山本一義

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テンプレート:Infobox baseball player 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手外野手)・プロ野球監督野球評論家

来歴・人物

父親は中国新聞社元人事部長[1][2]広島市天満町(現・西区天満町)生まれ[3][4]原爆投下時は、広島市郊外の三入(現・安佐北区)へ疎開していた。小学校5年の時、皆実町(現・南区)に引っ越す[5]。広島市立三入小学校→広島市立皆実小学校→広島市立翠町中学校→広島商業高等学校法政大学卒業[1][3][4]

広島商業時代から超高校級スラッガーとして鳴らした[1][4][6]。3年夏の県予選では13打席で10回敬遠されたという逸話も残る[7][8][9]1956年には同期の上土井勝利投手(広島)を擁し、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では1回戦で県岐阜商の清沢忠彦投手(慶大住友金属)に抑えられ惜敗。夏の選手権でも2回戦(初戦)で済々黌に敗れる。

進学した法政大学でも1年生からレギュラー。東京六大学リーグでは4年時の1960年春季リーグで、四番打者、主将として活躍。同期の山崎正之投手の好投もあり、法大に12年ぶり7度目のリーグ優勝をもたらした。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で同志社大を破り初優勝を飾る。法政大学野球部が優勝争いの常連となるのはこの年から。リーグ史上初めて4年間8シーズン全試合フル出場を記録している。ベストナイン選出2回。山崎以外の大学同期に鈴木孝雄捕手がいた。山本浩二は東京六大学の中継を見て同姓同郷の山本一義に憧れて法政に進学したという[10]

プロへは大先輩で、高校時代から目をかけてもらった鶴岡一人監督の南海ホークスに入るつもりだったが、それを父に話すと酷く落胆、また当時の通産大臣でカープ後援会の名誉会長だった池田勇人から説得され1961年、地元広島カープに入団した[6][1]。プロでも1年目からレギュラーを獲得し巧打の4番打者として活躍[4]。タイトル獲得は無かったが、打率ベストテンには5回、3割2回マーク。低迷期のチームにあって地元出身の生え抜きのスター選手として大きな役割を果たし、チームの主将を務め、1975年の初優勝を見届けて現役引退[11][12]

引退後、1976年1979年広島一軍打撃コーチ。古葉竹識監督とともに高橋慶彦を球界屈指のスイッチヒッターに育成、球界の先駆となった。大野豊のプロ野球入りは、出雲で開催された山本と池谷公二郎のカープ野球教室が切っ掛け[13]1980年1981年、監督の西本幸雄に誘われ近鉄バファローズ打撃コーチを務め、1982年1983年ロッテオリオンズ重光武雄オーナーが旧知の鶴岡一人に次期監督を相談、大学の先輩である鶴岡の推薦により監督に就任[14]。1982年落合博満三冠王獲得に尽力した。1983年は球団史上初の最下位となったが、シーズン後半は、高沢秀昭やスイッチヒッターに転向させた西村徳文ら、若手を我慢して起用して育てた[15][16][17]1984年1985年は推薦した鶴岡の計らいで南海ホークス一軍打撃コーチに就任し山本和範[18]吉田博之らを育てた[11]。生一本の性格で現役時代から村山実とウマが合い、村山が阪神監督に復帰した1988年、山本に入閣を打診したが、山本が病気の父親の付き添いで病院に寝泊まりして連絡が取れず、時間切れで実現しなかったという[19]

その後は関西テレビプロ野球ニュース)、中国放送野球解説者を経て、1994年から1998年まで広島のチーフ兼打撃コーチ(ヘッド格)を務めた。金本知憲木村拓也の育成も有名だが[14]、キャンプで打球が前に飛ばなかったルイス・ロペスセ・リーグ史上ただ一人、来日1年目から2年連続3割100打点(打点王)を獲らせるなど多くの強打者を育成した。金本は「三村さんと山本一義さんは野球界の恩人」と著書に記している[20]広岡達朗による、東北楽天ゴールデンイーグルスの再建案でも打撃コーチに推されていた。野村克也監督の就任でご破算になったが、高い打撃理論と熱血指導で知られる。

現在は、プロ野球マスターズリーグに所属しながら、母校法政大学の臨時コーチ、全日本少年硬式野球連盟大会会長などで後進の指導にあたる他、日刊スポーツ評論家を務めている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 広島 89 223 194 19 40 8 1 2 56 21 1 1 0 1 25 1 3 30 3 .206 .306 .289 .595
テンプレート:By2 81 200 180 10 35 9 1 2 52 12 0 0 0 1 18 0 1 29 4 .194 .271 .289 .560
テンプレート:By2 120 418 371 50 94 18 1 12 150 47 0 4 3 4 38 0 2 30 11 .253 .326 .404 .730
テンプレート:By2 111 464 396 51 115 24 2 11 176 44 1 2 0 4 60 4 4 33 3 .290 .389 .444 .834
テンプレート:By2 129 506 438 47 112 25 0 15 182 59 4 3 0 4 63 0 1 36 6 .256 .351 .416 .766
テンプレート:By2 123 497 424 55 127 25 2 15 201 70 2 2 0 4 61 8 8 23 5 .300 .398 .474 .872
テンプレート:By2 119 481 421 47 131 20 1 16 201 58 3 5 0 5 50 7 5 39 14 .311 .391 .477 .868
テンプレート:By2 124 501 426 56 109 23 2 17 187 62 2 4 0 6 64 10 5 56 11 .256 .360 .439 .799
テンプレート:By2 115 459 402 51 118 13 1 21 196 66 4 4 0 1 51 4 5 58 7 .294 .380 .488 .867
テンプレート:By2 113 404 346 37 94 18 0 12 148 42 2 6 0 7 47 5 4 49 6 .272 .365 .428 .793
テンプレート:By2 98 342 288 44 72 16 0 13 127 41 0 3 0 5 42 2 7 32 14 .250 .359 .441 .800
テンプレート:By2 120 417 365 55 103 22 0 17 176 68 0 3 0 2 46 4 4 41 15 .282 .369 .482 .851
テンプレート:By2 91 258 229 19 63 6 1 9 98 26 1 2 1 2 24 6 2 18 9 .275 .349 .428 .777
テンプレート:By2 90 268 237 22 68 11 1 7 102 21 2 0 0 2 27 3 2 33 6 .287 .365 .430 .795
テンプレート:By2 71 144 129 6 27 6 1 2 41 18 0 0 0 2 13 2 0 12 5 .209 .282 .318 .600
通算:15年 1594 5582 4846 569 1308 244 14 171 2093 655 22 39 4 50 629 56 53 519 119 .270 .360 .432 .792
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
テンプレート:By ロッテ 5位 130 54 69 7 .439 6位・4位 123 .263 4.24 44歳
テンプレート:By 6位 130 43 76 11 .361 39.5 128 .264 5.12 45歳
通算:2年 260 97 145 18 .400 Bクラス2回
  • ※1 1973年から1982年までは前後期制のため、ゲーム差欄の順位は前期、後期の順に表示
  • ※2 1982年から1996年までは130試合制

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:1969年6月3日、対大洋ホエールズ11回戦(広島市民球場)、2回裏に山下律夫から右越先制ソロ ※史上51人目
  • 1000試合出場:1969年10月2日、対アトムズ24回戦(広島市民球場)、4番・右翼手で先発出場 ※史上143人目
  • 1000本安打:1971年5月20日、対中日ドラゴンズ6回戦(広島市民球場)、3回裏に田辺修から右前安打 ※史上76人目
  • 150本塁打:1972年8月8日、対サンケイアトムズ14回戦(明治神宮野球場)、9回表に石岡康三から右越2ラン ※史上33人目
  • 1500試合出場:1974年8月13日、対阪神タイガース19回戦(広島市民球場)、1番・左翼手で先発出場 ※史上47人目

背番号

  • 7 (1961年 - 1975年)
  • 73 (1976年 - 1979年)
  • 76 (1982年 - 1983年)
  • 77 (1980年 - 1981年、1984年 - 1985年、1994年 - 1998年)

関連情報

出演番組

参考文献

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:千葉ロッテマリーンズ歴代監督

テンプレート:セントラル・リーグ ベストナイン (外野手)
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  17. 日刊スポーツ2010年11月4日2面
  18. 永谷脩『タフに生きる』世界文化社、1991年、p190-199
  19. 日刊スポーツ2007年10月9日7面
  20. 金本知憲著、人生賭けて: ~苦しみの後には必ず成長があった~ 小学館、2012年、P122