辛酉

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干支
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甲子
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乙丑
3
丙寅
4
丁卯
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戊辰
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己巳
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庚午
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辛未
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壬申
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癸酉
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甲戌
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乙亥
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丙子
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丁丑
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戊寅
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己卯
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庚辰
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辛巳
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壬午
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癸未
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甲申
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乙酉
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丙戌
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丁亥
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戊子
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己丑
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庚寅
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辛卯
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壬辰
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癸巳
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甲午
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乙未
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丙申
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丁酉
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戊戌
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己亥
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庚子
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辛丑
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壬寅
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癸卯
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甲辰
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乙巳
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丙午
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丁未
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戊申
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己酉
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庚戌
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辛亥
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壬子
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癸丑
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甲寅
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乙卯
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丙辰
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丁巳
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戊午
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己未
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庚申
58
辛酉
59
壬戌
60
癸亥
十干十二支

辛酉(かのととり、しんゆう)は、干支の一つ。

干支の組み合わせの58番目で、前は庚申、次は壬戌である。陰陽五行では、十干は陰の十二支は陰ので、比和である。

辛酉の年

西暦年を60で割って1が余る年が辛酉のとなる。

中国の前漢から後漢に流行した『緯書』(煬帝により禁圧され散逸、三善清行による「革命勘文」(『群書類従』 第貮拾六輯 雜部 所収)に『易緯』、『詩緯』の逸文が残るのみ)には、庚申に続いて辛酉も干支ともに金性であり、かつ辛は陰の気なので、人の心がより冷酷になりやすいとされた。辛酉は天命が改まる年とされ、王朝が交代する革命の年で辛酉革命という。日本において辛酉の年に改元する習わしは、政治的変革が起るのを防ぐ目的で、三善清行の提唱により平安時代の昌泰4年(901年)の辛酉の年に元号を「延喜」と改めたことから始まった。前年の庚申年と2年続けて改元が行われることが多い。これは明治になるまで続けられた。ただし、中国ではこのような例はない。

明治時代の学者那珂通世は、神武天皇の即位の年代について、「革命勘文」にある鄭玄の注「天道不遠 三五而反 六甲爲一元 四六二六交相乗 七元有三變 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」を挙げ1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉の年には大革命があるとし、推古天皇9年(601年)がその年に当たり、この年の1260年前である西暦紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を立てた。

また、「革命勘文」の鄭玄の注では1320年と記述されることから60年×22回=1320年周期説もあり、その場合は辛酉の3年後甲子年が革令(甲子革令)の年であり、白村江の戦いの翌年西暦664年(甲子)を基点として、西暦紀元前660年とされる。

辛酉の年
1千年紀 2千年紀 3千年紀

辛酉の月

西暦年の下1桁が3・8(十干が)の年の8月が辛酉のとなる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月白露から寒露の前日まで)を適用する場合もある。

辛酉の日

選日

辛酉の日は八専の7日目(間日を除く)である。

関連項目

外部リンク