新潟車両センター
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(上沼垂運転区から転送)
テンプレート:車両基地 テンプレート:Vertical images list新潟車両センター(にいがたしゃりょうセンター)は、新潟県新潟市中央区紫竹1丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地。新潟支社の管轄となっている。
2004年3月31日までは上沼垂運転区(かみぬったりうんてんく、略号 : 新カヌ)と称したが、乗務員の配置がない車両基地であったので、2004年4月の組織変更に伴い、新潟車両センターに改称した。信越本線とその貨物支線、白新線に囲まれたところに位置している。
センター入口には、かつて特急「とき」で運用されていた181系電車のボンネット型先頭車両が展示されていたが、埼玉県さいたま市に2007年10月14日に開館した鉄道博物館で展示されることが決まり、同年5月6日の「さよなら展示会」の後、陸路搬送された。
配置車両の車体に記される略号
「新ニイ」…新潟支社を意味する「新」と、新潟を意味する「ニイ」から構成される。
歴史
- 1963年(昭和38年)7月10日:新潟客貨車区と新潟機関区の統合により、新潟運転所が発足。場所は新潟駅南側。
- 発足以前は気動車は機関区客貨車区双方の二元管理、電車・乗務員は機関区、車両は客貨車区で管理していた。
- 1965年(昭和40年)3月5日:動力車関係を乗務員を含め東新潟機関区に分離。
- 1969年(昭和44年)7月1日:181系特急形電車94両が、田町電車区から転入。
- 特急「とき」用181系特急形電車、急行「佐渡」用165系急行形電車が配置され、華やかな時代であった。また冬期の雪との闘いは壮絶なもので、遅れ・運休・乗り心地の悪化などに悩まされつづけ一時は国会で問題にもなったほどである。
- 1970年(昭和45年)4月1日:業務管理の強化のため、新潟操車場支所を東新潟貨車区として分離。
- 1974年(昭和49年)5月24日:新潟駅構内の上越新幹線工事(南口駅舎、新幹線ホーム等の新設)に伴い、新潟運転所上沼垂支所が上沼垂信号場付近に開設され、新潟運転所所属の電車・客車が転属。気動車はそのまま新潟運転所に所属。
- 1986年(昭和61年)11月1日:新潟運転所上沼垂支所が上沼垂運転区として独立。略号が「新ニイ」から「新カヌ」となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に移管。
- 1991年(平成3年):気動車を新津運輸区に配置変更により、新潟運転所廃止。
- 2004年(平成16年)4月1日:上沼垂運転区、新潟車両センターに名称変更。約20年ぶりに略号が「新カヌ」から「新ニイ」に戻る。
- 2005年(平成17年)2月10日:ISO9001認証取得。
配置車両
テンプレート:Notice 2014年4月1日現在の配置車両は次の通り[1]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
348両 | 0両 | 0両 | 7両 | 0両 | 355両 |
電車
- 485系電車(93両)
- 1000番台6両編成7本(T12・13・15・16・18編成/K1・2編成)、リニューアル改造車の3000番台6両編成7本(R21 - 23・25 - 28編成)、増結用電動車ユニット1組2両、ジョイフルトレイン「きらきらうえつ」用の4両編成1本、「NO.DO.KA」用の3両編成1本の計93両が配置されている。
- R編成は全編成白地に青帯と緑色の塗色(右の画像)、K編成は両編成国鉄色、T12・13・15・16編成は白地に青帯と水色帯の上沼垂色。T18編成はK編成の予備車的意味合いから2008年の全般検査で国鉄色に復元された(復元前は上沼垂色)。
- K編成全車とT編成の中間座席指定席車の多くは、座席を3000番台のものに交換されている。自由席車は従来の簡易リクライニングシートのクッションをバケットタイプに交換した車両や、元「雷鳥」編成のデラックス車、さらに座席のみデラックス車と同等でも座席部のハイデッキ化やシートピッチ拡大の未施工車が混在する。
- R編成・T編成は、特急「北越」・快速「くびき野」[2]・「らくらくトレイン信越」・「おはよう信越」で運用される。特急「いなほ」のうち定期運用からは2014年7月11日をもって撤退したが、その後も臨時列車での運用が予定されている。
- K編成は、臨時夜行快速「ムーンライトえちご」で運用されるが、予備車がないために故障・検査等の際にはATS-P装備のT18編成が第一予備、T18編成も投入できない場合はR26・27編成が投入される。ただし、T・R編成と共通運用を組むことがあり、快速「らくらくトレイン村上」、特急「北越」に運用されることもある。
- ジョイフルトレインは臨時・団体列車で運用される。
- かつて特急「はくたか」用であったR1・2編成は先頭車1両の半室をグリーン車に改造の上で9両→6両に再組成[3]されR26・27編成となった。両編成とも北越急行ほくほく線入線のために装備したATS-P形を引き続き装備している。また、JR羽越本線脱線事故で脱線転覆で大破し廃車となったR24編成補完のため、この編成短縮化で余った電動車ユニットと青森車両センターからの転入車4両でR28編成を組成している。
- 過去には北越急行ほくほく線に乗り入れる特急「はくたか」、新潟・金沢 - 大阪間の北陸本線・湖西線特急「雷鳥」や大阪 - 青森間の日本海縦貫線の特急「白鳥」、その間合い運用として米原 - 大阪間の「びわこライナー」(以上はいずれも9両編成のT1 - T8編成およびR1、R2編成)、東日本では新宿 - 黒磯・郡山・会津若松間の快速「フェアーウェイ」、上野 - 金沢間の臨時夜行急行「能登」および間合い運用で「ホームライナー鴻巣3号」・「ホームライナー古河3号」(以上はいずれもK1、K2、T18編成、まれにR26、R27編成)での運用実績がある。
- 2014年時点ではJRグループで最も多くの485系が配置されているが、前身の上沼垂運転区に485系が初めて配置されたのは国鉄時代末期の1986年である。各地から寄せ集められたため、初期に製造されたボンネット型の先頭車を含む0番台から北海道向けの1500番台までさまざまな形態の485系が在籍していた。
- E653系電車(35両)
- 115系電車(193両)
- 4両編成14本(L編成)、3両編成33本(N編成)、2両編成18本(S編成15本・Y編成3本)、訓練車用2両編成1本が配置されている。
- Y編成は弥彦線と越後線(吉田 - 新潟の1往復)、その他の編成は信越本線(妙高高原 - 長岡 - 新潟)・上越線(水上 - 長岡)・越後線・白新線・羽越本線(新津 - 村上)の普通列車で運用される。
- S編成のうち、トイレを設置したS1・S2・S3・S7・S10・S11・S12編成は単独での運用が可能。それ以外の編成はトイレを設置していないため、他編成と併結して運用される。
- 一部車両は内装等の更新が行われているものの、L・Y編成の中には1964年(昭和39年)製をはじめとする0番台車が原型に近い姿で存在している。また、Y編成はワンマン運転に対応している。
- AU712形集約分散式冷房装置を搭載した車両が配置されているのは、現在では当センターのみとなっている。
- E127系電車(26両)
客車
過去の配置車両
電車
- 165系電車
- 急行「佐渡」や快速「ムーンライトえちご」、普通列車などで運用された。
- 181系電車
- 特急「とき」で運用された。1982年11月15日のダイヤ改正で全車が運用を離脱、一部の車両が改造されたほかは1986年までにすべて廃車された。
客車
- 50系客車
- 信越本線・磐越西線で運用された。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:東日本旅客鉄道新潟支社- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「railfan201407
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 「くびき野」には2006年5月中旬までは4両編成のT21・22編成が使用されていた。
- ↑ この編成短縮で保留車となったサロ481-3106・3107は2008年10月9日から10月10日にかけて秋田総合車両センターへ廃車回送された。