深草駅
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テンプレート:駅情報 深草駅(ふかくさえき)は、京都府京都市伏見区深草ケナサ町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。
龍谷大学深草学舎の最寄り駅であり、ホーム上の駅名標の横には「龍谷大学前 RYUKOKU UNIVERSITY」と書かれた案内標が掲げられている。
駅構造
島式2面4線のホームを持つ、待避設備を備えた橋上駅である。橋上駅舎はホームの出町柳寄りに設けられている。改札口は1ヶ所のみで、東西に出入口がある。この駅のホーム屋根の柱は「深草」に合わせて『深緑色』に塗られている。かつては深草車庫が併設されていたが、1980年(昭和55年)3月の淀車庫の完成により廃止された。西側の跡地は長らく放置されていたが近年になりマンションが建設された。また東側は車庫の廃止時点で留置線が2本残っていたがホーム幅を拡幅するために1線が撤去され、かろうじて留置線1線が残るのみである。現在バリアフリー設備はなく西口と改札階を結ぶスロープが有るだけだが、京都市が車椅子対応のエレベーターなどのバリアフリー設備の設置を計画[1]。現在の駅舎の南側に新駅舎を建設、併せてプラットホームの拡幅を行なうとしている[2]。
のりば
1・2 | テンプレート:Color京阪本線(上り) | 三条・出町柳方面 |
---|---|---|
3・4 | テンプレート:Color京阪本線(下り) | 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面 |
- 内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。
- いずれのホームも有効長は7両分しかないが、線路の有効長は8両分あるので8両編成の回送列車が当駅に停車することは可能。留置線は8両分。
特徴
- 待避設備があるため、発車メロディが導入されている。当駅を含む主要駅の発車メロディを順序良く繋ぐと、一つの曲として成立する。
- 駅構造の項で記したように、かつてこの駅に車庫が併設されていた。その名残からか、列車の行き先表示幕には、現在使われることのない「深草」幕が入っている。深草駅までの列車は1987年(昭和62年)まで存在していた。
- 2008年(平成20年)10月18日までは朝・夕ラッシュ時は大半の普通列車がK特急・特急・急行の待避を行っていた。特急・急行に2本まとめて抜かれる場合もあった。(2003年9月以前は、日中でも普通列車は一度に特急・急行まとめて抜かれていた)。
- 2008年10月19日改正以降は、当駅で待避する普通・準急列車は激減した。朝や夕方は、回送列車が当駅で特急・快速急行を待避することが多い(待避線自体の有効長は8両分あるので、8連の回送列車は待避可能)。なお、正月ダイヤでは例年、日中でも下り普通が下り特急を待避する。
駅舎建て替え
- 当駅の待避線(1番線・4番線)は8両編成の列車が待避可能であるが、ホーム有効長は7両分しかない。これは当駅のホームの幅が狭く、橋上駅舎への階段で1両分のホームの用地が犠牲になっており、またホーム南側も京都府道201号中山稲荷線(通称「第1軍道」)の古い跨線橋が跨っているため8両編成分のホームに延伸できないからである。このことから国土交通省の鉄道駅総合改善事業による補助を受けて2014年度着工・工期約3年の予定で現在の駅舎の南側にエレベーター4基を持つ新橋上駅舎建て替える事が決定、それに併せてホーム幅も2m拡幅され、橋上駅舎への階段が各ホームに2ヶ所づつ設けられる事が計画されているので、建て替え後8両編成に対応するようにホーム延長するスペースは確保される[2]。なお工事の事業主体は京阪グループの第三セクターである中之島高速鉄道となり、実際は京阪が受託する形で行われる[3]。ただし当駅以外にも京都市内の京阪本線の駅では、東福寺駅・伏見桃山駅も駅の前後が踏切に挟まれており、大規模な工事を行わない限りは、中書島駅以北の準急・普通のみ停車駅の8連対応は困難である。
- 駅舎の建て替えに合わせて駅北西側に変電所の新設工事が開始されている[4]。
利用状況
2009年11月10日の乗降人員は10,963人である[5]。近年の1日あたり利用客数の推移は下記の通り。
年度 | 乗降人員[6] | 乗車人員[7] |
---|---|---|
2007年 | 11,378 | 5,773 |
2008年 | 11,566 | 5,803 |
2009年 | 11,584 | 5,778 |
2010年 | 10,978 | 5,463 |
2011年 | 11,597 | 5,770 |
2012年 | 10,823 | 5,460 |
駅周辺
西側入り口前に自転車置き場と有料駐車場がある。 東側入り口前に飲食店が数件ある。
- 龍谷大学深草学舎、短期大学部
- 稲荷駅(西日本旅客鉄道奈良線):北北東に徒歩3分ほど。
- 京都市立砂川小学校
- 京都府警察学校
- 立命館中学校・高等学校
- 京都地方法務局伏見出張所
- 名神高速道路にある深草バスストップ(京都深草)は同じ深草を名乗る当駅から約1kmの距離にあるが、京阪本線におけるバスストップの最寄駅は隣の藤森駅(約500m、徒歩6分)である。
バスのりば
京阪深草駅には、バス路線は乗り入れていない。
- 最寄バス停:京都市バス龍谷大学前
- 龍谷大学前
- バス停は駅前ではなく、駅から徒歩5分の師団街道沿いにある。
歴史
創業時から車庫が併設された拠点駅で、戦争中の一時期、急行停車駅であった。
- 1910年(明治43年)
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
- 1944年(昭和19年)7月16日 - 急行停車駅となる[9]。
- 1946年(昭和21年)2月15日 - 急行運転が復活するも急行は通過駅になる[10]。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
- 1963年(昭和38年)11月16日 - 駅の移設工事に伴い隣接する車庫線の一部を廃止[11]。
- 1964年(昭和39年)3月15日 - 駅を現在の位置に移設、5月15日新駅舎使用開始[12][8]。
- 1971年(昭和46年)8月15日 - 橋上駅舎化[8]。
- 1980年(昭和55年)3月17日 - 隣接する深草車庫の廃止。
- 1987年(昭和62年)12月25日 - ホーム・階段が1メートル拡幅。拡幅用地確保の為に東側に残っていた留置線2本のうち1本を撤去[8][13]。
- 1988年(昭和63年)8月28日 - 自動改札機設置[14]。
- 2011年(平成23年)12月17日 - ホームに異常通報装置を設置[15]。
隣の駅
- 京阪電気鉄道
- テンプレート:Color京阪本線
- テンプレート:Color快速特急・テンプレート:Color特急・テンプレート:Color通勤快急・テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行
- 通過
- テンプレート:Color通勤準急(平日下りのみ運転)・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速特急・テンプレート:Color特急・テンプレート:Color通勤快急・テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 出典・京都新聞2011年12月17日朝刊1面の記事より
- ↑ 2.0 2.1 出典・京都新聞2013年12月15日朝刊26面の記事より
- ↑ テンプレート:PDFlink14・15P - 国土交通省鉄道局
- ↑ 京阪電気鉄道「第92回定時株主総会招集ご通知」6頁「4)設備投資の現状」より。
- ↑ 『京阪百年のあゆみ[資料編]』より
- ↑ テンプレート:Cite web暦年数値を日数で除したものであり、統計表は年1回実施される流動調査の実績を基礎として、京阪の提示する数値を基に京都市が作成している。
- ↑ テンプレート:Cite web年度数値を日数で除して算出。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 出典・京阪開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」(2011年3月24日刊)資料編142頁
- ↑ 京阪の社史『鉄路五十年』(1960年)の年表による
- ↑ 出典・鉄道ピクトリアル1984年1月増刊号「特集 京阪電気鉄道」103頁より
- ↑ 出典・「『関西の鉄道』別冊第1巻京阪電気鉄道 戦後分離独立後の歩み」44頁
- ↑ それまでは現在駅の出町柳寄りに駅があった。現在も跡が空き地として残る
- ↑ 出典・駅置きの広報誌「くらしの中の京阪」1988年2月号
- ↑ 出典・季刊広報誌『グラフ京阪』1988年秋季号10ページ
- ↑ 出典・『K PRESS2012年1月号』16面の「くらしのなかの京阪」