島田俊雄
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島田 俊雄(しまだ としお、1877年(明治10年)6月18日 - 1947年(昭和22年)12月21日)は、日本の政治家。衆議院議員選挙に9回当選し、農林大臣・衆議院議長等を務めた。島根県江津市出身。
略歴
- 1900年(明治33年):東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、雑誌編集者となる。
- 1903年(明治36年):東京市吏員となる。
- 1905年(明治38年):中国雲南省法制学堂講師となる。
- 1907年(明治40年):帰国。
- 1911年(明治44年):退官して弁護士を開業。
- 1912年(明治45年):郷里の島根県郡部区から無所属で第11回衆議院議員総選挙に立候補し初当選[1]。
- 1913年(大正2年):立憲政友会に入党。政友会では院内総務、幹事長等を歴任。
- 1931年(昭和6年)12月13日:犬養内閣の法制局長官に就任。
- 1936年(昭和11年)3月9日:廣田内閣の農林大臣に就任。
- 1937年(昭和12年):鈴木喜三郎政友会総裁の辞任に伴い鳩山一郎、前田米蔵、中島知久平とともに政友会総裁代行委員に就任。2年後政友会が分裂した際には中島、前田らとともに革新派に属する。
- 1939年(昭和14年)1月5日:平沼内閣の顧問に就任。
- 1939年(昭和14年)8月30日:阿部内閣でも引き続き顧問を務める。
- 1940年(昭和15年)1月16日:米内内閣の農相に就任。
- 1944年(昭和19年)7月22日:小磯内閣の農商大臣に就任。
- 1945年(昭和20年):衆議院議長に就任。終戦後、日本進歩党の結成に参加。
- 1946年(昭和21年):公職追放。
エピソード
- 政界入りする前、地方自治の現場にいて地方自治の研究をした数少ない人物だった。
- 雄弁家としても知られた。
脚注
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