大阪市交通局20系電車
大阪市交通局20系電車(おおさかしこうつうきょく20けいでんしゃ)は、大阪市交通局の高速電気軌道(地下鉄)用通勤形電車である。
電機子チョッパ制御車である10系の試作車として1973年に製造された20系(初代)、1984年より量産が開始されたVVVFインバータ制御車の20系(2代)、1990年(平成2年)に登場したVVVFインバータ制御の新20系(21 - 25系)の3グループが存在する。
本項では20系(2代)および新20系、大阪港トランスポートシステムOTS系電車について記述する。
概要
テンプレート:鉄道車両 1985年の4号線(中央線)深江橋 - 長田間開業などに伴う所要車両数増加への対応や、老朽化や陳腐化が目立ち始めていた50系・30系などの抵抗制御車の淘汰とこれに伴う保守の合理化、それに冷房化率の向上による乗客サービスの改善を目的として開発・量産された18m級4扉車群である。
3相交流誘導電動機をインバータ制御器で制御・駆動する当時最新のVVVF制御システムを搭載しており、大阪市交通局の第3軌条集電方式を用いる高速電気軌道全線で使用可能である。
その外観形状から、先行する10系のそれを踏襲したアルミ合金製車体を備える20系(2代:以降「20系」とのみ表記」)と、軽量ステンレス製車体を備える新20系の2グループに大別される。
開発経緯
本系列開発の基礎となった、大阪市交通局におけるVVVF制御の実用化研究は、元々石油ショックをきっかけとする建設費高騰に抗するべく1979年3月に局内に設置された「地下鉄小型化調査委員会」における地下鉄車両の小型化研究を出発点としている。
後に7号線(長堀鶴見緑地線)向け70系や8号線(今里筋線)向け80系として結実することになるこの研究の過程では、建設費高騰の最大の要因であるトンネル断面の縮小を目的として、車輪径や床面高さの縮小が重要課題として取り上げられた。これらの課題については、折からの半導体技術の進歩、特にインバータ装置の心臓部となる主回路のスイッチング素子とそのパターン制御に必要となるマイクロプロセッサの急速な進歩によって、解決の道が開かれた。
これらの技術革新により、従来は実用化が困難と見られていた、三相交流誘導電動機と小直径車輪を用いた駆動システムの実用化の目処が立った。
従来、三相交流誘導電動機は整流子を持たないため保守上問題となる摩耗部品が軸受に限られ、フラッシュオーバーの危険が無く軽量・コンパクトで高回転数化や大出力化が容易、しかも直流電動機を上回る再粘着特性が得られるという大きなメリットを備えていて、鉄道技術者からは「夢の電動機」とさえ呼ばれていた。
だがその反面、三相交流誘導電動機には一定周波数・一定電圧の下で一定回転数を保とうとする性質があり、起動トルクが小さいという問題があって長らく高速電気鉄道での利用は困難視されていた。この問題が、この時期になって実用段階に入りつつあった高速・高耐圧・大出力かつコンパクトなスイッチング素子と、これをプログラムに従って波形制御するマイクロプロセッサを組み合わせ、電圧型PWM制御によって可変電圧・可変周波数(Variable Voltage Variable Frequency:VVVF)制御を行うことで解決可能となったのである。しかも、この制御法により直流整流子電動機に近い、あるいはそれを上回る優れた出力・粘着特性を得ることさえも可能となった。
こうした周辺技術の進歩・成熟を踏まえ、高速電車用VVVF制御システムの開発が日立製作所、三菱電機、それに東芝といった有力電機メーカー各社を交えて開始された。この制御システムについては大阪市交通局と同時期に日本国有鉄道(国鉄)や近畿日本鉄道(近鉄)と東京急行電鉄(東急)などが、それぞれの取引先である電機メーカー各社と共同で大規模な研究開発を実施していたが、直流1500Vの下での高速電車への適用にフォーカスしていた各社とは異なり、大阪市交通局のプロジェクトは低床のミニ地下鉄での使用を前提としてコンパクトな機器開発を重視していた点で一線を画していた。
もっとも、ミニ地下鉄の技術的可能性を探るというその開発経緯ゆえに、大阪市ではVVVF制御そのものの開発とスイッチング素子の開発[1]が同時進行するという異例の事態となった。この点では単純に大形高速電車への適用に特化して研究を進められた他社とは状況が異なっており、これは後にVVVF制御車の営業運転開始時期で近鉄や東急の後塵を拝する一因となった。
この全く新しい制御システムの開発過程では、漏洩ノイズ等によるATSの軌道回路や変電所などへの影響を調べるため、営業線上での機器の車載運用試験を行う必要があった。そこで、当時3号線(四つ橋線)から5号線(千日前線)への転用の過程で余剰車が発生していた100形(2代)がそのテストベッドに選ばれ[2]、ミニ地下鉄を想定した低い床面高さに設けられた支持架に装架する形で試作機器を搭載して試験運転が実施された[3]。
この試験運転では黎明期の低耐圧で動作の不安定なGTOサイリスタ素子を使用[4]していたこともあって素子破壊[5]が頻発しており、その開発は難航したという。もっとも、その後半は回路構成上の様々な対策や実装ノウハウの蓄積、それに何よりメーカー各社で量産がようやく軌道に乗り始めた2500V 2000A級GTOサイリスタ素子そのものの動作安定性および生産歩留まりの向上により、飛躍的に信頼性や動作安定性が向上して順調にテストメニューを消化しており、この一連の試験結果はミニ地下鉄実用化に当たっての技術的な裏付けとなり、また20系の搭載機器設計に貴重なデータを提供することともなった。
こうした技術開発の成果を受け、量産先行試作車としてメーカー各社が分担して製造した20系第1編成は1984年3月に竣工[6]した。これは日本初のVVVF制御による誘導電動機搭載鉄道車両となった熊本市交通局8200形[7]に続くものであり、したがって高速電気鉄道用として完成したものとしては日本初のVVVF制御車となっている。
車種構成
本系列は20系、新20系共に以下の各形式で構成される。なお、形式の100の位の数字は先行する10系に倣って付番されている。
- 2000形
- 両方の台車に集電装置を装備する電動車(Ma)。
- 2100形
- 片方の台車に集電装置を装備する電動車(Mb)。
- 2200形
- 両方の台車に集電装置を装備する電動車(Ma)。
- 2300形
- 片方の台車に集電装置を装備する電動車(Mb)。
- 2400形
- 両方の台車に集電装置を装備する電動車(Ma)。
- 2500形
- 主要機器を搭載しない付随車(T)。
- 2600形
- 空気圧縮機や補助電源装置などの補機を搭載する制御車(Tec)。6両編成以下(御堂筋線21系以外)の場合は両方の台車に集電装置を装備する。
- 2700形
- 片方の台車に集電装置を装備し、空気圧縮機を搭載する付随車(Tbp)。
- 2800形
- 主要機器を搭載しない付随車(T)。
- 2900形
- 空気圧縮機や補助電源装置などの補機を搭載する制御車(Tec)。4両編成(千日前線25系)の場合に限り両方の台車に集電装置を装備する。
なお、投入線区の輸送需要により編成両数が決定されるため、御堂筋線用21系以外の各グループについては、それぞれ未製造の形式が存在する。
編成
編成は両端に付随車あるいは制御車を、中央に電動車をそれぞれ置いた4両編成を2セット組み合わせた8両編成を基本に計画されており、以下の通り各線の輸送状況に応じて車両数を加減している。
御堂筋線 10両編成 | ||||||||||||||||||||
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御堂筋線 9両編成(当初) | ||||||||||||||||||||
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基本計画 8両編成 | ||||||||||||||||||||
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谷町線 | ||||||||||||
四つ橋線 | ||||||||||||
中央線 6両編成 | ||||||||||||
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四つ橋線 5両編成(当初) | ||||||||||||
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千日前線 4両編成 | ||||||||||||
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なお、本系列は従来の30系や10系と同様に、車庫・工場内での入れ替え作業や保守の便を図り、編成を中間で分割可能なように設計されており、上記では簡易運転台付きの車両を ' 記号で表記している。
車体
各系列ともに、18m級車体に両開き扉を4か所ずつ設置する、7000・8000形以来の標準的なレイアウトに従う。
このため窓配置は2600・2900形がdD2D2D2D1、それ以外が1D2D2D2D1(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:側窓数)となり、全車に戸袋窓が設置されていない。
座席はいずれもロングシートである。
20系
10系と同様に側窓として2段上昇窓を備える切妻構造のアルミ合金製車体である。
ただし、アルミ合金の加工法の発展によって大型押し出し型材や薄肉型材、あるいは中空型材の使用が可能となったことで構体設計が全面的に見直されてよりシンプルにリファインされ、また従来よりも105mm薄くなった新型冷房装置の開発によって当時の10系では1段低くなっていた両端部分の天井が他と同一平面とされ、冷房の吹き出し口も通常のスリット型となるなど内装もより洗練されたものとなっており、開発時期の相違を反映して10系より一歩進んだ設計[8]となっている。
前面は10系と同様に周縁部に枠状のFRP製縁飾りを取り付けたいわゆる額縁スタイルであるが、ガラス窓が10系と異なり上辺が屋根との接合部まで届かず本来の窓枠上部に設けられた方向幕の部分で止められ、その代わりに窓周辺をブラックで塗装する当時流行のスタイルが取り入れられている。このため、前照灯と標識灯は前面窓上部の妻板左右に各1灯ずつ角形灯具を左右に並べて一体化したユニットを振り分けて埋め込まれており、10系に近いながらも固有性の高いデザインとなっている。
新20系
本系列では30系以来、久々のステンレス車体が採用された。
もっとも、鋼製の構体にステンレスの外板を貼り付けたセミステンレス車体ではなく、当時最新の有限要素法によってコンピュータ上で強度計算を行って設計された、高抗張力ステンレス鋼を全面的に用いる軽量構造ステンレス車体[9]となっており、在来のアルミ車に匹敵するスペック[10]をより低廉な製造コストで実現している。
また、エクステリアデザインについては抜本的な改良が加えられており、側窓にはバランサ内蔵の1段下降窓が採用され、前面は従来通り縁取りを設けその内側をダークグレーに塗装するいわゆる「額縁」状のデザインとされたものの、新たに緩やかな曲面を描く「く」の字状の流線型デザインが取り入れられた。この新デザインでは2つの前照灯が前面中央に左右に並べて配され、(いわゆる、おへそライト)LEDによる標識灯がFRP製外縁の窓高さに組み込まれた斬新なデザインとなって視認性の向上が図られており、シンプルな造形ながら冷房付きの新車登場を市民に強くアピールすることともなった。なお、側面には薄い板材が使用される外板の溶接ひずみを目立たなくするためにプレス加工によるビードが入っている。
さらにサービス向上のため、室内灯への50系以来久々となるグローブの取り付け[11]、座席へのコイルばねによるクッションの追加、車体側面への行先表示器の設置(後に他系列の更新車にも設置)、 非常通報装置のインターホン化、それに客用扉上部への車内案内表示装置の設置などが実施されているのも大きな特徴であるが、これらの改良は以後の10系および20系の更新メニューに反映されている。
なお、本系列は短期間で大量生産されたためか、保守に関係のない部分の設計や工作方法についてはある程度メーカー各社の裁量に任されており、近車と東急製は側構体と台枠の結合部がインダイレクトスポット溶接されているが他社製は栓溶接の上カバーが被せられている、といった相違が存在している。
主要機器
本系列は、日本の高速電車におけるVVVF制御技術開発の揺籃の一つとなった点で特筆される。
主電動機
20系では上述のような開発経緯によってVVVF制御が採用された。このため、従来の10系までと比較して整流子が不要となり、主電動機容積に余裕が出来て磁気回路の容量が増強され、10系の東芝SE-617Aと比較して10kW増の端子電圧550V時1時間定格出力140kW/1600rpmが実現された。
もっとも、製造メーカーはこれまで東芝の1社指名であったものが、制御器の製造に参加する3社全てから供給される[12]ように改められており、このため東芝SEA-309、日立HS-34529-02RB、三菱MB-5012-Aと3種の4極自己通風式三相かご形誘導電動機が採用されている。
また、後継となる新20系ではそれぞれ小改良が加えられ、東芝SEA-309B、日立HS-34529-04RB・-05RB、三菱MB-5012-A3・-A4となっているが、型番がサフィックスの変更で終始しているという事実が示す通り、いずれも基本的な仕様には変更はない。
なお、中央線用車両である20系および24系については、けいはんな線開通による95km/h走行に対応できないとの三菱による見解で高速化改造の際に三菱製主電動機が排除され東芝製および日立製に置き換えられた。 20系および24系から取り外された三菱製主電動機については大阪市営地下鉄の他の路線の新20系車両で使用されている。
駆動システムは全電動車とも従来通りのWNドライブを採用しており、歯数比は103:14である。
制御器
20系の段階ではGTOインバータの容量[13]などの制約から1台の制御器で2基の主電動機を制御する1C2M構成のものを2セット搭載しており、制御器はそれぞれ東芝BS-1408-B、日立VF-HR-103、三菱SIV-V564-M-1・-2であった。なお、インバータの制御周波数は2 - 111Hzである。
これに対し新20系ではGTOサイリスタの急激な容量増大[14]を受けて1台の制御器で4基の主電動機を制御する1C4M制御が実現しており、それぞれ東芝SVF-001-A0・-A1、日立VF-HR-129、三菱MAP-144-75V26に変更された。ただし20系と異なり、新20系では細部は違うものの全編成日立製制御装置をベースとした競作のものに変更したため、メーカーの違いで励磁音が違うことはなくなった。また、こちらのインバータの制御周波数は0 - 111Hzでわずかながら制御域が拡大され、起動加速がよりスムーズとなるように改良されている。
いずれの制御器も高発熱のスイッチング素子の冷却用冷媒にフロンを使用して冷却システムのコンパクト化を実現している。
台車
全形式とも、10系用インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・軸ばね式空気ばね台車であるDS-10[15]とほぼ同仕様のDS-20[16]が採用されている。いずれの台車も車輪内周部に異種金属による防音リングを圧入してきしり音の低減を図った、防音波打車輪を装着する。
なお一時期、四つ橋線23613Fにて試作インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・モノリンク式空気ばね台車[17]の実用試験を行ったことがある[18]。
集電装置
集電装置は10系と同様に離線等による回生失効を防止する目的で、隣接する2両の電動車の内一方(Ma車)の全台車ともう一方(Mb車)のMa車寄り台車の合計左右3カ所ずつに設置されている。
ただし、4両編成時には電動車が2両ともMb車であるため制御車2両が共に全台車集電装置付きとされ、6両編成時には4両と2両で電気的に分割されることからペアとなるべきMa車の無い2両側のMb1車(2100形)[19]のために隣接する制御車(2600形)の全台車に、そして9両編成・10両編成時にはペアとなるべきMb車を持たないMa車(2400形)のために隣接する付随車(2700形)のMa車寄り台車に、それぞれ集電装置が設置されている。
なお、集電装置付台車が3台車連続するように配置されているのは、両端の集電装置付台車に取りつけられた集電装置の間の距離がデッドセクションの有効長を確実に下回るようにする=母線結合された各集電装置付台車が第三軌条のデッドセクションをまたいで電気的に異なるセクションをショートさせる事故が発生するのを防止するためである。
ブレーキ
空気ブレーキは10系のOEC-2の改良型に当たる、回生制動演算装置付全電気指令式のOEC-3を採用する。これは電動車の回生ブレーキを有効活用するために付随車の空気ブレーキを遅れ込め制御するよう改良が加えられている。なお、回生制動機能は各系列とも運転台ブレーキノッチの結線変更と主制御器のプログラム変更などで抑速制動が使用可能となっており、長田以東の乗り入れ区間に連続急勾配区間を擁する中央線用各車ではこの機能が有効化されている。 また、回生ブレーキは停止寸前(3km/h)までと広い。
冷房装置
車体の項でも記したとおり、10系での実績を基に開発された新型の超薄型冷房装置である三菱電機CU-74Cおよび東芝RPU-4410[20]を搭載する。
開発当時の技術で極限に近い薄型化を実現していた10系用冷房装置[21]であったが、その後の技術の進歩、特にスクロール型コンプレッサーの実用化によってより一層の薄型化が可能となり、20系開発に合わせて厚さ300mmと従来比約74%として実用化が図られた[22]。もっとも、外観上は屋根高さなどほとんど変化しておらず、薄型化の恩恵は全て客室内の天井高さ引き上げに振り向けられており、10系で圧迫感を与えていた車内両端部の冷房装置の露出部が無くなって通常部分と同じルーバーが設置されている。
各系列の製造・運用状況
20系
1984年から1989年にかけて16編成96両が中央線用の0番台6両編成7本(42両)と、谷町線用の30番台6両編成9本(54両)として製造された。
本系列の中でも第1編成(2601F[23])については3両の電動車の電装品を東芝(2101)・日立製作所(2201)・三菱電機(2301)の3社がそれぞれ1両ずつ分担して担当するなど試作要素が多く見られ、各社が量産に必要なデータを収集するための量産先行試作車的な性質の強いものであった。
量産車については投入線区ごとに0番台と30番台に区分されたが、編成内で電動車の電装品を1社に統一したこと[24]とラインカラーが異なる以外は基本的に同一設計であり、警笛の変更、行先表示器への英字表記追加やその設定器の変更[25]といった量産中に行われた数少ない仕様変更点[26]も全て、両番台車の同時期製造分に等しく適用されている。
なお、30番台車は2006年3月27日の近畿日本鉄道けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業に伴う一連の車両入れ替えの際に、在籍全編成が車両番号の変更を実施せずに谷町線から中央線に転用されている。
その後、近鉄けいはんな線乗り入れ開始による最高時速の向上に合わせて、乗り入れ先の近鉄が費用を負担することで2004年に第1編成の制御素子がGTOサイリスタ素子から日立製IGBT素子に交換され、他の編成も順次交換が開始された[27]。
従来谷町線に在籍していた30番台車を全編成中央線に転属させた[28]が、これは近鉄側の費用負担で改造が行えることと、20系は竣工から既に約20年が経過しスイッチング素子の劣化等により制御器の更新の時期が迫っていたという理由で交通局にとって得策との判断によるものである。
2006年までに全編成の改造工事が完了し、最高速度は70km/hから95km/h、起動加速度は2.5km/h/sから3.0km/h/sにそれぞれ変更された。また、けいはんな線開業時に近鉄線内でのワンマン運転が開始され、それに対応した機器が設置されている。改造と同時に行先表示器の英字表記が全て大文字から、最初の1文字のみ大文字で2文字目以降は小文字に変更され、側面行先表示器も設置された。車内ではバリアフリーの一環としてLED式の車内案内表示器、ドアチャイム、車いすスペースも設置された[29]。
中央線に配属された車両のうち、第1編成(2601F)と第2編成(2602F)は、車体側面全体に沿線の観光地である海遊館にいる魚たちのラッピングフィルムが施されたことがあり、車体中央に大きく描かれたジンベイザメから、「ジンベイ号」や「おさかな電車」と呼ぶ鉄道ファンや子供連れもいた。この2編成はラッピングフィルムが剥がされたあとに側面行先表示器が取り付けられた。
1985年の深江橋 - 長田間延長開業時の祝賀列車には当時1編成しかなかった20系が抜擢され、第1編成が前面に「祝 深江橋 - 長田 開通」のヘッドマークを掲げて運転した。
第1編成の2601Fは2014年8月21日の朝ラッシュ時の運用を最後に営業運転を終了し、引退した。このため引退を記念し、7月23日から「さよなら20-01編成 たくさんのご乗車ありがとうございました」と書かれた、20系のイラストの中に大阪城と海遊館も描かれたヘッドマークが掲出されていた[30]。
- OsakaSubway20Series inside01.JPG
客室内
- Oosakashiei2901.JPG
さよならヘッドマークを掲出した2601F
製造メーカー等は以下の通り。
編成番号 | 竣工年月 | メーカー |
2601F | 1984年3月 | 近畿車輛、川崎重工業 |
2602F | 1985年10-12月 | 日立製作所 |
2603F | ||
2604F | ||
2605F | ||
2606F | 1989年6月 | 日立製作所 |
2607F | ||
2631F | 1989年5-7月 | 日立製作所 |
2632F | ||
2633F | ||
2634F | 川崎重工業 | |
2635F | ||
2636F | ||
2637F | 東急車輛製造 | |
2638F | ||
2639F |
新20系(21 - 25系)
新20系(しん20けい)は基本設計の共通する21系・22系・23系・24系・25系の各系列の慣用的な総称である。5系列合計で572両が在籍する。
非冷房車である30系と50系の老朽取り替えを目的として1990年から1998年にかけて製造され、それぞれ1号線(御堂筋線)、2号線(谷町線)、3号線(四つ橋線)、4号線(中央線)、5号線(千日前線)に配置された。製造メーカーは日本車輌製造・川崎重工業・日立製作所・東急車輛製造・近畿車輛・アルナ工機(現・アルナ車両)の各社である。また、架空電車線方式の6号線(堺筋線)向けに、同じくステンレス車体、VVVFインバータ制御の66系も製造されている。
この新20系では車両番号表記が5桁となり、万の位の「2」は20系を表し、千の位は投入線区の路線番号、百の位は車両の形式、十と一の位は車両番号を表す。
ただし、法規上の正式な形式称号は千の位の投入線区路線番号が省略された4桁表記となっており、いずれも20系の対応する形式と同一である。(例、2600形)
以下に各線区向けの概要を示す。
御堂筋線用21系
テンプレート:鉄道車両 御堂筋線用の車両は21系と呼び、1991年から1998年にかけて10両編成18本(180両)が日本車輌製造・東急車輛製造・近畿車輛・川崎重工業の4社で製造された。
製造担当メーカーは以下の通り。
編成番号 | 竣工年月 | メーカー | 竣工時の両数 | 更新状況 |
第1編成 | 1991年4月 | 日本車輌製造 | 9両 | |
第2編成 | 1991年4月 | |||
第3編成 | 1991年5月 | |||
第4編成 | 1991年6月 | 東急車輛製造 | ||
第5編成 | 1991年7月 | 更新済み | ||
第6編成 | 1992年4月 | 日本車輌製造 | ||
第7編成 | 1992年5月 | 更新済み[31] | ||
第8編成 | 1992年6月 | 東急車輛製造 | ||
第9編成 | 1992年7月 | |||
第10編成 | 1993年4月 | 近畿車輛 | ||
第11編成 | 1993年4月 | |||
第12編成 | 1994年2月 | 日本車輛製造 | ||
第13編成 | 1994年3月 | |||
第14編成 | 1995年9月 | 日本車輌製造 | 10両 | |
第15編成 | 1995年11月 | |||
第16編成 | 1996年4月 | 東急車輛製造 | ||
第17編成 | 1996年5月 | |||
第18編成 | 1998年3月 | 日本車輌製造 |
車両番号 | 竣工年月 | メーカー |
21501、21510 | 1996年1月 | 川崎重工業 |
21502 - 21504, 21511 | 1996年2月 | |
21505 - 21507 | 1996年2月 | 日本車輌製造 |
21508 - 21509, 21512 - 21513 | 1996年3月 |
この21系は10両編成への対応のため、ブレーキ性能の確保を図って編成中央部の2700形に空気圧縮機が追加搭載され、さらに高密度運転線区への投入のため起動加速度が他の新20系各系列の2.5km/h/sに対して3.0km/h/sとされるなど、同時期製造の他線区向け新20系各系列とは一部仕様が異なる[32]。
上掲表のように1991年から1994年にかけて製造された第1編成から第13編成は9両編成で落成し、1996年に10両編成の運転開始に伴い、付随車である2500形21501 - 21513が川崎重工業・日本車輌製造で新造され、それぞれの編成に組み込まれた。残りの5本は10両編成で落成した。なお、第14・15編成に組み込まれている2500形(21514・21515)は、当初は2800形(21864・21865)という扱いになっていたが1995年12月に2両とも2500形に改められた。
その後、1998年より開始された10系のリニューアル工事に伴う稼働編成数の不足を補うため、第18編成10両が日本車輌製造で追加製造されている。また、同年12月より第12編成が連結面の転落防止幌の試験のために用いられ、その結果2000年より本格的に採用されることになり、全編成に設置されている。
1996年に製造された第16編成から、各扉の上部にLED式の車内案内表示器が設置された。その後1997年から2003年にかけて残りの15本に対して設置工事が施工されたが、第16・17編成が全ての扉の上部に設置されたのに対して千鳥(交互)配置とされ、1998年製造の第18編成でも千鳥配置となっている。
平日ダイヤの全列車で女性専用となる6号車には車体広告が掲示されている。 テンプレート:-
谷町線用22系・22系50番台
テンプレート:鉄道車両 谷町線用の車両は22系と呼び、1990年から1996年にかけて6両編成19本(114両)が近畿車輛・東急車輛製造・アルナ工機・日立製作所・川崎重工業の5社で製造された。1990年に製造された第1編成から第7編成までの42両は四つ橋線用23系の第1編成から第7編成までの35両[33]とともに初期車の部類に入り、前面の車両番号表記が他の車両に比べて大きい。
製造担当メーカーは下表(左)の通りで、全編成が6両編成として竣工している。
1997年から2004年にかけて、LED式の車内案内表示器が客用扉室内側上部に千鳥配置で全編成に設置された。この車内案内表示は、御堂筋線(21系)・四つ橋線(23系)のものと谷町線(22系)・中央線(24系)・千日前線(25系)のそれと見た目は同じだが、文字を表示するパターンやタイミングが若干異なっている。
2006年3月に延長開業した近畿日本鉄道けいはんな線への直通運転に備えて谷町線と中央線の間での大掛かりな車両の転属が2004年から始まり、中央線の24系とOTS系から編入された24系50番台車(後述)の計9編成54両が22系に編入され、50番台の区分に分けられた。この転属に際して谷町線では不要となる抑速ブレーキの無効化が八尾車庫にて行われている。また、24系時代には設置されなかった上記のLED式の車内案内表示器が、2008年から順次設置されている[34]。
現在、第3編成が2011年に、第7編成が2012年にリフレッシュ更新工事を受け、営業運転に就いている。なお、第3編成には25系更新車に施された車体の高圧洗浄は実施されていないが、第7編成には実施された。ただし、屋根の洗浄は実施されていない。
車両番号および編成番号の変遷は下表(右)の通りである。
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四つ橋線用23系
四つ橋線用の車両は23系と呼び、1990年から1996年にかけて5両編成18本(90両)と6両編成4本(24両)の計114両が日立製作所・川崎重工業・日本車輌製造の3社で製造された。22系の項でも記した通り、第1編成から第7編成は初期車の部類に入り、前面の車両番号表記が大きい。
四つ橋線での6両編成運転開始に伴い1996年から1997年にかけて第1編成から第18編成に組み込む簡易運転台付きの付随車である2800形23801 - 23818が川崎重工業にて製造されて組み込まれ、この際2300形の簡易運転台が撤去されている。2007年現在では6両編成22本(132両)が在籍する。
製造担当メーカーは以下の通りである。
編成番号 | 竣工年月 | メーカー | 竣工時の両数 | 備考 |
第1編成 | 1990年4月 | 日立製作所 | 5両 | 更新済み[36] |
第2編成 | 1990年5月 | 更新済み | ||
第3編成 | 1990年5月 | |||
第4編成 | 1990年6月 | 更新済み | ||
第5編成 | 1990年6月 | 川崎重工業 | ||
第6編成 | 1990年6月 | |||
第7編成 | 1990年6月 | |||
第8編成 | 1991年6月 | 日立製作所 | 5両 | |
第9編成 | 1991年6月 | |||
第10編成 | 1992年6月 | 日立製作所 | 5両 | |
第11編成 | 1993年5月 | 日立製作所 | 5両 | |
第12編成 | 1993年5月 | |||
第13編成 | 1993年6月 | |||
第14編成 | 1994年4月 | 日本車輌製造 | 5両 | |
第15編成 | 1995年4月 | 日本車輌製造 | 5両 | |
第16編成 | 1995年4月 | |||
第17編成 | 1995年4月 | |||
第18編成 | 1995年4月 | |||
第19編成 | 1996年8月 | 日立製作所 | 6両 | |
第20編成 | 1996年9月 | |||
第21編成 | 1996年10月 | |||
第22編成 | 1996年10月 |
車両番号 | 竣工年月 | メーカー |
23801 - 23802、23808 | 1996年11月 | 川崎重工業 |
23803 - 23806 | 1996年12月 | |
23807, 23810 | 1997年1月 | |
23809, 23811 - 23813 | 1997年2月 | |
23814 - 23818 | 1997年3月 |
この23系では住之江競艇開催時の住之江公園駅での混雑時の乗降分離のために1号車(2900形)と2号車(2200形)の片側4か所の客用扉のうち2か所のみを開閉(ドアカット)する機能がある。
なお、営業区間は全区間とも地下線のため、本系列については日よけのカーテンは搭載されていない。
2006年には第11編成の客用扉室内側上部に千鳥配置でLED式の車内案内表示器が設置され、2014年の第2編成の更新工事完了をもって全編成に車内案内表示器が設置された。
2012年に第1編成がリフレッシュ更新工事を受け、営業運転を開始した。各車両ごとに号車を表すステッカーを車体側面に貼付した他、車内では千鳥配置でLED式の車内案内表示器とは対面の扉上に現在地を示す電光ランプの取り付けやロングシート中間部にスタンションポールの設置、運転台ではモニターの設置と速度計などの更新(アナログ化)などが行われている。なお、車体の高圧洗浄は実施されていない。
2012年11月に第1編成が大阪市営ふれあいフェスティバルの一環として運行された臨時列車にて御堂筋線を走行した実績がある。 テンプレート:-
中央線用24系・24系50番台
テンプレート:鉄道車両 中央線用の車両は24系と呼び、1991年から1995年にかけて6両編成11本(66両)が日本車輌製造・日立製作所・アルナ工機・東急車輛製造の4社で製造された。
製造担当メーカーは以下の通りで、全編成が6両編成として竣工している。なお、※印をつけた編成は後に22系に編入された(詳細は後述)。
編成番号 | 竣工年月 | メーカー | 備考 |
第1編成 | 1991年6月 | 日本車輌製造 | |
第2編成 | 1992年6月 | 日立製作所 | |
第3編成 | 1992年6月 | 更新済み[37] | |
第4編成 | 1993年7月 | 日本車輌製造 | |
第5編成 ※ | 1993年7月 | ||
第6編成 ※ | 1994年3月 | アルナ工機 | |
第7編成 ※ | 1994年5月 | アルナ工機 | |
第8編成 ※ | 1994年5月 | 東急車輛製造 | |
第9編成 ※ | 1995年4月 | 東急車輛製造 | |
第10編成 ※ | 1995年5月 | ||
第11編成 ※ | 1995年5月 |
また、24系50番台は大阪港トランスポートシステムの第一種鉄道事業が大阪市交通局に編入された2005年7月1日から谷町線に転属となった2006年3月3日までの期間に存在した番台区分で、旧OTS系である。24系50番台に編入される際に客室内の左右両側の客用扉上部にあったLED式車内案内表示器が千鳥配置に変更されたり、前面のOTSのシンボルマークが新20系の「VVVF 20 SERIES CAR」マークに変更されたりなどの軽微な変更がなされた。しかし、座席モケットの色はOTS時代のオーシャンブルーのまま存置されており、車内に入れば容易に判別可能である。OTS系時代の詳細は後述する。
前述の通り、24系第5編成から第11編成と24系50番台2編成は谷町線に転属した。2008年現在、中央線に在籍するのは第1編成から第4編成の4本24両である。この4本についても20系と同様、室内の客用扉上部に千鳥配置でLED式車内案内表示器の設置、近鉄線内での最高95km/h運転・ワンマン運転への対応、起動加速度の向上、機器の高速運転対応化、ワイパーの形状・位置の変更などの改造が行われている。 テンプレート:-
千日前線用25系
テンプレート:鉄道車両 千日前線用の車両は25系と呼び、1991年から1995年にかけて4両編成17本(68両)が近畿車輛・東急車輛製造・アルナ工機で製造された。
製造担当メーカーは以下の通りで、全編成が4両編成として竣工している。
編成番号 | 竣工年月 | メーカー | 備考 |
第1編成 | 1991年4月 | 近畿車輛 | 更新済み |
第2編成 | 1991年5月 | 更新済み | |
第3編成 | 1992年5月 | 近畿車輛 | 更新済み |
第4編成 | 1992年6月 | 更新済み | |
第5編成 | 1993年6月 | 東急車輛製造 | 更新済み |
第6編成 | 1993年7月 | 更新済み | |
第7編成 | 1994年4月 | 東急車輛製造 | 更新済み |
第8編成 | 1994年4月 | 改造入場中 | |
第9編成 | 1994年6月 | 更新済み | |
第10編成 | 1994年6月 | 更新済み | |
第11編成 | 1994年6月 | 更新済み | |
第12編成 | 1995年4月 | アルナ工機 | 更新済み |
第13編成 | 1995年4月 | 更新済み | |
第14編成 | 1995年4月 | 更新済み | |
第15編成 | 1995年6月 | 更新済み | |
第16編成 | 1995年6月 | 更新済み | |
第17編成 | 1995年6月 | 更新済み |
千日前線は閑散線区であるため開業以来100形や200形(共に2代目)、あるいは50系や30系など他線区で余剰となった各系列の最後の運用線区となる例が多く、これまで新車が直接投入されたことはなかった[38]。それゆえ初の直接新製投入で、かつ乗客から待望の冷房車となった本系列は歓迎された[39]。
なお、全区間地下線のため、本系列も同様の使用条件にある23系と同様、日よけのカーテンは搭載されていない。
千日前線ではATCにCS-ATCが採用されているため、本系列には工場への出入庫に必要となる従来型のWS-ATCに加え、CS-ATC対応機器が別途搭載されている。
また、2008年に第10編成の客用扉室内側上部に千鳥配置でLED式の車内案内表示器が設置され、2014年の第2編成の更新工事完了をもって全編成に設置された。 テンプレート:-
更新工事
新20系についても初期車の竣工から既に約20年が経過したため、更新工事が実施されることになった。第一陣として千日前線用25系25607Fの更新工事が完了[40]し、2011年1月14日に営業運転を開始した[41]。
更新工事の主な内容は次の通りである。
外装
- 車体外板の高圧洗浄
- 側面前後に号車番号表示の追加
内装
- モケットの変更
- 座席のバケットシート化
- 床クロスの変更(茶色→グレー)
- マップ型LED停車駅案内表示器およびLED情報案内表示器の設置(2013年度施行車まで)
- LCD式情報案内表示機の設置(2014年度施行車から)
- 扉開閉予告灯の設置
- 乗降扉床面に黄色ラインを追加
- 座席中央部にスタンションポールを設置
- 吊り革の増設
- 低めの吊り革の設置
- 優先座席付近の吊り革のオレンジ色化
- 車内照明器具を蛍光灯型LEDに変更し、蛍光灯カバーを撤去(2014年度施行車から)
その他
大阪港トランスポートシステムOTS系
テンプレート:鉄道車両 OTS系は、かつて大阪港トランスポートシステムが保有していた通勤形電車で、前述したように中央線用の24系50番台に系列・形式称号変更された後、谷町線への転属に伴い22系50番台に変更された。
ここではOTS時代について記述する。
この車両は1997年12月18日のOTSテクノポート線開業に際し、日立製作所で6両編成2本(12両)が落成した。車体や主要機器は乗り入れ先の中央線24系と同一仕様であるが、客室案内表示は全扉[42]に設置された。
製造担当メーカーは以下の通りで、全編成が6両編成として竣工している。
編成番号 | 竣工年月 | メーカー名 |
651F | 1997年7月 | 日立製作所 |
652F | 1997年8月 |
また、落成時の編成は以下のとおりである。[43]
OTS系 6両編成 | ||||||||||||
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塗装はOTS線の海浜をトータルイメージとしており、前面扉がモーニングブルー、それ以外がオリンピアブルーとされ、ラインカラー帯もこの2色の塗り分けの上下を白い細帯が挟む独自のものであった。また、車内のカラースキームも独自色の強いものであり、やはり海浜をイメージした青系統でまとめられている。
OTSテクノポート線開業時には同車両に漫画「少年アシベ」のキャラクターである「ゴマちゃん」のシールが貼付されていた。 テンプレート:-
脚注
参考文献・出典
- 「VVVFインバータ制御 20系電車」1985年 大阪市交通局作成
- 鉄道ピクトリアル 1993年12月臨時増刊号、2004年3月臨時増刊号 特集「大阪市交通局」 電気車研究会
外部リンク
- 地下鉄 車両辞典 - 大阪市交通局
- 大阪市交通局21・24系 - 日本車輌製造
テンプレート:Sister テンプレート:Sister テンプレート:大阪市営地下鉄・ニュートラムの車両
テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ- ↑ そのため、スイッチング素子は他社が寸法よりも素子としての安定度や成熟度を買って、10系の電機子チョッパ制御器でも採用されていた逆導通サイリスタ素子を選択したのに対し、当時実用化に向けた開発が進みつつあったGTOサイリスタが何よりそのコンパクトさを買われて当初より採用されていた。
- ↑ 106・107の2両。この内106がVVVF制御車に改造され、107は異常発生時の牽引役として抵抗制御車のままとされた。
- ↑ 1981年7月より1982年3月にかけて実施。
- ↑ この100系試験車で採用されたGTOサイリスタ使用のVVVFインバータは世界で初めてのものとなった(鉄道ファン 1988年11月号 特集「最新ハイテク電車のトレンド」記事)。
- ↑ テンプレート:Cite book 70系電車で利用されたVVVFインバータについての記述に加え、20系電車のVVVFインバータに関する情報も記載されている。
- ↑ 営業運転開始は同年12月24日で、9か月間に渡って入念な試験を繰り返し行って実用に必要なデータの収集が行われている。もっとも、これにより営業運転において後発の東急6000系改造車と近鉄1250系(その後の1251系→現・1420系)に先を越される結果となった。
- ↑ 低出力かつ低速な路面電車であり、小出力であったことから逆導通サイリスタが主回路のスイッチング素子として採用され、しかも軌道回路による保安システムが存在しなかったことから、誘導障害やノイズ漏洩による周囲への影響などの確認すべき項目が少なかったために実用化で先行した。
- ↑ これらの改良は以後に製造された10系増備車の車体にも反映されている。
- ↑ この車体構造は1985年に国鉄が205系の開発を開始する際に、当時独自に有限要素法を用いた軽量構造ステンレス車体設計技術を開発・独占していた東急車輛製造に対してその技術を他社に対して公開することを量産設計への採用の条件として強く要求し、同社が渋々ながらこれに応じたことで急速に普及した。公営企業の場合は原則的には資材調達を入札による必要があり、そのため大阪市交通局でも入札各社で同様に製造可能な設計でなければならず、その意味では製造コストが低廉でアルミ製車体に匹敵する軽量性も維持されるメリットのあるこの工法の公開は、高価なVVVF制御器を搭載し予算面の事情で定数充足が困難であった20系増備車の大量増備にあたって大きな追い風となった。
- ↑ ただし、各車ともアルミ製の20系より約1tずつ重くなっている。また、必要に応じてスポット溶接と連続溶接を選択可能なアルミ合金製車体と比較した場合、ひずみの問題などからスポット溶接が必須であった(現在はレーザー溶接の実用化で連続溶接も可能となっている)ステンレス車体では、どうしても車体そのものの剛性で見劣りすることになった。
- ↑ 灯具の配置そのものは10系や20系と変わりなく、グローブ取付の分、車内の照度は低下している。
- ↑ ただし、制御器と主電動機が同じメーカーであるとは限らず、編成単位で別メーカー製同士が組み合わされるケースが新20系を含め少なからず存在している。このことが示す通り、各社製制御器と主電動機の仕様は完全に共通化されている。
- ↑ 前述の通り開発当時最新の2500V 2000A耐圧の素子が採用された。
- ↑ この段階では既に2500V 3300A耐圧の素子が量産されており、これが採用された。当時既に4500V耐圧の素子も実用段階にあったが、架線電圧750Vの大阪市交の第三軌条集電を行う各線では過剰装備であり、採用されていない。
- ↑ メーカー形式FS386・386AあるいはFS086・086A。型番からも明らかなように住友金属工業製である。
- ↑ メーカー形式FS386AあるいはFS086A。
- ↑ メーカー形式FS560。住友金属工業製。
- ↑ この試験の結果はDS-300(住友金属工業FS578)として30000系新造時に反映されている。
- ↑ この車両の集電装置は2600形に隣接する台車に装着される。
- ↑ 冷凍能力はいずれも1基あたり20,000kcal/h(23.2kW)。
- ↑ 三菱電機CU-74・74A、および東芝RPU-6001・6001A。
- ↑ その後、長堀鶴見緑地線用70系のために開発された三菱電機CU-741および東芝RPU-3061が厚さ240mmを実現しているが、これは冷凍能力12,500kcal/hと車体サイズに合わせて能力も縮小されており、20系のような18m級車での使用には適さない。
- ↑ FはFormationの略記号で、「編成」を示す。
- ↑ このうち制御装置については第2・第3編成と第37 - 第39編成が日立製作所、第4編成と第34 - 第36編成が三菱電機、第5 - 第7編成と第31 - 第33編成が東芝で統一された。
- ↑ 表示幕の設定器は第1 - 第5編成はダイヤル式、第6・第7編成と30番台車は押しボタン式である。
- ↑ この仕様変更は1989年製造分で実施した。第6・第7編成と30番台全車が該当。
- ↑ ただし、IGBT素子のものに交換された制御装置は1両に2台ある装置中、片側1台のみであり、残り1台は交換されずに使用停止の上GTO素子時代のもののままで残されている。
- ↑ もっとも、20系だけでは所要数を充足できなかったため、不足分を補うべく24系も第1編成から第4編成までについて、主制御器などの設定を変更し、加速度と最高速度を引き上げて、改造後の20系と同等の走行性能とした上で継続使用となった。
- ↑ ただし第1・第34・第35編成の3編成については、未更新時代に既に側面行先表示器・車内案内表示器・ドアチャイム・車いすスペースの設置が完了していた。
- ↑ 最終運用はコスモスクエア駅9時30分発、森ノ宮行きで、最終運用列車については事前に大阪市交通局の公式フェイスブックで告知されていた。なお、ヘッドマークは2601号車が青色、2901号車は緑色で、描かれた車番は掲出した車両に合わせられたほか、行先表示幕については2601号車が「大阪港」、2901号車が「森ノ宮」で、「さよなら20-01編成」のメッセージと車両イラストの位置関係も2601号車と2901号車でそれぞれ異なるものであった。
- ↑ 御堂筋線用新20系のリフレッシュ第一号が出場 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 2012年11月22日
- ↑ 制御器そのものは他線区用と共通品であり、ハードウェア面での質的な変更はほとんど存在しない。
- ↑ 後に追加された2800形を除く。
- ↑ 元OTS系の22662Fと22663Fは新製当初から取付済み。ただし新製当初は全ての扉上部に設置されていた車内案内表示器は、転属時に千鳥配置に変更されている。
- ↑ 大阪市交通局谷町線用22系に更新改造車 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 2011年9月1日
- ↑ 四つ橋線用23系第1編成が試運転 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 2012年5月12日
- ↑ 大阪市交中央線24系にリフレッシュ車が登場 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 2014年6月10日
- ↑ 本系列の投入直前まで千日前線には3世代前の50系が運用されており、2世代前の主力車である30系の投入開始でさえ、御堂筋線への新21系投入で余剰した編成が中間車5両を抜き取られた上で転用された1991年が最初で、つまり本系列の第1陣と前後して投入されるという状況であった。
- ↑ 本系列の新製投入による50系・30系の全面置き換えは、単に老朽車の淘汰を意味するだけではなく、同時に千日前線の冷房化率および空気ばね台車装備率100パーセント達成をも意味するものでもあって、乗客にとっての恩恵は絶大であった。
- ↑ 千日前線 新20系車両リフレッシュのご紹介 - 大阪市交通局 2011年1月11日
- ↑ 千日前線で新20系リニューアル車が営業運転を開始 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 2011年1月24日
- ↑ 先述の通り、谷町線転属の際に千鳥配置に変更されている。
- ↑ 百の位は新20系と同車種を示し、表記上はOTSを省略してあった。なお、下二桁の車番が各車種で51・52と付番されたのは市交在籍車との編成番号の干渉を防ぐためであり、これは市交籍編入後も継承されている。