長崎オランダ村

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テンプレート:Coor title dms テンプレート:基礎情報 テーマパーク 長崎オランダ村(ながさきオランダむら、英語表記:Nagasaki Holland Village)は、かつて長崎県西彼杵郡西彼町(現・西海市)にあったテーマパーク佐世保市のテーマーパークハウステンボスのルーツとなった施設である。1983年昭和58年)開園、2001年平成13年)に閉園。

跡地は2003年(平成15年)に西海市が購入し、2005年(平成17年)に食のテーマパークキャスビレッジ(cas village)として再生したが、約半年で破綻した。キャスビレッジ破綻後の跡地には、2010年(平成22年)5月6日西海市役所西彼総合支所長崎県央振興局農林部西海事務所が移転してきた。移転後も改修が行われている。西海市は2015年(平成27年)春にも再オープンさせる方針であることが報じられた[1]

長崎オランダ村概要

長崎オランダ村は、西彼町(現・西海市)の役場職員であった創業者の神近義邦が1983年(昭和58年)7月22日に開園した。

神近の「長崎県にゆかりの深いオランダの街並みを、路面に敷かれたレンガ一つまで忠実にそっくりそのまま大村湾の入江に再現する」という大胆なコンセプトは、バブル景気湾岸戦争による国内旅行需要増加も手伝い、長崎観光の新しい目玉に成長した。村上龍の小説『長崎オランダ村』の題材にもなり知名度も高まった。ドラマなどのロケ地にもなり、1985年(昭和60年)に放映された特撮番組『電撃戦隊チェンジマン』では2週連続放送、1987年(昭和62年)5月10日放送のドラマ『あぶない刑事』(第31話『不覚』)でもオランダ村が舞台となっている。

九州各地からの来客を見込んでCMも積極的に流し、「長崎、オランダ、ヴィレッジ」の歌詞は地元で有名になった。1986年(昭和61年)頃にはテレビ西日本などで夜9時の時報としてカロヨンの鐘を使ったCMを展開した。

1992年(平成4年)には佐世保市に、オランダ村とコンセプトを同じく、より大規模なハウステンボスがオープン。長崎オランダ村はハウステンボスのサテライトパークとして営業を続けたが、ハウステンボスの経営不振などによって2001年(平成13年)10月21日に閉園。その後、跡地の利用が課題となった。

跡地利用

キャスビレッジ

閉鎖後、地元自治体、経済界などが跡地の活用策を模索していた。学校の誘致や高齢者向け施設などの案もあがったが、最終的に手を上げたのは、日本テレビ系のバラエティ番組『マネーの虎』で名を馳せた小林敬だった。食のテーマパークと銘打ち、飲食施設のほか、有機野菜ファーム、調理師学校なども整備する予定だった。

2005年(平成17年)3月の開業時には、和食洋食中華料理レストランファストフード店など12店舗をはじめ、結婚式場や、食器・調理器具などをそろえたショップを整備。施設周辺の豊富な食材をその場で調理・販売・消費する「地産地消」を前面に掲げ、初年度の集客50万人、売上高19億円をめざした。

しかし、過剰な設備投資(旧オランダ村の改築費に15億円以上)に加えて、集客が思うように伸びないなどビジネスプランに破綻をきたし、開業からわずか半年あまり後の2005年(平成17年)10月3日に、運営会社CASジャパン(本社西海市、代表取締役・小林敬)が自己破産した。即日閉鎖され、百数十名の従業員は全員解雇された。

西海市役所西彼総合支所

跡地は「行政」「福祉」「商業」の3ゾーンに分けた上で活用されることが2009年11月に発表されている[2]。2010年1月下旬より壁の塗り替えなどの改修工事を行い、5月6日に「行政」ゾーンに移転開庁した。オランダ村時代に出国窓口であった2階建ての建物が使われており、1階は市民課と地域課、2階は会議室になっている。残りの建物は商業施設や福祉施設に活用する予定であり、改修工事が行われているものの、大半の建物がシロアリの被害などに遭っており、全ての建物を再利用するのは困難な状況となっている。風車は固定されており、現時点では動くことはない。なお、2011年5月から敷地の一部を市民に無料開放する予定が公表され、5月からホールン地区の開放が始まった[2]テンプレート:節stub

所在地

脚注

  1. テンプレート:Cite news
  2. 2.0 2.1 asahi.com:オランダ村 再生へ動き-マイタウン長崎 - 2011年6月8日

関連項目

外部リンク