横河武蔵野FC
テンプレート:告知 テンプレート:サッカークラブ 横河武蔵野FCこと横河武蔵野フットボールクラブ(よこがわむさしのフットボールクラブ、Yokogawa Musashino Football Club)は、東京都武蔵野市を本拠地とする、日本フットボールリーグ(JFL)に参加しているクラブチーム。
歴史
1939年(昭和14年)、横河電機サッカー部として創部。現在のJFL加盟チームでは最も長い歴史を誇る。1978年(昭和53年)の関東サッカーリーグへ昇格後、二度にわたる東京都リーグへの降格を経験するが、1991年から本格的なチーム強化が始まり、1993年以降は、全国社会人サッカー選手権や関東リーグで優勝を重ねる力をつけ、1999年にはJFL昇格[1]を果たした。
2003年、武蔵野市のサッカー振興を目指したクラブチームとして「横河武蔵野フットボールクラブ」に名称を改称した。メイン本拠地は武蔵野陸上競技場だが、東京都内の他のスタジアムでも開催される。これは春季・夏季の一時期、芝生保護の観点でフィールド部分を開放しないことによる。2012年 - 2013年は武蔵野陸上競技場以外に、味の素スタジアム西競技場(調布市)、味の素フィールド西が丘(北区)、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(世田谷区)、江東区夢の島陸上競技場、江戸川区陸上競技場でホームゲームを開催する。なお、2008年は3月16日の開幕戦・アルテ高崎戦をJFL参加10周年記念試合として、JFLのチームとして(ジャパンフットボールリーグ時代含む)初めて国立霞ヶ丘陸上競技場で主催試合を行うことになった。
2006年12月、運営法人「特定非営利活動法人武蔵野スポーツクラブ」(東京都知事認証NPO)を設立。サッカーを中心軸に様々なスポーツ活動に取り組んでいく姿勢を打ち出す。なお、2007年から佐川急便東京SCが佐川急便SCとして滋賀県に移転・統合されたので、2008年シーズンまでと2012年はJFL加盟クラブとしては唯一東京都に本拠を置くクラブであった[2]。
選手全員がアマチュア選手としてプレーしている。そのため練習は夕方から夜にかけて行われている。横河電機の社員選手の他、大学に通いながら練習に参加する選手もいる。
JFLに昇格した当初は下位に低迷し、2000年には最下位も経験したが、2006年頃からセレクションで獲得した選手がレギュラーで活躍するようになり(特に関東大学リーグ所属だった選手を中心に獲得している。)、リーグ戦の成績は上向きになった。特に横河武蔵野は守備力が高いのが特徴でJFLでは上位に位置するようになった。
2009年前期に3位に入り、JFLの天皇杯シードである4位以内に入ったことにより2000-01年大会以来9年ぶり2回目の出場を果たした。年間通しても新人のFW関野達也がチーム得点王となる二桁の10得点を挙げる活躍もあり、リーグ年間順位も過去最高となる2位に躍進し、初めてJへの門番として存在を示すこととなった。
優勝の期待がかかった2010年は、前年のレギュラーだった太田康介や斎藤広野が揃って同じ東京をホームタウンとするFC町田ゼルビアへ移籍。2人の抜けた穴を埋めることができず、加えて決定力不足が顕著に表れてしまい、チーム得点数は前年の48点から34点(1試合平均得点が1点)に大きく落ち込んでしまい、順位も12位に大きく後退した。この年村山浩史、立花由貴が引退(後にエリースFC東京へ移籍)、チーム得点王の冨岡大吾もAC長野パルセイロへ移籍した。
2011年は小林陽介が5年ぶりに横河武蔵野に復帰するなど5人が加入したが、前年と同じく得点、失点がほぼ同じとなってしまい、15位で辛うじてJFL自動残留となった。
2012年は冨岡が2年ぶりに復帰するなど7人が横河武蔵野に加入した。その中で第92回天皇杯でFC東京に勝利してクラブ史上初めてJ1チームに勝利し、ベスト16入りを果たした。リーグ戦のほうも10位に躍進した。
2013年は10位のままで終了した。
年度別成績・歴代監督
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失 | 監督 | 天皇杯 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | 関東 | 3位 | 21 | 18 | 9 | 3 | 6 | 32 | 29 | +3 | 予選敗退 | |
1994 | 優勝 | 26 | 18 | 10 | 6 | 2 | 41 | 19 | +22 | 予選敗退 | ||
1995 | 2位 | 31 | 18 | 9 | 4 | 5 | 31 | 21 | +10 | 予選敗退 | ||
1996 | 4位 | 26 | 18 | 8 | 2 | 8 | 31 | 24 | +7 | 予選敗退 | ||
1997 | 優勝 | 46 | 18 | 14 | 4 | 0 | 37 | 8 | +29 | 予選敗退 | ||
1998 | 優勝 | 46 | 18 | 15 | 1 | 2 | 49 | 12 | +37 | 予選敗退 | ||
1999 | JFL | 8位 | 20 | 24 | 7 | 0 | 17 | 26 | 43 | -17 | テンプレート:Flagicon 森井申一 | 予選敗退 |
2000 | 12位 | 9 | 22 | 2 | 3 | 17 | 21 | 41 | -20 | 1回戦敗退 | ||
2001 | 7位 | 41 | 30 | 12 | 5 | 13 | 37 | 54 | -17 | テンプレート:Flagicon 山崎正晴 | 予選敗退 | |
2002 | 7位 | 28 | 17 | 8 | 4 | 5 | 21 | 26 | -5 | テンプレート:Flagicon 三富健大 | 予選敗退 | |
2003 | 13位 | 29 | 30 | 9 | 2 | 19 | 32 | 65 | -33 | テンプレート:Flagicon 古矢武士 | 予選敗退 | |
2004 | 13位 | 32 | 30 | 8 | 8 | 14 | 41 | 51 | -10 | 予選敗退 | ||
2005 | 9位 | 48 | 30 | 14 | 6 | 10 | 37 | 29 | +8 | 予選敗退 | ||
2006 | 6位 | 60 | 34 | 17 | 9 | 8 | 58 | 38 | +20 | 予選敗退 | ||
2007 | 7位 | 54 | 34 | 16 | 6 | 12 | 50 | 44 | +6 | テンプレート:Flagicon 依田博樹 | 予選敗退 | |
2008 | 7位 | 54 | 34 | 15 | 9 | 10 | 43 | 34 | +9 | 予選敗退 | ||
2009 | 2位 | 60 | 34 | 17 | 9 | 8 | 48 | 34 | +14 | 3回戦敗退 | ||
2010 | 12位 | 44 | 34 | 12 | 8 | 14 | 34 | 38 | -4 | 予選敗退 | ||
2011 | 15位 | 36 | 33 | 9 | 9 | 15 | 33 | 37 | -4 | 予選敗退 | ||
2012 | 10位 | 41 | 32 | 11 | 8 | 13 | 35 | 50 | -15 | 4回戦敗退 | ||
2013 | 10位 | 49 | 34 | 13 | 10 | 11 | 36 | 36 | 0 | テンプレート:Flagicon 吉田康弘 | 2回戦敗退 | |
2014 | 26 | 予選敗退 |
表彰
チーム
- 2002年 - 努力賞
- 2013年 - フェアプレー賞
個人
下部組織
ジュニアからユースまで各カテゴリのチームを運営しており、全国大会出場の実績も持つ
- 主な出身選手
- 李忠成 (ジュニアユース・現サウサンプトンFC)
- 宮崎智彦 (ジュニアユース・現ジュビロ磐田)
- 常盤聡 (ジュニアユース・現東京ヴェルディ)
- 高橋周大 (ジュニアユース・2007年-2008年にトップチーム所属。現エリースFC東京)
- 薬丸隼人 (ジュニアユース・現CEサバデルフベニールB)
- 伴京次朗 (ジュニアユース)
- 永島俊 (ジュニアユース・現府中アスレティック)
- 阿部拓馬 (ユース・現VfRアーレン)
- 楠美圭史 (ジュニア・現東京ヴェルディ)
ユニフォーム
ユニフォームスポンサー
・ 2013年
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 |
---|---|---|
胸 | 横河電機 | YOKOGAWA |
背中 | ナカノフドー建設 | ナカノフドー建設 |
袖 | 武蔵境自動車教習所 | 東京車人 |
パンツ | なし | - |
- サプライヤー アンブロ
脚注
- ↑ 前年の1998年に地域リーグ決勝戦に優勝しているが、この年はJリーグの完全1・2部制とJFL再編のため地域リーグ決勝戦上位チームに対する自動昇格処置はしなかった。但し横河についてはこれより前に社会人連盟推薦の形でJFL参加を決めている
- ↑ 2009年からは町田市に本拠地を置くFC町田ゼルビアが昇格(2012年J2入り)
関連項目
- Jへの門番
- 横河武蔵野アトラスターズ - 横河電機のラグビーチーム。
- 横河電機ワイルドブルー - 横河電機のバスケットボールチーム。
- 南北多摩合戦 - FC町田ゼルビアとのダービーマッチ