吉本新喜劇

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吉本新喜劇(よしもとしんきげき)は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2007年9月までは吉本興業)に所属するお笑い芸人によって舞台上で演じられる喜劇、およびそれを演じる劇団の名称である。

概要

なんばグランド花月劇場(NGK)で本公演が行なわれ、毎週土曜日に『よしもと新喜劇』としてテレビ放映される[1]。また、地方公演として座員を絞った形での巡業によって公演される(よしもと神戸花月など)。

また、池乃めだかを始めとする数人の新喜劇座員とその他の吉本所属のお笑い芸人らが共演する新喜劇風の舞台喜劇の番組(『日曜笑劇場』 → 2012年4月現在は、『熱血!人情派コメディ しゃかりき駐在さん』)も伝統的に朝日放送ABCテレビ)で放送されており、その番組では、毎日放送MBSテレビ)で放送される『よしもと新喜劇』とは違って、毎回の舞台設定、レギュラー出演者の役柄設定などは固定されている。以前は読売テレビでも、『吉本コメディ』の名で放送されており、こちらも同様の構成であった[2]

関西ではNGKのほか、よしもと祇園花月でも座員による新喜劇が上演されており、東京ではルミネtheよしもとを本拠地とする芸人たちと「やめよっカナ!?キャンペーン」時代の若手で主役級だった今田耕司たちを座長とした、新喜劇所属ではない集団による演劇もチーム(班編成)で連日上演されている(東京での上演経緯と現況については後述)。

新作は毎週月曜日または火曜日に上演されている。このため、台本を受け取るのはその前日か当日で、前日の2回目興行終了後から最長で午前1時ごろまで立ち稽古を続けていることがある。その様子はなんばグランド花月公式サイトにおいて、「のぞき穴」(劇場内にあるライブカメラを使用)のコーナーでうかがえていたが、2007年12月に公式ホームページがリニューアルされてからは取り止められた。なお、新喜劇は金曜日がカメラリハーサル(「カメリハ」)で、一度芝居をカメラで試し撮りをし、翌日の土曜日の原則2回目公演時にテレビ収録をしている。

毎年正月公演時には若手出演者の誰かが酔っぱらって舞台に立つのが恒例となっていたが、公演に差し障りが出るために2007年からは吉本興業の指示により、楽屋での飲酒は禁止された[3]

成り立ち・歴史

創立

1959年3月1日うめだ花月劇場開場と同時に「吉本ヴァラエティ」として発足。第一号の演目は花登筐脚本の『アチャコの迷月赤城山』(サブタイトルに『忠治以外傳』とある)。出演者は花菱アチャコ佐々十郎大村崑芦屋小雁中山千夏ほか。毎日放送テレビとのタイアップとして生まれ、創設者の八田竹男(後の吉本興業社長)をして「テレビ時代をにらんだ新たな演芸のビジネスモデル」として、うめだ花月と毎日放送テレビの看板となるべく、まさに社運をかけて育成された。

初期には花菱アチャコや東五九童雷門五郎笑福亭松之助大村崑ら既存のスターに頼っていたが、やがて他劇団などからの引き抜きや自前のスター発掘を行うようになり、守住清平参平白羽大介秋山たか志白木みのる花紀京ルーキー新一森信財津一郎岡八朗原哲男桑原和男らが台頭するようになった。

座付き作家が演出を兼ねることが多く、黎明期から当時20代の青年ながら抜擢された竹本浩三[4]壇上茂[5]らが本公演の台本と演出を手掛けた。また、民放各局で放映されていた『爆笑寄席』(KTV)や『あっちこっち丁稚』、『花の駐在さん』(ともにABC)などでも、ほとんどの台本と演出を「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」(後述)が始まるまで手掛けた。

1964年6月ごろから、吉本ヴァラエティを改め「吉本新喜劇」と正式呼称するようになったが、すでに1959年の吉本ヴァラエティ第1回公演には「吉本新喜劇」とうたわれている。また、吉本ヴァラエティから吉本新喜劇への移行の過程で一時「吉本コミカルス」や「吉本ボードビル」と名乗っていた時期もあったが、当時は芸人が舞台に出るとすぐにコケて笑いを取ろうとすることが多く、関西お笑い界ではそれをもじって「吉本コケカルス」との別称もあった[6]

なお、上演開始からちょうど50年経過に当たる2009年3月1日から3月9日まで、この誕生経緯をなぞった50周年記念興行(通常の45分公演を70分に拡大したもの)が行われた。

3チーム制時代の新喜劇

かつては大阪と京都に3つの吉本直営の演芸劇場(大阪に「なんば花月」と「うめだ花月」、京都に「京都花月」)があり、劇座員を3つの組に振り分ける3チーム体制となっていて、それぞれ10日単位(月上旬を上席、中旬を中席、下旬を下席と呼んでいた)で各チームが各劇場に出演し、ひと月で全劇場を回るローテーション制(京都→うめだ→なんばの順で移動する)を繰り返していた。現在テンプレート:いつ活躍中のベテラン座員はほとんどがこの3ヶ所のいずれかで初舞台を踏んでいる。

うめだ花月での公演は毎日放送で『花月爆笑劇場』として土曜日の12時から、なんば花月での公演は朝日放送で『お笑い花月劇場』として土曜日の13時から、いずれもテレビ中継されていた。

ちなみに、京都花月とうめだ花月は同じ芝居がかかり、なんば花月は両劇場にはかからない新作が上演されていた(例えば、あるチームが上席に京都で掛けた芝居は、引き続いてうめだの中席で同じ芝居を上演されるが、下席のなんばでは別の新作を上演する。このなんばの新作は基本的に京都、うめだでは上演されない)。これは、上記にあるように毎日放送(うめだ花月からの中継)と朝日放送(なんば花月からの中継)がそれぞれ新喜劇を放送していたため、区別するためであると考えられる。

松竹新喜劇との棲み分け

大阪における笑演芸の劇団として、かつては日本を代表する喜劇役者の一人といわれた藤山寛美が率いた松竹新喜劇がある。同じ「新喜劇」を名乗るが、その生い立ちや内容、構成、演出法など両者は大いに異なる。

吉本新喜劇は花月で上演される漫才落語、諸芸の間に組み入れられ、コントの延長的な軽演劇である。テレビ中継されることもあり「芝居の途中から入場しても笑える」というコンセプトを持っていた。対して松竹新喜劇は泣きと笑いを交えた本格的な狂言・芝居であり、他の芸と組んで興行を打つことはない。しばし松竹新喜劇は松竹芸能の演芸の常打ち小屋(劇場)であった、角座浪花座で他の演芸と同時に上演されたように誤解されるが、そのような事はなく、角座と同じ道頓堀・櫓町にあった中座に本拠に置いていた。松竹系で吉本新喜劇に相当する一座は松竹爆笑劇などがあたる。

松竹新喜劇は歌舞伎役者の出である曾我廼家五郎曾我廼家十郎が結成した日本初の本格喜劇「曾我廼家兄弟劇」をその源流とする。五郎と十郎は大阪に古くから伝わる伝統芸能・仁輪加(にわか)を改良して本格演劇に仕立てた。仁輪加は本来即興で演じる歌舞伎などのパロディーなどであり、東京で言う「アチャラカ」(=軽演劇。ただしこちらはオペラのパロディー)と同義であるが、このような経緯を持つため松竹新喜劇は舞台中心の本格演劇に位置付けられている。内容も人間の業を描いた物や人情物などが多く、ギャグは入るが本筋の通ったものである。

一方の吉本新喜劇は常々「漫才芝居」と形容されるように、ドタバタ中心のナンセンス軽演劇であり、一種のスラップスティック・コメディである。ストーリーよりもギャグ、演技よりもキャラクター性を重視する。これはもともと吉本新喜劇がテレビ番組向けに製作された物であり、テレビ中継で名を売り花月劇場に観客を呼び込む「客寄せ」の役割を担ってきたことによる物である。両者は比較されることを嫌い、吉本側も「ウチらと向こう(松竹新喜劇)は、たとえ同じスポーツであるにしても種目が違う」と言い切っている。

大雑把に言えば吉本は師弟制から競争制になり、芝居内容も現代に合ったドタバタな享楽を追求したのに対し、松竹は最後まで藤山寛美を中心とする師弟制で、上方の伝統的な人情物の色彩が強かった、といったところである。また、師弟関係にしても、曾我廼家五郎八門下の井上竜夫を移籍させたはいいが、吉本で育ってしまった。
ビートたけしが「藤山さんはボンクラにも最低5万円渡してやるんだって。そうしねえと若手が生活に困って芝居に専念できねえからって。本当かね」と発言した(かつて出演していたラジオ番組オールナイトニッポンで、高田文夫と松竹の話題に触れたトークでのこと)。これは雑誌『笑芸人』やたけしの著書に書かれていたことである。この話が本当とするならば、松竹新喜劇と比べると吉本新喜劇の座員たちの生活は恵まれているとは言えず、若手の月給は8万円程度と言われている。また、アルバイト先はベテラン座員(島田一の介など)が経営するスナックも多く、若手座員が働く姿も時折見られるという。

なお、なんばグランド花月(NGK)がオープンした時、松竹新喜劇の顔であった藤山寛美は団員を引率して林正之助を表敬訪問している。この時、道頓堀・櫓町の中座から、千日前のNGKまで派手に行進して注目を浴びた。

2007年には『コヤブ新喜劇 〜座長になって1年たちましたスペシャル〜』に、藤山寛美の娘で松竹新喜劇にも出演する藤山直美がシークレットゲストとして出演した。これは小籔千豊も「歴史的瞬間」と呼ぶほどで、かつての関係を知る人々を大いに驚かせた。2009年には辻本茂雄座長の芝居『茂造〜閉ざされた過去』に3代目渋谷天外が出演を果たしている。

吉本新喜劇から松竹新喜劇に移籍した例としては高石太がいる。

新喜劇人気の下火と復活

1980年頃に始まる漫才ブームは吉本興業のタレントの全国区進出を成功させ、吉本興業は業容を拡大。トップスターの全国進出(すなわち東京進出)が相次いだ。一方で、吉本新喜劇は、おおむね旧態依然とした演出を続け、中高年層の支持は維持されていたものの、漫才ブーム心斎橋筋2丁目劇場といった笑いの新しい波の洗礼を受けた若者層には飽きられ、また、室谷信雄木村進ら主力の離脱などで、客足が減りつつあった。

各劇場の老朽化が進んだことで、吉本興業は1987年にNGKことなんばグランド花月をグランドオープンさせたが、オープン当初は、下火となった新喜劇の上演をNGKでは行わなかった。同時期の京都花月閉館(1987年)となんば花月閉館(1988年)により本拠地はうめだ花月のみになり、伝統の3チーム制も崩壊した。

新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン

そのような中、1988年木村政雄が吉本興業本社制作部次長に就任。新喜劇を再生させるには世代交代と全国区に売り出すことが必要であるとの方針の下、再生プロジェクトとして、期限までに観客動員数が目標値に達しなければ吉本新喜劇をやめるというセンセーショナルな「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を開始。この時に設定された目標観客動員数は1989年10月から1990年3月までの半年間で延べ18万人、1日平均に換算すると約1000人であり、当時のうめだ花月の座席定員から換算して70%近い平均稼働率(1日2回公演の場合)を上げなければ目標値に達しないという、非常に高いハードルであった。これにより、現場は緊張し、マスコミが取り上げ、関西地方を中心とした潜在的ファンの掘り起こしや、新喜劇になじみのない全国のファンに認知度を高めることにより、観客動員が増え、キャンペーン期間終了を目前に控えた1990年3月中旬、ついに観客動員数は目標数の「1989年10月から数えて延べ18万人」に達し、新喜劇は存続・復活を果たすこととなった。

この裏で、木村政雄は、座員全員にいったん解散を宣告した。そして、一人一人に面談を行い「これからは若手を中心にキャスティングします。もしかしたら、通行人Aとかをやってもらうかもしれません。それでもやっていただけますか?」とベテラン・中堅座員等にヒアリングを行い、今後の手法に意が沿わない座員は外れてもらうという再入団システムを導入した。ヒアリングの末、新喜劇の顔であった花紀京岡八郎が「勇退」という形で退団を強いられ、その他座員の多くもクビを宣告され、船場太郎桑原和男ら一時的に残留したベテランも脇に回るなど世代交代が進んだ。当時、みうらじゅんがプロデュースした『吉本ギャグ100連発』は、この新喜劇復活劇の重要な要因の一つであったが、その内容は世代交代で去ってゆく芸人の芸が中心である。みうらはそれ以後の『吉本ギャグ100連発2』『吉本ギャグ100連発3』の制作には参加していない。

ちなみに、この「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」の頃から1997年6月末頃までのなんばグランド花月での新喜劇公演の演出を担当したのは、女性演出家の湊裕美子である。彼女は、その後、1997年秋〜1998年秋にかけて放送された東京発のゴールデンタイムの全国ネットの新喜劇の番組である『超!よしもと新喜劇』と『超コメディ60!』でも演出を担当した。

各劇場(関西)の現況

存続決定後、キャンペーンの一環として心斎橋筋2丁目劇場出身の若手を中心に上演されていた「ニュー吉本新喜劇」は、1989年11月、うめだ花月からなんばグランド花月に拠点を移し、現在に至っている。基本的に舞台は大阪という設定だが、観光客誘致のために新喜劇放送地域の地方(鳥取県熊本県など)を舞台にすることもある。

なんばグランド花月での新喜劇公演では(新喜劇座員を含む)吉本興業以外の芸能事務所に所属する芸能人や有名人が出演することもあり、1996年には、主演映画の宣伝のために来日していたジャッキー・チェンが、なんばグランド花月で公演された新喜劇に「国際警察の刑事」役で飛び入り出演した(この時の公演は、MBSテレビの『よしもと新喜劇』でも放送された)。他にもアグネス・チャン香取慎吾、また、バラエティ番組とのタッグで草なぎ剛ユースケサンタマリアテレビ朝日ぷっすま』にて)やダウンタウンさまぁ〜ず雨上がり決死隊キャイ〜ンTBSリンカーン』にて)、更に韓国の歌手グループKARAなどが宣伝も兼ねて出演を果たしている。

変わり種では、2006年2007年3月に、吉本と芸能提携を結んでいるプロ野球球団オリックス・バファローズ所属の選手たち(清原和博選手、中村紀洋選手など)が出演した『新喜劇にバファローズがやってきた!』の公演、ハローキティ(もちろん着ぐるみ)のゲスト出演などがある。

なんばグランド花月は新喜劇とベテラン芸人(漫才や落語、手品など)中心で、以下の公演構成となっている。

  • 平日:12時ごろ開始、1日あたり2回公演
  • 金曜:仕事帰りの観客を集めるため、夕方を追加した3回公演
  • 土・日・休日:行楽客を対象として、午前10時ごろからの3回公演

祇園花月は、NGKとほぼ同様のプログラムで漫才コンビ4〜5組、週替わりで新喜劇座長および座員による新喜劇が上演されている。また、芝居終了後に出演者が揃ってのエンドトークが行われており[7]、小中学校の夏休み・冬休み期間中には出演者サイン色紙のプレゼントを兼ねたじゃんけん大会が行われる。

  • 全曜日:1回目開演 12:30〜 / 2回目開演 15:30〜

2010年は、NGK公演については、座長を含む新喜劇座員に加え、新喜劇の座員経験者(ほんこん坂田利夫レイザーラモン)などの吉本芸人数名により上演される週が多かった。

なお、最近になって再び「最近はギャグに頼って筋を壊しすぎてないか」という危惧が出始め、これが新しい発想を持った人材を発掘する「金の卵」作家オーディションにつながった。しかし、内場を除くすべての現座長が頻繁に特定のキャラクターを演じ、半ばシリーズ化するなど、ギャグではなくむしろキャラクターに頼っているのではないかと思われる面もある。

東京での定期上演と現況

「やめよッカナ!?キャンペーン」によって全国的に知名度を高めた新喜劇は、1991年に初の東京公演となる「帝都公演」を開催して大成功を収める。その後テレビ放送でも、全国において木曜20時台の視聴率を確保したいという毎日放送の思惑と、新喜劇を全国区化させたいという吉本の意向が合致し、『超!よしもと新喜劇』が1997年秋から東京で収録され、新喜劇が東京発の形でゴールデンタイムに全国ネットでテレビ放送されるようになった(後に『超コメディ60!』としてリニューアルされた)。しかし、舞台は新喜劇なのに仕掛けがドリフ調であったり、新喜劇や関西とはまったく関係のないゲストが多数出演したりしたことから、従来からのファンにも見放され、1998年秋に終了。

この1年間は、本家NGKからも特に知名度と笑わせる力のあるベテラン勢が駆り出されたため、リーダーに相当するポジションで大阪に残ることができたのは実質的に吉田ヒロだけであり(なお、のちに座長となる当時の4人のニューリーダーのうち、『超!よしもと新喜劇』〜『超コメディ60!』に一度も出演しなかったのはヒロと石田靖。また、女優陣では、この当時のマドンナ役の一人であった中西喜美恵なども、『超!よしもと新喜劇』〜『超コメディ60!』に一度も出演しなかった)、ニューリーダー制開始直後の柔軟さ・斬新さから一転、まさに「やめよッカナ!?キャンペーン」直前の状況が再来していた。

それでもやはり東京公演をあきらめたわけではなく、1999年からは場所と方式を変えてスタジオアルタで週末にニューリーダー3人を中心にした本家そのままの新喜劇を定期上演。これも『ギャク輸入!新喜劇』(朝日放送)として、関西地区で放送された。

2001年には、ルミネtheよしもとが開業し、今度は東京オリジナルの台本、座員とNGK新喜劇経験者を座長に据えた公演(メンバーは後述)が開始され、現在に至る。ルミネ新喜劇は比較的若手のメンバーで構成されており、専属座員および座付き作家は基本的に存在しない(若手芸人が作家を兼業することもある)。公演は不定期で2〜3ヶ月行われ、テレビ出演の多い今田・東野座長回は基本的に月一公演となる。

また、2009年4月末から2011年11月末まで品川に開業の よしもとプリンスシアターでは、辻本、内場などNGK新喜劇座員が中心となる「本場吉本新喜劇」が、原則として毎週火曜から木曜または金曜にかけて上演されていた。

海外公演

これまでニューヨークロンドン台湾上海で、吉本新喜劇は上演され、さらに2006年7月には日本国内3大都市と併せてハリウッドコダック・シアターでも「すっごい吉本新喜劇LA&JAPANツアー」と銘打って特別編成で上演された。座員は今田耕司やレイザーラモンHGなど新喜劇出身のルミネtheよしもと出演者が中心であったが、大阪から内場勝則未知やすえ池乃めだか、そして新喜劇外からピン芸人たむらけんじも参加した。

座員

現行座員

全盛期には60人ほど在籍していたが、低迷期には31人に激減。1989年以降は入団数が増加し、現在は客員・休業中を含めると80人ほどの団員が在籍する(座員名は吉本新喜劇オフィシャルサイトによる)。

座長

座長5人の中から1人が作家と相談し、その週の新喜劇を作成し上演するシステムをとっている(出演者表記のトップにある者が作成者である)。また、このシステムは作成者それぞれの新喜劇に対する方向性や個性の違いが非常に出やすい(前述のように「特定のキャラクターを演じる」「半ばシリーズ化する」など)。

なお、2010年には石田や「やめよッカナ」時代の経験者のほんこんが座長として公演を行うことがあった。また、2007年8月7日からの1週間を皮切りに、毎年お盆の時期に「未知やすえ 女座長特別公演」が行われている[8]。過去にも女性座長は存在したが、短期だったり体制が整っておらず、本格的な女性座長はやすえが初めてである。

作風と傾向
他の座長がトラブルメーカーでボケ役なのと対照的に、周りに翻弄される被害者の役が多い。
「茂造じいさん」という、際だったキャラクターが売り。詳細は辻本茂雄の項を参照のこと。
オタクやシスターといった、奇妙な人物を演じる。長台詞を多用したシュールなギャグも多い。
同じ境遇にいる者たちが何組も出てくるパターンを多用する。また、他の座長とは異なったロケーションを作ることも多い。
「すち子」という、大阪のおばちゃんキャラが特徴。詳細はすっちーの項を参照のこと。

次期座長・副座長クラス

吉本新喜劇の中堅座員。祇園・NGK両花月での座長不在公演において代理座長を務めたり、ストーリー上では座長の補佐的な立場や主役といった重要な役柄を演じたりすることが多い。

重鎮クラス

原則として座長経験者のみで入団時期や入団経緯は関係ない。チャーリー浜だけは座長経験がないが、1991年に「…じゃ、あ〜りませんか」で流行語大賞を受賞したことで吉本新喜劇の名前を全国に知らしめた功績が大きいとされている。

また、座長および重鎮クラス以上の団員がNGKで登場すると、必ずといっていいほど拍手が飛ぶ。さらに、登場時には登場人物全員がコケるギャグの使用が許される。小籔・川畑の座長就任以降は、内場・辻本が「重鎮クラス」扱いで客演することもある。

ベテラン

「重鎮クラス」との違いは、座長経験の有無(チャーリー浜のみ例外。上述の重鎮クラス参照)。重鎮と同様に登場時には拍手が飛び、登場時に登場人物全員がコケるギャグの使用が許される。

マドンナ

舞台上の華。主に、主人公の恋人(妻)や片想いの相手役。ベテランの域に入ると浅香あき恵のようにまったく逆のポジション(ブサイク役など)に転向する例もある。 なお、公演によっては、マドンナ役の女優が2人以上出演することもある。

中堅クラス

同じ中堅座員の「次期座長・副座長クラス」とは異なり、劇中盤のみに登場することが多い。持ちギャグやイジられネタで存在感を見せる。

若手(金のひよこ)

2005年まで行われていた『新喜劇フー!!』や、キャプテン☆ボンバーを主役として2006年に公演された『新喜劇ボンバー!!』などの座員を中心に、うめだ花月で活動する芸人も加わっていた。

第1個目金の卵(2005年)

2005年に行われた「吉本新喜劇 金の卵オーディション」に合格した座員。新人といっても芸人や舞台人などのキャリアがある者も含まれ、すでに何人かは吉本新喜劇以外で活動がある。月1回の「金の卵ライブ(金の卵LIVE)」に全員が出演。以下の座員による「金の卵ライブ」は2006年7月が最終回。

第2個目金の卵(2006年)

2006年に行われた「吉本新喜劇 金の卵オーディション」に合格した座員。2008年当時、大阪・京橋にも「京橋花月」がオープンし、新喜劇の上演が決定したことから、これに対応した採用と思われる。

第3個目金の卵(2007年)

第4個目金の卵(2008年)

第5個目金の卵(2009年)

第6個目金の卵(2012年)

2012年、「第5個目 金の卵オーディション」以来、3年ぶりとなる座員オーディションが実施された。

第7個目金の卵(2013年)

研究生

かつては多くの団員が修行を兼ねて研究生からスタートしたが、オーディションを定期開催するようになった現在では異例での入団となった。

作家

主に以下の6人が担当している。

それ以外にも以下の作家が担当している。

座員増と座長式による弊害

ここまで座員が増え、座長に強大な権限が与えられると、出演者の組み合わせパターンも固定されてしまい(=派閥化)、台本の使い回しなどの弊害が生じ、特に辻本茂雄が座長の公演についてマンネリ化が強くなっている。前述した芝居に対する方向性の違いから、例えば桑原和男チャーリー浜が不仲なことは、ただ漫然と劇を見ているだけでは気付かないが、こうした側面は小籔千豊のラジオ番組(MBSラジオゴー傑P』土曜)でのトークなどでうかがえる。また、帯谷孝史も、新喜劇の座長制については「1人の人間が考えることなんて無限の引き出しがあるわけやなし、そうなったら過去のあれとこれを持ってきて…」「リーダーを決めると芝居の方向性が固まってしまう」などと批判している(新喜劇40周年記念「ゲラゲラ・ハッピィ」より)。

吉田ヒロは派閥化の弊害を理解しているためか、座員をパターンにはめず、なにがしか常に新喜劇では前衛的な新しい試みを行っていた。座員のえり好みは行わず、劇のストーリー上のパターンもおおまかなものにとどめ、保守的なストーリー展開を否定。これは、自身がボブキャッツ時代に派閥化の弊害を味わったためとされる(かつてボブキャッツはダウンタウンファミリーで、派閥に取り込まれていた)。

主要座員のテレビ・ラジオ出演

関西ローカルでレギュラー番組の多い辻本、小籔、やすえ、大食いタレントの側面を持つ宇都宮まき以外の座員は、テレビでの露出はあまりない(『よしもと新喜劇』や『日曜笑劇場』の舞台収録を除く)。その他の中堅・若手の出演は、あるとしても関西ローカル番組での再現映像程度であるが(朝日放送おはよう朝日です』の1コーナーなど)、最近では森田まりこのように『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」(フジテレビ系列)に出演するような若手座員もいる。

座長を含む座員は舞台よりもテレビやラジオへの参加が優先のため、特にテレビ出演の多いやすえは、スケジュールの都合上、お盆の座長公演時などを除いて必ず新喜劇を休演する日がある(水曜日の『ちちんぷいぷい』と、土曜日の『せやねん!』〔いずれもMBSテレビ〕がそれに当たる)。ラジオでは、小籔や末成由美などがレギュラー番組を持っている。

旧座員

以下に挙げる人物は、過去に在籍した座員のごく一部である。

旧体制時代(1989年9月以前)

座長経験者

最初期の新喜劇では、ほぼ毎回ゲストが座長を交代で務める形が採られており(花菱アチャコ芦屋雁之助東五九童[10]ほか)、純然たる新喜劇在籍者が座長を務めるようになったのは1960年からのことである。その中で最初に座長として頭角を現したのは白羽大介守住清の2人であった。 以下は存命者または存命と思われる人物。故人は後述。

その他
  • 大村崑
  • 佐々五郎(佐々十郎の実弟)
  • 笑福亭松之助(元座長)
  • 森信曾我廼家十吾に師事。婆さん役を得意とした。ルーキー劇団に移籍、のちに岸和田で飲み屋を経営)
  • 小島のぶえ(曾我廼家十吾に師事)
  • 五月十三子(曾我廼家十吾に師事)
  • 西岡慶子曾我廼家五郎八の長女。主に花菱アチャコの娘役が多い)
  • 中山千夏(当時は名子役で、『アチャコの迷月赤城山』で勘太郞役を演じる)
  • 芦屋小雁
  • 芦屋雁平(初代芦屋凡凡、子役(丁稚や少年役が多かった))
  • 白木みのる
  • 世志凡太(夫人は浅香光代、藤田まこととの共演が多い)
  • 大内洵子(1960年入団、女剣士専門)
  • 大江将夫[13]
  • 三角八重[14]
  • 金乃成樹(宝塚新芸座、淡海劇団などを経て吉本入り、のちに松竹新喜劇へ移籍)
  • 京唄子
  • 柳井幸多朗人生幸朗・生恵幸子に師事、幸郎没後ショックで引退)
  • 永隆子(「タカコヒメ」でお馴染み、笑福亭仁鶴夫人)
  • 中田チャック[15]
  • 玉松キャップ[16]
  • 藤井信子(1960年に募集した第一期の研究生、西川ヘレンと並ぶ初期の看板マドンナ役)
  • 内海英子(ラリー石川の夫人、1962年9月入団、マドンナ)
  • 泉ひろし[17]
  • 伊藤哲三(1959年よりいろんな劇団を転々とし1963年7月入団)
  • 長江あきら(平参平の弟子)
  • 前田五郎コメディNo.1 2009年8月コンビ解消)
  • 坂田利夫(コメディNo.1 2009年8月コンビ解消後は単独(漫談)で京橋花月の吉本新喜劇にたまに出演していた。)
  • 黒木雪夫(後のすっとんトリオ
  • 西川きよし(師匠は喜劇俳優石井均、新喜劇当時は「西川潔」。その後横山やすしとコンビ結成)
  • ヘレン杉本(初期のマドンナ役。西川きよしと結婚し退団)
  • 青島みどり
  • 西川洋子(父親がインド人のハーフ、1966年1月入団、マドンナ役?)
  • 西川ひかる夢乃タンゴ赤井タンクとそれぞれコンビを組み漫才を経て吉本へ、一時松竹新喜劇に在籍。現在4代目西川サクラ)
  • 大井文子(東京新派の大御所水谷八重子の元付き人)
  • 安田密子(フランス人パティシエと結婚後、退団。瀬戸カトリーヌの母。M-1グランプリ2003に楠本見江子とコンビCERISESで出場)
  • 高石太(あつあつ一座の座長、木村明と漫才コンビ「明太CO」結成。のち松竹芸能=松竹新喜劇に移籍)
  • 木村明(『あっちこっち丁稚』のふんどし男役で有名、のち松竹芸能に移籍して、トリオのプレイボーイズに参加し浪花座に出ていた。)
  • 中川一美
  • 糸川ナホミ(1972年11月入団、伴大吾は同期、現在、やなぎ浩二夫人)
  • 中嶋恵美子(1979年5月入団、現在、寿一実夫人)
  • 青木ミキ(1973年2月研究生で入団、現在、オール巨人夫人)
  • 上原光代(研究生で入団、現在、間寛平夫人)
  • 歌川節美(1975年2月入団、井上竜夫のいとこ)
  • 梶原一弘(6代桂文枝の弟子。現:落語家桂三象
  • 斉藤ゆう子(一時期座員歴あり)
  • 中田軍治(後Wヤングを結成)
  • 平川幸男(後Wヤングを結成)
  • 佐藤武志1984年、平川幸男と新・Wヤングを結成し退団。その後、客員として新喜劇に参加したり、朝日放送日曜笑劇場に出演。浅香あき恵の夫)
  • 中岡秀樹(1968年11月入団、花紀京の弟子)
  • 木下ほうか(現 俳優)
  • 濱根隆(よしもとNSC出身)
  • 坂本豪(1971年4月入団、岡八郎の弟子)
  • 杉本美樹(よしもとNSC出身)
  • 伊豆あすか(1978年入団、1979年に奄美きょうかと漫才コンビ結成)
  • 玉村輝彦(現:シベリア文太ルミネtheよしもと新喜劇座員)
  • 藤里美(1969年5月入団、楠本見江子に次ぐブスキャラで活躍)
  • 片岡あや子(父が興行師、母も芸人、1968年6月入団、元チャンバラトリオ伊吹太郎の妻、マドンナとして活躍)
  • 園みち子(1978年1月入団、マドンナ)
  • 今岡まき子(姉がOSKの女優、1984年6月入団、マドンナ)
  • 津島ひろ子(1974年入団、マドンナ、末成由美とコンビで入団)
  • 高橋和子(1979年5月入団、元新喜劇座員前田国男夫人)
  • 淀川吾郎(東宝ミュージカル、梅田コマ、千土地興行、O.M.Sを経て1967年8月入団、ニコニコしながら首を振る。借金で蒸発)
  • 高勢ぎん子(戦前の喜劇俳優高勢実乗の長女、石井光三夫人の母、1967年入団、お婆さん役)
  • 桜国子OSKから松竹新喜劇を経て1983年2月入団、主に母親役)
  • 由利謙(関西芸術座から関西プロダクション、O.M.Sを経て松竹かっぱ座を経て1962年6月入団)
  • 奥津由三(“チャボチャボ”という愛称で呼ばれ、小柄な身体で新喜劇草創期を支える、第一期研究生、司芙美夫人)
  • 司芙美(1963年、研究生で入団、奥津由三の夫人)
  • 佐藤ひろし速川すすむと「ペアジョーカーズ」という漫才コンビを組む。その後三輪やすひこともコンビ結成)
  • 三輪やすひこ(元松竹新喜劇出身、1966年11月入団、同期の座員佐藤ひろしと漫才コンビを組んでいた)
  • 菊池大助曾我廼家五郎八に師事、元松竹新喜劇出身、1966年11月入団、井上竜夫の弟弟子)
  • 英京介(花紀京に師事、1963年7月入団)
  • 拔天太郎(大村崑の弟子、「笑いの天国」の研究生でその後、花紀京や浜裕二に誘われ1963年11月入団)
  • 大崎隆晴
  • 速川進(花紀京の付き人、佐藤ひろしと一時コンビを組む、1964年10月入団)
  • 青芝フック(2代目横山フック、在籍中は「小島あきら」、漫画トリオからその後「青芝フック・キック」)
  • 横山アウト(漫画トリオのメンバー)
  • 角ともや(元自衛隊の陸士長、1968年10月入団)
  • 平山信子(1975年5月入団)
  • うのりういち(最初、芦屋雁之助一座で2代目芦屋凡凡を名乗る。その後、ポスト白木みのるを狙って1979年6月入団)
  • 風間舞子(木村進元夫人、1987年入団)
  • 木村優(木村進、風間舞子の娘、1987年入団)
  • 岡ゆうた(1983年に「おかけんた・ゆうた」を結成して退団)
  • 藤山直美(藤山寛美の娘である事を伏せて、4歳のころ何度か出演。)[18]
  • 宮脇健(ケンちゃんシリーズで有名な子役、チャンバラトリオの元メンバーゆうき哲也の付き人)
  • 浅田祐介(元くるみ座の研究生)
  • 姉川巌(1974年入団)
  • 天野久美子(NSC出身、1983年入団)
  • 飯田ミエ(ポケットミュージカルス出身)
  • 伊玖野暎子
  • 石井マキ(初期のころの研究生)
  • 池田昌代(1977年入団、1978年退団)
  • 石田輝代(昭和40年代初期の研究生)
  • 石川大介(花菱アチャコの付き人)
  • 泉多美子(後の占い師泉アツノ
  • 石川寿子(アチャコ劇団出身)
  • 井上和子(1966年入団)
  • 井上味佳(OSK出身、1963年入団)
  • 今西博子(1984年入団)
  • 宇野由利子
  • 大里裕美(1961年ごろから2年程出演)
  • 太田裕子(OSK出身、1961年入団)
  • 大橋一博(1980年3月入団)
  • 大宅乃夫子(1959年入団、結婚し退団)
  • 岡田光男(1965年入団、研究生で終わる)
  • 尾崎ゆう子(1960年入団)
  • 甲斐野トミ(昭和40年代に出演)
  • 香川明子(1964年から1965年ごろ出演)
  • 笠原亮三
  • 金沢富子(結婚し退団)
  • 雷門禄郎(雷門五郎の弟子)
  • 岸田一夫(「笑いの王国」、「ピエル・ボーイズ」出身、新喜劇では脇役)
  • 京風美千代(宝塚歌劇団出身、1960年に結婚し退団)
  • 黒瀬良(子役として数回出演)
  • 坂井秀太郎(時代劇専門)
  • しんぶらしすたーず
  • 小島ゆかり(NSC出身、1985年入団)
  • 坂本豪(1971年4月入団)
  • 香月京子(OSK出身、初期のころのマドンナ)
  • 九重千鶴(宝塚歌劇団出身、初期の娘役)
  • 塩野一平(1984年入団)
  • 清水正(東京の新派の役者)
  • 新谷京子
  • 関本千世子(1959年入団、研究生、結婚し退団)
  • 角ともや(岡八郎の弟子)
  • 園みつ子(1965年研究生で入団、結婚し退団)
  • 立花宏子(1959年入団、8代目雷門助六との共演が多かった)
  • 武内正和(1981年入団)
  • 武田京子(1974年11月入団)
  • 田中智鶴恵
  • 田之本了(1971年8月入団)
  • 田中ひとみ
  • 田中弘(初期のころの出演)
  • 玉井清美
  • 千原万紀子
  • 蔦陽子(OSK出身)
  • 陳玉華(中国人)
  • 鶴岡徹(横山エンタツに誘われ入団)
  • 仲圭介(のち松竹新喜劇に移籍)
  • 中尾愛子(1980年3月入団)
  • 中川明巳(1986年入団)
  • 中野みさよ
  • 西川花助(花菱アチャコの弟子)
  • 二宮二朗
  • 庭野千草
  • 長谷一郎(1963年8月入団)
  • 花井三郎(8代目雷門助六との共演が多かった)
  • 浜谷敦子
  • 浜村淳(1960年代から1970年頃に数度出演、ポケットミュージカルスの第1回目の出演者でもあった、2010年8月には約40年ぶりに出演した)
  • 春風すみれ
  • 東田つぐみ
  • 一ツ橋雪
  • 平山のぶ子(1970年5月入団)
  • 藤健一
  • 藤田信二(藤田まことの付き人)
  • 堀田正子(NSC出身)
  • 堀健(島田洋之介の甥、島陽之助の息子で元吉本の営業マン)
  • 真壁一夫
  • 政晴子
  • 真智恵子(読売テレビの制作局長の荻野康人夫人)
  • 丸橋清美(宝塚歌劇団出身、結婚し退団)
  • 峰きよし
  • 三輪ますみ
  • 宮武要人(伴大吾の紹介で入団)
  • 村田いつ子(川上のぼるの弟子、1960年12月入団)
  • 望岡幸敏
  • 森一修(研究生出身、のちルーキー劇団に移籍、すっとんトリオのメンバー活躍)
  • 森公平(1981年8月入団)
  • 森秀人
  • 山本幸子(昭和30年後半から40年代初頭に出演)
  • 山中正(1972年7月入団)
  • 山口真代
  • 与志きみと
  • 結城美千代
  • 吉野幸子(のちルーキー劇団に移籍)
  • 米坂福太郎(平参平の弟子)
  • 若山みち子(OSKから映画女優を経て吉本)
  • 和田志朗
  • 和田元恵(ポケットミュージカルスなどにマブで出演)
  • 好田タクト(現在ピン芸人)
  • 広野つとむ
  • 片山英昭
  • 春名幸子
  • 藤江竜海
  • 平野恵美子
  • 堀江たかし
  • 夏目京子
  • 横井修平
  • 渡辺広美
  • 大川直子
  • 田中猛
  • 萩清二
  • 大平シロー(漫才師として著名だが数度出演)
  • 大木こだま・ひびき(1985年に出演した記録がある)
故人

「やめよッカナ!?」時代以降(1989年10月以後)

座長(主役)クラス
  • 石田靖(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
  • 今田耕司(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
  • 東野幸治(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
  • 130R(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
  • 木村祐一(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
座員

これらのほか、『日曜笑劇場』に出演していた明石家さんまダウンタウン桂三枝(現:六代 桂文枝))、ルミネ新喜劇に出演している森三中山崎邦正(現:月亭方正)などを入れると、ほとんどの吉本所属タレントが新喜劇に関わってきたことになる。

作家・演出家

マスコットキャラ

入退団について

新喜劇入団の際、新人はNSCで新喜劇入団を希望したり、あるいはオーディションを受け、合格したら養成機関である吉本新喜劇jr.(YSJ)に入りうめだ花月などの舞台に立つ。そしてある程度実力が付いたと見なされたらNGKに出られる運びとなる。この他、吉本興業本社が有望な若手を自社内で異動させたり、漫才コンビを解散した芸人が新喜劇に入団したりすることが多い。現座長のうち、辻本茂雄(三角公園USA)、吉田ヒロボブキャッツ。なお、2007年3月限りで座長を卒業し、座長出身ゲスト座員に異動)、小籔千豊(ビリジアン)の3人がコンビの出身である。過去にはしましまんず、現在ではランディーズが、漫才活動と並行して新喜劇に加入している。

男優は漫才畑を歩いてきた者が圧倒的に多く、NSCを含む純粋な芝居畑出身は内場勝則、石田靖、烏川耕一安尾信乃助川畑泰史小米良啓太伊賀健二山田亮平山昌雄など数える程度であるが、逆に女優はNSCから直接入るケースがほとんどで、コンビの出身は未知やすえやすえ・やすよ)、浅香あき恵(新喜劇を解雇されて一時期島田一の介と漫才をしていた)ぐらいである。過去には大阪パフォーマンスドールJDといった吉本興業の他分野からの転向も多かった。また、中西喜美恵高橋靖子などのマドンナ役の女優の場合には、オーディションで他の芸能事務所や劇団などから吉本興業(新喜劇)に引き抜かれたケースもある。

珍しいケースに落語出身者が挙げられる。やなぎ浩二三遊亭柳枝門下)、中條健一(六代 桂文枝門下。ただし落語部門の弟子ではない)など。オーディションによる入団は藤井隆以降しばらく途絶えていたが、2004年に「吉本新喜劇 金の卵オーディション」を開催し、2006年には第2回オーディションが開催された。

新喜劇退団の際は、座員同士、または座員がピン芸人や旧コンビを解散した芸人とコンビを結成して退団するケースが見られるが、それでも多いとは言い切れない(尾崎小百合岡ゆうたがその例)。圧倒的に多いのは、所属事務所の移籍と芸能界からの引退である(放送作家への転向もこれに含まれる)。女性座員の場合には、結婚により新喜劇を退団するケースも多い(同時に芸能界から引退する場合もある)。

なお、中西喜美恵(未知やすえと並ぶ1990年代のマドンナ役女優の一人)は現在休業中で、復帰時期は不明である。

間寛平シベリア文太のように、吉本興業本社が自社内で異動させて退団となるケースもかなり見られる。近年ではレイザーラモンもそのケースに当たる。また、帯谷孝史のように、プライベートの問題で新喜劇から(一時的に)追放されてしまうケースもある。

3チーム制を維持していた時期は、最盛期には130人以上の座員、10数人の座付き作家を抱えていた。そのため、「元・吉本新喜劇」という肩書きを持つ人物は、先述の代表的な座員以外にも膨大な数に上る。しかし「やめよっかナ!?キャンペーン」での大リストラによって、座員は一時40人前後にまで減らされた。現在では若手の新規採用やベテラン役者の復帰で80人前後となっている。

2005年の「金の卵オーディション」で、10名が新喜劇に入団し(うち2名は諸事情により退団している)、2006年も「金の卵オーディション」を開催し14名が合格。以降もオーディションを行っており、再び黄金期に向けて拡張路線をとっている。NGK公演は中堅・ベテラン中心で、若手は端役に回ることがほとんどであるため、かつて梅田にあったうめだ花月にも出演している若手を中心とした「金のひよこライブ」や、金の卵座員による「金の卵ライブ」など若手にも機会を積極的に与えていた。しかし、若手が大量に入ることになったためか、2006年には3名が退団している(3名のうち2名は活動履歴がほとんどなかった)。

特徴

演技面の特徴

  • 各座員の固定された「持ちネタ」を利用した予定調和[27]
  • 座員同士の息の合わせに応じたアドリブ(辻本茂雄のローテーショントークなど)。
  • ベテラン、重鎮クラスの座員は登場時に一発ギャグを言う(それに合わせて他の座員もこける)
  • それ以外にも、一人のボケに役者全員がこけるというパターンが多い[28]

ストーリー展開の特徴

  • 幕が上がった直後は、おおむねカップル2組の会話などから芝居が始まることが多い。
  • 悪状況を打開するために一芝居打つが、必ず失敗する(例:悪役にマドンナを襲わせて、すかさず主役が助けに入って仲を改善するなど)。
  • 社長や親分はなぜか外で待たされている。部下が「社長、社長〜」と呼んでからわざわざ登場する。
    安尾はこれを逆手にとって「…って言うたら誰か来ると思ったでしょ?」とボケたことがある。
  • 内緒話は漏れなく聞かれている。絵や看板の後ろでこっそり聞いていて、話が終わると絵や看板を落として登場することもある。そのため、内緒話を他の者に漏らして状況をややこしくすることもある。
  • たいていは最後のほうで必ずヤクザ、もしくは強盗犯が出て、大暴れする(主に島木譲二のワンマンショー)。座長が場を納めて、エンディングへ持って行くというパターンが多い。
  • 人質は主人公の誤解を解くために犯人の下を離れ説明を行い、強盗・ヤクザ以外の全員が状況を理解して場が収まろうとする、そして取り残された犯人が「俺はほっぽりぱなしか!」と突っ込んで本来の流れに戻る(人質も当然犯人の方へ戻る)。
  • 警官や刑事は大事な場面でほとんどの場合、失敗ばかりで警察や刑事としての役割は手錠を掛けるぐらいでしか果たせていない。
  • 舞台終盤での感動の場面は必ず誰かがぶちこわしにする。これは茂造じいさんがほとんどである。
  • 最後は必ずハッピーエンドで締める。以下のパターンが圧倒的に多い。
    • 主人公(座長)がマドンナに告白するがフラれ、逆にマドンナが別の人物に告白する、もしくは恋人がいる(相手は副座長クラスかたいぞうなどのブサイクキャラが多い)。
    • 主人公がマドンナの元を去り、マドンナが主人公の名前を大声で叫ぶと「ただいま」とすぐに戻ってくる。
    • 借金取りに払わずに済んだお金を主人公(茂造じいさん、小籔千豊など)が持ち逃げしようとして見つかる。
  • ハッピーエンドの後の最大のオチ[29]でエンディングが流れる。出演者がドタバタしている間に緞帳(どんちょう)が降りて終演となる。

設定面での特徴

  • 基本的に役名=芸名。親子役の場合は子は親の姓になる(例:烏川耕一桑原和男の息子役の場合→桑原耕一
    • ただし、辻本茂雄が老人役を演じる場合には「茂造じいさん」、桑原和男が女性(おばあちゃん、おばちゃん)役を演じる場合には「桑原和子」、小籔千豊が元シスター役を演じる場合には「ヨハネ・小籔(旧姓:四数田(しすた))」、池乃めだかの場合は「池乃(または本名の中井、別の座員の姓)一郎」となる。Mr.オクレぢゃいこ等は基本的に本名を名乗る。
    • また、一人二役を演じる場合、どちらかの役で芸名をそのまま使い、もう一方の役で異なる名前を使う事もある(例:清水けんじが過去の清水けんじの息子役の場合→現在の清水は清水健太郎、過去の清水は清水けんじ)。
  • 毎回の出演座員の中に、必ず容姿をいじられる出演者がいる。中條健一の「オール緑(アスパラガスなど)」、伊賀健二の「新幹線」など。
  • 毎回派手なスーツを纏ったヤクザが(借金取り、または地上げ屋として)登場する。ただし小籔座長の公演ではヤクザは基本的に登場しない。
  • ほとんどの登場人物は悪役を除き知り合い同士。
  • 基本的にベテランや父母役以外の主要登場人物は20代〜30代前半の年頃の若者という設定。これを利用して「来年50の癖に」(浅香あき恵)など私生活の暴露を行うこともある。
  • 舞台のロケーションは宿泊施設や、食堂、アパートの一室、オフィスであることが多い。
  • 宿名、店名、社名、ヤクザの組名などは「花月○○」「吉本○○」「NGK(なんばグランド花月)○○」「フラワームーン」(花月を英語で直訳したもの)がほとんどである(例:花月旅館、吉本財閥、花月組、NGK開発、喫茶フラワームーンなど)。
    • かつて辻本座長公演でうどん屋のロケーションの時は店名が「大勝うどん」となっていることがあるが、実はこの店名は辻本の父が阪南市で経営していたうどん屋の名前である。
  • 就職先はたいてい東京だが、関西弁は抜けない場合が多い。また故郷から大阪にやってきた場合、大抵はその故郷が四国であることが多い。
  • 殺人など「人が死ぬ」ことはほとんどない(ただし事故死、以前からすでに死んでいることなどはある)。身体が傷付くことはあるものの、血を流したりはしない(しかし、最近では流血ネタが使われることも多くなっている)。

舞台面の特徴

  • ドリフのコントのようなセットチェンジや大掛かりな仕掛けは基本的には行わない。ただし辻本扮する「茂造じいさん」が登場するほとんどの公演では、客席から向かって右側に階段のセットがあり、茂造が杖で叩くと階段が坂になる仕掛けが施されている。新春公演など例外的に場を暗転させて座員の会話を挟んで行うこともあるが、まれである。またかつては、小籔・川畑座長公演で暗転シーンが頻繁に入れられていた(現在では辻本の階段セットのみで他はほぼ無し)。
  • NGKでの公演ではセットを毎週建替え、使い回しは基本的に行わない。地方巡業ではセットは基本的に使い回しているが、これは地方巡業が単発であるため、使い回さないと採算がとれないからである。
    • NGKの公演でも、日曜笑劇場ではロケーションが固定されていることから、セットは使い回し、建替えは基本的には行わない。
  • 相手を殴る時は効果音が入る。この時舞台袖で進行係りがそれ専用に作られた「叩き棒」という特殊な木を、殴るタイミングに合わせて叩いている。叩いている姿は客席のA-25〜27なら見えることがある。

ギャグ

演じる座員が複数いる場合のギャグを記す。

  • オープニングでカップルや店員役の女優が男優に「可愛い」「きれい」「美人」などと呼ばれ、「そんな、可愛いなんて!嫌やわ〜」と言いながらお盆、バッグ、岡持などで男優をどつく。この他「シャッター押してください」とカメラを渡されると、カメラを構えずにシャッターだけ押す。
  • 同じくオープニングで大衆食堂やレストランなどで客が食事を終えて「あー美味しかったー。おっちゃん(マスター)何ぼ?」「100万円」そして全員コケる(このフレーズは新喜劇のギャグの中でも全国的に知名度の高いものだが、最近はほとんど使われていない)。
  • ヤクザ「邪魔するで〜」ツッコミ「邪魔するんやったら帰って〜」ヤクザ「はいよ〜。…って、なんでやねん!」のノリツッコミ。
  • ヤクザ(暴力座員)は必ず3人組で登場するが、このスタイルは40年以上前からあり(以前は桑原和男帯谷孝史島田一の介島木譲二など。現在の座員は主に辻本茂雄レイチェル平山昌雄など)役者が変わっても常に3人組として登場する。かつては客席に向かって威嚇(いかく)がてら挨拶代わりに「俺たち〇〇3人組、ウワッ!」というギャグを放っていた。
  • 何でこうなったんや〜(茂造じいさんが多かったが、安尾も使うようになった)
    • 自分のせいで状況が悪化した時に「何でこうなったんや」とボケる。そして周りに「あんたのせいや!!」と突っ込まれる。
    • 小籔千豊は、内緒の話をばらすことが普通だが、このときは「ほらばれた〜!」と言う。
  • 「真似すんな」「真似すんな」「手上げんな」「手上げんな」などと相手の言うことを何度も真似るやりとりが続き、最後に「おまえ(ら)アホか」と言うと「おまえよりましや」と返す。島木譲二に対して使われることが多かった。辻本がやられたことも。また、真似る側の人間が複数になることもある(このギャグは、最近は使われていない)。
  • 客に無礼を働いたときに、客「何ちゅう奴(店や?)」と怒鳴られると、「○○です」と名乗る。客「名前聞いてへんわ!」と突っ込まれる。茂造じいさんと安尾が多用する。最近では「どうなってんねん、この店は〜〜」という質問に対して、「裏が厨房になってまして、向こうがトイレになってます」と答え、「構造聞いてるんちゃうわ」というギャグも安尾の時に多用されている。
  • 「○○に似ている」といじられ続けた演者が、『からかうのをやめろ』という意味で「○○から離れろ!」と叫ぶ。それを受けて、いじる側がくもの子を散らすように一目散に「○○から離れ」て、舞台袖やセットの裏に隠れる。置き去りにされた演者は「オレから離れてどうすんねん!」「戻って来い!」などと一人で喚く。中田の「アンパンマン」、烏川の「ひょっとこ」、伊賀の「新幹線」などのバリエーションがある。
  • 恋愛や悲劇に関連した音楽が流れて携帯電話で「もしもし〜?」と言い、「着メロかい!?」と突っ込まれる(小籔、辻本、安尾が多用。これは小籔が座長就任前に開発したものである)。基本的には歌詞のある曲だが、古畑任三郎火曜サスペンス劇場のテーマが流れることも。2007年1月6日放送分では、エンディングのBGMまで着メロになった。そのため、幕が途中で止まってしまった。
  • 私生活の暴露(基本的にはあまり見られない)
    • 舞台上で、小籔千豊未知やすえが両想いという設定で、もし妻がやすえだったらこうなる、と“例え話”で自分(内場)の私生活の話を暴露した(缶ビールは1本と決められているので、2本目を飲みたいときはくしゃみをしながら、缶を開けるプシュッという音を紛らわす等)。“例え話”が終わった後、やすえに「お兄ちゃん、話があるなら、奥で、ゆっくり聞こか?」と言われ、川畑泰史には「やけにリアルな例え話やなぁ」とつっこまれた。
  • 一芝居打つ際の練習で、緊張しすぎでものすごい高い裏声でセリフを言ったり、歌舞伎風になったりする(西科伊賀青野が使う。たいてい無視される)。
  • なぜか薪雑端(まきざっぱ)というゴム棒のようなものがセット裏に用意されており、全員でヤクザや強盗犯などを一斉にどつく。どさくさに紛れて関係のない人間(浅香など)をどつくことも。
    • この薪雑端は、辻本が「過去に何があったんや?」と問い詰める時の必需品でもある。相手がとまどっていると「はよ答えんかい」と殴る。また、横に浅香がいると、「こっち向くな!」「おまえは答えんな」と何度も殴ったりする。
      • また、島木譲二がヤクザ役や銀行強盗役などで登場して暴れまわった末に、最後に共演者によって取り押さえられてゴム棒でどつかれた時には、島木は、ゴム棒で頭を叩かれるのに合わせて、両手を合わせて合掌しながら、真言宗護摩供養で(不動明王に対して)唱えられる「のうまくさんまんだ……」から始まる真言を唱えた後、「わしゃ、紀三井寺木魚か!?」などと突っ込む。
  • 話の流れで婚約者が別の人と婚約したときに「お幸せに…」と格好良く決めておいて「うわーん」と泣きマネをして、退場する。
  • 借金を背負った人や強盗犯を全員でドタバタと追いかける。途中、逃げる側と追う側が入れ替わったり、つまづいた者(大抵が島木)が後続に踏みつけられたり、どさくさに紛れて関係のないこと(平山のバック転など)をする。
  • 刑事2人組という設定でスーツなのに、
    (刑事A)「行くぞ、ジーパン」
    (共演者)「ジーパンはいてないやないですか」
    (刑事B)「いえ、私は休日はいつもジーパンで過ごしているからジーパンなんです」
    (共演者)「わかりにくいわ。え、(隣の)あなたは?」
    (刑事A)「ノーパンです」
    (共演者)「え、ノーパン!? え、休日はいつもノーパンで過ごしてはるんですか?」
    (刑事B)「平日です」
    (共演者)「今かい!!」
    ここから辻本が「どうも、フルチンです」と被せるパターンもある。
    (あだ名とかはあるんですか、などのやりとりの後に)
    (刑事A)「(スーツを着ていて)私のあだ名は、見てわかるとおり、ジーパンです」
    (共演者)「いや、スーツやん!!」
    というやりとりのパターンもある。

オープニング曲

かつては朝日放送で放送されていた花月中継のオープニング曲であり、当時のスタッフであった石田健一郎が数曲の中から選曲した毎日放送の中継やなんばグランド花月での実際のオープニング曲はそれとは異なるものであった(『生産性向上のためのBG音楽・工場向け第一集その5』収録。うめだ花月では、この曲が実際の舞台でも緞帳を上げる時に流れていた)。しかし、「ホンワカパッパ ホンワカホンワカ…」というメロディがあまりにも印象に残るものであったため、「新喜劇をイメージさせる曲」にとどまらず、『六甲おろし』ともども大阪をイメージさせるステレオタイプな曲として認識されるようになった。情報番組で大阪の軽い話題を扱う際は、ほとんどの場合が「Somebody Stole My Gal」がかけられていると言っても過言ではない。この高認知度のおかげで、現在ではなんばグランド花月でも緞帳が上がる際に必ずこの曲が流されており、音楽に合わせて手拍子をする団体客までいることがある(数年前までは上演作品ごとに曲を変えていたが、昨今のストーリーのマンネリ化と並行するかのように音楽までも固定されてしまった)。

ちなみに、以前『探偵!ナイトスクープ』で、「この曲を擬音化したら『ホンワカ……』か『プンワカ……』のどちらになるか」でもめているカップルの依頼があった。街頭調査の結果、「ホンワカ」が大勢を占めたのだが、ロケが放送される前にスタジオで「音楽的にいえば『ホンワカ』」と断言されてしまっていた。

なお、「Somebody Stole My Gal」は映画『アビエイター』の中でBGMとして流れたり、ベニー・グッドマンなどもレコーディングしているが、聴き慣れた「ホンワカ……」はPee Wee Huntがアレンジしたバージョンでしか聴けないとされる。

テーマソング

テレビ放送用(エンディングソング)
  • 「エクスタシー」(1992年2月21日リリースから下記の ECSTASY OSAKAまで)
  • 「ECSTASY OSAKA」(内場・辻本・石田のニューリーダー体制記念として1995年にリリース)
  • 「宝島」(内場・辻本による東京からの放送時代に使用)
  • 「エビバディ!笑おうサンバ」(2009年5月20日リリース)
巡業用

テレビ番組

過去に新喜劇がレギュラーでテレビ放送された番組

吉本新喜劇の映画

正式タイトル「シネマライズ新喜劇」。これは1996年製作・撮影した吉本新喜劇の映画。公開は1997年、61分上映。ただし関西しか上映しない地方公開。

  • 製作=吉本興業=ビデオチャンプ=ツインズ=オフィス100%、配給=オフィス100%
  • タイトル
    • 大阪好日
    • どケチ ピーやん物語
    • マネージャーの掟
    • 父危篤、面会謝絶
    • たこ焼き刑事
    • ハンコください!

出演者はお馴染みの吉本新喜劇のメンバーと他の出演者が出演している。ビデオもあり、おまけのコーナーで今田耕司東野幸治が吉本新喜劇のメンバーの丸秘情報を教えるコーナーがある。

その他の作品

  • NMB48 feat.吉本新喜劇(Vol.1 - 9):NMB48のニューシングル発売に合わせる形で公演が行われ、通常盤Type-Cの特典映像として収録される(Vol.9は2ndアルバムのType-Bの特典映像)。新喜劇座員とNMB48の選抜メンバーとの共演となっており、通常の新喜劇とは以下の点で特徴が異なる。
    • 選抜メンバーは初登場時にキャッチフレーズを用いて自己紹介を行う(直後に座員がキャッチフレーズの内容や年齢について突っ込んだり、ボケ等を披露することがある)。
    • 過去に放送された作品を基にして、登場人物を追加または変更したリメイク版になることがある。
    • ストーリーの展開上でNMB48のシングル表題曲を流し、それに合わせて選抜メンバーがダンスを披露することがある。ギャグとして座員が先に踊って笑いを取った後に口直しとして選抜メンバーが本物のダンスを披露するパターンと、踊っている選抜メンバーに乱入する形で座員が一緒に踊るパターンとがある。
    • 選抜メンバーは演劇について不慣れな者が少なくなく、セリフを噛んだり忘れたりすることもある。その時は座長やベテラン座員がさりげなくフォローして笑いにつなげる形でそのまま続行させる。

脚注

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参照文献

  • 岩本哲生「吉本新喜劇 君は笑える?」、『朝日新聞』2009年4月18日東京版朝刊、24面。
  • 吉本新喜劇名場面集 1959-1989、株式会社データハウス、1989年

関連項目

外部リンク

テンプレート:吉本新喜劇
  1. 関西の子供たちは、このテレビ放送でボケとツッコミを覚え、立派な関西人になるとされる。(岩本 2009参照。)
  2. その後2011年12月23日の特番を経て、2012年7月15日より『よしもと情熱コメディ〜TVのウラ側で大騒ぎ!モンスターAD奮闘記〜』としてレギュラー放送再開。
  3. 2011年7月2日放送の『嵐にしやがれ』(日本テレビ)での今田耕司の発言より。なお、オール巨人ブログでは2009年から禁止と説明されている。
  4. ヒット曲の『アホの坂田』など吉本タレントが唄う歌謡曲の作詩も多く手掛け、新喜劇50周年(2009年)記念公演の監修に当たった。現在、吉本興業文芸顧問、帝京平成大学現代ライフ学部教授、帝塚山学院大学文学部講師、大阪市「上方芸能文化顕彰」選考委員。
  5. 竹本と共に吉本新喜劇を立ち挙げ隆盛させた作・演出家であり、現在も特別公演では脚本・演出を担当する一方で、後進の育成も手掛けている。
  6. 『上方芸能・笑いの放送史』(澤田隆治著、日本放送出版協会1994年
  7. 過去には木村進の提案で1987年から「うめだ花月」で同様のトークが行われていたことがある
  8. 告知チラシ
  9. テンプレート:Cite news
  10. 曾我廼家五郎一門の曽我廼家蝶五郎の門下、漫才では松葉蝶子香島ラッキーを相方にしていた
  11. 木戸新太郎作家友村順一に師事、「ポンカラキンカンコン」のギャグで新喜劇草創期を支えた。
  12. づぼらや」の板前出身、1967年1月入団、的場達雄門下で殺陣を得意とした。いわゆるデブ体型でクールながら三枚目な脇役として活躍し人気を博したが、借金問題で退団した。
  13. 戦前から大船松竹、吉本、エノケン一座、宝塚新芸座を経て1962年入団、老け役専門
  14. 元大江将夫夫人。戦前から吉本の軽演劇、島陽之助一座、エンタツ劇団を経て開場の1959年から出演、当時、特に涙ものを演らせれば右に出る者は皆無だった。
  15. 中田ダイマルの一番弟子、玉松キャップ・中田チャックのコンビで漫才や新喜劇に出演
  16. 玉松一郎の一番弟子、玉松キャップ・中田チャックのコンビで漫才や新喜劇に出演
  17. 元漫才師、三遊亭柳枝は柳枝劇団を経て1963年吉本新喜劇入り1991年に松竹芸能松竹新喜劇)に移籍、現在はフリーとなりテレビドラマ、舞台で活躍
  18. 明石家電視台に出演時の発言
  19. 父は漫才師の秋山右楽、酒が災いし早世、二枚目路線。
  20. 戦後「夢の王国・キドシン一座」を結成した東京の軽演劇の旗手の一人だった。弟子に茶川一郎、守住清がいる。
  21. 「シミキン」の愛称で戦前から榎本健一古川ロッパと並ぶ喜劇スター。
  22. 初代ミスワカナと漫才コンビを組んだ漫才師。
  23. 博多仁輪加の大御所。主に婆さん役、のち松竹新喜劇へ移籍。晩年は松竹喜楽座座長を務めた。
  24. 戦前から軽演劇フランス座のコメディアンで活躍。「ホント チートモ知らなかったワー」のギャグが有名
  25. テンプレート:Cite web
  26. 吉本新喜劇座長、川畑泰史が離婚 私生活でもコケる MSN産経ニュース 2012年5月27日
  27. 松原隆一郎は、客との合意の上で成立する、何年も使ったギャグを知っていることを前提とした笑いであるとする。また尾上圭介は、大阪では面白いヒトで笑う傾向があり、お決まりキャラクターで笑わせる面が強いとする(岩本 2009)。
  28. 阪田真己子は、ズッコケることで笑いどころを視覚的合図として送るという信頼関係が構築されており、それを受け入れない部外者には理解できず時に怒りさえ覚える、とする。(岩本 2009)。
  29. 例として、事の顛末に失望した主人公が自殺しようとするが、誰一人その自殺を止めようとせず「どうぞ!!」と言って主人公に追い討ちをかけるパターンや、主要人物が濡れ衣を着せられるパターンなどがある