宝達志水町
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テンプレート:Infobox 宝達志水町(ほうだつしみずちょう)は、石川県の中部にある町。羽咋郡に属しており、町内には能登地方の最高峰である宝達山を有する。金沢市への通勤率は15.3%(平成17年国勢調査)。
石川県の町は、平成の大合併より以前までは総て「まち」と読んでいたが、新設された当町と能登町は「ちょう」と読む。
目次
地理
自然地理
隣接する自治体
歴史
石川県内で最初の旧石器が発掘された。縄文時代・弥生時代の遺跡も町内各地で発掘されている。
天正12年(1584年)には前田利家と佐々成政の間で末森城を巡る攻防戦が行なわれた。(末森城の戦い)
江戸時代には、加賀藩の農政の末端を担う十村役として喜多家・岡部家が置かれた。宝達山は金鉱山として開発され、藩の財政を支えた。
旧押水町の紺屋町地区には押水町の名前の由来となった「押しの泉」と呼ばれる湧水がある。昔、弘法大師がこの地を通った時に水を求めたところ、老婆が一杯の水を恵んでくれた。その礼として大師が杖で岩を押したところに清水が湧き出たという弘法水伝説が残されている。
沿革
- 町名を決める際に「宝達町(宝達山から命名)」を推す押水町と「志水町(志雄の「志」と押水の「水」)」を推す志雄町が互いに最後まで譲らなかったため、結局二つをつなげて町名とした。
人口
行政
町長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
中西一順 | 2005年(平成17年)3月1日 | 2005年(平成17年)4月2日 | 町長職務執行者、旧押水町長 | ||
1 | 1 | 中野茂一 | 2005年(平成17年)4月3日 | 2009年(平成21年)4月2日 | 旧志雄町長 |
2 | 2 | 津田達 | 2009年(平成21年)4月3日 | 2013年(平成25年)4月2日 | |
3 | 2013年(平成25年)4月3日 | 現職 |
- 町長 - 津田 達(つだ・さとる)
町役場庁舎
2005年(平成17年)3月1日から2010年(平成22年)3月31日まで分庁方式をとっていたが、2010年(平成22年)4月1日からは志雄庁舎に統合された(2010年(平成22年)3月31日をもって押水庁舎は行財政改革と庁舎の老朽化の為に閉鎖された)
- 本庁舎(旧志雄庁舎)
- 石川県羽咋郡宝達志水町子浦そ18番地1(〒929-1492)
- 石川県羽咋郡宝達志水町小川ハ250番地(〒929-1392)
姉妹都市・提携都市
経済
産業
主な事業所
地域
学校教育
高等学校
中学校
- 宝達志水町立(2校)
- 押水中学校
- 志雄中学校
上記2中学校を統合した宝達中学校が、平成27年4月に開校予定。
小学校
- 宝達志水町立(5校)
- 相見小学校
- 押水第一小学校
- 志雄小学校
- 樋川小学校
- 宝達小学校
社会教育
図書館
- 宝達志水町立
- 押水図書館
- 志雄図書館
交通
鉄道路線
道路
観光
祭礼
- 子浦の獅子舞:久保町青年団(勇壮な越中獅子)
- 菅原の獅子舞(幻想的な能登獅子)
- 蓮華山大相撲(500年余りの伝統を誇り、加賀・能登・越中から各郷土自慢の力士たちが、夜遅くまで熱戦を繰り広げる)
名所・旧跡
- 千里浜なぎさドライブウェイ
- 末森城跡 (県指定史跡)
- 喜多家住宅 (国の重要文化財)
- 岡部家 (県指定有形文化財)
- 散田金谷古墳 (国の史跡)
- 成正寺 散田金谷古墳出土品の一部が保管されている。
- 樽見滝
- 押しの泉
- モーゼの墓 (戦後GHQが調査するも結果不詳)テンプレート:要出典
保養・休憩施設
- 志乎・桜の里古墳公園
- 伝説の森モーゼパーク
- 千里浜カントリークラブ
- 能登カントリークラブ
- 山の龍宮城(休養施設)
- 古墳の湯
特産品
出身有名人
- 北橋茂男 (実業家、北極星産業創業者)
- 新川二朗 (演歌歌手)
- 寺内良太 (元プロサッカー選手)
- 寺島拓篤 (声優)
- 中村和美 (元バレーボール選手、バレーボール全日本女子代表マネージャー)
- 御木本伸介 (俳優)