三洋電機

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テンプレート:Infobox 三洋電機株式会社(さんようでんき、テンプレート:Lang-en-short)は、パナソニックグループ日本電機メーカー。本社は大阪府守口市に所在。

概要

松下幸之助義弟松下電器産業(現・パナソニック)の創業にもかかわり、同社の専務取締役であった井植歳男が、GHQによる公職追放指定に伴い、1946年(昭和21年)に松下電器を退社。翌年2月1日、松下幸之助より、自転車用発電ランプの製造権と加西市にある松下電工(後のパナソニック電工【現・パナソニック】)北条工場(現在の「イオンモール加西北条」敷地)を譲り受け、個人事業「三洋電機製作所」を創業し、自転車用ランプを製造(当初は松下電器が三洋電機の名前を併記して「ナショナル」ブランドで販売[1]。のちに直販化)。松下電器産業の後藤清一 も創業時に工場長として参加(後に副社長)。

1949年(昭和24年)、三洋電機株式会社設立。会社のマークに、源流企業の松下電器の「ナショナルマーク」類似の、円形に電気のスパークとサンヨーロゴをデザインしたものを採用。社名は太平洋大西洋インド洋を意味し、世界で活躍できる企業になるという意志が込められている。1953年(昭和28年)に開発した噴流式洗濯機が大ヒットし、一躍有名になった。2011年(平成23年)に株式交換によりパナソニックの完全子会社となった。

沿革

  • 1947年(昭和22年)2月1日 - 三洋電機製作所として創業。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 三洋電機株式会社設立。
  • 1959年(昭和34年)7月14日 - 東京三洋電機株式会社設立。
  • 1966年(昭和41年)7月1日 - 鳥取三洋電機株式会社(後の三洋電機コンシューマエレクトロニクス株式会社。現在は三洋電機本体に吸収合併)設立。
  • 1985年(昭和60年) - 1986年まで石油ファンヒーターによるCO中毒事故が続発(詳細は石油ファンヒーター事故を参照)。
  • 1986年(昭和61年) - グループ会社であった東京三洋電機を吸収合併。これを機にロゴマークを現在のものに変更。
  • 1988年(昭和63年) - この年からプロ野球オールスターゲームの冠スポンサーに。
  • 1990年(平成2年) - 超軽量アモルファス太陽電池を動力源としたソーラープレーンによる北米大陸横断に成功。
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)10月4日 - 東芝グループから東芝電池の有するニッケル水素電池事業を取得し、子会社三洋エナジー高崎(後の三洋エナジートワイセル、現・FDKトワイセル)設立[2]
  • 2001年(平成13年) - 白物家電を主に生産していた大日工場を閉鎖。東京製作所に機能移転。跡地にはイオンモール大日や高層マンション群サンマークスだいにち等が建設される。
  • 2002年(平成14年) - 業界2位だった自動販売機事業を富士電機に売却。中国最大の家電メーカーである海爾集団公司(ハイアール)と提携、三洋ハイアールを設立。ソーラーアーク設立。
  • 2003年(平成15年) - 子会社の三洋エナジー高崎と三洋エナジー貝塚(初代)が合併し、三洋エナジートワイセルへ社名変更。子会社の三洋電機ソフトウエアがNTTデータと資本提携、NTTデータ三洋システムに社名変更。
  • 2004年(平成16年)
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
    • 2月2日 - 日本における冷蔵庫の製造をハイアールに委託する目的で、ハイアール三洋エレクトリック株式会社を設立(2002年(平成14年)に設立された三洋ハイアールは、同年3月31日付けで解散)。
    • 11月28日 - イオングループのプライベートブランド「トップバリュ」の家電製品を共同で開発すると発表。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月16日 - ラグビー部が日本選手権日本ラグビーフットボール選手権大会)で悲願の初優勝、日本一になった。
    • 4月1日 - グループの組織再編を行い、三洋電機の白物家電事業・車載機器事業および営業・販売部門を三洋電機コンシューマエレクトロニクス株式会社(同日付で鳥取三洋電機から社名変更)に移管、鳥取三洋電機のフォトニクス事業を三洋電機に移管。洗濯機事業を子会社の三洋アクア(同日設立)に移管。携帯電話事業を京セラへ売却。
  • 2009年(平成21年)
    • 12月21日 - パナソニックの友好的TOBによって過半数の株式を取得し、パナソニックの子会社となる[3]経緯については後述)。
  • 2010年(平成22年)
    • 1月12日 - パナソニック子会社化の影響により、主にニッケル水素電池を生産する三洋エナジートワイセルと三洋エナジー鳥取の全株式をFDKへ売却。ただし三洋エナジートワイセルの一部事業(リチウムイオン電池の製造等)は、三洋エナジー貝塚(2代)として分割され三洋傘下に残留した[4]
  • 2011年(平成23年)
    • 1月1日 - 子会社の三洋半導体をオン・セミコンダクターに売却。
    • 1月27日 - 同社のテレビ携帯電話などに使用の液晶技術の特許を侵害したとして、シャープを相手取り提訴[5]
    • 3月29日 - 東証・大証・NASDAQ上場廃止。
    • 3月31日 - この日出荷分を以て「SANYO」ブランド新製品発売を終了。
    • 4月1日 - 株式交換によりパナソニックの完全子会社となる。さらにこの日より三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」(がパナソニックショップへ吸収合併される事に伴い)看板を「SANYO」から「Panasonic」へ掛け替える作業開始(パナソニック以外の他社系列店へ衣替えする店舗も一部あり)。
    • 7月28日 - 白物家電(冷蔵庫・洗濯機)事業を行う子会社9社(三洋アクア株式会社、ハイアール三洋エレクトリック株式会社など)の株式を、中国家電製造大手のハイアールに、約100億円で売却する旨を公式発表(これにより親会社パナソニックと重複する三洋事業のリストラを推進)。
    • 9月30日 - この日までに洗濯機・冷蔵庫・太陽光発電装置・充電式電池・カーナビ・ライスブレッドクッカー&ホームベーカリー以外の三洋製品(テレビ・DVDレコーダー・FAX・電話機・空気清浄機・オーディオ・エアコン・照明器具・電子レンジ・FF式石油暖房機・IHクッキングヒーター・エコキュート・食器洗い乾燥機・掃除機・炊飯器[6]・アイロン・布団乾燥機・住宅用火災警報機)は生産を完全終了し、親会社「パナソニック」製品へ統合(今後も生産継続となる三洋製品はブランドを「SANYO」から「Panasonic」へ変更)。同時に三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」検索サイトをこの日を以て閉鎖。
    • 10月18日 - 中国の家電大手「ハイアール」に三洋の白物家電(冷蔵庫と子会社「三洋アクア」製洗濯機)事業を売却する旨と、三洋グループ(の洗濯機・冷蔵庫生産部門)社員をハイアールへ移籍させる旨が正式決定。
    • 12月1日 - パナソニックショップへ衣替えした旧「スマイるNo.1ショップ」一部店舗が「スーパーパナソニックショップ」に新規認定され、スーパーパナソニックショップ検索サイトへの掲載開始。
    • 12月23日 - 大阪府守口市にある本社社屋より「SANYO」ロゴ看板を撤去。
    • 12月25日 - 「SANYO」看板が外された本社社屋に「Panasonic」看板取付。
  • 2012年(平成24年)
    • 1月1日 - パナソニックグループ新体制発足(パナソニック電工吸収合併を中心とした組織改編)に伴い、全国の三洋グループ営業拠点や工場の看板を(これまでの「SANYO」から)「Panasonic」に掛け替え。本社およびグループ企業(三洋アクアなど売却予定の企業を除く)のWebサイトに表示される企業ロゴも「SANYO」から「Panasonic」に置き換えられた。社債に関する業務を会社分割(吸収分割)によって親会社のパナソニックに承継、パナソニックグループの社債管理業務をパナソニックに一元化した[7]
    • 3月31日 - 三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」を廃止し、パナソニックショップ等への移行完了。eneloop以外の製品において「SANYO」商標の公式使用終了。
    • 4月1日 - 完全子会社の三洋電機コンシューマエレクトロニクスを吸収合併[8]
    • 7月1日 - デジタルカメラ及びデジタルムービーカメラ事業の国内部門を三洋DIソリューションズとして分社化。
  • 2013年(平成25年)
    • 4月26日 - eneloopが正式にPanasonicブランドとしてリニューアル。これによって国内におけるSANYOブランドの商標は名実ともに終了した。

経営再建

2005年度の再建に向けた動き

2004年(平成16年)10月23日発生した新潟県中越地震によって、子会社の新潟三洋電子(後の三洋半導体製造⇒オン・セミコンダクター新潟)の半導体製造工場が被災、地震保険に未加入であったことから500億円を超える損害がほぼそのまま損失として計上されたほか、デジタルカメラの単価下落などの煽りを受けて、同年度は大幅な減収減益となった(2005年3月決算は1715億円の当期赤字)。

このため2005年(平成17年)6月には、創業以来長らく続けてきた井植一族による同族経営の殻を破り、外部からジャーナリスト野中ともよ社外取締役として招聘した。野中はその後会長・最高経営責任者(CEO)に就任する。しかし2006年(平成18年)2月に野中はCEO兼務を解かれる。

2005年(平成17年)9月28日には、創業地である北條工場(兵庫県加西市)の閉鎖を含む追加再建計画を発表。同年10月22日共同通信社が「冷蔵庫などの家電から撤退しこれらを生産している工場を閉鎖する」と報道したが、三洋電機側はこの報道を全て否定、「白物家電からの撤退を考えている事実はない」として、当該報道への遺憾の意を表した[9]。しかし同年11月18日総合家電メーカーから撤退を発表、今後は二次電池・太陽光発電といった自然環境に優しいクリーンエネルギー事業や、携帯電話をはじめとするモバイル関連事業を中心に経営再建を図る見通しとなった。白物家電については完全撤退しないものの、日本国外メーカーとの合弁も視野に入れ、事業は大幅に縮小される見通しであった。

2005年(平成17年)12月9日、再建に向けての重要課題とされてきた金融子会社の三洋電機クレジットについて、米投資銀行ゴールドマン・サックスに譲渡すると発表、株式譲渡と第三者割当増資によりゴールドマン・サックスが三洋に代わって筆頭株主となった[10]。また同日不振のテレビ事業においてもアジアメーカーとの提携に向けて協議中であることも明らかにし、2006年(平成18年)3月17日に台湾のクアンタ・コンピュータと提携すると正式に発表。クアンタ・コンピュータと薄型テレビ事業のための合弁会社を設立し、三洋ブランドの液晶テレビは新会社から発売されることとなった。

2005年(平成17年)12月21日、再建に向けて三洋電機の資本増強計画についての第三者割り当てによる新株式(優先株式)発行の基本合意が大和証券エスエムビーシープリンシパル・インベストメンツ株式会社(以下「大和証券SMBCPI」)、ゴールドマン・サックス・グループ、及び株式会社三井住友銀行(以下「三井住友銀行」)の中で達したと発表した。この発表では、2006年(平成18年)2月末までに総額3,000億円の優先株式を発行し、大和証券SMBCPI、ゴールドマン・サックス・グループ、及び三井住友銀行がこれを引き受け、このうち大和証券SMBCPI及びゴールドマン・サックス・グループに各1,250億円を、三井住友銀行へは500億円を割り当てる予定[11]とし、2006年(平成18年)1月25日に上記内容を予定通り正式に決定したと発表。2月26日での臨時株主総会にて了承を得た後、3月14日に増資は完了した。尚産業再生法の適用により、増資に伴う税金が一部軽減された。

また同時に人事変更の発表もあり、CEOとCOO、およびCFOは廃止し、9人の取締役のうち5人が今回の引受先の金融機関3社から就任する予定であることを明らかにした。

その後も12月には不具合による携帯電話機向け充電池130万個を回収、翌2007年(平成19年)1月の洗濯乾燥機16万台リコール、さらに2月には不適切な会計処理が問題化するなど、野中のCEO解任後も財務・事業両面で立て続けにトラブルが続いた。

2007年度の再建に向けた動き

2007年(平成19年)3月19日、3期連続の赤字決算の責任と会計問題を処理する過程で野中が社外取締役を辞し会社を去る。さらに同年4月2日には創業者・井植歳男の孫である井植敏雅[12]が社長を辞して代表権のない取締役に退く。代わって生え抜きの佐野精一郎執行役員総務人事本部長(当時)が社長に就任、同年6月正式に代表取締役となった。その後佐野社長の下で(実質的には大株主である金融機関が主導)、不採算事業や関連性の低い事業の売却や太陽電池等主力事業の強化が行われた。これにより、創業家が経営の一線から退いた。

2007年(平成19年)11月27日、2007年度9月中間連結決算は、人員削減などのリストラ効果もあり、最終損益が159億円の黒字と、中間期では3期ぶりに黒字に転換と発表。また同日に来年度から3年間のマスタープラン「チャレンジ1000」も発表。得意分野である二次電池(充電式電池)や太陽電池、電子部品などの部品事業に設備投資を集中し、特に太陽電池では岐阜事業所(岐阜県安八町)内に薄膜太陽電池の研究開発拠点となる「次世代太陽電池開発センター」を新設。売却を断念した半導体事業も、子会社の三洋半導体に対し3年間で約3700億円を投じる方針。不振の白物家電も「AQUA」など環境に優しい高級商品を中心に継続する方向とした。

2008年(平成20年)1月25日に、同年4月1日付けでグループの組織再編を行い、三洋電機の白物家電事業・車載機器事業および営業・販売部門を三洋電機コンシューマエレクトロニクス(同日付で鳥取三洋電機から社名変更)に移管、鳥取三洋電機のフォトニクス事業を三洋電機に移管することが発表された[13]

2008年(平成20年)4月に国内の家電量販店に出荷する液晶テレビの生産を中止し、地域系列店だけで販売しているが、優位性のある日本国外市場で事業規模を拡大しておき、競争優位に立てる生産規模になれば、再び国内市場の本格参入もあるとした。テレビ事業は、2006年10月にアメリカの子会社に移管し、アメリカ市場ではウォルマートの販路を活用し、存在感を示している。

パナソニックによる買収と連携・再編の動き

2008年(平成20年)11月7日パナソニックが三洋電機を子会社化することで基本合意したことを発表[14]。この基本合意の時点では、2008年(平成20年)12月を目途に雇用・事業・ブランド等についての大枠で合意した上で、2009年初めに、パナソニックが友好的株式公開買付け(TOB)を実施し、3月末までに子会社化する予定であった。

2008年(平成20年)12月に資本・業務提携契約を締結。2009年(平成21年)3月には過半数の議決権を持つ主要株主(三井住友銀行、大和証券SMBCPI、ゴールドマン・サックス・グループ)がTOB応募でパナソニックと合意したが、両社が二次電池において高いシェアを占める(特にアメリカ合衆国におけるニッケル水素電池のシェアは約8割に達する)ことから、独占禁止(反トラスト)法上の手続が予想以上に長期化した。

2009年(平成21年)6月26日、佐野精一郎社長が株主総会で「本年9月1日より三洋はパナソニックグループの傘下に入る(=パナソニックの子会社となる)」ことを正式発表。同年10月末までにニッケル水素電池部門の一部売却などを条件に世界各地域全ての関係当局から承認が得られたことから、2009年(平成21年)11月4日にパナソニックが三洋に対する友好的TOBの実施、三洋がTOBへの賛同をそれぞれ決議した。TOBは11月5日から12月7日まで行われ、12月8日成立。12月21日にTOB決済とTOBに応募された優先株式の普通株式転換が行われ、パナソニックが全株式の50.27%を取得、当初予定より半年以上遅れて三洋が正式にパナソニックグループに加わった[15]。翌2010年(平成22年)2月1日付でパナソニックから役員を受け入れ[16]、自社のHIT太陽電池をパナソニックにOEM供給し、パナソニック電工が擁する強力な販売網に乗せて販売するなど、パナソニックグループの一員として本格的な連携が始まった。

三洋は買収される以前、ブランドビジョンとして「Think GAIA(シンクガイア)」という言葉を掲げていたが、パナソニックグループでは「ideas for life(アイデアズ・フォー・ライフ)」というグローバルスローガンを使っていた。三洋はパナソニックグループ入りしたことで、会社の方向性を示すスローガンを複数持つこととなったが、混乱を招くとして、2010年(平成22年)4月9日限りでブランドビジョン「Think GAIA」の運用取りやめを発表した[17]

2010年(平成22年)5月7日大坪文雄パナソニック社長が、同年3月期パナソニック決算発表記者会見の席上で「三洋の白物家電事業を将来的に統合する」と発表。その後、同年7月28日にパナソニック・パナソニック電工・三洋電機の3社合同でパナソニックグループの抜本的再編を発表した。3社がそれぞれ一定の独立性を持った現状の経営形態では、サムスン電子LGエレクトロニクスといった急成長を続けるアジア系電機メーカーとの競争を勝ち抜くには不十分で、競争力強化と意思決定の迅速化を図るには、経営統合・細かく重複の多い既存事業の大胆な整理集約といった抜本的な再編が必要であるとパナソニック側から電工・三洋両社に打診し合意した。

まずパナソニックが2010年(平成22年)8月23日から10月6日まで友好的TOBを実施。TOBは10月7日に成立して10月14日付で決済が行われ、パナソニックは三洋の全株式の80.98%を取得した。TOBに応募されなかった株式は株式交換によって取得、三洋は翌2011年(平成23年)3月29日に上場廃止となり、同年4月1日付でパナソニックの完全子会社となった。続いて2012年(平成24年)1月1日付でパナソニックグループ全体で「コンシューマ」「デバイス」「ソリューション」の3事業分野を核とする事業再編を実施、三洋の強み(太陽電池・蓄電池などのエナジーシステム)は主に「デバイス」事業で活用される見込み。

そして、事業再編が実施される2011年度中に「SANYO」ブランドを原則廃止し「Panasonic」へ一本化する事も決まった(SANYOブランドが強く支持されている海外の一部地域・機器を除く)[18]。まず「SANYO」ブランドでの新製品発表は2011年3月31日付を以て終了。翌4月1日以降三洋が生産・出荷する製品には原則として「Panasonic」ブランドを冠することとなり、「SANYO」ブランドを冠する既存製品の生産・出荷は1年後の商標公式使用終了に向けて縮小される。そして2012年(平成24年)4月以降日本国内の「SANYO」ブランド製品はeneloopだけとなり、それ以外の製品は「在庫・展示品限り」となって完売次第市場から姿を消す。eneloopは当面の間「SANYO」ブランド製品として、パナソニックの充電式EVOLTAと併売されていたが、日本国内における「SANYO」ブランドの使用を2013年(平成25年)4月25日を以て廃止、それ以後の「eneloop」は発売元・ブランドを「Panasonic」に統合して発売を継続する方針となった。(先述の「EVOLTA」の併売も継続されるため、事実上パナソニックは2つの蓄電池ブランドを構えることになった)

さらに全国に約1500店ある三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」を「パナソニックショップ」に転換・統合する事も決まった。2011年(平成23年)10月1日から、三洋系列店看板を(「SANYO」ロゴ等を撤去して)「Panasonic」ロゴ等へ掛け替える作業が始まり、2012年3月末に完了予定[19]。これに先行する形で三洋系列店には、三洋グループ本体が生産体制を大幅縮小した製品を中心に(薄型テレビ冷蔵庫等の一部において)パナソニック製品の供給を始め、完全子会社化以降はパナソニックショップ転換に向けて、「Panasonic」ブランドを冠した三洋製品を含めて全分野の製品がパナソニックショップと同様の品揃えに置き換わっていった[20]

また完全子会社化に伴い、2011年4月からホームページのアドレスがパナソニックのドメイン(panasonic.co.jp)の下に置かれることとなった。

なお、車載用以外のニッケル水素電池部門等(三洋エナジートワイセル等)は2010年(平成22年)に古河グループ富士通系)のFDKに、一度は売却を断念した半導体事業(三洋半導体)も2011年(平成23年)にアメリカオン・セミコンダクターにそれぞれ売却された。ただし、前者は2011年(平成23年)現在もeneloopの製造元として引き続き三洋に製品供給を続けており、後者もオン・セミコンダクター傘下入り後最長3年間はSANYOロゴを使用する計画があるとされる。ちなみに車載用のニッケル水素電池事業は、三洋側ではなくパナソニック側の事業が湖南科力遠新能源に譲渡される見通しとされる[21]

またパナソニックと重複する洗濯機器・家庭用冷蔵庫の事業は、2011年にハイアール・グループに売却された。三洋とハイアールは家庭用冷蔵庫の生産で合弁会社を設立しており(ハイアール三洋エレクトリック・現ハイアールアジアインターナショナル)、家庭用機器事業の売却先としては妥当といえるが、家庭用だけでなくコインランドリーなどの業務用機器事業も売却した結果、日本国内で一定のシェアを握っていたコインランドリー機器事業を外国企業に明け渡すことになった。なお2011年以前(ハイアール売却前)に製造された製品は、パナソニックグループがアフターサービスを行う。

商品

自社ブランド家電製品自体のシェアは小さいものの、洗剤が不要な洗濯機や、ニッケル・カドミウム蓄電池リチウム電池の商品化など、一部の技術力は高いものを持っており、自社ブランドが表に出ない光デバイスや二次電池、パソコン等電子機器用コンデンサなど一部の電子デバイスや、デジタルカメラなどの完成品のOEM供給ではトップシェアを持つ製品が数多く存在し、「縁の下の三洋(電機)」と言われることもある。特にデジタルカメラのOEM供給元としては世界トップシェアを誇っている。また、「デジカメ」・「ムービーデジカメ」の商標を保有している(このため他社が自社製品をデジカメと呼ぶことはないが、ほぼ商品ジャンル全体の代名詞化しているため、雑誌、テレビなど第三者が他社製品をこの名で呼ぶことは黙認されている)。CD-Rドライブの書き込みエラー(バッファアンダーラン)防止機能「BURN-Proof(バーン・プルーフ)」を世界で初めて開発した。コインランドリーの機器では国内市場をほぼ独占していたが、近年は日本国外メーカーの進出で独占状態は崩れている。ナビゲーションシステムのPND分野では、2006年(平成18年)末に発売した「ミニゴリラ」が人気を得て、国内PND市場トップシェア(70%)である。

低価格競争の激しい家電量販店よりも、地元密着型でアフターサービス重視の街の電器店を優遇する傾向があり、ハイビジョンレコーダ等は通常OEM供給のみだが、街の電器店において専売モデルとして販売したり、街の電器店で購入した場合のみに適応する長期延長動作保証などの特典がある。

太陽光発電の事業でも有力な生産者であり、独自技術のHIT太陽電池で高いシェアを持つ。また、岐阜県安八郡安八町の岐阜事業所内に巨大なモニュメントを兼ねた大規模太陽光発電システム「ソーラーアーク」が設置されている。東海道新幹線米原駅岐阜羽島駅の間で車内から見ることができる。

有機ELディスプレイにも意欲的であり、米イーストマンコダック社と共同で開発していたが、2006年(平成18年)1月31日に撤退を表明した(コダック社は事業継続)。

プラズマテレビ液晶テレビではシェアは低いが、セイコーエプソンの技術協力を得てホームシアタープロジェクターであるZシリーズは国内で一番の売上を誇っている。プラズマ、液晶においてもデザイナーのグエナエル・ニコラを起用し、革新的なデザインのテレビでシェア向上を狙っている。

また携帯電話の分野ではPHSを含む国内全キャリア(イー・モバイルを除く)に端末を供給した実績があり(但し、ボーダフォン(現ソフトバンクモバイル)へは2004年(平成16年)夏モデルとして発表した<V401SA/ 2004年(平成16年)7月15日発売>を最後とし、2004年(平成16年)夏季以降新製品の供給はなし)、骨伝導スピーカー「SonicSpeaker」(携帯電話端末機としては世界初)やFMラジオチューナー、果てはワンセグ放送対応テレビチューナー(携帯電話端末機としては世界初、KDDI沖縄セルラー電話auブランド向けCDMA 1X WIN対応端末・W33SA)を搭載するなど、野心多き企業だった。携帯電話開発は、三洋電機(大阪、旧三洋テレコミュニケーションズ、SA型番)と、子会社の鳥取三洋電機(ST型番、後にSAへ統合)の2社により独立して行われていた。また、納入条件で折り合いがつかないことが原因で長らく供給が途絶えていたNTTドコモ向け機種についても、2005年(平成17年)にFOMASA700iSで6年ぶりに供給を再開したが、3機種で撤退となる。KDDIのauブランド等が採用するCDMA2000方式の携帯電話の世界シェアアップや開発費の削減などを目的に、フィンランドの世界最大の携帯電話開発メーカーのノキアと事業提携を結び、2006年夏をめどに合弁会社を設立すると2006年(平成18年)2月14日に発表したが、同年6月22日に提携解消を発表。

2007年(平成19年)8月11日に一部報道機関から携帯電話事業売却をシャープ京セラに打診しているとの報がなされたが、その時点では三洋側は否定していた。しかし2008年(平成20年)1月21日、500億円で携帯電話事業の京セラへの売却が正式発表され、同年4月1日付で売却された。なお、売却同日に鳥取三洋電機から商号変更した三洋電機コンシューマエレクトロニクスの携帯電話事業は京セラに売却されず終息となった(端末利用者向けのサポートは継続)。京セラは当初日本国外向けはSANYOブランドを継続し、日本国内向けについては2008年度に限って存続させる予定であったが(同年7月発売の「W64SA」が最後とみられていた)、国内向けも依然として従前のユーザーに多く支持されている理由から2009年(平成21年)10月30日発売の「SA001」でSANYOブランドを再展開、2010年(平成22年)5月28日には「SA002」を発売した。しかしパナソニックグループの事業再編によってSANYOブランドが原則的に廃止される方針となったため(前述)、当機種をもってSANYOブランド端末は国内・海外向けとも正式に終息となった[22]。ちなみに三洋も京セラもau向け、並びにウィルコム(旧DDIポケット)向けが主体であるが、同じKDDI系列でサービスを終了したツーカーにも共に最後まで供給を続けていた点で共通している。

コンシューマ部門

現在は殆ど撤退もしくはパナソニックなどに移管・売却されている。

  • 映像音響機器
    • 液晶テレビ - VIZON(主に輸出向け(8割方)、国内流通では主に通販か一部大型量販店が主軸)、CAPUJO(販売は系列店経由のみで行っている)
    • ポータブルDVDプレイヤー - ムービッシュ(安定受信のワンセグチューナー内蔵)
    • デジタルカメラ - Xacti(三洋では「ムービーカメラ」と称している。2003年(平成15年)まではMulti-z(マルチーズ)ブランドで販売されていた。パナソニックに移管後も、Xactiブランドは消滅したものの「デジタルムービーカメラ」として販売を継続している)
    • 液晶プロジェクタ - BIGSHOW(大型業務用プロジェクタ、ビジネス用オフィス用プロジェクタ)Z(ホームシアター用フルスペックハイビジョンプロジェクタ)、Xacti Projector(エントリータイプのハイビジョン対応16:9のプロジェクタ)
    • 家庭用防犯カメラ - HOVICA(外出先からチェックできる)
    • ICレコーダー - Xacti(業務・放送用途でも使用されるリニアPCMレコーダーも製造)
  • 情報・通信機器
  • 生活家電

三洋電機コンシューマエレクトロニクスと合わせ、セレクトショップFrancFrancamadana±0で扱うオリジナルブランド家電のOEM供給元でもある。また洗濯機は、ハイアール・グループに売却されるまで二槽式・全自動式・洗濯乾燥機に至るまですべて日本製を貫いた(三洋アクア東京工場で生産)。

1990年代に少量ながらコンシューマゲームソフト・ゲームハードを発売していたことがある。2010年(平成22年)現在では任天堂のライセンス品として、ニンテンドーDSシリーズやWiiリモコンなど任天堂ゲーム機向けに充電式電池をOEM供給している。

その他、かつて電子オルガンを販売していたこともある。デジタルウォッチも昭和末期ごろまでに10機種ほど製造、販売していた。

コマーシャル部門

コンポーネント部門

不祥事・事件

石油ファンヒーター事故

1984年(昭和59年)に発売された石油ファンヒーター「CFH-S221F」型を使っていた45人が一酸化炭素中毒となり、うち4人が死亡した。原因は空気取入口が上に向いていたためで、そこにホコリがたまって不完全燃焼を起こしやすくなっていたとされる。暖房器具の安全性が見直された重要な事件である。事件が多発した1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)にかけて、三洋はその後のテレビCM新聞広告などのマスメディアを用いた告知により回収を進め、提供番組では数ヶ月間通常のテレビCMを自粛した。その後当該ファンヒーターを製造していた子会社の東京三洋電機を吸収合併すると同時にブランドロゴ(ワードマーク)を一新、「第二の創業」に踏み切ることとなる。

また1994年(平成6年)から1998年(平成10年)にかけて、同社が生産・発売した石油ファンヒーターによって瞬間的に炎が噴き出るという事故もあった。症状は、燃料検出センサーが故障した状態で運転を続けた場合、灯油を使い切る直前に温風吹出し口から瞬間的に炎が出てすぐに運転を停止してしまうというもの。原因は、灯油を使い切る直前に灯油と一緒に空気が吸い込まれることで、燃焼状態が不安定になるために生ずる一時的なものである。三洋以外にも、ユアサプライムス(ユアサ)・日本電気ホームエレクトロニクス(NEC)でも同様の機種を販売している(三洋は22機種・ユアサは4機種・NECは3機種)。

これらの事故をきっかけに、三洋は2001年(平成13年)に石油ファンヒーターの製造を終了。石油ファンヒーターからは撤退したが、FF式石油暖房機は2007年(平成19年)まで継続して製造された。

2005年(平成17年)に松下電器産業(現:パナソニック)製のFF式石油暖房機において同様の事故が発生した際にも似たようなCMが放映され、他にもパロマリンナイなど、後の製品リコール告知・商品回収告知CMの標準フォーマットとなっている。

2005年(平成17年)以降、未点検機種がまだあることが利用者からの修理問い合わせなどで発覚しているため、過去に事故が発生した上記2製品の回収告知を再度行っている[24][25]

発電パネル不正販売事件

ファイル:Solar Ark.jpg
ソーラーアーク(岐阜県安八郡安八町・岐阜事業所内)
事件による回収品を使って建設された。
尚、中央の「SANYO」ロゴは2011年8月に「Panasonic」ロゴに掛け替えられている

1990年代後半、子会社である三洋ソーラーインダストリーズが販売してきたソーラー発電システムの太陽電池パネルに、仕様より低い出力のものが多く含まれていた。市民団体による再三に渡る事実確認にもかかわらず、2000年(平成12年)10月20日に記者会見で不良品の存在を認めるまで、何度も事実を認めなかった。さらにその記者会見でも、当初から低出力のパネルを販売していたことを認識していたにも関わらず同年9月に初めて発覚したと虚偽の発言をしたことから批判が集中、ついには三洋ソーラーインダストリーズのみならず親会社の三洋本社の社長までもが辞任に追い込まれる事態となった。同年12月、通産省は三洋及び三洋ソーラーインダストリーズに行政処分を行った。三洋は行政処分を受け該当するパネルを回収、それを用いて岐阜事業所内にソーラーアークを建設した。

全自動洗濯乾燥機発火事故

子会社の「三洋アクア」が製造したトップオープンドラム式洗濯乾燥機において、3度のリコールと1度の再告知を行ったうえで修理対応を行ったものの、修理時における作業不備が原因の発火事故が1件発生した事を受け、再度の無料点検と一部機種の製品交換を発表した。なお、現行機での交換に対応しきれない場合は市価から減価償却費を差し引いた所定金額での返金対応となる[26]

このことに関し、三洋本社の専務執行役員、修理作業を行った三洋電機サービスの代表取締役、並びに製品を製造した三洋アクアの代表取締役(いずれも当時)他数名の降格処分等が行われた[27]

その他の不祥事

2006年(平成18年)12月7日NTTドコモの携帯電話「D902i」などに使われている三洋電機グループ製のバッテリー約130万個を、不具合により回収。

2007年(平成19年)2月23日朝日新聞が「三洋電機巨額粉飾の疑い」と朝刊一面で報道。

2007年(平成19年)12月25日東証大証は、2001年3月期から2006年3月期までの有価証券報告書を訂正したことが、虚偽記載に該当するとして、三洋電機株を監理ポストに割り当てた。翌2008年(平成20年)2月9日に監理ポストの指定を解除。注意勧告が行われ、改善報告書の提出が義務付けられた。

2002年9月-2004年9月の中間配当期に、同社の井植敏元会長ら旧経営陣が子会社の評価額を過少計上した上、違法に配当したことで同社に損害を与えたとして、西日本在住の同社株主らが、旧経営陣に対し同社に約287億円を賠償することを求め、大阪地方裁判所株主代表訴訟を起こす。2012年9月28日に同地裁は、「経営判断が不合理だったとはいえない」などとして、株主側の訴えを棄却する判決を言い渡した[28]

主な事業所

ファイル:三洋電機4320.jpg
三洋電機研究開発本部、大阪府枚方市(2011年末事業終了、2012年3月末閉鎖)
  • 東京製作所(群馬県邑楽郡大泉町:旧・東京三洋電機)
    • 空調システム機器/業務用食品システム機器/洗濯乾燥機/全自動洗濯機/衣類乾燥機/ドライクリーニング装置/蒸留装置/仕上げ機/コインランドリー機器/施設用洗濯・乾燥機器/自動洗髪機/器具洗浄器/収納式介護浴槽/工業用クリーニングシステム/ポンプ、前記機器に関連する付帯設備及び部品の生産拠点。「ハイアールアジアインターナショナル(旧ハイアール三洋エレクトリック)」の事業部が併設され、三洋の事業所でありながらハイアール製品のみ生産している。
  • 大東事業所(大阪府大東市三洋町)
    • デジタルシステムカンパニーおよび電子デバイスカンパニーの拠点。京セラへの事業譲渡後に京セラの事業所が併設され、引き続き開発拠点となっている。
  • 岐阜事業所(岐阜県安八郡安八町)
    • 大規模太陽光発電システム「ソーラーアーク」(前述のソーラーパネル出荷問題で回収されたパネルを流用し、製品品質に対する自戒の念を込めている)で有名。
  • 加西事業所(旧鎮岩事業所)(兵庫県加西市
    • 以前は生活関連商品を開発する研究開発拠点(非製造事業所)であったが、HEV用リチウムイオン電池の基幹生産拠点として新工場が建設された。「加西グリーンエナジーパーク」という愛称が付けられており、太陽光発電パネル・リチウムイオン蓄電池・エネルギー管理システム(EMS)によって徹底的な省エネが図られている。
  • 洲本事業所兵庫県洲本市
    • エナジー社(三洋法人内)の拠点。
  • 徳島工場(徳島県松茂町
    • リチウムイオン電池の基幹生産拠点。
  • 二色浜工場(大阪府貝塚市
    • 太陽電池事業(ソーラー事業部)の拠点。
  • 滋賀工場(滋賀県大津市
    • HIT太陽電池モジュールの生産拠点。

関連企業

現行の関連企業

親会社

主要連結子会社

持分法適用関連会社

  • 三洋ENEOSソーラー(JX日鉱日石エネルギーとの合弁。法人としては存続するものの、実質的には事業撤退)
  • エーシーテクノサンヨー(業務用空調機器の保守メンテナンス。2011年(平成23年)までサンヨーの名称ならびにロゴマークを使用していたが、株式の3分の2近くを当社代表取締役が一個人として所有している)

過去の関連企業

部活動

CM

かつては『兼高かおる世界の旅』『仮面の忍者 赤影』などの一社提供など大々的にCMを放映していたが、現在はPTや親会社パナソニックの提供番組での放映が多くなっている[37]。2008年の北京オリンピック開催前まではイメージキャラクターにバドミントン部所属のオグシオコンビ(小椋久美子・潮田玲子)を起用していた。

過去のCMキャラクター

提供番組(全て過去)

一社提供

複数社提供

日本テレビ系列
TBS系列
フジテレビ系列
テレビ朝日系列
テレビ東京系列

その他

脚注

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:パナソニック
  1. http://panasonic.co.jp/sanyo/recruit/2011/corporate/management/brand.html 三洋電機ホームページブランドロゴを参照。サンヨーミュージアム(2009年(平成21年)6月30日をもって閉館)に「ナショナル発電ランプ:三洋電機株式会社製造」などという旨が書かれた当時の広告、ブランドロゴが展示されていた。
  2. 三洋が東芝電池のニッケル水素電池事業を取得 - 2000年10月4日 ASCII
  3. テンプレート:Cite web
  4. 4.0 4.1 4.2 子会社(三洋エナジートワイセルおよび三洋エナジー鳥取)との会社分割等および子会社の株式の譲渡に関する基本合意のお知らせ - 三洋電機ニュースリリース 2009年(平成21年)10月28日
  5. 三洋電機、シャープを提訴 液晶表示技術の特許侵害で 産経新聞 2011年1月27日
  6. ただし「おどり炊き」技術はパナソニックに継承。
  7. 会社分割(簡易分割・略式分割)に関するお知らせ~三洋電機の社債による資金調達・償還・管理業務の承継について~ パナソニック株式会社・プレスリリース2011年8月31日
  8. 8.0 8.1 三洋電機コンシューマエレクトロニクスの簡易吸収合併について - 三洋電機ニュースリリース
  9. 一部報道について - 三洋電機ニュースリリース
  10. 三洋電機クレジット株式会社の株式譲渡に関するお知らせ - 三洋電機ニュースリリース
  11. 第三者割当による新株式(優先株式)発行の基本合意に関するお知らせ - 三洋電機ニュースリリース
  12. のちに住生活グループ企業であるLIXIL(リクシル)相談役を経て、2011年(平成23年)4月より同社インターナショナルカンパニー(社内カンパニー)社長
  13. 2008年4月1日付 組織再編および人事について - 三洋電機ニュースリリース
  14. 2008年(平成20年)11月1日日本放送協会(NHK)のテレビニュースにて「パナソニックが、三洋電機を買収することを検討している」と報じられ、これに続いて、新聞各紙も同様の内容を報じていた。のちに友好的な株式公開買い付け(TOB)により過半数の株式を取得し、2009年(平成21年)4月までに子会社化すると報じられていた。
  15. テンプレート:Cite web
  16. テンプレート:Cite web
  17. ブランドビジョンの取り扱いについて - 三洋電機株式会社 ニュースリリース 2010年4月10日
  18. テンプレート:PDFlink
  19. 2010年(平成22年)10月23日土曜付、日本経済新聞1面及び10面記事にて報道。
  20. 但し全ての三洋系列店がパナソニックショップに衣替えするとは限らず、(三洋・パナソニック以外の他社製品も併売する)「アトム電器」に衣替えする店舗も出ている。さらに一部地域・店舗では看板からの「SANYO」文字を外して「Panasonic」或いは「アトム電器」への掛け替えが予定より前倒しされ、2011年(平成23年)4月1日より(看板掛け替えを)はじめている。
  21. 湖南科力遠新能源股份有限公司への車載用ニッケル水素電池事業の譲渡について - パナソニックニュースリリース 2011年(平成23年)2月1日
  22. 7色展開でスリムな防水スライド「SA002」 - ケータイWatch2010年(平成22年)5月17日
  23. がっちりマンデー放送より
  24. 引き続きお客様へのお願いです。23年前のサンヨー石油ファンヒーターを探しています。|重要なお知らせ|三洋電機
  25. 石油ファンヒーターをご愛用のお客様へ(改訂)|重要なお知らせ|三洋電機
  26. トップオープンドラム式洗濯乾燥機をご使用のお客様へのお詫びと無料点検および一部機種の製品交換に関するお知らせ|三洋電機
  27. トップオープンドラム式洗濯乾燥機品質問題に関する対応について|ニュースリリース|三洋電機
  28. 三洋電機の株主代表訴訟、原告の賠償請求棄却 読売新聞 2012年9月29日
  29. テンプレート:PDFlink
  30. テンプレート:PDFlink
  31. オン・セミコンダクターが三洋電機から三洋半導体の経営統合を完了
  32. テンプレート:PDFlink
  33. 33.0 33.1 テンプレート:Cite web
  34. テンプレート:PDFlink
  35. 35.0 35.1 企業スポーツチームの名称変更について
  36. 三洋電機レッドソア
  37. パナソニック電工が発売する住宅用太陽光発電システム「HIT」シリーズに限定されるが、「HIT」の名称自体は三洋電機の登録商標であり、オリジナル技術となっている。