今金町
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テンプレート:Infobox 今金町(いまかねちょう)は、北海道南西部、檜山振興局北部にある町。
町名の由来は、初期の開拓者である今村藤次郎と金森石郎の名字から。
2004年(平成16年)4月21日、熊石町、(旧)八雲町とともに法定協議会を設置し、合併のための協議が行われていたが、今金町は7月5日に協議会から脱退し、単独で存続することとなった。熊石・八雲両町は2005年(平成17年)10月1日に合併し、新たに八雲町となった。
目次
隣接している自治体
人口
地理
北部には長万部岳、カニカン岳などの山岳地帯である。町の全域が一級河川後志利別川の流域である。海には面していない。
- 山:カニカン岳(981m)、長万部岳(972m)
- 湖沼:ピリカ湖(ダム湖)
- 河川:後志利別川
沿革
- 1600年代前半 松前藩が置かれ、後志利別川上流域にて砂金採集が始まる
- 1854年 箱館奉行が美利河で砂金採集を行なう。
- 1877年 後志利別川上流域にてメノウ、マンガン採集が始まる
- 1891年 神丘地区にキリスト教徒のための理想郷を求めて同志社大学の志方之善、丸山要次郎が調査に入り、1893年に会衆派と日本聖公会の教徒約60戸が入植[1][2]
- 1893年 今金地区に今村藤次郎、金森石郎らが入植。大豆栽培始まる
- 1894年 加藤政之助・勘助兄弟が入植
- 1896年 志方の妻、荻野吟子が神丘地区に入植したが、教派の対立で開拓団が分裂[2]、今金を離れる
- 1897年 瀬棚町から分村し、利別村となる。マンガン採掘が本格化し、入植者が増える
- 1908年 水田稲作に成功する
- 1947年 町制施行、同時に今金町へ改称
姉妹都市・提携都市
経済
男爵イモをはじめとした畑作のほか、稲作、酪農、林業が中心。
立地企業
- 日本スワイン農場株式会社 道南事業所 今金農場
農協
- 今金町農業協同組合(JA今金町)
金融機関
郵便局
- 今金郵便局(集配局)
- 種川郵便局
- 花石郵便局
宅配便
公共機関
警察
- せたな警察署今金交番
教育
- 特殊学校
- 北海道今金高等養護学校
- 高校
- かつては北海道今金高等学校があった。
- 中学校
- 町立1校(今金)
- かつては美利河、花石、中里、種川、豊田、金原、八束、神丘、日進にも中学校があった。
- 小学校
- 認定こども園
- 認定こども園いまかね
交通
鉄道
1987年(昭和62年)3月15日に廃止された国鉄瀬棚線が町内を通っていた。町内には美利河駅、花石駅、北住吉駅、種川駅、今金駅、神丘駅が設置されていた。花石駅 - 北住吉駅間の軌道跡の一部は現在国道230号(花石道路)になっている。
バス
道路
タクシー
- 東ハイヤー:今金営業所
文化財
重要文化財(美術工芸品)
- 北海道美利河1遺跡出土品 - ピリカ旧石器文化館蔵、旧石器時代の遺物一括。1991年指定。
史跡
町の文化財
- 美利河遺跡出土品 - ピリカ旧石器文化館
- ピリカカイギュウ化石 - 文化財保管・活用庫に保管、今金町地域特産品生産センターに復元模型
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 美利河ダム
- 常代の松
- 奥美利河温泉
- クアプラザピリカ(スキー場、温水プール、美利河温泉、パークゴルフ場、テニスコート、ラグビー・サッカー場、ゴーカート乗り場、宿泊施設完備)
- いまかね雪まつり
- 今金いいとこ祭り
- いまかね秋祭り
- 24時間キャンプLIVE
その他
- ピリカカイギュウの「ピーカくん」と「ピーリちゃん」というマスコットキャラクターが、以前は今金町のホームページに登場していた。
- 2008年(平成20年)4月20日、最高気温26.4テンプレート:℃を記録し、沖縄県石垣島・与那国島らを抑え、全国最高気温を記録。記録した時刻は、13時17分。
- 全国的に人気の「まりもっこり」と「今金セブン」のコラボレートで、2007年(平成19年)10月から「じゃがいもっこり今金セブン」バージョンストラップが、町内限定で発売される。
出身の有名人
関連項目
脚注
- ↑ 今金・ インマヌエル移住団体におけるキリスト教的開拓者精神 白井暢明 2004
- ↑ 2.0 2.1 「北海道開拓とキリスト教集団」