AC長野パルセイロ
テンプレート:サッカークラブ テンプレート:Infobox AC長野パルセイロ(エーシーながのパルセイロ)は、日本の長野県北信地方(詳細後述)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサッカークラブである。 テンプレート:TOC limit
概要
1990年創設の長野エルザサッカークラブが前身。2007年より商標登録の関係から一般公募で選ばれた「AC長野パルセイロ」に名称を変更した。ACはAthletic Clubの略[1]、「パルセイロ」はポルトガル語で「パートナー」の意味であり、地域社会とクラブがパートナーとして共生する「地域密着協働型スポーツクラブ」を目指すことを意味している[1]。運営会社は株式会社長野パルセイロ・アスレチッククラブである[1]。
クラブカラーのオレンジは長野県旗の色であり、紺色と共に長野県国体選抜チームのユニフォームカラーでもある[2]。クラブエンブレムは旧称の「エルザ」に由来する雌ライオンに、長野のシンボルであるリンゴの花を対で組み合わせて「パートナー」の意味を表している[2]。ホームスタジアムは準加盟承認時は南長野運動公園総合球技場で登録していたが[3]、2014年シーズンは同球技場が改築中のため、暫定的に佐久総合運動公園陸上競技場で登録している(詳細は#スタジアムを参照)。練習場は千曲川リバーフロントスポーツガーデン、千曲市サッカー場である[1]。
ホームタウンは準加盟承認時は長野市1市であった[3]が、Jリーグに入会した2013年11月に長野地域・北信地域にある4市と埴科郡・上高井郡・下高井郡・上水内郡・下水内郡の10町村を加えた15市町村(長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村)に変更している[1]。なお、暫定ホームスタジアムの所在する佐久市はホームタウンに含まれていない。
歴史
1990年-2010年(長野県/北信越リーグ)
1990年、長野県北信地方の高校OBを中心に長野エルザサッカークラブとして発足し、同年の長野県北信リーグ、長野県地域リーグ決勝大会を優勝。長野県リーグ昇格入替戦も勝ちあがり、長野県リーグへ昇格した。
エルザは1996年に長野県リーグで優勝し、北信越フットボールリーグに昇格した。北信越リーグでは松本山雅FC、ツエーゲン金沢、JAPANサッカーカレッジ(JSC)らと争い、2002年に初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場している。2004年には全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)、天皇杯に初出場するが、いずれも初戦で敗れた。
2005年、支援組織としてAthle-naganoが発足した。2006年にはチームフロント内の「長期的視野に立ち、地元出身者を活かし、高いレベルの指導者により、選手を育成しながらJを目指したい」という考えから、イラン代表元監督のヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが監督に就任。要田勇一、貞富信宏の2人のプロ契約選手の獲得や、天然芝グラウンド(千曲川リバーフロントスポーツガーデン)への練習拠点の移転、クラブハウスの設置、更には選手が半日就労後に行う2部練習の体制等を発表するなど、ヴィエイラの方針に則った練習環境の整備が行われた。
2007年1月15日に運営組織を株式会社化。また商標登録の関係から新たなクラブ名を公募し、名称を長野エルザサッカークラブからAC長野パルセイロへ改称。2008年2月には長野市、千曲市、須坂市、中野市の4市や競技団体など30団体で構成するホームタウンながの推進協議会が発足した。
クラブは2008年の北信越リーグおよび第44回全社で優勝するが、第32回地決1次ラウンドで敗退した。翌2009年も北信越リーグではJAPANサッカーカレッジ (JSC) に次ぐ2位で、JFL昇格はならず。ヴィエイラはシーズン終了後に退任した。ヴィエイラの後任には、コーチから薩川了洋が昇格した。
2010年シーズンはJSCから移籍してきた諏訪雄大や宇野沢祐次の活躍もあり、北信越リーグを無敗(12勝2分)で制す。9月の鈴木政一(ジュビロ磐田元監督)の強化本部長就任を経て、続く第46回全社、第34回地決をともに準優勝し、同年12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された[4]。薩川は2012年まで監督を務め[5]、JFLで2年連続2位の成績を収めた。
2011年-2013年 (JFL)
JFL昇格初年度の2011年シーズン、リーグ最少失点(27失点)、13試合連続無敗(前期第16節 - 後期第9節(東日本大震災で順延となった8月17日の前期第4節と8月21日の前期第5節も含む))といった記録を残し、SAGAWA SHIGA FCに次ぐ2位の成績を収めた。
2012年2月にJリーグ準加盟の審査を受け[6][7]、同年7月23日の2度目の審査で準加盟が承認された[8][9]。なお、ホームスタジアムとして登録した南長野運動公園総合球技場がJリーグ規格に満たないため、J2ライセンスの申請を見送っており、J2・JFL入れ替え戦への出場は見送られた。2012年シーズンはV・ファーレン長崎に次ぐ2年連続の2位。第92回天皇杯2回戦では、J1・コンサドーレ札幌にPK戦で勝利(3回戦はJFLの横河武蔵野FCにPK戦で敗退)した。
2013年、徳島ヴォルティス元監督の美濃部直彦が監督に就任。開幕5連勝でリーグ戦をスタートし、一時3位に後退するも第9節から第32節まで24試合連続無敗(そのうち第26節から第32節まで7連勝)を記録。第26節終了時にカマタマーレ讃岐に代わって首位に浮上し、第32節ブラウブリッツ秋田戦に勝利して初のJFL優勝を決めた。同年11月19日には日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認され[1]、同時にホームタウンを長野市など15市町村に変更した。第93回天皇杯は、2回戦でJ1・名古屋グランパスエイトに勝利。3回戦でJ2・ギラヴァンツ北九州にPK戦で勝利し、ベスト16に進出。なお、4回戦はJ1・横浜F・マリノスに延長戦で敗れた。アマチュアチームで最高位の成績となったため、翌年の第94回天皇杯の予選免除権を獲得した。
2014年- (J3)
- 2014年
- チームスローガン:頂戦
- 藤田信、平島崇、堤隆裕、鯨岡佑太、保戸田春彦、木下正貴、小川裕史が退団した一方、甲府から元日本代表の伊東輝悦、栃木SCから勝又慶典、町田から向慎一を完全移籍で獲得した。
成績
タイトル
リーグ戦
- 日本フットボールリーグ:1回
- 北信越フットボールリーグ1部:4回
- 2002年、2005年、2008年、2010年
- 長野県フットボールリーグ1部:3回
- 1991年、1996年、2000年
カップ戦
- 長野県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会長野県予選):3回
- 2004年、2012年、2013年
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回
- 2008年(第44回)
個人
- 日本フットボールリーグ
スタジアム
準加盟承認時(2012年7月)は南長野運動公園総合球技場(以下「南長野」)をホームスタジアムとして登録したが、南長野が2013年8月よりJリーグ規格を満たすための改修工事を行うのに伴って、2013年1月に佐久市と佐久総合運動公園陸上競技場を準本拠地と位置付ける協定を締結した。また、2013年11月のJ3入会承認時は佐久総合運動公園陸上競技場を「2014年のみ」としてホームスタジアム登録を行った。過去のホームゲーム開催スタジアムは下表の通りである。
なお、南長野の改修に関する詳細は当項目を参照のこと。
年度別入場者数
- 略記について
- 「南長野」:南長野運動公園総合球技場、「佐久」:佐久総合運動公園陸上競技場、「長野」:長野運動公園総合運動場陸上競技場、「味フィ西」:味の素フィールド西が丘(東京)
- スタジアム欄の太字は、ホームスタジアムに登録されている競技場
- 入場者数の太字は、所属リーグ毎の歴代最多および最少
- 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
入場者数 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 相手 | 会場 | |||||||||
2011 | JFL | 36,494 | 3,849 | 松本 | 南長野 | 1,030 | ロック | 南長野 | 2,281 | 17 | 南長野17 | |||
2012 | 44,963 | 4,127 | YS横浜 | 1,803 | 長崎 | 2,811 | 16 | 南長野16 | ||||||
2013 | 39,768 | 3,213 | 讃岐 | 1,418 | MIO | 2,340 | 17 | 南長野11、佐久6 | ||||||
2014 | J3 | 18 | 佐久11、長野6、味フィ西1 |
下部組織
日本プロサッカーリーグに入会するトップチームの他に、日本女子サッカーリーグ・チャレンジリーグに参加する女子チーム・AC長野パルセイロレディース、アイスホッケーチームも運営、総合型地域スポーツクラブを目指している。
AC長野パルセイロジュニアユース
- 2005年に前身の長野エルザジュニアユースとして設立。2013年現在U-15長野県ユースサッカーリーグ・トップ1部に所属し、同年第22回長野県クラブユースサッカー選手権大会(U-15)で優勝した。
スクール・アカデミー
- U-10(小学校3・4年)、U-12(小学校5・6年)世代を対象にパルセイロサッカースクールを、U-6(年中・年長)、U-8(小学校1・2年)を世代を対象に信濃グランセローズと共同で設立したNico Sports Academy(ニコスポーツアカデミー)での指導を行なっている。また上記とは別に、長野市を中心とした北信、東信地域の幼稚園、保育所、小学校などでの指導も行なっている。
ユニフォーム
チームカラー
- テンプレート:Color box オレンジ、テンプレート:Color box 紺
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | 長野都市ガス | 長野都市ガス | 2010年- | 2008年-2009年は袖 |
背中 | ホクト | HOKTO | 2011年- | |
袖 | 炭平グループ | 炭平グループ | 2013年11月- | |
パンツ | 信濃毎日新聞 | 信濃毎日 | 2007年-2008年、 2010年- |
ユニフォームサプライと歴代ユニフォームスポンサー
年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
---|---|---|---|---|---|
2005 | - | 八幡屋 礒五郎 |
- | サニーヘルス | DELL'ERBA |
2006 | AOKIホール ディングス |
みすずコーポレーション | |||
2007 | - | 信濃毎日 | |||
2008 | 長野 都市ガス | ||||
2009 | MJマガジン | 八幡屋 礒五郎 |
長野平青学園 | ||
2010 | 長野 都市ガス |
鈴木 | 信濃毎日 | ||
2011 | ホクト | ||||
2012 | |||||
2013 | -/炭平グループ | DUELO | |||
2014 | 炭平グループ |
メディア
テレビ
- NHK長野放送局
- 『イブニング信州』 (マンデースポーツ、スポーツコーナー「スポしん」)
- テレビ信州
- 『スポーツジェネレーション』(毎週火曜 21:54 - 22:00)
- 信越放送
- 『オレンジ魂週刊パルセイロ』(毎週木曜 18:55 - 19:00)
- 長野放送
- 『アスリートG』(毎週水曜 22:54 - 23:00)
ラジオ
- FMぜんこうじ -「キリンビール・フォルサ!!パルセイロ!!」(毎週金曜 17:30 - 17:40)
新聞・雑誌
- 信濃毎日新聞 - がんばれ!信州サッカー
- 長野市民新聞 - 「Go Goal AC長野パルセイロ」(毎月第3火曜日掲載)
- Do!Sul - 「ORANGE ROAD AC長野パルセイロ通信」(長野市周辺地域のフリーマガジン。毎月第3木曜日発行)
インターネット
映画
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navboxes テンプレート:Navbox テンプレート:J3オリジナルメンバー
テンプレート:JFL優勝チーム- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「J3
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 2.0 2.1 テンプレート:PDFlink - AC長野パルセイロ公式サイト2012年10月24日
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite pressrelease
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