ジャック・ニクラス

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テンプレート:ゴルファー ジャック・ニクラス (Jack Nicklaus1940年1月21日 - ) は、アメリカオハイオ州コロンバス出身のプロゴルファーである。フルネームは Jack William Nicklaus (ジャック・ウィリアム・ニクラス) という。1960年代から1990年代にかけて活躍し、ライバルのアーノルド・パーマーとともに、ゴルフをメジャースポーツにする牽引力となった人物である。圧倒的な強さと、トレードマークの金髪により「ゴールデン・ベア」 (熊) と称され、日本では「帝王」と呼ばれ、史上最高のゴルファーとも称される[1]

彼は日本の新聞などで表記揺れが多く、「ジャック・ニクラウス」という表記も見られるが、これはドイツ語読みに近い表記であり (彼はドイツ系である) 、英語発音に近い日本語表記は「ニクラス」となる。 しかしながら昔から「ニクラウス」表記の方が日本人にはなじみがあり、昨今のニクラス表記に違和感をおぼえる人も少なくない。

略歴

少年時代は、元フットボールの選手で薬局を営んでいた父のチャールズ・ニクラスからゴルフを教わった。そして彼が10歳の時、父の紹介によりゴルフレッスンプロであるジャック・グラウトの門下となり、その指導を受けた。彼は父親とグラウトによる指導で、その素質を磨かれたのである。1959年に19歳でデビューし、1961年に全米アマチュア選手権のタイトルを獲得して、1962年にプロ入りする。同年の全米オープンがメジャー大会通算「18勝」の出発点であると同時に、彼のプロ初優勝でもあった。1966年全英オープンで男子ゴルフ史上4人目の「キャリア・グランドスラム」を達成。前年の1965年に達成したゲーリー・プレーヤー (南アフリカ) に続く快挙であったが、その後2000年の全英オープンでタイガー・ウッズが達成するまで、34年間4冠達成者は現れなかった。

1980年のバルタスロールゴルフクラブ・ローワーコースでの第80回全米オープンにはグラウトとスイングを改造して臨んで、ショートゲームの鬼と化していた青木功と4日間同組でプレーした。バルタスロールは、パー70だが距離が長く、フェアウェイは狭く、ラフは深く、かつグリーンは高速の難コースであった。ニクラスは初日63のスコアでトム・ワイスコフと並んで首位タイのスタート。大平正芳首相(当時)死去の翌日、13日の金曜日の2日目には、この年のマスターズ勝者セベ・バレステロスが午前9時45分のラウンド開始時刻に遅刻して失格というハプニングがあったが、ニクラスは単独首位をキープ。第3ラウンド終了時点で、3日連続68で廻った青木と首位に並んだ。最終日6月15日は午後2時35分(日本時間16日午前3時35分)スタートの最終組で死闘を繰り広げた。アウトで青木は2、4、7、9番ホールでボギー、8番ホールでバーディで3つ、ニクラスは1つ、それぞれスコアを落として、ニクラスが2打リードしての折り返しとなったが、インでは互いに譲らず、ともに10、17、18番ホールでバーディをとり、この日のスコアはニクラス68、青木70で、ニクラスが2打差で逃げ切りの勝利となった。青木は12、16番ホールのバーディチャンスを逃したのが響いた。青木の2位入賞は、今なお日本男子ゴルフ界におけるメジャー大会最高記録である。青木の4日間の総パット数は111であり、3パットは最終日の2番ホールの1回のみ。バンカーショットが得意な青木は、ボールをグリーン付近に止めるため、グリーン周りのバンカーを狙って打ったショットがあったという。

1986年の第50回マスターズでは長男のジャック・ジュニアをキャディに従えて戦った。最終日4月13日は首位と4打差のスタートだったが、アウト35イン30の驚異的追い上げで「46歳2ヶ月23日」の最年長優勝記録を樹立した時には、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに"Jack is Back" (ジャック・イズ・バック=ジャックが戻ってきた) の声が響き渡った。最終日のニクラスの詳細は以下の通り。2番ホールでバーディ。4番ホールでボギー。9、10、11番ホールでバーディ。12番ショートホールはボギー。13番ホールで2オン2パットのバーディ。15番ロングホールの第1打はドライバーでピンまで202ヤード地点に運び、第2打は4番アイアンでピン左3.5mに2オンして、1パットで沈めてイーグル。池越えの16番ホール(179ヤード、パー3)は、5番アイアンでの第1打にバックスピンが効いてカップを嘗める、あわやホールインワンというバーディ。17番ホールは、復活のメジャー優勝が目前で感極まり、涙でエイミングが定まらず「試合はまだ終わっていないのだぞ」と自分に言い聞かせてティーショットを打ち、ピン左4mからのバーディパットは、ほぼストレートの下りのスライスラインを読んで成功させた。9番ホールからの10ホールで、1イーグル、6バーディ、1ボギーの怒濤のフィニッシュであった。この大会で二クラスはレスポンスという名のアンサー型パターを使用した。1打差の2位には、18番ホールでミスして追いつけなかったグレグ・ノーマントム・カイト。大会3日目には、2回目出場のニック・プライスがコースレコード63で廻った。

リー・トレビノらとともに、セント・アンドルーズのオールドコース開催の全英オープンを”別格”と考える一人である。オールドコースは海岸線に沿った真のリンクスコースだが、多数の小さな起伏やマウンドがあり、打ったボールが着地した後、どのようにバウンドするか、つまり運がスコアを左右するのだという。30歳で、ジョージ・ダグラス・サンダースとの18ホールのプレイオフの末に72対73の1打差でセント・アンドルーズ初制覇(全英オープン2回目の優勝)したときは、「セント・アンドルーズで勝てて、私は初めてメジャー・チャンピオンになれたと実感した。ここで一度勝つことがどれだけ大変なことか。今回私もそれを改めて思い知らされた」とコメント。ターンベリーでのトム・ワトソンとの真昼の決闘における敗戦の翌年、38歳で再びセント・アンドルーズ制覇(全英オープン3回目の優勝)したときは、「ここで勝つことが重要だった。本当に自分がナンバーワンでなくなったかどうかは、セント・アンドルーズの72ホールでわかる」とコメント。ニクラスは、最も好きなコースはセント・アンドルーズのオールドコース、最も良いコースは全英オープン初制覇の舞台スコットランドのミュアフィールド、人生最後のゴルフをするならペブルビーチゴルフリンクスであると述べている。

その他にも全豪オープンゴルフは6度 (1964年、1968年、1971年、1975年、1976年、1978年) 優勝した。ただし日本では未勝利のため、4大地域 (米、欧、日、豪) でのツアー制覇は達成できなかった。

1996年には、シニアツアーの四大タイトルもすべて獲得し、PGA、シニアツアー (現在はチャンピオンズツアー) の両方の四大タイトルを獲得した唯一の選手となっている。2005年、65歳になったニクラスは歴代優勝者の資格で出場を続けていたマスターズから引退し、同年の全英オープンも彼の引退の場とするため、 (予定より1年繰り上げて) セント・アンドルーズで開催された。最後のホールとなった2日目の18番でバーディーを取り、ツアー選手としてのキャリアを終えた。マスターズの会場であるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブには彼の功績を称え、銅像が建てられている。

ニクラスは1979年6月から1987年6月まで、日産自動車の高級車「グロリア」の430 (ヨンサンマル) 型 (1979年6月~1983年6月) と、Y30 (ワイ・サンマル) 型 (1983年6月~1987年6月) の専属CMキャラクターを通算8年間にわたって務めた。ニクラスの名にちなんだグレード名として「ジャック・ニクラス・バージョン」が430型とY30型の両方に設定されていた。

一方、アメリカン・エキスプレスのCMではたどたどしい日本語で「出かけるときは忘れずに」と話すユーモラスな一面も見せた。

また、上述の愛称「ゴールデン・ベア」をマークにしたゴルフ用品も発売された。

日本との関わりでは、1977年に戸塚カントリー倶楽部でチャリティーゴルフに出場した際、愛用のパターが盗まれる事件にあっている。ニクラスは「ぜひ返してほしい」と訴え、その後アルバイト学生が犯行を告白してパターは手元に戻り、「寛大な処置を願う」というコメントを残している。

2005年ロイヤルバンク・オブ・スコットランドが発行する全英オープン記念の5ポンド紙幣で裏面に肖像が使用された。同行では、紙幣の発行時に存命の人物を肖像に起用するのは史上初めてとしている[2]

2006年2月、日本経済新聞の連載「私の履歴書」に登場し、1ヶ月に渡って自らのゴルファー半生を語っている (後に書籍化された) 。

現在は、自身が設計したミュアフィールド・ビレッジ・ゴルフグラブ (オハイオ州ダブリン) にて、PGAツアートーナメントの1つである「メモリアル・トーナメント」のホストを務めている。

メジャー大会優勝

シニアメジャー大会優勝

テンプレート:男子ゴルフメジャー大会優勝記録

脚注

  1. 『ゴルフ・クラシック』日本文化出版 2009年5月号59頁
  2. 日刊スポーツ、2005年7月12日付。

外部リンク

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