レーゲンスブルク
レーゲンスブルク(テンプレート:Lang-de、バイエルン語:Rengschburg)は、ユネスコの世界遺産に登録されているドイツ連邦共和国の都市。バイエルン州に位置する。人口は約12万人(2002年)。
地勢・産業
バイエルン州東部、オーバープファルツの中心都市であり、ドナウ川とレーゲン川の合流近くに位置する。そのため、水上運輸の要所としての役割を果たしている。歴史的景観と穏やかな気候から夏の保養地としても多くの旅行客を集める。近隣の都市としては、南西約55キロにインゴルシュタットが位置する。
歴史
1世紀、ローマ帝国軍の駐屯地、カストロ・レギーナがおかれた。これが現在の地名の由来ともなる。6世紀頃、バイエルン族が居住するようになり、バイエルン大公の居城がおかれた。その後、8世紀後半にタシロ3世がカール大帝に屈服し、フランク王国の統治下に入った。その後も政治・経済の中心として重要な役割を果たしており、大司教座聖堂などを通じてその繁栄をうかがうことができる。13世紀半ばに「帝国自由都市」としての特権を認められていた。神聖ローマ帝国における帝国議会がこの地で幾度か開催され、1654年にレーゲンスブルクでなされた「最終帝国議会決議」は、正規の帝国議会における決議としては最後のものであった。1663年以降、それまで各地で開かれていた帝国会議は、レーゲンスブルクに常置された。1803年に独立を失い、マインツの代わりとしてマインツ大司教で神聖ローマ帝国の宰相であったカール・フォン・ダールベルクに引き渡された。カールは街を近代化させ、プロテスタントとカトリック教徒に同じ権利を与え慕われた。1810年にバイエルン王国に引き渡され、カールはフルダへと移った。1809年4月19日から4月23日までオーストリア軍とフランス軍が交戦し、街に大きな被害が出た。第二次世界大戦中にはドイツ軍の第8軍管区本部が置かれたが、連合軍の空襲は小規模で、多くの歴史的建造物は破壊されずに残った。 テンプレート:Wide image
文化
この街で「マクデブルクの半球」と呼ばれる真空実験が行われた(実験者ゲーリケがマクデブルクの市長だったため、この名で呼ばれる)。
2006年、市の中心部に当たる旧市街と対岸の地区が「レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ」としてユネスコの世界遺産に登録された。
小惑星(927)のラティスボナ (小惑星)は、レーゲンスブルクのラテン語名に因んで命名された。
ベネディクト16世の出身地である。 テンプレート:Gallery
関連項目
友好都市
- テンプレート:Flagicon アバディーン、スコットランド
- テンプレート:Flagicon ブレッサノーネ、イタリア
- テンプレート:Flagicon クレルモン=フェラン、フランス
- テンプレート:Flagicon ピルゼン、チェコ
- テンプレート:Flagicon テンピ、アメリカ合衆国
- テンプレート:Flagicon オデッサ、ウクライナ
- テンプレート:Flagicon ブダヴァール、ハンガリー
- テンプレート:Flagicon チンタオ、中国