見附市
テンプレート:Infobox 見附市(みつけし)は、新潟県中央部にある市である。新潟県内の市では面積が最も小さい。
目次
地理
新潟県の中央に位置し、市中心部に新潟県土の重心がある(後述)。東京都都心から約300km、新潟市中心部から約50kmのところにある。刈谷田川が市の中心を南北に分けるように流れ、さらに下流では長岡市(中之島地区)との境界線の役割を果たし(ただし、市境が河川改修前の旧河道のままとなっている箇所もある)、市の外で信濃川に合流している。また、川の北側に見附・今町と二つの市街地が発展している複眼都市である。
市の中心部にあった旧見附町は暴れ川として知られた刈谷田川の北岸に位置し、全町が水没するほどの水害にも幾度か襲われてきた。「見附」の名の由来も水に漬かる土地という意味に由来すると言われている。
冬は雪が降るため、積雪地域によく見られる雁木(がんぎ)やアーケードが整備されている。今町地区の商店街には雁木が、見附地区の商店街も以前は雁木であったが現在ではアーケードが整備されている。また、道路には幅広い地域で消雪パイプが設置され散水消雪を行うが、消雪パイプのない道路や駐車場では除雪車が出動し、歩道では除雪機によって雪がかき分けられる。
地形
市の東部は丘陵地帯、西部は平野部をなしている。市内には山といえるほど高い所はなく、最高でも海抜300mほどの所しかない。また、市の北部では田園地帯が形成され、市の面積の5割近くを田畑が占めている。
気候
年間の平均気温は約13°Cであり、降水量は2,000mmを超える。日本における気候区分では日本海式気候であり、春から夏にかけてフェーン現象により5月でも30°Cを超すことがある一方で、冬は曇天や雪が降ることが多いため、日照時間がとても短く最高気温が5°C以下の日がほとんどである。また、雪が降り以前は2m以上積もることもあったが、近年の平均積雪量は1m前後であり、2007年には最大で40cmほどしか積もらなかったことなど、1mを大きく下回ることもある。
隣接している自治体
見附市は県内の市の中で一番面積が小さく、また隣接していた市町村が合併してしまったため、現在では2つの自治体しか隣接していない。
歴史
江戸時代の初期ごろから、市域は村松藩と長岡藩と新発田藩に分かれて支配されるようになった。その後、1889年 の 市町村制の施行とともに現在の市域に南蒲原郡見附町、今町ほか6村と古志郡の3村が成立した。
今町という名前の由来は、江戸時代の1665年に新発田藩の新田開発によって今町新田という名称をつけたことによる。 北越戊辰戦争において1868年、今町は新政府軍と列藩同盟軍の戦場になり、今町全体が戦火に見舞われ、大きな損害を被る。その後、藩政が廃止され明治政府による1889年の市町村制の制定時に、上新田地区と合併して南蒲原郡今町になると復興し、周辺の農村部の生産した米の取引で再び繁栄する。だが、1942年から始まった戦時中の統制経済によって米取引は大きな制約を受けることになり衰退する。1956年の「昭和の大合併」で住民投票の結果、今町は見附市と合併することになり、見附市今町として今日に至る[1]。
戦前
戦後
- 1948年6月1日 : 新潟県立加茂農林高等学校定時制見附分校が開校。
- 1953年10月10日 : 古志郡北谷村を編入する。
- 1954年3月31日 : 南蒲原郡新潟村・葛巻村、古志郡上北谷村の一部を編入し南蒲原郡見附町が市制施行により見附市となる。
- 1955年11月1日 : 長岡市の一部である下新町、漆山町を編入する。
- 1956年9月30日 : 南蒲原郡今町を編入する。
- 1958年3月 : 中央公民館が完成する。
- 1958年12月 : 見附駅舎が完成する。
- 1961年3月 : 今町公民館が完成する。
- 1963年1月 : 38豪雪により、災害救助法を適用する。
- 1963年3月 : 新潟県立見附高等学校が開校される。
- 1963年8月 : 見附市消防署庁舎が完成する。
- 1964年6月 : 新潟地震により市内でも被災する。
- 1964年7月 : 集中豪雨により、刈谷田川が破堤し、災害救助法を適用する。
- 1967年8月 : 集中豪雨により、刈谷田川が破堤する。
- 1968年5月12日 : 新町で73棟が全半焼する火事が発生する(新町大火)。
- 1968年12月 : 市内初の消雪パイプが新町1丁目に敷設される。
- 1969年6月 : 観音山に観光道路が開通する。
- 1969年7月 : 第1回見附まつりが開催される。
- 1971年3月1日 : 椿沢町の一部を長岡市へ、長岡市桂町の一部を見附市へ境界変更する。
- 1971年4月 : 65歳以上の寝たきり老人医療費無料制度が開始される。
- 1971年6月 : 総合体育館が完成する。
- 1971年7月 : 市立図書館が開館する。
- 1971年8月 : 水道山公園が完成する。
- 1973年1月 : 70歳以上の老人医療費無料制度が開始される。
- 1973年4月 : 越後交通栃尾線の上見附駅 - 栃尾駅間が廃線となる。
- 1973年9月 : ブラジル・マイリンケ市と姉妹都市を提携する。
- 1975年3月 : 越後交通栃尾線が全線廃止となる。
- 1975年11月 : 国道8号見附バイパスが開通される。
- 1978年11月 : 見附警察署新庁舎が完成する。
- 1980年7月 : 市役所新庁舎が完成する。
- 1980年10月 : 中央公民館が市役所跡地に移転する。
- 1982年3月 : 消防署新庁舎が完成する。新潟県立加茂農林高等学校定時制見附分校が閉校。
- 1982年12月 : 新潟公民館が完成する。
- 1985年3月 : 上越新幹線が全線開通する。
- 1985年10月 : 関越自動車道が全線開通する。
- 1987年4月 : 大平森林公園で開園式典が挙行される。
- 1987年11月 : 市立図書館の新館が開館する。
- 1988年2月17日 : 田之尻町の一部を南蒲原郡栄町へ、栄町の一部を見附市へ境界変更する。
- 1991年12月 : ジュンコ・コシノ見附コレクションが開催される。
- 1992年7月 : 市立成人病センター病院がオープンする。
- 1994年3月2日 : 三林町の一部を栄町へ、栄町の一部を見附市へ境界変更する。
- 1996年9月11日 : 釈迦塚町の一部を栄町へ、栄町の一部を見附市へ境界変更する。
- 1997年4月 : 北谷公民館の新館が開館する。
- 1997年6月 : ポケットパーク「新潟の重心地」が完成する。コシノジュンコとまちづくりアドバイザー契約を結ぶ。
- 2000年3月18日 : 小栗山町の一部を栄町へ、栄町の一部を見附市へ境界変更する。
- 2000年10月 : 今町・中之島大凧合戦350周年を記念し、全国凧揚げ大会が開催される。
- 2001年5月 : 新潟県中部産業団地に企業進出第1号。
- 2001年11月 : 見附小学校が「全国花いっぱいコンクール」で内閣総理大臣賞を受賞する。
- 2003年11月 : 見附産品PRイベント「第1回見附のとっておき百選」を東京・新潟館「ネスパス」で開催する。
- 2004年3月20日 : 小栗山町の一部を栄町へ、栄町の一部を見附市へ境界変更する。
- 2004年7月13日 : 集中豪雨により市内を流れる刈谷田川が6ヶ所で決壊し、災害救助法を適用する。軽傷者は6名、家屋は半壊1棟、一部損壊2棟、床上浸水880棟、床下浸水1,153棟の被害を受ける。(平成16年7月新潟・福島豪雨)
- 2004年10月23日 : 中越地震が発生し、市内では震度5強を観測する。各地で道路が陥没し、電気・ガス・水道などのライフラインも寸断され、この年2度目の災害救助法を適用する。人的被害は死者1名、重傷者49名、軽傷者465名に上り、家屋被害は全壊52棟、大規模半壊18棟、半壊515棟、一部損壊9,332棟に上る。
- 2004年12月4日 : 椿沢町の一部を長岡市へ、長岡市の一部を見附市へ境界変更する。
- 2005年3月14日 : 耳取町、名木野町、漆山町の一部を長岡市へ、長岡市の一部を見附市へ境界変更する。
- 2005年7月2日 : 中越地震により2004年11月に予定されていた市制50周年記念式典が延期され、この日に行われた。
- 2007年7月16日 : 中越沖地震が発生し、市内では震度5弱を観測する。人的被害は軽傷者14人に上り、家屋被害は一部損壊531棟に上る。
2004年の新潟・福島豪雨の際には、長岡市中之島地域と対岸の見附市を結ぶ中之島大橋の下流約100メートルの地点など計6カ所で決壊し、多くの被害が出た。このため、県は湾曲している刈谷田川のカーブを緩くし、水害を減らすことを目的に総事業費100億円の計画を立て、河川の改修とともに橋が建て直され、2009年1月27日に開通した。橋の全長は114メートル、道員は16メートルとなっており、近くの河川敷で行われる大凧合戦から、愛称は凧大橋とつけられた[2]。また、河川改修でできた4.6ヘクタールの土地に、県が駐車場やヘリポートなどを備えた防災公園を整備し、その公園内に市が道の駅を建て、施設と公園の管理運営を単独で担うこととなっており、2013年の秋に開業される予定である[3]。
人口
テンプレート:人口統計
長岡と三条という、新潟県中越地方の二大都市の中間に位置する地理的条件から、主に両市へ人口が流出し1998年をピークに人口は減少に転じ、併せて高齢化が進行している。統計によれば2009年の見附市の高齢化率は25%を突破、市民の4人に1人が高齢者となり、2012年4月では26.4%にまで達している。[4]
一方で、見附市は両市のベッドタウンとしても機能しており核家族化も併せて進行、人口が減少に転じてからも世帯数は一貫して増え続けている。[5]
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 齋藤為次郎 | 1954年11月7日 | 1958年11月6日 |
2-3 | 目黒忠平 | 1958年11月7日 | 1966年11月6日 |
4-6 | 内山文雄 | 1966年11月7日 | 1978年11月6日 |
7 | 関利栄 | 1978年11月7日 | 1982年11月6日 |
8-10 | 内山文雄 | 1982年11月7日 | 1994年11月6日 |
11-12 | 大塩満雄 | 1994年11月7日 | 2002年11月6日 |
13-14 | 久住時男 | 2002年11月7日 | 現職 ※2010年10月に3選 |
行政機構
2005年度における市の職員数は286人であり、人口千人あたりの職員数は6.53人と県内の市では人口あたり最少の職員数となっており(消防公営企業を除く)、今後もこれを維持することを掲げている。[6]
財政
2007年度の当初予算額は328億円であり、前年度の当初予算額と比べて106.6%となっている。また、市債残高は2006年度末時点で288億円となり、2002年度より5年連続で280億円を下回っていないが、2006年度の市債依存度は8.1%で、2004年度のそれより4.1%減っている。[7]そのほか、自主財源比率は、2004年度が38.9%であったが、2006年度では47.8%と当初の目標を大きく上回っている。これは、景気回復に伴って市民税による税収が増えたためと考えられる。
2012年度の当初予算額は312億円であり、2007年度の当初予算額と比べて95.1%となっている。また、市債残高は2010年度末時点で277億円となり、2002年度より8年間続いていた280億円を下回ることとなった[8]。2012年度の市債依存度は7.1%で、2006年度のそれより1.0%減っている。そのほか、自主財源比率は、2012年度では41.6%と2006年度より6.2%減少している。[9]
2006年度の実質公債費比率が14.2%、2005年度決算の経常収支比率が84.1%であり、県内の他市と比べると上位に位置し良好な水準を維持している。 [6]
2011年度の実質公債費比率は11.2%まで減少しているが、同年度の経常収支比率は93.9%と増加している[10]
市町村合併
長岡地域8市町村で構成する任意合併協議会に参加していたが、2003年11月に実施した市民アンケートで合併に反対する意見が6割以上を占めたため、のちの法定合併協議会には参加せずに当面は合併しないものとした。
田んぼダム事業
2010年から貝喰川流域の農地や市街地の浸水を軽減することを目的に豪雨によって洪水となるおそれがあるときに田んぼに一時的に水を貯める田んぼダム事業に取り組んでおり、1,200haの水田によるダムを造成中である。田んぼダムの効果について県の協力を得て新潟大学が検証したところ、計画区域内で100%田んぼダムを実施した場合には、今町市街地においては床上浸水を99%、床上浸水を100%減少させることができるという結果が出た[11]。
経済
古くから繊維・ニットが盛んであるが、近年ではプラスチック製品、金属製品、一般機械器具製造業の製造品出荷額が増加し、製造業の主力となっている。これは、新潟県中部産業団地(見附テクノ・ガーデンシティ)が市の西部に位置し、補助金や助成金、固定資産税の一定期間の免除などの優遇措置を取り、製造業や運輸業、卸売・小売業などの誘致を行った結果、企業の進出に成功しているためである。
商業
ここ数年で小売業が市内に進出してきている。また、既存店舗もリニューアルオープンするなど近年は都市化が進んでいる。ただ、市内にゼネラルマーチャンダイズストアや百貨店はなく、そのような所へ行くときは、長岡市や三条市、新潟市まで行く場合が多い。
見附地区には新町・本町商店街があるが、シャッター通りではないものの、以前に比べれば集客力は落ちている。この商店街では、ここでしか手に入れることができない市の特産品や日用品などを販売する小売店があるほか、医院や銀行なども点在しているため、利便性には長けている。また、市内各地に県内を中心に展開するスーパーマーケットがあり、葛巻地区にはショッピングセンターがある。
今町地区は、交通量の多い国道8号が通っているため、それを活かした店舗が並んでいる。主に、娯楽施設やスーパーマーケット、ホームセンター、大規模なスーパーセンター、飲食店などがあり見附地区に比べ都市化が進んでいる。そのほか、日用品等の販売をしている今町商店街もある。
製造業
2006年12月31日における市内の従業者4人以上の製造業の状況は、事業所数169、従業者数4,802人、製造品出荷額等804億2,218万円であった。これを2005年のそれと比較すると、事業所数は9(5.1%)減少したが、従業者は101人(2.1%)の増加、そして、製造品出荷額等は12億9,485万円(1.6%)の増加となり、製造品出荷額は2002年を底に4年連続で増加している。これは、一般機械器具製造業やプラスチック製品製造業、金属製品製造業などが大きく出荷額を伸ばしているためである。また、製造品出荷額の業種と比率は以下のとおりである。[12]
- プラスチック製品172億円(21.4%)
- 一般機械器具138億円(17.1%)
- 金属製品128億円(15.9%)
- 衣服・その他の繊維製品88億円(10.9%)
- 繊維工業製品84億円(10.4%)
2010年12月31日における事業所数は139、従業者数4,460人、製造出荷額等800億6,691万円であった。上述の2006年から事業所数は30(17.8%)減少し、従業者数は342人(7.1%)の減少、そして、製造出荷額等は3億5,270万円(0.4%)の減少となっている。また、製造出荷額の業種と比率は以下のとおりである。[13]
- プラスチック製品176億円(22.0%)
- 生産用機械器具153億円(19.1%)
- 金属製品153億円(19.1%)
- 繊維工業品111億円(13.9%)
- 食料品99億円(12.3%)
また、見附結城、見附小倉、ニットなど繊維工業が伝統的な地場産業であり、近年製造品出荷額は減少しているものの、1990年にはデザイナーであるコシノジュンコと業務契約を結び、商品開発の指導を受け作成した商品がパリコレクション・東京コレクションに発表された。その1年後にはジュンコ・コシノ見附コレクションが開催されたほか、1993年からは秋にニットまつりが開催され、1998年からは毎年4月下旬と11月中旬の年2回ニットまつりが開催されるようになり、現在も年2回行われており、約4万着が出品されている。[14]市内の各地で幅広い品揃えの高品質な製品が販売され、市価の半値以下の商品もある。[15]日頃は生産地であり、主目的には販売は行っておらず、この時に買わなければ手に入れることができないものもあり、市内外から多くの人々が来場し、見附市の一大イベントとなっている。
農業
農家の総数は2010年現在で1,355戸となっており、そのうち販売農家が1,019戸であり、農業従事者数は3,298人となっている[16]。経営耕地面積は2,370.4haであり、そのうち田が2,240.0ha(94.4%)を占めている。また、畑の総耕地面積117.9ha(約5%)のうち、普通畑が95.3ha、樹園地が12.5haを占めている[17]。
2006年における農業産出額は49億1千万円で、そのうち米が27億2千万円、畜産の合計が18億5千万円、野菜が2億2千万円、果実が6千万円となっており、農業産出額の99%近くを占めている。また、販売農家の95.8%にあたる976戸が米を生産している。[18]
市内の主な企業
- 株式会社アルゴ-新潟県内に広く進出しているレンタルビデオ店「ビデオワン」を運営する会社。
- ユニオンツール
- 諸長商店
- 富源商事(新潟支店)
- プロデュース(見附工場)
- ユー・エス・エス
- サンアロー
- パルタック(新潟支店・RDC新潟)
- トッキ
- マルイ
- 三雄工芸
- セキノ興産
- BIGRENTAL
- I・ひよこ
- えびすや
- 大虎運輸
- 三共運輸
- 東日本液体物流
- 大信物流輸送
- 飛鳥運輸
- 大崎自動車
- 飛鳥フーズ
- アクティオ
- 商船三井ロジスティクス
- ジャパンソルト
- コイデエンジニアリング
- 立川養鶏
- 諏訪乳業[ ミルクヨーカン ]
- サンプラスト三笠
- 里味(和食チェーンレストラン)
姉妹都市・提携都市
地域
市内の地域区分
見附市内を地区に分ける場合、以下のように小学校の学区を単位として区分することが多い。これは昭和の大合併以前の各町村の範囲を基礎としている。
- 見附地区 - 見附小学校・見附第二小学校の学区。旧見附町の大半。
- 第二小学校の学区を庄川地区として別に扱うこともある。
- 今町地区 - 今町小学校の学区。旧今町(芝野は旧新潟村)。
- 新潟地区 - 新潟小学校の学区。旧新潟村の大半。
- 上北谷地区 - 上北谷小学校の学区。旧上北谷村。
- 北谷地区 - 名木野小学校・田井小学校の学区。旧北谷村(南本町は旧見附町、下新町は旧新組村)。
- 各学区を名木野地区、田井地区(または北谷北部、南部)として別々に扱うこともある。
- 南本町は見附地区に含めることもある。
- 葛巻地区 - 葛巻小学校の学区。旧葛巻村(漆山は旧新組村)。
ライフライン
- 市内の上下水道、および都市ガスの供給は見附市ガス上下水道局が行っている。同局は見附市内だけでなく長岡市のうち旧中之島町へも供給を行っている(一部地域では都市ガスが利用できない)[19]。
- 固定電話は全域が市外局番0258の長岡MAに属する。
- 電気は全域が東北電力から供給を受けており、電源周波数は50Hzである。
- 郵便番号の上3桁は全域で954である(長岡市中之島地区と共通)。
健康
見附市では2007年1月1日時点で65歳以上の老齢人口が10,000人を超え、高齢化率が24%以上となっており[20] 、以前から高齢化が進んでいるため、2002年より(株)つくばウェルネスリサーチと共同で、有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせたプログラムを開発し、寝たきり予防やメタボリックシンドローム対策の一環として健康運動教室を開くなど、見附市を日本一元気なまちにすることを掲げた「いきいき健康づくり事業」を推進し、市民とくに中高齢者の生活習慣の改善を積極的に行っている。このことは、平成19年版高齢社会白書においても取り上げられている。
このプログラムを導入した3年後には、健康運動教室参加者の医療費が年間一人当たり27.0万円となり、同年齢の平均より約10万円抑制たという結果が出ている。[21]
また、2007年4月よりメタボリックシンドローム対策のためメタボレンジャーとして市民の男性5人をモニターに、内臓脂肪を解消するために食生活や運動などの生活習慣を改善させ、半年に亘り経過を報告し、5人全員が成果を上げることができた。
1992年に見附市立成人病センター病院が開設され、その後、敷地内に介護老人福祉・保健施設や保健福祉センターを配置し、「医療の里」として地域における医療、保健、福祉のネットワーク化を図っている。また、各地に養護老人ホームや老人デイサービスセンターが配置されているほか、今後も施設を増やすなど福祉の充実に取り組んでいる。
生活
- ネーブルみつけ
2004年、市民交流の場としてネーブルみつけができる。ネーブルとは、へそを意味し見附市が新潟県の重心にあることから名づけられた。建物は撤退したスーパーを整備し直し、喫茶コーナーや健康づくりセンター、子育て支援センター、そして市内にある各店の特産品を販売しているみらい市場などがある。また、建物内にまちの駅がある。施設内ではさまざまなイベントが行われていることや施設自体は22時近くまで利用できること、また、敷地内の施設を有料で借りることができる(事前予約が必要)[22]ほか、コミュニティバスの停留所も近く、市民の憩いの場となっている。そのほか、災害時において、救援物資を一時的に預かったりボランティアの受付窓口が臨時開設されるなど市民活動の拠点として、さまざまな役割を果たしている。
- 子育て応援カード
市内に住所のある18歳未満の子を2人以上養育する保護者(2人目の子を妊娠している方も含む)を対象に、市内にある協賛企業の各店舗で、商品の割引、景品・ポイントの贈呈などのサービスを受けられる「子育て応援カード」を交付しており、2012年12月21日現在で116店舗が協賛し、2,033枚のカードが交付されている[23]。また、コミュニティバスや一部の保育園で行っている一時保育など市が行っている事業の一部でも利用料が安くなり、一時保育については半額まで割り引かれる。一方で、協賛店舗は、事業者の名称やサービスの内容をホームページと冊子を使い、対象者に知らせられるので宣伝効果があり、市と協賛事業と市民にそれぞれメリットがある。このカードについては、平日は市役所や保健福祉センター、各地の子育て支援センターで、土・日曜日はネーブルみつけ子育て支援センターで申請をすることができる。
教育
- 高等学校
- 中学校
- 見附市立見附中学校
- 見附市立南中学校
- 見附市立西中学校
- 見附市立今町中学校
- 小学校
- 見附小学校
- 見附第二小学校
- 名木野小学校
- 田井小学校
- 葛巻小学校
- 新潟小学校
- 上北谷小学校
- 今町小学校
- 特別支援学校
交通
鉄道路線
新幹線
市域は上越新幹線の沿線だが、市内に駅はない。長岡駅が最寄となる。
在来線
市域は東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の沿線となっており、市内には1つの駅がある。
過去
越後交通が運営する越後交通栃尾線があり、見附の市街地を経由していたが、1975年に廃線となっている。
現在、廃線跡地の一部は、コンクリートなどで舗装されサイクリングロードとして使われている。
見附市立見附南中学校の上北谷地域の児童の自転車通学に利用されている。
除雪されない為、雪がある場合は利用できない。
路線バス
越後交通グループ1社のみによって運営されている。地域によってはグループ会社の北越後観光バス(旧・越後柏崎観光バス)に委譲された路線がある。
見附市が、見附市街と今町をつなぐ事による市街地活性化や市民生活の利便性向上、排気ガスによる大気汚染の軽減を目的にコミュニティバスの導入を検討し、2003年と2004年に二度の実証実験を経て、2004年10月1日より本格的に運行を開始させた。北越後観光バス株式会社が、市の依頼により運営している。上見附車庫前 - 今町5丁目を運賃100円(小学生50円、未満は無料)[24]で1日5往復している。2006年の乗車人員は約48,000人であったが、2011年には85,000人を超え[25]、年々乗車人員は増加している。一日に本数が少ないこと、越後交通のバスとの接続が悪いことが問題点である。
2007年6月より、国土交通省のパークアンドライド実証運行の補助金を受け、みつけエクスプレスの運行が開始された。下りの上越新幹線が長岡駅に到着したのち、10分後に長岡駅を出発し見附市まで最短20分で営業運行されている。また、上りの上越新幹線の長岡駅到着にも合わせて約30分前に長岡駅に到着するように営業運行されている。このように、首都圏 - 見附間の移動時間がより短縮され、また、利便性も高くなっている。運賃は、距離に関係なく片道1回につき500円であり、回数券も販売されており、この回数券は長岡駅東口の越後交通案内所でも買うことができる。2007年11月からは、運行時間を拡大したほか、停留所を追加したため、新潟県中部産業団地と市役所、ふぁみりあ前、中央公民館前、上見附車庫前の5か所で乗降する事ができるようになった。これらの停留所(上見附車庫前を除く)では、パークアンドライドの実証運行であるため、それぞれ駐車場が整備されていたが、利用者数の低迷が続き、アンケートの結果2010年3月31日をもって休止となった。
4月から11月まで毎週日曜日(ほかに臨時運行もある)に、市が所有するマイクロバスにて市街地周辺の公園を巡る緑の回廊バスが無料で運行されている。
- 市民の森 - 図書館 - ネーブルみつけ - 見附駅 - みつけイングリッシュガーデン - 上新田南 - 今町子育て支援センター
市内において通勤や買い物などは今町など郊外に大型店などがあるため車で移動しないと大変である。
〔越後交通〕 ・ (急行)栃尾 - 見附 - 長岡駅線 ・ 上見附 - 浦瀬 - 長岡駅東口線(新町経由・中央病院経由) ・ 栃尾 - 上見附 - 中之島線 ・ 東三条駅 - 今町 - 長岡駅線 ・ みつけエクスプレス(上見附 - 長岡駅東口)
〔北越後観光バス〕 ・ 上見附 - 下塩線 ・ 上見附 - 刈谷田橋線(2009年3月31日限りで廃止) ・ 見附市コミュニティバス(上見附 - 今町5丁目)
道路
高速道路
- 市域に北陸自動車道が通っているがインターチェンジはない(ただし、近接する長岡市の旧中之島町に北陸自動車道中之島見附インターチェンジがある)。
一般国道
- 市内を走る一般国道
主要地方道
一般県道
- 新潟県道108号見附停車場線
- 新潟県道126号長岡見附線
- 新潟県道138号栃尾田井線
- 新潟県道165号見附分水線
- 新潟県道210号遅場見附線
- 新潟県道213号下田見附線
- 新潟県道242号七軒町見附線
- 新潟県道442号杉沢上樫出線
- 新潟県道498号長岡中之島見附線
道の駅
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
祭事で有名なものとしては、今町・中之島大凧合戦と見附まつりがある。
今町・中之島大凧合戦
大凧合戦は毎年6月の第一土曜日より3日間開催。刈谷田川の東岸の今町側と西岸の中之島側に分かれ、凧を揚げて綱を絡め、綱が切れた方の組が負けとなるもので、100枚もの美濃紙を張り合わせた長さ4mを超える六角凧200枚が、勢い猛に吹く風により、空高くまで掲げられ、大空を華麗に舞うありさまは多くの見物客を驚嘆させる。大凧合戦のはじまりは刈谷田川の堤防を踏み固めるために江戸時代の天明年間から始まったもので、350年もの歴史がある。
見附まつり
見附まつりは毎年7月後半に開催され、市民の夏の風物詩となっている。商店街を通行止めにし、見附民謡や見附音頭の大民謡流し、樽ばやし、山車、花火大会などが催される。なお、樽ばやしは、県内の祭りで唯一行われている催しであるため、見附まつりの名物となっている。また、多くの露店が道に並び、例年たくさんの人々で賑わっている。
花火大会のメーン打揚業者は新潟煙火工業(株)であり、2007年の花火大会では、2005年より長岡大花火大会において打ち上げられている7.13水害・中越地震・豪雪の3つの自然災害からの復興を願う復興祈願花火「フェニックス」が、ゆずの「栄光の架橋」に合わせて3分間以上に亘って打ち上げられ、多くの人々を魅了させた。また、「見附夏コレクション」と題した全国有名花火師によるデザイン花火も打ち上げられた。主な花火師は、秋田県で行われる「第80回全国花火競技大会(平成18年)」で、内閣総理大臣賞(最高賞)を受賞した紅屋青木煙火店(長野県)、準優勝の北日本花火工業(秋田県)、菊屋小幡花火店(群馬県)、太陽堂田村煙火店(長野県)、伊那火工堀内煙火店(長野県)などであり、優秀な成績を収めた花火師10人がデザインしたため、見附市でしか見られないものとなった。
見附夏コレクション 2008
製造業者 | 玉名 |
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出雲崎煙火工業(新潟県出雲崎町) | 昇り曲導付花風車 |
山﨑煙火製造所(茨城県つくば市) | 椰子八重芯引冠先銀点滅 |
篠原煙火店(長野県須坂市) | 夏はやっぱりひまわりの花 |
菊屋小幡花火店(群馬県榛名町) | 昇り曲付八重芯変化菊 |
太陽堂田村煙火店(長野県茅野市) | 昇り雄花ヤシ葉芯銀千輪菊 |
山内煙火店(山梨県笛吹市) | 昇り曲導付八重千華芯千華菊 |
管野煙火店(福島県川俣町) | 昇り曲付銀芯彩色千輪菊 |
伊那火工堀内煙火店(長野県上伊那郡) | 八重芯虹色瞬きの牡丹 |
北日本花火興業(秋田県大仙市) | 昇り曲導付芯入土星千輪 |
紅屋青木煙火店(長野県長野市) | 昇り曲付八重芯変化菊 |
見附夏コレクション 2009
製造業者 | 玉名 |
---|---|
出雲崎煙火工業(新潟県出雲崎町) | 昇り曲導付花風車 |
山﨑煙火製造所(茨城県つくば市) | 夢の観覧車 |
篠原煙火店(長野県須坂市) | 花時計 |
菊屋小幡花火店(群馬県榛名町) | 昇曲導付八重芯変化菊 |
太陽堂田村煙火店(長野県茅野市) | 昇り雄花付き花に群蝶 |
山内煙火店(山梨県笛吹市) | 冬の華 |
管野煙火店(福島県川俣町) | 昇り曲付紅椰子黄金点滅千輪菊 |
伊那火工堀内煙火店(長野県上伊那郡) | 朱鷺よ 見附の大空へ |
北日本花火興業(秋田県大仙市) | 昇り分砲付芯入土星千輪 |
紅屋青木煙火店(長野県長野市) | 昇り曲付万華鏡芯菊先点滅 |
新潟県の重心点
見附市葛巻二丁目5番20号に、「新潟県の重心点」の石柱モニュメントが設置されている(北緯37度31分19秒,東経138度54分50秒,標高21.500メートル)。この値は新潟県の形状を切り抜いた際の重心として、国土地理院の数値地図を利用して算出されたものである。また、近くのガスタンクには、「ここは新潟県のどまんなか」と書かれている。
ハンディー型GPS端末やGPS携帯で新潟県の重心点の石柱モニュメントの×印で測定すると同じ座標か近い座標が確認することができる。
2011年3月11日に発生した東日本大震災による地盤の移動でずれているため、厳密には現在このモニュメントのある場所は正確な重心点ではない。
車を駐車するスペースが少ないが(軽自動車2台分)ある。付近に車をとめることは可能である。 駐車スペースは写真の白い標識の左側
右側が石柱モニュメントである。
「新潟県のへそ」にちなみ、「へそラーメン」が名物であるが、これは、2002年に市内の飲食店が共同で企画したもので、市内の各店舗で食べることができる。市内の飲食店で「へそラーメン」を作っているのは9軒あるが、ラーメンにのっている具が店によって異なるため、ある店での味わいはそこの店でしか味わうことができないものとなっている。
観光スポット
- 大平森林公園
市の北東に位置し、江戸時代に農業用水の不足を補うため、大庄屋小林六左衛門が大平堤を完成させた。市内随一の貯水量を誇ったこの堤は、水不足に悩む農村に多くの恩恵を与え、その後、1987年から現在の大平森林公園となった[26]。約53haの園内には4.3haの大平堤があり、キャンプ場やバーベキュー施設、魚釣りなどアウトドア向けのスポットとなっており、ゴールデンウィークや夏休みなどは多くの人々で賑わう。また、全長17mのすべり台やトリム施設、10人乗りのEボート、遊歩道があり、子供から中高年者まで幅広い年齢層が利用している。そのほか、4月の開園イベントでは見附太鼓や焼肉食べ放題、ふれあい動物コーナーなどが開催される。なお、バーベキューについては利用日の1週間前までに予約をする必要があり、キャンプを団体で利用する場合やEボートを利用する場合にも要予約となる。また、公園内大平堤での釣りは水質等環境保全の為、1人1日200円(中学生以下無料)の協力金をお願いしている。[27]
遊歩道は堤を1周できるほか、中部北陸自然歩道が通っており、コナラやアカマツなどの木々の中を歩いて森林浴を満喫しつつ、春は山菜取り、秋はキノコ狩りといった季節の変化を楽しみながら自然とふれあう事ができる。
公園内にログハウスがあり、お菓子や飲み物を販売しているほか、市の特産品も扱っている。また、自動販売機コーナーも設置されている。ログハウスの営業期間は、4月から11月中旬頃までである。
- 観音山・水道山公園
市の東南に位置し、海抜60mほどの小高い山の上にあり、東方には守門岳・粟ヶ岳が、西方には市街地が眺望できる。春には道に沿ってソメイヨシノや八重桜が、梅雨時には4,000株ものアジサイが咲き誇り、訪れる人の心を和ませてくれる。2006年には、水道山の家がリニューアル・オープンし、日中はオープンスペースとなっており、休憩の場として利用することができるほか、テラスにはベンチが設置されており、守門岳や粟ヶ岳を望むことができる。
冷温帯林の代表的な樹種で亜高山帯に分布するブナと新潟県内では低地に分布するアカシデが混生しており、市の指定文化財となっている。
- 新田公園
市の中央部に位置し小高い山の上にあるため、市街地を眺望することができる。桜のほかに、ツツジの名所としても知られている。また、瓢箪のような形をした池や灯篭、庭石などがあることから日本庭園のような風景が見ることができる。そのため、秋には紅葉スポットとしても人気がある。
江戸時代は村松藩御勝手方御用達原山氏が所有していたが、その後、今町の素封家新田氏が所有し、新田周平が庭園を造成し、新田楽園と名付けられ、1931年に当時の見附町に寄付され、新田公園となった。
- 杉沢の森
市の東部に位置し、杉沢町にあることが名前の由来である。スギの改良品種を植栽していた新潟県見附林木育種園の跡地を里山の自然体験や環境学習ができる県民の森として新潟県が整備したものであり、2004年からイベント広場やクラフトや木工などに利用できる作業棟が整備され、その後、市に移管し2008年からは市が管理をしている。約20haの敷地には、イベント広場、作業棟があるほか、見晴らし東屋からは越後三山が一望できる。遊歩道は全長約3kmあり、その途中には水芭蕉が楽しめるビオトープもある。湿地帯には体長約2センチのハッチョウトンボも生息している。また、樹木の伐採など林業体験にも挑戦できる。
市の北部に位置する中部産業団地内に整備され、2007年6月1日より一部オープンし、徐々に開園面積を拡大していく予定である。ガーデン内を3つのエリアに分け、エリアごとに異なるテーマに合わせてデザインし、各エリアを結ぶことで、それぞれの機能をより活かしたものとし、全施設において高齢者や身体障害者にも利用しやすいバリアフリー設計となっているため、多くの人々が足を運べるように造られている。また、コミュニティバスやみつけエクスプレスの停留所ともなっているため気軽に足を運ぶことができる。
この規模のイングリッシュガーデンは、新潟県内では最大面積であり、県内ではここでしか見ることができないものもある。また、イングリッシュガーデンを日本に広めた第一人者である英国園芸研究家のケイ山田によってデザイン・監修されたが、それも県内ではここのガーデンしかない。
- 隣接地にイングリッシュガーデンホテル REANT が平成22年10月開業
- 市内 太田町の太田神社の山近くに地元の清水がある。名水に指定されていないが水は美味しい
夏場などは人は順番待ちになる。(地元の人が優先されている)
色々な所より車で水を汲みに訪れる人が多い。
歴史・文化
- 所在地は椿沢町。越後三十三観音札所巡礼地第16番札所。戦国時代に上杉謙信も当寺の千手観音を深く信仰し、祈願成就の返礼として寺領、仏画、陣銅羅等礼状を付けて寄進し、今も寺宝として保存され本尊と共に一代一回の開帳となっている。[28]
- 戊辰戦争において当時の椿沢村が全村焼き討ちに遭った中、焼かれずに残された数少ない建造物のひとつでもある。
- 小栗山不動院
- 所在地は小栗山町。越後三十三観音第17番礼所。七所山と呼ばれる裏山に経塚が営まれ、銅製仏像等が出土した(出土品は新潟県指定有形文化財)。[29]毎年8月10日、17日に上演される「獅子舞」は見附市指定無形民俗文化財となっている。
- 2010年までの所在地は名木野町。廃校となった北谷中学校(現在の南中学校の母体のひとつ)の校舎を利用し1980年6月に開館され、その後2010年4月に学校町に移転した。地域に住む人々が長い間営んできた仕事や暮らしの中で、生み出し積み重ねてきた知恵や工夫を紹介しており、基本テーマは、「はた・くらし・見附」に設定し、見附の古くからの地場産業である「はた」(織物)を中心に、米作りのために必要な農業生産用具、衣食住全般の様々な生活用具などの民俗資料や、市内の遺跡で発掘された考古資料を収集・展示するほか、市民向けに機織講座や陶芸入門教室も開催している。[30]
その他
- まちづくりの1つとして、「快適空間づくり事業」に取り組み、2005年に「ナチュラルガーデンクラブ」を立ち上げ、多くの人々が参加して市内の道路や公園等の公共用地に花苗の植栽や植樹を行っているほか、商店街にハンギングバスケットを使用するなど見附市の美化・緑化を積極的に推進している。そのため、市内の各地で花や緑を見ることができ、市役所前も花々が咲き誇っている。また、見附小学校が全国花いっぱいコンクールにおいて、厚生大臣賞や総務大臣奨励賞、2001年には内閣総理大臣賞を受賞しているほか、市内にある花*花ランドが、都市公園コンクールで国道交通都市・地域整備局長賞を受賞するなど「花のまち」として高い評価を得ている。
- 2006年より毎年12月から2月中旬までの間、市道十二ノ木線の市役所前通りと見附小学校前通りでそれぞれ500mと400mに亘って4万球の街路樹イルミネーションがまちなかをより煌びやかに彩り、光り輝くファンタジーな空間を演出している。12月に行われる点灯式では、カウントダウンのほか、飲食ブースの出店や音楽の生演奏、キャンドル装飾による演出がなされる[31]。イルミネーションの規模が徐々に拡大しており、2012年にはJR信越本線アンダーパスから本町商店街へ続く通りの全長2.7kmという県内一最長の区間で7万球のLED電球により街中が彩られている。また、市役所の前でもイルミネーションが点灯している。これらのイルミネーションの取り付け・取り外し作業は、市民のボランティアによって行われている。[32]
- 2009年10月31日に見附市内のお店31社が出店する見附市独自のインターネットショッピングモール「新潟ど真ん中市場 どまいち」が、オープン。
- 2010年5月より河川環境の整備と利活用により地域の活性化を図る「かわまちづくり事業」のひとつとして3頭のヤギを飼育し、刈谷田川河川敷の雑草を食べさせる取り組みが行われた。雑草を餌にすることで機械や農薬を使わずに除草を行うことができ、河川敷をきれいにできるというエコなものであったが、新潟・福島豪雨でヤギの小屋などが流されてしまったため、この実証実験は2012年5月をもって一旦終了となった。
出身有名人
- 大橋一蔵(北海道開拓者)
- 浅野薫(フリーアナウンサー)
- 太田柾樹(イラストレーター)
- 北村一男(元新潟県知事)
- 佐々木志津子(元新潟総合テレビアナウンサー、政治家)
- 高井正憲(テレビ朝日アナウンサー)
- 富所正一(シンガーソングライター)
- 松永二三男(日本テレビアナウンサー)
- 藤田亮策(考古学者)
- 星野暁(陶芸家)
- 矢沢宰(『光る砂漠』の詩人)
脚注
関連項目
外部リンク
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- ↑ [1]
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- ↑ 6.0 6.1 くすみときお政策方針2006
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- ↑ patmap都市情報
- ↑ 見附市田んぼダム事業
- ↑ 平成18年工業統計調査(速報値)
- ↑ とうけい2012
- ↑ ニットまつり
- ↑ 見附ニット秋まつり
- ↑ 2010年農林業センサス結果(販売農家)|付録|長岡市統計年鑑(平成23年版)
- ↑ 見附市農業委員会
- ↑ 市町村の姿グラフと統計でみる農林水産業
- ↑ 長岡市役所ホームページ - 水道をつかうとき・やめるとき
- ↑ とうけい2007-概況
- ↑ 健『幸』社会の実現に向けて
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- ↑ 見附市役所|子育て応援カードのご案内
- ↑ 見附市役所|見附市コミュニティバス
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- ↑ 越後三十三ヶ所観音霊場巡り第十六番礼所
- ↑ 越後三十三ヶ所観音霊場巡り第十七番礼所
- ↑ 見附市教育委員会
- ↑ 見附市街路樹イルミネーション
- ↑ 見附市役所|街路樹イルミネーション