底ぬけ脱線ゲーム

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組底ぬけ脱線ゲーム』(そこぬけだっせんゲーム)は、1963年6月2日から1973年1月25日までの約10年間にわたって日本テレビで放送されたバラエティ番組である。ロート製薬の一社提供。

放送時間は、開始当初は日曜 12:15 - 12:45 (JST、以下同)だったが、1963年10月3日放送分からは水曜 19:30 - 20:00となり、1970年1月8日放送分からは木曜 19:30 - 20:00となった。なお、1963年10月9日の関東地区での読売新聞には、パンシロンの広告(胃腸と肝臓にパンシロン)も兼ねた番組広告が掲載された。キャッチフレーズは「こんな番組 見たことない…」だった。

内容

日本テレビアナウンサーの金原二郎が司会を務め、著名タレント・俳優が毎週「底ぬけチーム」「脱線チーム」の2組に分けて対戦し、身体を張った様々な珍ゲームを楽しむというものであった。金原の「週に一度の脱線タイム、さぁ底ぬけにお楽しみいただきましょう。ロート製薬提供、底ぬけ脱線ゲーム…」というフレーズも番組の一つの看板といえた。また、金原が持っている元来自動車の警報装置であった「パフパフ」を小道具に使用した。

元々この番組は、日本テレビ開局翌日の1953年8月29日から1959年4月25日まで放送されていた『ほろにがショー 何でもやりまショー』(第1回のみ『ほろにがショー』)を発展させる形でスタートしたものだった。1963年5月28日付の読売新聞夕刊のラ・テ欄上部には、「『何でもやりましょう』(何でもやりまショー)がリバイバルする」と記載されていた。

それぞれのゲームには、当時の流行語ヒット曲の題名・歌詞をもじったユニークな名前が付けられていた(「背部の女」「強尻(ゴーケツ)」など[1]

リハーサルは綿密であったが、出演者には代役が立てられ、本人はその様子を見学させられた。中には、「面白く見せる方法」もあったという。だが、実際はそれはゲームの半分までの話で、本当のゲームはその後、本番中に金原から発表された。

中間のゲームでは、スポンサーのロート製薬の製品(「パンシロンG」、「Vロート」)のパッケージを小道具に使っていた。それが終了した後、金原がロート製薬のCMをスタジオ内で行うもの。もちろん、スタジオ内にも「パンシロンG」などの看板も掲げられていた[1]

「がまん特集」「プール大会」「運動会特集」などの企画ものもあった。さらに、視聴者からは「忘年会でもやれるゲームを教えてほしい」の声もあった。そのため、毎年年末には「家庭ゲーム特集」を行い、視聴者への参考とした。また1970年8月27日に放送された「夏休みチビッコ大会」の時には、原則として芸能人が出演者だった中、一般の子供たちが芸能人に混ざって出演した。さらにこの回では、『おはよう!こどもショー』の当時のレギュラーだった楠トシエ石川進・ロバくんが出演した(この回のゲームは、山の頂上にいる相手の応援団長を引きずり下ろす 《 父山(とうさん)電車 》、子供たちの入った天井が昇降する箱において、より天井を低くしたチームが勝つ 《 夏休みの縮台(しゅくだい) 》)[2]

1971年6月3日には「8周年記念特集」を放送、この回の出演者はファイティング原田藤村俊二倍賞美津子ほか。ゲームは、「八」の字を書いた紙が出るまで風船を割り続ける「八紙無ン特集」(8周年特集)や、カラだと思うバケツ(他には水がある)を指定し、相手はそのバケツを指定者目掛けて中身をぶちまける「水中ばれー」(水中バレエ)など。なお、この回は後年の懐かしのテレビ番組を振り返る番組(TBSテレビ探偵団』など)で放送されたことが多かった[3]

勝利チームには特に賞品は出なかったが、敗戦チームは「お約束の罰ゲーム」をやらなければならなかった。番組はそのゲームをやってオチを付けながらエンディングに入っていた。なお、番組は毎回罰ゲームを行うべく、最終的に同点になった時には観客の一部を利用しての「同点決勝」を行っていた(例:指定された年齢の人を呼ぶ、など)[1]

リメイク版

新・底ぬけ脱線ゲーム

1974年10月2日から1977年9月28日まで水曜 19:00 - 19:30に、初代司会者金原の後輩である徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)の司会で『新・底ぬけ脱線ゲーム』として復活させ、こちらも3年続いた。オリジナルとの相違点は、勝利チームには提供スポンサー(味覚糖ほか)から「勝利者賞」が与えられていた点である。

底ぬけ脱線ゲームスペシャル

1983年10月4日の19:00 - 20:54に放送。正式名は『大爆笑!120分デスマッチ!!底ぬけ脱線ゲームスペシャル』。内容は「底ぬけ脱線」とは言いながら、体育館での収録・選手宣誓付き・審査員(ジャイアント馬場ビートたけし)付きと、フジテレビオールスター紅白大運動会』(『火曜ワイドスペシャル』)を思わせるようなものだった。司会は土居まさる和田アキ子

電脳底ぬけ脱線ゲーム

1993年4月8日から木曜 25:10 - 25:40に、京本政樹細川ふみえの司会で関東ローカルでセガ・エンタープライゼス(現・株式会社セガ)一社提供の『電脳底ぬけ脱線ゲーム』として再び復活を果たしたが、同番組はそれから2か月ほど経過した6月24日に突然打ち切られた。番組内での告知は一切無く、エンディングで突然「今回で放送を終了します」というテロップが出されて終了した。

番組の終了後、それまで金曜26:45枠で放送されていた音楽番組『M2』が放送されるようになった。

収録場所

  • 「スペシャル」は前述の通り体育館(場所不明)で行われていたが、「無印」「新」は基本的に後楽園ホールで行われていた。しかし、企画物の時などには地方の公会堂やプールなどで行われていた。
    • 例:「巨人軍大会」の時には後楽園球場で行い、点数表示は当時のスコアボードで行った。
  • 「電脳」は、シリーズでは唯一のスタジオ収録・非公開だった。

主な出演者

脚注

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  1. 1.0 1.1 1.2 『テレビ50年 in TVガイド』『テレビ60年 in TVガイド』(東京ニュース通信社)それぞれの1963年のページより。
  2. 1970年8月27日の読売新聞など各新聞縮刷版テレビ欄より。
  3. 1971年6月3日の読売新聞など各新聞縮刷版テレビ欄より。

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