登別温泉
登別温泉(のぼりべつおんせん)は、北海道登別市にある温泉。江戸時代から温泉の存在が知られており、明治時代に温泉宿が設けられてからは保養地・観光地となった。「にっぽんの温泉100選・総合ランキング」では毎年上位にランクインしている日本有数の温泉地になっている[1]。地名の語源は、アイヌ語のヌプル・ペツ(水色の濃い川)。温泉の成分が川に流れ込んだ様を表現した地名である。
目次
泉質
湧き出る湯量は豊富で1日1万トン。11種類の泉質を有するといわれているが、登別観光協会による泉質の案内は9種類である[2]。泉質は硫黄泉、重曹泉が中心である。
温泉街
登別駅の北北西に直線で約6km、クスリサンベツ川の谷に温泉街がある。北海道道2号洞爺湖登別線・北海道道350号倶多楽湖公園線で通じている。
地獄谷は登別温泉最大の源泉エリアで、直径約450mのエリアに15ほどの源泉の穴が密集している。11の泉質で、毎分3,000リットルほどが湧き出しており、「温泉のデパート」とも形容される。バスターミナル付近に共同浴場「夢元さぎり湯」がある。
温泉街の東にある四方嶺(クマ山)へはロープウェイが通じており、山上にのぼりべつクマ牧場がある。
西に直線で約1kmの距離に上登別温泉(新登別温泉)が、北西に直線で約4kmの距離にカルルス温泉がある。
自然
地獄谷
テンプレート:See also 日和山の噴火によって生じた爆裂火口の跡で、登別温泉の中心的な観光名所になっている。地表には小さな火口や噴気孔、湧出孔があり、ガスと高温の温泉が湧き出している。観光用の遊歩道も設けられており、奇怪な光景を1周10分から15分程で楽しめる。また、地獄谷から北に位置する大湯沼へと抜ける遊歩道も整備されている
登別原始林
1924年(大正13年)に国の「天然記念物」に指定された[3]。面積は約186haで、原始林内には約60種類の樹木や約110種類の草木が保存されている。遊歩道が整備されている。
大正地獄
大正時代に起こった小爆発で生じた湯沼であり、爆発した時代の年号が命名の由来となっている。間欠泉であり、湯量が減少するときに地鳴りとともに湯の色が変化するという特徴をもつ。
日和山
標高377mの活火山であり、一帯が気象庁の常時観測火山倶多楽の一部(登別火山)を形成している[4]。現在も山頂から湯気を上げている。また、高山植物の群生も見ることができる。
大湯沼
周囲1km、深さ22mの湯沼で、日和山の噴火によって生じた。湯の表面温度は約40~50℃であるが、深いところでは約130℃と非常に高温になっている。以前は、この湯沼から硫黄を採取していたが、現在は行われていない。
奥の湯
日和山の爆裂火口跡の一部であり、約80℃の灰色の硫化水素泉が湧き出している。成分自体は大湯沼と同じであるが、硫黄は底に蓄積せずに流出している。
大湯沼川天然足湯
大湯沼から流れ出した温泉が大湯沼川に流れ込み、天然の足湯を楽しむことができる。また、森林浴もできる。
歴史
大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。
江戸時代には最上徳内が『蝦夷草紙』で温泉の存在を以下のように記している。
ノボリベッという小川有り、この川上に温泉湧き出て、流れ来るため白粉と紺青をかきたてるが如し、一日も水底の見ゆることなし
「ノボリベッ」はアイヌ語のヌプル・ペツ(水色の濃い川)のことであり、「登別」の語源と言われている。
- 1845年(弘化2年)、松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。
- 1857年(安政4年)、近江商人の岡田半兵衛が道路を開削し、湯治止宿小屋を建てる。
- 1858年(安政5年)、滝本金蔵が移住する[5]。
- 1891年(明治24年)、滝本金蔵が登別温泉までの道路を整備し、越冬可能な施設も整えた[5]。
- 1905年(明治38年)、カルルス温泉とともに日露戦争傷病兵の保養地に指定される。
- 1911年(明治44年)頃、旅館数軒を中心に50戸ほどがまとまり、馬車が通じていた[6]。
- 1915年(大正4年)、登別温泉軌道の馬車鉄道が開通。
- 1918年(大正7年)、蒸気機関車の運転開始。
- 1925年(大正14年)、電化して路面電車の運転開始。
- 1927年(昭和2年)、登別温泉が「日本百景」に選定される[7]。
- 1933年(昭和8年)、路面電車休止。
- 1949年(昭和24年)、周辺地域が「支笏洞爺国立公園」に指定される[8]。
- 1954年(昭和29年)、昭和天皇ご訪問[9]。
- 1961年(昭和36年)、昭和天皇ご訪問[9]。
- 1964年(昭和39年)、「第1回登別地獄まつり」開催。
- 1966年(昭和41年)、登別温泉が「新日本旅行地100選」に選定される。
- 1972年(昭和47年)、「第1回湯まつり」開催。群馬県草津温泉と「姉妹温泉」を締結する[10]。
- 1993年(平成5年)、 「第30回登別地獄まつり」記念事業として「閻魔大王からくり山車」を製作。普段は閻魔堂の中で安置されており、定時でからくりを上演している。
- 2001年(平成13年)、「登別地獄谷の湯けむり」が環境省により「かおり風景100選」に選定される[11]。
- 2004年(平成16年)、「登別温泉地獄谷」が「北海道遺産」に選定される[12]。
- 2006年(平成18年)、「地獄の谷の鬼花火」開催。
- 2008年(平成20年)、開湯150年。温泉街に泉源公園が完成し、約3時間おきに噴き出す間欠泉がある。
- 2010年(平成22年)、「地獄谷」が「日本紅葉の名所100選」に選定される。
- 2011年(平成23年)、今上天皇ご訪問[9]。
イベント
- 元旦縁起もちつき
- 登別温泉湯まつり(2月)
- のぼりべつ桜まつり(5月)
- 鬼火の路 幻想と神秘の谷(5月 - 11月)
- 地獄の谷の鬼花火(6月 - 8月)
- お宿の浴衣で盆踊り(8月)
- 登別地獄まつり(8月)
- 泉源公園イルミネーション(12月 - 3月)
周辺施設・観光地
- 地獄谷
- のぼりべつクマ牧場
- 倶多楽湖 - 行政区域は白老町になる。
- 登別伊達時代村
- 登別マリンパークニクス
- 新登別大橋
- のぼりべつ文化交流館『カント・レラ』
- 上登別温泉(新登別温泉)
- 橘湖 - 国内唯一の個人が所有している湖。
- カルルス温泉(国民保養温泉地・名湯百選)
- カルルス温泉サンライバスキー場
- 登別カントリー倶楽部
- オロフレ峠
- JCHO登別病院(旧登別厚生年金病院)
- 三愛病院
登別温泉がロケ地(舞台)となった作品
- 歌
- テレビドラマ
- 『西部警察 PART-II』(1982年 - 1983年)
- 『さすらい刑事旅情編VI』(1993年 - 1994年)
- 『はるちゃん6』(2002年)[13]
- 『プラチナタウン』(2012年)[14]
- 『広域警察4』(2013年)[15]
- 小説
- レイモンド・ベンソン『赤い刺青の男』(2003年)
ほか
アクセス
- 車
- バス
- 鉄道
脚注・出典
関連項目
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