手賀沼
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手賀沼(てがぬま)は、千葉県北部、我孫子市、柏市、印西市、白井市にまたがる利根川水系の湖沼。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。
地理
手賀沼は、もともと「つ」の形をした大きな沼であったが、現在では干拓事業によって約8割の水域が消滅し、北と南に分離された形になっている。干拓された地域には水田が開かれ、2010年(平成22年)現在では大津川から沼周辺に農地が広がっている。南北の二つの水域は手賀川を介してつながっている。一般に、北の水域を手賀沼(上沼)、南の水域を下手賀沼(下沼)という。
沼の北から東にかけては我孫子市街地をはさんで利根川が流れ、小貝川の合流点も近い。また、JR常磐線と成田線が北側の沿岸近くを走っている。南には千葉ニュータウンもある。
流域面積は148.85km²、流域内の人口は約48万人。
利用
手賀沼の水は農業用水として利用されているが、このほかに内水面漁業も行われ、コイやフナ、モツゴなどが漁獲されている。2003年(平成15年)の漁獲量は218t。
また、県立自然公園(印旛手賀自然公園)にも指定されており、柏・北柏ふるさと公園、手賀沼公園、手賀沼親水広場(水の館)、鳥の博物館、山階鳥類研究所、手賀沼遊歩道、手賀沼ビオトープ、五本松公園、手賀沼フィッシングセンター、手賀の丘公園、蓮の群生地などの公園施設などがある。
毎年8月には大規模な花火大会が、10月にはマラソン大会が開催され、大いに賑わいを見せている。
歴史
およそ2万年前、海面が著しく低下していた際に形成された下総台地の侵食谷が、縄文海進時の地盤沈降により溺れ谷となり古鬼怒湾と呼ばれた海の一部であったが、その出口を河川の運搬物(土砂など)がせき止めて形成された沼である。中世末までは香取海の入り江で手下浦(てかのうら)と呼ばれていた。
江戸時代に入って、江戸の町を利根川の氾濫による水害から守るため行われた利根川東遷事業によって利根川の下流となり、周辺の村々は水害により大きな被害を受けるようになった。また当時人口が激増していた江戸の町の食料事情もあって、沿岸の地は町人請負新田として開発された。
1727年(享保12年)江戸幕府(八代将軍徳川吉宗)は勘定吟味役井沢弥惣兵衛為永の建議で沼全体の干拓を計画し、江戸町人高田茂右衛門友清に工事を着手させたが、その後工事計画を変更、沼を上・下に分け、中央に千間堤(浅間堤)を築き、下部のみを干拓した。これにより、約200町歩の新田が拓かれたが、上部沿岸の村々は排水不良となり、毎年のように洪水の被害を受けた。1738年(元文3年)千間堤は決壊し、新田は水没。その後、老中田沼意次や水野忠邦の時にも干拓の努力は続けられたが、洪水と老中失脚とにより成功しなかった。
当時の手賀沼はカモなどの水鳥やコイ、ウナギなどの魚介類に恵まれ、特に水鳥とウナギは江戸の人々に美味として珍重されていた。現在でも我孫子市内には江戸時代から続くウナギ屋や、コイやフナ料理の店が多い。
- ただし2003年の全国的なコイヘルペス感染で養殖コイの大量廃棄が行われて以来、現在(2008年)に至るまでコイの養殖は再開されておらず、コイ・フナ料理店でもコイ料理はメニューから消えたままとなっている。
水鳥猟は張切網によって行われ、手賀沼鳥猟組合が水鳥の減少によって解散する1942年(昭和17年)まで続いた。
大正時代、湖畔には志賀直哉や武者小路実篤らの別荘もあり、手賀沼は白樺派ゆかりの地であった。
干拓事業の2年前の1944年(昭和19年)11月22日に、我孫子中央国民学校の教諭・生徒をはじめとした、44名が手賀沼を渡船で横断中、大風に煽られて転覆し、18名の死者を出すという水難事故が発生した(手賀沼の悲劇)。市内には「手賀沼殉教教育者の碑」として、記念碑が建てられている[1]。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)農水省の直轄事業として大規模な干拓事業が着手され、1968年(昭和43年)に完成、約500ヘクタールの水田が造成され、沼の面積は著しく減少している。沼では競艇場建設、1964年東京オリンピックボート競技の誘致、手賀沼ディズニーランドの建設などの開発計画が持ち上がったが、いずれも失敗している[2]。
水質
手賀沼は1955年(昭和30年)頃まではうなぎなどの漁獲がある清澄な沼であったが、高度経済成長による周辺の都市化に伴い、手賀沼に注ぐ大堀川、大津川に生活排水や産業排水が流された結果、沼の水質汚濁は全国有数となった。
化学的酸素要求量 (COD) の年平均で見ると1974年(昭和49年)から2001年(平成13年)までの27年間連続で全国の湖沼でワースト1に甘んじていたが、各種の水質対策や、北千葉導水路の完成もあって、1990年代までのような猛烈な汚濁レベル(COD年平均20mg/l台)からは改善している。
しかし、2012年(平成24年)のCOD年平均は9.6mg/lで[3]、印旛沼に次いで全国2位、環境省の定める環境基準(手賀沼の場合、5mg/l以下)から見ても依然として高水準である。また、北千葉導水路によるとされる改善も、利根川からの導水によって水を希釈・押し流しているに過ぎないため、水質汚濁が根本的に解決されたわけではない。流入河川での対策では、例えば大堀川で礫間浄化施設による浄化などが行われている。また、底泥巻き上げ・溶出による内部負荷が大きいことも、水質浄化が足踏みしている原因の1つである。
2011年3月の福島第一原子力発電所事故の後,放射性物質の流入があり,2013年3月現在,底質には放射性泥土が残留しているので,千葉県はモニタリングを実施している。ただし,水が放射能を遮蔽するため,水面では弱く,人の日常生活には支障がない。[4] 2013年9月2日付け,千葉県は“手賀沼で釣りをする皆様へ”と題して,モツゴ,ギンブナ及びコイについては放流,食用にしない,他の河川への移動をさせないように警告している。[5]
COD値の動き
環境省の公共用水域水質測定結果[6]および千葉県環境生活部水質保全課のデータ[3]による、近年のCOD値を並べる。
調査年度 | COD(mg/L) | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|
1994年(平成6年) | 21 | ワースト1位 | |
1995年(平成7年) | 25 | 同上 | 1990年代のピーク値 |
1996年(平成8年) | 24 | 同上 | この年から下降 |
1997年(平成9年) | 23 | 同上 | |
1998年(平成10年) | 19 | 同上 | |
1999年(平成11年) | 18 | 同上 | |
2000年(平成12年) | 14 | 同上 | 北千葉導水路が完成 |
2001年(平成13年) | 11 | ワースト2位 | ワースト1位から脱出(代わって静岡県の佐鳴湖がワースト1位となる) |
2002年(平成14年) | 8.2 | ワースト9位 | ワースト5位圏内から外れる |
2003年(平成15年) | 8.4 | ワースト6位 | 年々下降していたが上昇に転じる |
2004年(平成16年) | 8.9 | ワースト4位 | ワースト5位圏内に復帰 |
2005年(平成17年) | 8.2 | ワースト6位 | 再び下降に転じワースト5位圏内から外れる |
2006年(平成18年) | 7.9 | ワースト11位 | ワースト10位圏内から外れる |
2007年(平成19年) | 8.4 | ワースト6位 | 再び上昇に転じワースト10位圏内に転落 |
2008年(平成20年) | 8.2 | ワースト8位 | |
2009年(平成21年) | 8.6 | ワースト5位 | 印旛沼と同順位 |
2010年(平成22年) | 8.9 | ワースト5位 | 印旛沼と同順位 |
2011年(平成23年) | 9.3 | ワースト2位 | 印旛沼は 11 mg/l で全国トップ |
2012年(平成24年) | 9.6 | ワースト2位 | 印旛沼は 11 mg/l で全国トップ |
- COD値は年平均値であり、3桁目は四捨五入している。
- 手賀沼は「湖沼B」に分類されるため、CODの環境基準値は5mg/L以下である。
- 1979年(昭和54年)には年平均28mg/Lを記録している。
橋
周辺のイベント
- 手賀沼花火大会 - 8月上旬。柏市と我孫子市の主催。1万3500発の花火が手賀沼湖上で打ち上げられ、手賀沼公園(我孫子市)、柏ふるさと公園などが主な会場となる。2007年(平成19年)度は40万5000人の動員となった。
2009年(平成21年)は、不景気のため協賛金が集まらないとの理由で中止となった。2010年(平成22年)はこれまでの企業からの協賛金に加え、市民から募金を募る形をとり、2年ぶりの開催となったが、現在のところ2010年を最後に行われていない。2011年(平成23年)は東日本大震災の影響、2012年(平成24年)は東葛地域における放射性物質対策に予算を専念させるため中止を決定している。
- 手賀沼トライアスロン - 8月下旬。県協会公認のトライアスロンで、沼南地区を会場に開かれる。毎年参加者が増えている。
- 手賀沼エコマラソン - 10月。毎年約8000人の参加者が集まる。
脚注
- ↑ 手賀沼殉教教育者の碑
- ↑ 我孫子市史編集委員会 近現代部会 編(2004):619 - 634ページ
- ↑ 3.0 3.1 千葉県環境生活部 印旛沼・手賀沼の水質浄化について CODが高い湖沼(ワースト5)
- ↑ 千葉県環境生活部水質保全課
- ↑ [1] 千葉県農林水産物漁業資源課
- ↑ 公共用水域の水質測定結果 - 環境省
参考文献
- 我孫子市史編集委員会 近現代部会 編『我孫子市史 近現代篇』我孫子市教育委員会、平成16年3月31日、779p.