武蔵野陸上競技場
テンプレート:スタジアム情報ボックス 武蔵野陸上競技場(むさしのりくじょうきょうぎじょう)は、東京都武蔵野市にある陸上競技場。武蔵野市と財団法人武蔵野生涯学習振興事業団(2010年4月1日に武蔵野スポーツ振興事業団より改称[1])が運営。
目次
施設概要
戦時中、一帯が旧中島飛行機武蔵製作所だった時代から存在している[2]。1989年(平成元年)11月に武蔵野総合体育館の落成に伴い、体育館と併設した現在の姿に改装された。JFLの老舗チームの一つである横河武蔵野フットボールクラブが実業団チームの時代から長年本拠地として使用している。収容人員は約5000人。メインスタンドは屋根つきの座席で武蔵野市総合体育館のフロアと一体化している。それ以外は芝生席である。
日本陸上競技連盟第3種公認。400m×8レーンのトラックを有する。
主にグラウンドはサッカーや陸上競技の練習、大会などに使用される。なおグラウンドは雨に弱いため、水分を含むと滑りやすく危険である。また、芝生保護の関係上、夏季(7・8月)と春季(3・4月)はフィールド部分は開放しない。
なお、周辺に住宅・民家が多いことから、スタンドでの楽器、メガホンを叩く等の鳴り物を使用した応援は禁止されている。
一般開放について
開場時間・休場日
開場時間
- 9:00 - 17:00
- (※5 - 8月は19:00まで、9月は18:00まで)
休場日
スタンド部分のフロア構成
- 2階の屋根付きスタンド部分は総合体育館と一体化しており、競技場スタンドと体育館2階の間を行き来することができる。また、この部分は体育館4階下(3 - 2階)の吹き抜けとなっており、3階、中3階の窓から陸上競技場全景を眺望することができる。
- スタンド下の1階は、競技場の管理棟と倉庫がある。また、体育館との間に通路があり、体育館玄関ホールへの移動が可能。
周辺の体育施設
- 武蔵野総合体育館(隣接。陸上競技場と一体化した施設)
- 武蔵野温水プール(体育館に隣接)
- 武蔵野プール(屋外、7月 - 9月中旬のみ)
- 武蔵野軟式野球場
- 武蔵野庭球場(テニスコート)
- ストリートスポーツ広場(無料開放)
- 武蔵野中央公園スポーツ広場
主な使用例、開催されるイベント
- サッカー・JFL 横河武蔵野フットボールクラブ公式戦
- ラグビー・トップリーグ 横河武蔵野アトラスターズ公式戦(一部試合を除く)
- 武蔵野市内中学校・高等学校・大学の運動部活動
- 各種競技大会(サッカー、ラグビー、陸上競技など)
- 市民体育大会(毎年2月 - 4月)
- 市民体育祭(毎年9月下旬 - 2月)
- 市内駅伝競走、市民健康マラソン大会(毎年3月、陸上競技場 - 中央公園周回コース)
- 市民陸上記録会(毎年6月)
- 武蔵野市少年少女サッカー大会(毎年6月)
- 市民スポーツフェスティバル(毎年9月第4日曜日→2009年より毎年10月体育の日)
- 武蔵野ラグビーまつり(毎年12月上旬)
- 桜の花見(市民一般開放、毎年3 - 4月)
かつて行われた競技大会・イベント
1980年代以前(開場 - 改修・体育館建設前)
など
1990年代以降(改修・体育館落成後 - 現在)
- 武蔵野市民大運動会(毎年10月・体育の日、1990年 - 2007年)
- 1990年(平成2年)より18年間にわたり、毎年体育の日に武蔵野市民参加による市民大運動会を開催してきた。市内各小学校の地区から市民1000人以上が参加し、市内の12の小学校学区域に分かれ[3]、地区対抗の形式で開催。毎年、秋晴れの中で競技や応援合戦などが展開されてきた。なお、大会会長は一貫して武蔵野市長が務めた[4][5]。大会役員には、武蔵野市在住のシンガーソングライター、みなみらんぼうらが名を連ねていた。
- 主な競技には男子・女子によるリレー走や紅白玉入れ、障害物競走、綱引きなどがあり、また、午前の部と午後の部をつなぐ休憩時間はアトラクションが行われ、参加者らを楽しませていた。また、運動会当日は競技場駐車場に模擬店が出ていたほか、総合体育館内に子供向けの遊びコーナーも用意していた。
- しかしながら、出場希望者が少なく、運営に頭を悩ませていた地区もあり、経費の問題や少子高齢化、私生活の多様化などにより、その後の開催方法・開催の可否について武蔵野市議会などで議論されてきたが、2008年(平成20年)8月、武蔵野市は市民大運動会の開催終了を決定した。
- 運動会では雨天の場合、原則として中止(1993年(平成5年・第4回)あたりまでは、順延日が体育の日翌週の日曜日、体育の日が日曜日の場合は翌日の振替休日に設定されていたが、1994年(平成6年・第5回)以降、順延はなくなった)の形を取ってきた。体育の日10月10日時代( - 1999年)には1991年(平成3年)の第2回が雨天中止になっただけだったが、2000年(平成12年)にハッピーマンデー制度導入で体育の日が10月第2月曜日になって以降は、第11・16回が雨天中止となり、第12・14・18回の計3回は降雨により途中で打ち切られた。特に末期には開催が天候不順で危ぶまれることが多くなり、予定の全種目の消化が困難になってきていた。
- 市民大運動会の最終回となった2007年(平成19年・第18回)は10月8日に開催され、この年は武蔵野市市政60周年の記念大会だったが、天候不順により午前のみで終了、午後の部の競技が全て中止となった。雨による大会の途中打ち切りは2003年(平成15年10月13日、第14回)以来4年ぶりのことであり、市民大運動会の最終回は雨による途中打ち切りという形で18年の歴史に幕を下ろした。
- むさしのスポルト2008(2008年10月13日)
- 市民大運動会終了後の翌2008年10月13日(体育の日)、市民自由参加型のスポーツイベントとして開催。イベントは陸上競技場のほか総合体育館、温水プール、ストリートスポーツ広場等で行われ、プロトランポリン選手でシドニーオリンピックにも日本代表で出場した中田大輔らによるデモンストレーション演技とトランポリン体験教室、藤村女子中学校・高等学校新体操部のデモンストレーション演技などがあり、大勢の家族連れらを楽しませた。[6]
- 2009年(平成21年)より、前年まで9月第4日曜日に開催してきた武蔵野市民スポーツフェスティバルが体育の日に開催されるようになった。
その他
- 競技場で映画ロケ
- 1964年(昭和39年)に公開された映画『日本一のホラ吹き男』(植木等主演)において、武蔵野競技場でロケが行われた。映画で植木が演じた「初等(はじめ・ひとし)」が三段跳選手で東京オリンピックの候補という設定だった。
- ちなみに東京オリンピックの行われたこの年の10月、聖火が武蔵野市に1泊した事がある。
- 綱引き死亡事故
- 1996年(平成8年)10月10日に行われた「第7回武蔵野市民大運動会」の午後の部、綱引きの競技中、競技に出場した男性が心臓発作を起こして突然倒れ、救急車で病院に搬送されるハプニングが起こった。男性は搬送先の病院で急性心不全のため死亡。当時その男性は64歳で、綱引きの参加者の年齢制限である61歳をオーバーしていた[7]。
この事故を受け、市民大運動会では翌年の開催から数年間、綱引きを競技から除外されることになる。
脚注
ギャラリー
- MusashinoSports Stand.jpg
総合体育館側の屋根つきスタンド
- Musashino Sogotaiikukan.jpg
武蔵野総合体育館
関連項目
外部リンク
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
平和台陸上競技場
(福岡市)
|style="width:40%; text-align:center"|国民体育大会
主競技場
東京国体 (1949年)
|style="width:30%"|次代:
瑞穂陸上競技場
(名古屋市)
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- ↑ http://www.musashino.or.jp/f60000.asp
- ↑ 1951年(昭和26年)には同製作所の跡地、現陸上競技場からは武蔵野市役所を挟んだ西側約300mの所に武蔵野グリーンパーク野球場が開設され、国鉄が中央本線の支線(通称:武蔵野競技場線)で三鷹 - 武蔵野競技場前駅]間の旅客運行も行ったが、同球場は1956年(昭和31年)に閉鎖され、鉄道も1959年(昭和34年)に廃止された。球場・鉄道とも現存せず、現在はアパートなどの集合住宅が建設されている。
- ↑ 1995年(平成7年)までは13の学区域だった(桜野小学校は1996年(平成8年)に旧・境北小学校と旧・桜堤小学校が統合して開校した)。
- ↑ 第1回(1990年)~15回(2004年)は土屋正忠、17回(2006年)と18回(2007年)は邑上守正。
- ↑ 2005年(平成17年・第16回)は雨天中止となったが、運動会予定日の前日の10月9日が武蔵野市長選挙の投票日で、当選した邑上守正現市長は正式に就任していなかったため、この年も前市長で衆議院議員に当選して間もない土屋正忠が大会会長を務める予定だった(なお、土屋は2009年8月30日の衆院選にも立候補するも落選、失職した)。
- ↑ 市長の活動日誌 平成20年10月11日〜20日 - 武蔵野市ホームページ
- ↑ 参考文献:1996年10月11日付、朝日新聞「むさしの版」