豊川駅 (愛知県)
テンプレート:駅情報 テンプレート:駅情報 豊川駅(とよかわえき)は、愛知県豊川市豊川町仁保通にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)飯田線の駅である。
目次
概要
豊橋駅(愛知県)から飯田駅(長野県)を経て辰野駅(同)までを結ぶ鉄道路線・飯田線の中間駅(途中駅)である。飯田線全線を保有する事業者(これを第一種鉄道事業者という)であるJR東海と、同線豊橋・豊川間等で施設を借り受けて貨物列車を運営する事業者(第二種鉄道事業者という)であるJR貨物の2社が駅を運営している。
開業は1897年(明治30年)のことで、当初は私鉄・豊川鉄道の運営であった。1943年(昭和18年)に国有化され国有鉄道の駅となるが、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によって旅客営業はJR東海、貨物営業はJR貨物が担当する現在の形態へと移行した。
駅は、豊川稲荷の門前町として発展した豊川市の中心市街地に位置し[1]、年間100万人・1日あたり3,000人を超える乗車客数がある。飯田線唯一の優等列車である特急「伊那路」の停車駅の一つであるほか、豊橋との間を結ぶ区間列車(普通列車)の終端でもある。また、隣接して名古屋鉄道(名鉄)豊川線の豊川稲荷駅が設置されており、相互に乗り換えが可能である。
IC乗車券サービスの対応駅の一つであり、「TOICA」や相互利用が可能なその他ICカードの利用が可能である。ただし、ICカードの利用可能エリアは飯田線では豊橋・豊川間のみであり、豊川以北では対応していない。
構造
ホーム・配線
豊川駅は、ホームが地面に接する、地上駅と呼ばれる形態である。複線と単線の境界であり、豊橋方面は複線、中部天竜・飯田方面は単線である[2]。
ホームは合計で2面、列車が停車する乗り場の線路は合計で3線ある。東側はホーム両側に線路が接する島式ホーム、西側はホーム片側(ここでは東側)のみに線路が接する単式ホームである。ホーム番線は西側から順に1・2・3番線であり、1番線を下り列車、2番線を上り列車が使用し、3番線は双方に対応する[2]。以下に、ホームの使用状況を表で示す。
番線 | 路線名(方向) | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color飯田線(下り) | 中部天竜・飯田方面 | |
2 | テンプレート:Color飯田線(上り) | 豊橋方面 | |
3 | テンプレート:Color飯田線(上り) | 豊橋方面 | 主に豊川始発の列車が使用 |
3番線の東側に並行して2本ホームに接さない線路も敷設されている[2]。
2代目駅舎が使用されていたころは、ホームに隣接の単式ホーム1面と島式ホーム1面に加えてさらに1面島式ホームがあり、1番線から5番線までのホーム番線が存在した[3][4]。また、各ホームは地下道で繋がっていた[3]。
駅舎・設備
駅舎は、1996年(平成8年)に建設された東西自由通路を併設する橋上駅舎が使用されている。改札口等の施設はホーム上階部分にあり、西口・東口を結ぶ東西自由通路に面する。駅舎内部には自動券売機・みどりの窓口がある[5]ほか、改札には自動改札機が導入されている。エレベーターは改札口と1番線ホームまたは2・3番線ホームを結ぶものが1基ずつ、東口・西口で地上と橋上を結ぶものが1基ずつで合計4基あり、エスカレーターは東口・西口に1基ずつ計2基設置されている[5]。
現在の駅舎は、豊川駅の駅舎としては3代目にあたる。JR東海によれば駅舎のコンセプトは「橋」であり、豊川稲荷や商店街のある駅西側と、東口が新設された駅東側を結ぶ「懸け橋」となることからかつて豊川に架橋されていた旧当古橋のアーチをイメージしたデザインであるという[6]。
2代目の駅舎は現在の西口側(1番線ホーム側[4])にあった鉄筋コンクリート3階建ての地上駅舎で、豊川鉄道時代の1931年(昭和6年)に建設された。豊川鉄道時代には集客事業の一環として1階には駅業務部分のほか売店・食堂、2階には日本全国の特産物を販売する物産館、3階には演劇・落語・漫才等の上演や映画の上映が可能な劇場が入っていた[7]。2階の物産館は国有化で閉鎖され飯田線関連の事務所に転用されたが、3階は1966年(昭和41年)まで映画館(豊川映画会館)として存続した[8]。
営業面では、豊川駅は有人駅で、駅長のいる駅長配置駅である[9]。管理駅でもあり、豊川市・新城市・北設楽郡東栄町に位置するJR東海の各駅(飯田線船町駅・東栄駅間各駅および東海道本線愛知御津駅・西小坂井駅の計26駅)を管理下に置く[9]。
貨物取扱・専用線
JR貨物の豊川駅は、専用線を発着する車扱貨物の臨時取扱駅である[10]。臨時列車の設定はあるが、定期列車の設定はされていない。
駅に接続する専用線として、駅西方にある日本車輌製造豊川製作所へ繋がる専用線がある。工場との間で搬出入される鉄道車両が輸送され、駅からは車両輸送列車が発着する[11]。この専用線はかつて豊川駅と西豊川駅を結んでいた飯田線の支線(西豊川支線)であったが、1956年にこの支線は廃止されて国鉄浜松工場豊川分工場への引き込み線となり、同工場の廃止後、1964年7月に日本車輌製造に譲渡されたため同社専用線へと移行している[12]。
歴史
豊川駅を開設した豊川鉄道は、豊橋を起点に豊川、新城を経て大海(現・新城市)とを結ぶ路線を運営していた私鉄である。豊川駅は、このうち豊橋から豊川までの区間が開通した1897年(明治30年)7月に開業した。開業当初は路線の終着駅であったが、一週間後に次の一ノ宮駅(現・三河一宮駅)まで路線が延伸したため、終着駅ではなくなっている。このように短期間だけ終着駅となっていたのは、工事が竣工した区間から順次営業を開始させていったためである[13]。
開業から40年を経た戦時中の1943年(昭和18年)8月、豊川鉄道の鉄道路線は国に買収(国有化)され、「飯田線」として国有鉄道の路線図に組み込まれた。これにあわせて、豊川駅も国有化された。また、国有化の前年にあたる1942年(昭和17年)5月、新設された軍需工場(豊川海軍工廠)へのアクセス路線として西豊川駅への支線(通称西豊川支線)が開通し、同様に国有化されたが、前述の通りこの路線は戦後の1956年(昭和31年)9月に国鉄路線としては廃止されている。
1954年(昭和29年)12月、豊川駅の隣に名古屋鉄道(名鉄)の新豊川駅(1955年以降は豊川稲荷駅)が開設され、同社豊川線との乗換駅となった。同駅の開業以前は、豊川駅から2駅南の飯田線小坂井駅に名鉄小坂井支線が接続し、正月期間中に豊川稲荷への参拝客輸送を目的とする臨時列車がこの路線を介して名古屋方面から豊川駅まで乗り入れていた[14]。新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)構内にかつて存在した連絡線を使用して、名鉄のみならず近畿日本鉄道(近鉄)からも参拝客の団体専用列車が乗り入れていた時期もある[14]。小坂井支線の開通は、豊川鉄道時代の1926年(大正15年)4月で、当初から豊川駅乗り入れ列車が存在していた。
1984年(昭和59年)から翌1985年(昭和60年)にかけて、貨物と荷物の取り扱いが相次いで廃止された。貨物については、開業以来扱い続けていたものである。1970年代以降飯田線南部では豊川駅を含む数か所の駅を除いて貨物および荷物営業が廃止されてそれらの駅へと集約されていたが、これによって南部では全面的に廃止されることとなった。しかし貨物営業については廃止3年後の民営化前日、条件付ながら再開されている。
1987年(昭和62年)4月、国鉄の分割・民営化が実施され、旅客営業はJR東海へ、前日付で復活した貨物営業はJR貨物へと継承された。これ以降運営体制については大きな変化はなく現在に至っている。
年表
- 1897年(明治30年)7月15日 - 豊川鉄道の駅として、同鉄道線豊橋・豊川の開通にあわせて開業[15][16]。旅客・貨物営業を行う一般駅であった[16]。
- 1897年(明治30年)7月22日 - 豊川鉄道線が一ノ宮駅(現・三河一宮駅)まで開業[15]、終着駅から途中駅に。
- 1931年(昭和6年)12月 - 鉄筋コンクリート3階建ての駅舎に改築[17]。
- 1942年(昭和17年)5月12日 - 西豊川駅までの支線が開通[18]。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 豊川鉄道線の国有化により、国鉄飯田線の駅となる[15][16]。
- 1954年(昭和29年)12月25日 - 隣接して名鉄新豊川駅(現・豊川稲荷駅)が開業。
- 1956年(昭和31年)9月15日 - 西豊川駅への支線が廃止[18]。
- 1984年(昭和59年)1月16日 - 貨物の取り扱いを、専用線発着の車扱貨物のみへと対象を縮小[16]。
- 1984年(昭和59年)1月21日 - 貨物の取り扱いを全廃[16]。
- 1985年(昭和59年)3月14日 - 荷物の取り扱いを廃止[16]。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 貨物の取り扱いを、臨時の専用線発着車扱貨物に限って再開[16]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東海とJR貨物が継承[16]。
- 1995年(平成7年)6月4日 - 仮駅舎が開業。同月11日には、2代目駅舎の「お別れ式典」を開催した[19]。
- 1996年(平成8年)12月17日 - 橋上駅舎と自由通路が完成[6][20]。
- 2010年(平成22年)3月13日 - TOICAの利用が可能となる。
利用状況
旅客
2010年度の乗車人員は合計111万7504人で、1日あたりでは3,062人であり、飯田線の単独駅としては最も利用客数が多い。
1950年度から2010年度までの1日平均の乗車人員は、下の表の通りに推移している。1950年度の時点では1日平均4,380人であったがその後徐々に増加し、1966年度にはその1.6倍の7,112人となった。だが1日平均7,000人を上回ったのは同年度のみで、以降減少して20年後の1987年度には3,000人を割り込んで1日平均2,892人となった。次年度から再び増加に転じたため、2008年度に至るまで1日平均3,000人台を保っていた。その後、3,000人前後で推移している。
1日平均の乗車人員の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 出典 |
1950年度 | 4,380人 | [21] |
1951年度 | 5,194人 | [22] |
1952年度 | 5,180人 | [23] |
1953年度 | 5,364人 | [24] |
1954年度 | 4,805人 | [25] |
1955年度 | 4,267人 | [26] |
1956年度 | 4,542人 | [27] |
1957年度 | 4,867人 | [28] |
1958年度 | 5,127人 | [29] |
1959年度 | 5,259人 | [30] |
1960年度 | 5,422人 | [31] |
1961年度 | 5,316人 | [32] |
1962年度 | 5,545人 | [33] |
1963年度 | 5,843人 | [34] |
1964年度 | 6,642人 | [35] |
1965年度 | 6,975人 | [36] |
1966年度 | 7,112人 | [37] |
1967年度 | 6,926人 | [38] |
1968年度 | 6,597人 | [39] |
1969年度 | 5,983人 | [40] |
1970年度 | 5,893人 | [41] |
1971年度 | 5,794人 | [42] |
1972年度 | 5,454人 | [43] |
1973年度 | 5,213人 | [44] |
1974年度 | 5,251人 | [45] |
1975年度 | 4,870人 | [46] |
1976年度 | 4,840人 | [47] |
1977年度 | 4,621人 | [48] |
1978年度 | 4,336人 | [49] |
1979年度 | 3,914人 | [50] |
1980年度 | 3,876人 | [51] |
1981年度 | 3,736人 | [52] |
1982年度 | 3,543人 | [53] |
1983年度 | 3,341人 | [54] |
1984年度 | 3,234人 | [55] |
1985年度 | 3,149人 | [56] |
1986年度 | 3,013人 | [57] |
1987年度 | 2,892人 | [58] |
1988年度 | 3,014人 | [59] |
1989年度 | 3,129人 | [60] |
1990年度 | 3,383人 | [61] |
1991年度 | 3,642人 | [62] |
1992年度 | 3,657人 | [63] |
1993年度 | 3,717人 | [64] |
1994年度 | 3,601人 | [65] |
1995年度 | 3,522人 | [66] |
1996年度 | 3,481人 | [67] |
1997年度 | 3,438人 | [68][69] |
1998年度 | 3,447人 | [70][69] |
1999年度 | 3,332人 | [71][69] |
2000年度 | 3,297人 | [69] |
2001年度 | 3,281人 | [69] |
2002年度 | 3,237人 | [72] |
2003年度 | 3,232人 | [72] |
2004年度 | 3,188人 | [72] |
2005年度 | 3,112人 | [72] |
2006年度 | 3,093人 | [72] |
2007年度 | 3,104人 | [72] |
2008年度 | 3,115人 | [73] |
2009年度 | 2,999人 | [73] |
2010年度 | 3,062人 | [73] |
貨物
1950年度から、取り扱いが一旦廃止された1983年度までの貨物取扱量(発送・到着トン数)は、以下の通りに推移していた。なお、1987年の再開以降の数値は明らかでない。
貨物取扱量の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 発送 | 到着 |
1950年度 | 21,891t | 13,101t |
1951年度 | 32,059t | 19,189t |
1952年度 | 33,505t | 22,186t |
1953年度 | 31,487t | 23,121t |
1954年度 | 30,285t | 29,181t |
1955年度 | 23,416t | 19,628t |
1956年度 | 65,192t | 23,425t |
1957年度 | 43,489t | 29,734t |
1958年度 | 31,281t | 33,424t |
1959年度 | 36,476t | 35,753t |
1960年度 | 38,280t | 36,971t |
1961年度 | 47,011t | 38,572t |
1962年度 | 38,775t | 35,335t |
1963年度 | 23,292t | 33,468t |
1964年度 | 33,203t | 42,456t |
1965年度 | 29,801t | 34,526t |
1966年度 | 34,093t | 37,227t |
1967年度 | 39,716t | 47,213t |
1968年度 | 46,983t | 47,233t |
1969年度 | 40,908t | 32,651t |
1970年度 | 41,778t | 34,729t |
1971年度 | 43,761t | 33,837t |
1972年度 | 80,983t | 37,158t |
1973年度 | 64,078t | 44,845t |
1974年度 | 54,700t | 37,228t |
1975年度 | 41,712t | 28,064t |
1976年度 | 32,890t | 29,059t |
1977年度 | 30,396t | 26,142t |
1978年度 | 36,896t | 26,847t |
1979年度 | 41,367t | 31,016t |
1980年度 | 40,013t | 22,549t |
1981年度 | 42,466t | 18,858t |
1982年度 | 49,312t | 13,435t |
1983年度 | 31,215t | 9,502t |
※出典は乗車人員の推移に同じ。 |
荷物
1974年度から、取り扱いが廃止された1984年度までの荷物取扱量(発送・到着個数)は、以下の通りに推移していた。
荷物取扱量の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 発送 | 到着 |
1974年度 | 56,231個 | 44,094個 |
1975年度 | 52,077個 | 42,608個 |
1976年度 | 39,818個 | 40,572個 |
1977年度 | 34,562個 | 38,555個 |
1978年度 | 29,728個 | 34,953個 |
1979年度 | 25,346個 | 33,418個 |
1980年度 | 19,527個 | 29,919個 |
1981年度 | 14,103個 | 24,459個 |
1982年度 | 9,549個 | 20,571個 |
1983年度 | 6,418個 | 16,946個 |
1984年度 | 5,230個 | 14,952個 |
※出典は乗車人員の推移に同じ。 |
停車列車
優等列車に関しては、豊橋駅と飯田駅を結ぶ特急「伊那路」が1996年(平成8年)3月の運行開始時から停車している。
普通列車は、豊橋駅行きの上り列車が1時間あたり概ね3・4本(朝ラッシュ時は最大6本)、新城駅・本長篠駅やそれ以北へと向かう下り列車が1時間あたり概ね1・2本設定されている。上下で本数の差があるのは豊橋・豊川間を結ぶ区間運転列車があるためである。また、上りのみに1日2本ある快速列車も停車する。
駅周辺
戦前は、豊川稲荷の門前町の旧豊川町の中心として栄えたが、戦時中の合併による豊川市発足後、豊川市の中心は名鉄諏訪町駅付近に移動。そのため開発があまりなされず、門前町の雰囲気を色濃く残している。
駅東側は駅裏の雰囲気を残していたが、橋上駅舎建設以後は区画整理が一部実施されている。
- 西口
- 東口
バス
西口・東口双方にバス停留所(バス停)が設置され、長距離の高速バスや市内や隣接市町へ向かう路線バスが発着している。東口のバス停は、中部国際空港行き特急バス(2010年4月から運休)の運行開始にあわせて2008年4月1日から設置された。
2011年11月時点で、駅前を発着するバスの路線は以下の計7路線である。
- 高速バス
- 新宿豊橋線(新宿・豊橋エクスプレス ほの国号) : 西口側にある「豊川駅前」バス停を発着し、三河田原駅前・豊橋駅前・豊川駅前等と新宿駅前等を結ぶ。豊鉄バスと関東バスが共同で運行する。夜行バス。
- 豊橋京都線(ほの国号) : 東口側にある「豊川駅東口」バス停を発着し、豊橋駅前・豊川駅前等から京都駅前を結ぶ。豊鉄バスが運行する。
- 路線バス - 豊鉄バスおよび豊川市コミュニティバスが運行する。豊鉄バス#豊橋駅前発着路線も参照。
- 豊鉄バス
- 豊川線(90、93系統) : 西口側の「豊川駅前」バス停を発着。豊橋駅前と豊川駅前を結ぶ。一部の便は豊川市コミュニティバス一宮線に直通し、豊川駅前から東名豊川、一宮総合支所を経由して本宮の湯へ向かう。
- 新豊線(95系統) : 「豊川駅前」バス停を発着。豊橋駅前から豊川駅前や市内の豊川インターチェンジ(東名豊川)等を経由して新城市中心部方面を結ぶ。
- 豊川市コミュニティバス
- 豊鉄バス
隣の駅
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 飯田線
- テンプレート:Color快速(上りのみ運転)・テンプレート:Color普通
かつて存在した路線
- 日本国有鉄道
- 飯田線(西豊川支線)
- 豊川駅 - 西豊川駅
脚注
関連項目
参考文献
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- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite journal
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- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
外部リンク
テンプレート:飯田線西豊川支線- ↑ 中心市街地の概要(豊川市ウェブサイト)、2010年12月4日閲覧
- ↑ 2.0 2.1 2.2 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、6・7頁の配線図による。方角は配線図と実際の地図との対照から補記。
- ↑ 3.0 3.1 『タイムスリップ飯田線』、90頁
- ↑ 4.0 4.1 『JR・私鉄全線各駅停車』5、125頁
- ↑ 5.0 5.1 豊川駅構内図(JR東海ウェブサイト)、2010年12月4日閲覧
- ↑ 6.0 6.1 『東海旅客鉄道20年史』、266-267頁
- ↑ 『新編豊川市史』第三巻、843-846頁
- ↑ 『飯田線 1897〜1997』、27・28頁
- ↑ 9.0 9.1 『東海旅客鉄道20年史』、732・733頁
- ↑ 『停車場変遷大事典』2、98頁
- ↑ 「HiSE威風堂々」ほか
- ↑ 『豊川市史』第四巻、464-466頁
- ↑ 『新編豊川市史』第三巻
- ↑ 14.0 14.1 『名鉄の廃線を歩く』、110-111頁
- ↑ 15.0 15.1 15.2 『停車場変遷大事典』1、156頁
- ↑ 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 16.5 16.6 16.7 『停車場変遷大事典』2、98頁
- ↑ 『飯田線展』88頁および『新編豊川市史』第三巻843-846頁。日付は前者では15日、後者では1日。
- ↑ 18.0 18.1 『停車場変遷大事典』1、157頁
- ↑ 『飯田線百年ものがたり』、128頁
- ↑ 『飯田線展』88頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』(以下「県統計」と省略)昭和27年度刊、327頁
- ↑ 県統計28年度刊、311頁
- ↑ 県統計29年度刊、330頁
- ↑ 県統計30年度刊、306頁
- ↑ 県統計31年度刊、304頁
- ↑ 県統計32年度刊、320頁
- ↑ 県統計33年度刊、336頁
- ↑ 県統計34年度刊、380頁
- ↑ 県統計35年度刊、293頁
- ↑ 県統計36年度刊、261頁
- ↑ 県統計37年度刊、325頁
- ↑ 県統計38年度刊、297頁
- ↑ 県統計39年度刊、299頁
- ↑ 県統計40年度刊、263頁
- ↑ 県統計41年度刊、239頁
- ↑ 県統計42年度刊、263頁
- ↑ 県統計43年度刊、193頁
- ↑ 県統計44年度刊、197頁
- ↑ 県統計45年度刊、205頁
- ↑ 県統計46年度刊、229頁
- ↑ 県統計47年度刊、237頁
- ↑ 県統計48年度刊、217頁
- ↑ 県統計49年度刊、215頁
- ↑ 県統計50年度刊、221頁
- ↑ 県統計51年度刊、225頁
- ↑ 県統計52年度刊、217頁
- ↑ 県統計53年度刊、231頁
- ↑ 県統計54年度刊、233頁
- ↑ 県統計55年度刊、221頁
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- ↑ 県統計60年度刊、241頁
- ↑ 県統計61年度刊、235頁
- ↑ 県統計62年度刊、223頁
- ↑ 県統計63年度刊、223頁
- ↑ 県統計平成元年度刊、225頁
- ↑ 県統計2年度刊、223頁
- ↑ 県統計3年度刊、225頁
- ↑ 県統計4年度刊、229頁
- ↑ 県統計5年度刊、221頁
- ↑ 県統計6年度刊、221頁
- ↑ 県統計7年度刊、239頁
- ↑ 県統計8年度刊、241頁
- ↑ 県統計9年度刊、243頁
- ↑ 県統計10年度刊、241頁
- ↑ 県統計11年度刊、241頁
- ↑ 69.0 69.1 69.2 69.3 69.4 『豊川市の統計』平成14年版、74頁
- ↑ 県統計12年度刊、239頁
- ↑ 県統計13年度刊、240頁
- ↑ 72.0 72.1 72.2 72.3 72.4 72.5 『豊川市の統計』平成20年版、50頁
- ↑ 73.0 73.1 73.2 『豊川市の統計』平成23年版、52頁