういうわけか、1000丸のような巨大風船を破裂させるコーナーが多かった。このコーナー以外にも、「なるほど!ザ・成増」(石橋の実家がある成増をテーマにした『なるほど!ザ・ワールド』のパロディ)や「100万円生ダラハンター」(本家『100万円クイズハンター』の終了間も無い頃の放送で、本家の司会だった柳生博も解答者として出演)、『クイズ100人に聞きました』(番組オリジナルで、工藤静香のみが答えたベスト5を当てる問題も登場)、『底ぬけ脱線ゲーム』(人間ボウリングなどの過激な企画が有名)と、過去の名クイズ・ゲーム番組のパロディ企画も数多く行われた。
- 勝俣州和の芸能界ひとりずつたたきつぶしてやる!
- とある企画の罰ゲームでスカイダイビング対決をした所、勝俣が号泣してしまう醜態を晒したことに端を発した企画。タイトル通り、他の芸能人と海上ターザンジャンプや鯱ロデオなどで勝負を挑んだが、このコーナーで男を上げるどころか毎回泣いてしまい「泣き俣」のレッテルを貼られ、毎週登場しているにもかかわらず「準レギュラー」として不遇の扱いを受けていた。
- 生ダラドッキリカメラ
- 「元祖どっきりカメラ」のパロディ企画。にしきのあきら(現・錦野旦)が毎回のようにドッキリのターゲットにされていたが、一回だけ、木梨とCDを出していたジョージ山本がターゲットのときもあった。木梨が仕掛人軍団のリーダー「ノリ圭介」(後期は「木梨野呂武」。元祖の野呂圭介のパロディ)となり、オープニングでの作戦説明や作戦中の仕掛人への指示を行い、作戦終了後には元祖を真似た「生ダラドッキリカメラ NTV」と書かれたプラカードを提示する役を務めていた。毎回いくつかの小ネタドッキリを行った後に大掛かりなドッキリを実行するが、大ネタのコンセプトは必ず落とし穴であった。元祖と同じく、決定的シーンでは別角度から撮った映像や「マンボNo.5」のリズムに合わせて早送り・逆回転する映像などが何度もリピートして流れた。にしきののリアクションが好評であり、彼が生ダラ準レギュラーとなるきっかけとなった企画である。しかし、にしきの自身は「このドッキリは消したい過去である」と他番組出演時に語っていた。
- 特に語り草になっているのは、この企画の第2弾である。にしきのを露天風呂を模したセットから巨大滑り台で(全裸で)落下させ、下で待ち構えている巨大なボウリングのピンを「スターにしきの」が何本倒せるか、題して「これがホントの『スターボウリング』作戦」は、にしきののリアクションはもとより、オチに至るまでのプロセスや、オチの後にもわざわざ志生野温夫に「ナイス・カン!」と絶叫させる凝り様が絶妙で、生ダラの中でも最も笑ったという視聴者も多かった。この露天風呂滑り台は、後に他局の番組である『めちゃ2イケてるッ!』でも中居正広をターゲットにパロディ化されるほどの名企画であった。
- 「ドッキリカメラ」と銘打った企画ではないが、勝俣や定岡などとんねるず以外のレギュラー出演者もドッキリにハメられたことがあった。
- 番組終了から約10年後の2011年1月6日に放送されたフジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでしたスペシャル』では「全落オープン」として落とし穴企画がハワイで復活し、錦野が4度も落とし穴の餌食となった。他局・マイナーチェンジという形ではあったが、往年の視聴者を懐かしがらせて笑わせた。錦野は生ダラからの因縁を思い出すコメントを発し、テロップでも生ダラを「伝説の番組」として紹介していた。
- 「祖師ヶ谷ーズ」
- 元々は「タカ vs サダ」などの際に出番のなかった木梨と勝俣が、それぞれ1号、2号に扮し、マスクを被った謎の2人組として飛び入り参加していたものだが、妙な人気を得て、世田谷区祖師ヶ谷の商店街を軽トラックに乗ってパレードするなどの独立した企画も生まれた。祖師ヶ谷に店舗があった長崎屋(現在はスーパーオオゼキと100円SHOPダイソーになっている)のテーマ曲に乗りながら登場した。挑発されたり質問されても何も答えずに、「言えよ!」と突っ込まれるのがお約束事だった。3号としてブラザー・コーンが登場したこともあった。
- 闘牛対決
- スペイン・マラガの闘牛場で、闘牛の真剣勝負を行った。石橋、福澤、にしきのあきら、THE ALFEEの高見沢俊彦らが挑戦した。闘牛に懸賞金をつけた勝負で、石橋は見事に闘牛から懸賞金を奪ったが、マタドールの衣装のお尻のラインが破けていた。とんねるずマネージャーのボブ市川は、この企画で「マラガの海の贈り物」なるキャラクターに扮し活躍した。福澤やにしきのが赤い軽装・衣装で行ったり、演奏しながら挑戦した高見沢が襲われるなど危険なことも多く、毎回数多くのドラマを作り出した。実際に高見沢が左手人差し指を骨折するというアクシデントに見舞われ、一時はその年のTHE ALFEEのコンサートツアーの実施が危ぶまれる事態を招いている。
- エアロビクス対決
- 静岡県清水市(当時)で実際に開催されていたエアロビクス大会に出場するべく、「エアロ奈美恵(諸星和己、福澤、宍戸開。福澤勇退後にデビット伊東が加入)」「チーム踊る肉団子の甘酢かけ(木梨、にしきの、角田信朗)」「極悪非道のダンスユニット・芯(石橋、定岡、長嶋一茂)」の奮闘する様子を放送した。ダンスのBGMは3組とも「サンバ・デ・ジャネイロ」のリミックスを使用し、チーム肉団子はさらににしきのの「空に太陽がある限り」や西城秀樹の「ギャランドゥ」をミックスして使っていた。視聴者にも振付けを覚えてもらう為、音楽に合わせ「起きてしゃがんで見栄切って」といったユニークな振付けナレーションを福澤が付けていた。各チーム健闘したものの、芸能人ゆえの練習日数の少なさから、大会での成績は振るわなかった。特に口ばかり達者だった「芯」は、当然のように最下位の屈辱を味わった。このエアロビクス大会は静岡放送で録画放送され、生ダラチームの演技も実際に放送された。
- 木梨憲武バレエ団
- 木梨、佐藤康恵、佐伯日菜子がバレエを学ぶところに始まり、後に木梨を団長に団員をオーディションで公募し、実際にバレエ公演を行うまでの様子を放送した。エアロビクス、ダンスに懲りた憲武だったが、バレエにはかなり乗り気だった。先生として迎えた大滝愛子や、ニューヨークの男子バレエ団「グランディーバ」など、ユニークな出演者も好評だった。ゲストとして奈美悦子、神田うの、熊川哲也も出演していた。
- 沖縄アクターズスクール入門
- 木梨が勝俣、にしきのあきら、奈美悦子、未唯らとともに訪問・入団し、数週間かけてダンスを学んだ後、最後にトップクラスの子どもたちとともにコンサートを開いた。
- 輪島大士お見合い企画
- 自身が保有していた年寄株「花籠」を抵当権に入れたことが発覚し、1985年に日本相撲協会を事実上追放されたあげくに離婚した輪島のために、石橋が立ち上げた再婚支援企画。かつてとんねるずが司会をしていた『ねるとん紅鯨団』の要素を取り入れた内容になっていた。最終的に輪島はめでたく再婚することができた。
- 生ダラ日本シリーズ
- その年日本一になったプロ野球チームに石橋が加わり(タカーズ)、定岡率いるサダーズと真の日本一を賭けて野球対決する。ルールは5回までだが、必ず負けた方は罰ゲーム(顔を地面につけて土下座するなど)をして、泣きの延長戦(7回まで)をする。しかし7回でも逆転できず、どうしても勝ちたいがために「もう1回本当の本当に最後の泣きの延長戦(9回まで)」をすることもあった。
- 入場テーマ曲は、石橋は自身が出演した映画『メジャーリーグ2』の劇中歌「ワイルドシング」。一方の定岡は自身の歌「夢をあげたい」だった。
- かつての名物コーナー「タカ vs サダ 炎の髪切り十番勝負」の延長戦のようなノリが見られ、石橋はことあるごとに定岡を坊主にしようと画策するが、1997年は定岡の代わりに長嶋一茂が犠牲になった。1998年は当初グラウンド10周のマラソンの罰ゲームだったが、石橋が「やっぱ、サダを坊主にしないと気が済まないよ!」と負けた定岡を坊主にしようとした。しかし斉藤明夫の説得により、坊主は免除された。
- サダーズのメンバーは定岡兄弟(兄・正二&弟・徹久。石橋に2人揃ってバカ兄弟と呼ばれていた)と、対戦する球団のOB(長嶋一茂・ギャオス内藤・角盈男(1997年)・遠藤一彦・斉藤明夫・シピン・平松政次(1998年))や、定岡の友人である西本聖・バースやデストラーデなど、豪華メンバーであるが、サダースの名コンビであった輪島は一度も出演しなかった。デストラーデが実にひょうきんな所を見せ、1998年には定岡と一緒に土下座をするなど、妙な存在感を示していた。
- フランス横断生ダラウルトラクイズ
- 『アメリカ横断ウルトラクイズ』のパロディで、ウルトラクイズが事実上終了した1993年秋頃に行っていた、石橋と定岡のクイズ対決。場所こそフランスだが、内容はアメリカ横断ウルトラクイズのクイズ形式(ジャンケン、機内ペーパークイズ、バラマキクイズなど)が用いられ、司会も本家の2代目司会だった福澤が務めた(ただしフランス国内。成田空港のジャンケンは河村亮アナウンサー)。パリまでの移動はジャンケンで勝利した定岡はファーストクラスで、敗れた石橋はエコノミークラスで移動したが、石橋はファーストクラスでなければ当企画をキャンセルすると言ったほどであった。クイズに負けた方は、その都度罰ゲームが課された。最終的には定岡が勝利。石橋はジャージを着用してエッフェル塔を階段で昇り、最終的な罰ゲームとして、スペインで行う闘牛対決ロケ(上記参照)までの間、定岡の付き人をさせられた。
- 輪島功一のだんご屋バスツアー
- 国分寺市にある輪島功一が経営するダンゴ店にバスで赴こうという企画。石橋、木梨、錦野、輪島大士、そのまんま東、定岡、勝俣が参加した。だんご屋に向かうバス車内はトークやカラオケなどで盛り上がったが、錦野がバス酔いで嘔吐してしまい、嘔吐物の臭いがバス車内に充満し、車内はまるで地獄絵図のようなパニックになってしまった。だんご屋到着後、メキシカンハットをかぶった勝俣はだんごを「まずい」と言ったり、バスにだんごを盗み帰ったりしていた。その際勝俣は輪島に対して「ADです」と言い返していた。この企画は総集編で「もう一度みたいランキング」では「スターのゲロ」として上位にランクされるほど人気がある企画であった。
- 生ダラダンプカーレース
- オフロードに障害物を設置し、中型ダンプカーを使ってレースを行う企画。石橋、木梨、勝俣、デビッド、山本譲二などが参加した。荷台にはドラム缶や放水装置などが積載され、レース中は荷台を可動させるなどして他の車両の走行を妨害してもよいというルールだった。
末期
- 女子アナ予備校
- アナウンサー志望の女子大生を集めて、木梨がアナウンサーレッスンをするというコンセプトで作ったコーナー。講師に久保晴生(元日テレアナウンスカレッジ校長・フリーアナウンサー久保純子の父)などを招いて取り組んでいた。このコーナーには、当時日テレアナウンスカレッジに在籍していた前田真理子(当時学習院大学在学中、現・テレビ東京アナウンサー)も出演していた。
- 負けず嫌い王決定戦
- 同じくとんねるずが出演する『とんねるずのみなさんのおかげです』→『おかげでした』の人気コーナー「食わず嫌い王決定戦」のパロディ。芸人2人にゲテモノ料理を差し出し、先に食べた方が勝ちという企画。
- Tバックマサハル
- 当時とんねるずのマネージャーだった関口正晴が大盛りメニューに挑戦する企画。関口がタイガーマスクを模したTバックとマントを着用して登場し、さらにTバックから紅茶のティーバッグを吊るしていた。石橋はマネージャー「Mr.エックス」で登場する。特大ステーキではタイムアップ寸前で残ったステーキにがぶりついて完食扱いにしようとした。判断は店サイドに委ねられ、関口は完食という事でなんとか賞金を獲得できた。一方で大盛りカレーライスは完食できず、代金を請求されて関口自身が支払った。オープニングはアニメ『タイガーマスク』のパロディで、一部シーンのロケはソープランドで行われた。オープニング曲はアニメ『タイガーマスク』のオープニング「行け!タイガーマスク」の替え歌、完食できなかった際のエンディング曲は「みなし児のバラード」(オリジナル)が使用された。
- 逃亡者
- 当時とんねるずの付き人をしていた小山弘訓(現在は融合事務所所属の俳優)が、尊敬する高倉健に会うという夢を叶えるため、東京から北海道までの逃亡劇に挑戦する。小山は毎週指定された3つの候補都市のいずれかを訪れ、姿を見せなければならない。とんねるず側は視聴者からの小山の目撃情報を元に、彼が出現する候補地を推理する。推理が的中した時点で小山は確保され、逃亡失敗となる。2回チャンスを与えられたが、いずれも失敗に終わった。企画終了後、小山に高倉からの激励のメッセージが届けられ、号泣する様子が放送された。
- 寿司を賭け対決!マージャン「寿司ジャン」
- 番組末期にかなりよく行われていたコーナーでレギュラーのとんねるずとゲスト2人が高級寿司を賭けて対決。ポンジャンやドンジャラにルールが似ており、寿司ネタやビールなどの絵が描かれた牌を最初に3枚ずつ3種類集めた人が上がり、揃えたネタを食べることが出来る。後にこのゲームは市販化された。
- パチンコ対決
- 番組最末期はこのコーナー一本だった。石橋率いる梁山泊軍団と木梨率いる尿蛋白(後にマンション久保田率いるチーム久保田に改名。野猿メンバーであったホッシーなども参加)のパチンコ対決。また梁山泊所属のパチプロや、久保田らによるパチンコ講座も行われていた。本格的に女優転向する前の柴咲コウも出演した。
出演者
レギュラー
- とんねるず(石橋貴明・木梨憲武):メーンパーソナリティー(総合司会)
- 見栄晴(初期):そのまんま東とのボクシング対決で「負けたら降板」で敗れてしまい降板。その後、末期のパチンコ企画でチーム久保田の一員として準レギュラー復帰。
- 宅八郎(初期)
- イカオヤジ(初期)
- ねずみっ子クラブ(初期)
- そのまんま東:当初は準レギュラーであったが、見栄晴とのボクシング対決で勝利し、レギュラーを獲得。
- 勝俣州和(中期以降):毎回登場するのにもかかわらず、番組からは準レギュラーと言われている。
- デビット伊東(後期)
- 久保田篤(後期):「マンション久保田」名義で出演。
進行役
- 福澤朗(当時日本テレビアナウンサー、番組開始 - 1998年7月)
- 矢島学(日本テレビアナウンサー、1998年7月 - 1998年9月)
- 鈴木崇司(日本テレビアナウンサー、1998年10月 - 番組終了)
- 辻よしなり(後期、元テレビ朝日アナウンサー)
- アシスタント
準レギュラー
- チチスイ鈴木(初期)
- 当時小学生。自分の乳を吸えるという芸を披露。キャラクター的に石橋に気に入られ、その後も幾度か出演。2度目の出演の際に和田アキ子に対し、あまりのボケをかまし憤慨され号泣する。また、「チチスイ鈴木」の芸名はこの回に出演した和田アキ子によってつけられた。しかし、後に登場したねずみっ子クラブの登場と活躍に追いやられ、自然消滅状態での降板となった。
- 織田無道
- 田口光久(元サッカー選手GK)
- にしきのあきら(現:錦野旦)
- 高見沢俊彦
- 北島三郎
- 和田アキ子
- 工藤静香
- 定岡正二(中期以降):プロ野球を引退した後、石橋との因縁対決といじられるのが全国区の知名度を得て、番組の名物キャラクターとなる。
- 輪島大士(中期以降)
- 輪島功一(中期以降)
- 保阪尚希(中期以降)
- プリンプリン(中期以降)
- 諸星和己(後期)
- 角田信朗(後期)
- 蝶野正洋(後期)
- 天山広吉(後期)
- アンディ・フグ(後期)
主題歌
- 「大人になるな」(初期エンディング、とんねるず(「がむしゃら」に収録)
- 「Ba・Ca」(中期オープニング、とんねるず)
お決まりの挿入曲
- とんねるずが出演者の誰かと乱闘する時に必ず流れるテーマ。これ以降、『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(テレビ朝日・ABC系)などで乱闘のようなシーンになるとたびたび流れるようになるお決まりの曲となった。
- マンション久保田率いる尿蛋白軍団(後のチーム久保田)のテーマソング。
- 「The Final Bell(映画ロッキーより)」
- 定岡が石橋と対決した際に、定岡の勝利時に必ず流れるテーマ(定岡のリクエスト曲)。
ネット局
- 放送系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
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関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 札幌テレビ | 同時ネット | ||
青森県 | 青森放送 | |||
岩手県 | テレビ岩手 | |||
宮城県 | ミヤギテレビ | |||
秋田県 | 秋田放送 | |||
山形県 | 山形放送 | 遅れネット →同時ネット |
1993年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
福島県 | 福島中央テレビ | 同時ネット | ||
山梨県 | 山梨放送 | |||
新潟県 | テレビ新潟 | |||
長野県 | テレビ信州 | |||
静岡県 | 静岡第一テレビ | |||
富山県 | 北日本放送 | |||
石川県 | テレビ金沢 | |||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 | ||
近畿広域圏 | 読売テレビ | |||
鳥取県 島根県 |
日本海テレビ | |||
広島県 | 広島テレビ | |||
山口県 | 山口放送 | 1993年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
徳島県 | 四国放送 | |||
香川県 岡山県 |
西日本放送 | |||
愛媛県 | 南海放送 | |||
高知県 | 高知放送 | |||
福岡県 | 福岡放送 | |||
長崎県 | 長崎国際テレビ | |||
熊本県 | くまもと県民テレビ | |||
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1993年10月からネット開始 | |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | 1994年3月まで | ||
鹿児島読売テレビ | 日本テレビ系列 | 1994年4月開局から | ||
沖縄県 | 琉球放送[4] | TBS系列 | 遅れネット |
スタッフ
- 監修:秋元康
- 構成:吉野晃章、浜田悠、小山薫堂、そーたに、おちまさと、都築浩、小川浩之、兼上頼正、浅野吉郎ほか
- 初期オープニングタイトル:根本敬
- TP:金岩昭博
- 演出:伊藤輝夫(前期)、財津功(前 - 中期)、小島悟、佐藤俊一郎(中期)、中村博行(末期)
- サブプロデューサー:土屋敏男(1991年10月 - 1992年9月。番組クレジットにおいては「プロデューサー」と表記。開始当初しばらくの間は演出兼任)
- プロデューサー:大井“マリー・アントワネット”紀子(前期)、大澤雅彦(中期)、糸井聖一(末期)
- チーフプロデューサー:棚次隆(前期)、佐野讓顯(中期)、大澤雅彦(末期)
- 技術協力:八峯テレビ、NTV映像センター
- 美術協力:日本テレビアート
- 演出協力:CAPACITY
- 制作協力:Arrival
- 製作著作:日本テレビ
脚注
関連番組
テンプレート:前後番組 テンプレート:Asbox テンプレート:とんねるず テンプレート:秋元康
テンプレート:和田アキ子- ↑ しゃべり言葉をテロップ表示する手法はABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』が発祥であるが、同番組の場合ナレーションの代用という意味も込められているためテロップの使用はVTR部分に限られており、スタジオパートでは一切使用されていない。スタジオパートにおいても字幕を使用したという意味では「生ダラ」が先駆けである。
- ↑ ちなみに近藤真彦は国際A級ライセンスを、三原じゅん子は国際B級ライセンスをそれぞれ所持している。
- ↑ 関連項目:マシュマロ実験
- ↑ 日本テレビ系列局が無い沖縄県において、最も日本テレビ系列に協力的な局であるフジテレビ系列局の沖縄テレビでは放送枠が足りないため、本番組の放送当時としては唯一、TBS系列局による番販放送となっていた。