岸田繁

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テンプレート:Infobox Musician 岸田 繁(きしだ しげる、1976年4月27日 - )は日本ミュージシャンロックバンドくるりボーカリストギタリストで同バンドのフロントマンである。

来歴

1976年京都府京都市北区に生まれる。父親がクラシック好きであったため、幼少の頃からクラシックなどに親しんでいた。小学校時代は走るのは速かったが、球技などが苦手で目立たない子供だったと語っている。身長が低いことにもコンプレックスをもっていたとのこと。音楽面では京都市交響楽団の公演を父親とともに見に行くこともあったという。小学校6年生のとき、通っていた学習塾でいじめに遭いそれがきっかけで私立中学の受験を決意する。地元では、女の子には好かれていたという。

立命館中学校時代からロックなどにも興味を持ち始める。また、オフコースなども愛聴していた。中学時代のころはバンドブーム隆盛時であったが岸田は嫌悪していたとのこと。ほどなくしてガットギターの練習を始めていった。レッド・ツェッペリンなどをコピーしながらギターを修得していったという。高校1年生の時に佐藤征史と出会い、2年生の頃から同級生とバンドを組んでいった。

1995年立命館大学産業社会学部に入学。同時に大学の音楽サークルである「ロックコミューン」に入る。そこで佐藤とくるりの前身となるバンドを組む。また、サークルで森信行大村達身と出会った。紆余曲折を経て佐藤、森とともにバンド活動を開始する。1996年9月、アマチュアバンドコンテストに出演するためバンド名を「くるり」と命名し正式に結成。見事優勝し、活動を本格化させる。

1997年7月、第1回フジロックフェスティバルを観覧。台風が直撃し色々とひどい目にあったという。会場内で出会ったシュガーフィールズ原朋信の自宅でレコーディングを行うことになったので、一度京都に戻りすぐに東京に向かった。レコーディング時に原からアンアーバーの曲を聴かされ、感銘を受けて後の代表曲である『東京』を作り上げる。11月にBad News Recordsよりインディーズ1stミニアルバム『もしもし』、2ndミニアルバム『ファンデリア』をリリースした後、1998年10月にSPEEDSTAR RECORDSより『東京』をリリースしメジャーデビューした。1999年4月、メジャー1stアルバムである『さよならストレンジャー』をリリース。以後、くるりのボーカル、ギター担当として現在も活動している。

2004年から京都大学の学生である川本真太郎とともに京都系バンドを中心としたミュージック・フェスティバル、「みやこ音楽祭」を開催。毎年くるりとして出演している以外に、2005年には堀江博久とともに「Theかまどうま/エレクトリック・カマドウマ」名義でも出演している。

2011年公開の映画『まほろ駅前多田便利軒』で音楽を担当し、同映画のサウンドトラックで初めてソロ名義の作品を発表した(主題歌「キャメル」と「まほろ駅前多田便利軒」はくるり名義)。

作品

プレイスタイル

  • 岸田のプレイスタイルはロー・コードのバッキングを多用するというものである。よって、速弾き等はあまりする事はない。他のギタリストと違い、少々動きが激しい為、演奏中に眼鏡が落ちる事がしばしばある。
  • 主に使用しているギターはストラトキャスターギブソン・SGリッケンバッカー・360など。カポタストを使用する際はリッケンバッカーグレッチ、半音下げや一音下げの場合はテレキャスターと使い分けている。アコースティックギターはギブソン社製のものを使用。初期の頃はレスポールも使用していた。ストラトキャスターは佐藤の父から借りたものを大学時代から長年使用している。[1]
  • 使用しているアンプはハイワットマッチレスヴォックス(2008年現在)。
  • レコーディングではエフェクターを用いるが「ノイズを出すため」という理由がほとんどで、基本的にはアンプとギターだけで音作りをしている。そのため上記のギター以外にも12弦ギターやバンジョーなどを含め多数所持している。
  • 過去にはライブやレコーディング時に打ち込み系の曲でPro ToolsCDJの前に立つ事もあった。

人物

出演

映画

脚注

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外部リンク


テンプレート:くるり

テンプレート:SINGER SONGER
  1. バンドスコア「ベスト オブ くるり」
  2. MUSICAMUSICA>、FACT、2010年1月号、p.57