石毛博史

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テンプレート:Infobox baseball player 石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手投手)。

2008年に協議離婚が成立し、現在独身テンプレート:要出典

経歴

巨人時代

銚子市立銚子高等学校からテンプレート:By社会人野球住友金属鹿島に内定していたが、ドラフト外読売ジャイアンツに入団。

の故障があったため、専らリリーフ投手として活躍。東京ドームで行われたテンプレート:Byジュニア日本選手権中日ドラゴンズ清水雅治にサヨナラ本塁打を浴びている。テンプレート:By宮田征典投手コーチに「故障で長いイニングは持たないが、連投の効く体質を見出され(本人談)」、藤田元司監督に抑え投手としての適性を見出される[1]

テンプレート:Byには最高速154km/hの荒れ球のストレート(故障で肘が曲がっていることによる)とフォークボールスライダーを武器に30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。テンプレート:Byにもリーグ最多の19セーブを挙げる(高津臣吾と同数。最優秀救援投手は8勝19セーブを挙げた高津)。

1993年から1994年にかけて、当時の監督であった長嶋茂雄は、セットアッパー橋本清と共に、勝ちパターンのリリーフコンビとしてこの二人を「勝利の方程式」と呼び、この言葉をマスコミの間に広めた。しかし、石毛自身は、1994年頃から橋本との関係で出番が一定しなくなり、自分の中で張りがなくなってきたと述べている。そして、与四球の増加などから登場時に相手チームのファンから歓声が上がるようになっていた[2]

1994年10月8日に中日ドラゴンズとの最終戦で優勝を決定した試合では(10.8決戦)、先発要員の斎藤雅樹桑田真澄をリリーフ登板させ、この二人でリードを保って逃げ切るという継投がとられた(この当時は、先発投手のリリーフ登板は珍しくなかった)。石毛は登板に備えてブルペンで準備をしたものの、出番はなかった[3]

テンプレート:Byには100セーブポイントを達成するが、救援失敗が目立つようになる。1996年にはシーズン途中からマリオ・ブリトーが新しいストッパーとして加入すると、リリーフとしての登板機会自体が減っていった。

救援投手のため、打席に立つ機会そのものが稀にもかかわらず、1996年には本塁打を打っている。

テンプレート:By近鉄バファローズ石井浩郎年俸調停を申請。裁定により同選手の受け入れ先が巨人となったため、トレード吉岡雄二と共に近鉄に移籍。

近鉄・阪神時代

近鉄1年目から先発転向となる。しかし、コントロールに苦しむ点は変わらず、1997年6月10日には先発で先頭打者から5者連続四球で1アウトも取れずに交代となる。

この時期、上記の巨人からのトレードのことや先発転向をひきずり続け、石毛自身は「今の自分は自分じゃない」と思い続けていたという。[4]

テンプレート:Byは25試合に登板しリーグ優勝に貢献するも、テンプレート:Byには2試合の登板に終わり、戦力外通告を受ける。

テンプレート:By阪神タイガースにテスト入団。中継ぎのキーマンとして活躍。同年チームが優勝したことで、所属全球団で優勝を経験する。球速こそ若干落ちてはいたものの、往年のスタイルを彷彿とさせる投球を見せ、日本シリーズでも登板を果たすなど復活劇を見せる。このように所属球団全てが優勝を経験しているため、マスコミから「石毛は優勝請負人である」と報じられたが、石毛はその報道に対し「自分は『優勝請負人』では畏れ多い、『優勝見届け人』ぐらいですよ」と話している。

テンプレート:By、昔故障した肘などの状態が悪化、看板としていた球威、キレが急速に衰えてしまう。本人は既に引退を決意していたところ、シーズン終了後に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退する。

大阪ゴールドビリケーンズ

引退後は柴田佳主也と共に大阪市内のスポーツ用品店に勤務していたが、テンプレート:By大阪ゴールドビリケーンズ投手コーチに就任。テンプレート:By7月には現役復帰。9月28日の香川オリーブガイナーズ戦で勝利投手となる。大阪ゴールドビリケーンズが同年限りで解散したため、現役復帰は約3ヶ月で終了した。

引退後

2011年7月22日、香川オリーブガイナーズ主催で中学3年生を対象とした「香川オリーブガイナーズベースボールアカデミー」の監督に就任することが発表された[5]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 巨人 23 0 0 0 0 0 1 1 -- .000 163 38.2 28 1 20 0 3 43 4 0 13 13 3.03 1.24
テンプレート:By2 52 0 0 0 0 5 3 16 -- .625 357 88.1 47 5 51 5 2 123 6 0 16 13 1.32 1.11
テンプレート:By2 48 0 0 0 0 6 5 30 -- .545 279 67.0 43 4 37 2 0 85 2 0 23 22 2.96 1.19
テンプレート:By2 45 0 0 0 0 5 4 19 -- .556 221 51.2 43 5 28 0 1 53 2 0 18 18 3.14 1.37
テンプレート:By2 38 0 0 0 0 4 3 11 -- .571 213 48.2 40 7 34 4 1 40 1 1 23 22 4.07 1.52
テンプレート:By2 23 0 0 0 0 4 1 3 -- .800 154 33.1 32 4 24 2 0 28 4 0 15 13 3.51 1.68
テンプレート:By2 近鉄 18 13 0 0 0 4 3 0 -- .571 303 68.1 61 6 49 0 0 41 3 0 36 32 4.21 1.61
テンプレート:By2 8 4 0 0 0 0 1 0 -- .000 97 18.2 24 1 19 0 0 9 2 0 16 15 7.23 2.30
テンプレート:By2 28 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 232 50.2 48 4 32 2 0 50 5 0 27 23 4.09 1.58
テンプレート:By2 46 0 0 0 0 2 4 1 -- .333 274 62.1 48 6 36 3 3 74 3 0 28 25 3.61 1.35
テンプレート:By2 25 0 0 0 0 3 1 2 -- .750 129 30.1 27 8 13 0 1 28 0 0 17 17 5.04 1.32
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 4 1 0 0 0 0 0 0 2 2 9.00 2.00
テンプレート:By2 阪神 17 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 75 19.1 9 4 9 0 0 19 2 0 8 7 3.26 0.93
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 1.0 4 0 0 0 0 1 0 0 4 0 0.00 4.00
通算:14年 375 18 0 0 0 34 29 83 -- .540 2514 580.1 458 56 352 18 11 594 34 1 246 222 3.44 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 93 (1989年 - 1990年)
  • 59 (1991年 - 1994年)
  • 24 (1995年 - 1996年)
  • 17 (1997年 - 2002年)
  • 48 (2003年 - 2005年、2009年 - 2010年、2012年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

参考資料


関連項目

外部リンク

テンプレート:セントラル・リーグ最多セーブ投手
  1. 矢崎『元・巨人』144頁
  2. 矢崎『元・巨人』149頁 - 152頁
  3. 鷲田2013年196頁 - 197頁、202頁、225頁
  4. 矢崎『元・巨人』166頁 - 168頁、258頁
  5. テンプレート:Cite web