661年
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他の紀年法
できごと
- 2月10日(斉明天皇7年1月6日) - 斉明天皇、百済救済のため自ら船団に乗り筑紫へ出港
- 2月12日(斉明天皇7年1月8日) - 船団が備前の大伯海に停泊。大田皇女が大来皇女を出産。
- 2月18日(斉明天皇7年1月14日) - 船団が伊予の熟田津に寄港。額田王が歌を詠む
- 4月29日(斉明天皇7年3月25日) - 船団が筑紫の那の大津に到着
- 5月白村江の戦い第一派出発:1万余人。船舶170余隻。指揮官は安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津。豊璋王を護送する先遣隊。
- 6月(新羅国武烈王7年) - 武烈王(金春秋)が高句麗への遠征の途中で陣中にて死去。
- 6月11日(斉明天皇7年5月9日) - 斉明天皇、朝倉宮に布陣。周辺の神社を壊してその材木で宮殿を建てる
- 8月24日(斉明天皇7年7月24日) - 斉明天皇崩御。第38代天皇・天智天皇が即位(称制)
- 11月4日(斉明天皇7年10月7日) - 天智天皇、亡き斉明天皇の遺体を難波へ葬送、挽歌を詠む
- 11月20日(斉明天皇7年10月23日) - 斉明天皇の遺体が難波へ到着
- 12月3日(斉明天皇7年11月7日) - 斉明天皇の殯の儀が飛鳥川原宮で始まる。
- ムアーウィヤが単独のカリフとなり、ウマイヤ朝がはじまる
- 百済の遺臣は鬼室福信・黒歯常之らを中心として百済復興の兵をあげ、倭国に滞在していた百済王の太子豊璋王を擁立しようと、倭国に救援を要請した。これは倭国が百済への影響力を増大させることを意味していたが、百済再興の為には古くからの同盟国である倭国の助けが不可欠だった。中大兄皇子はこれを承諾した。