ラジオジャック
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 ラジオジャックは琉球放送ラジオ(RBCラジオ・現RBCiラジオ)で1985(昭和60)年4月8日~1993(平成5)年10月1日の8年半にわたって放送された深夜のヤングラジオ番組。開始前まで同時間枠で放送されていた「ナイトヤングメイツ」や「シャッフルナイト」などの後番組としてスタートした。
概要
放送開始当時のメインパーソナリティーは土方浄、箕田和男、柳卓、玉城美智子、比嘉京子(いずれもRBCアナウンサー・当時)が平日(月~金)日替わりで担当。その後初期パーソナリティーの降板で1人で複数曜日担当したり、新たなパーソナリティー登場などで度々入れ替えがあり、初期パーソナリティーの中で最後まで務めた箕田和男(ミノカズ)アナも1992年9月28日を最後に降板し、アシスタントだったクロマルこと大田和正に禅譲した。放送終了当時のメインパーソナリティーはクロマル(大田和正)、三輪真佐子アナ、橋本邦彦アナ、富原志乃、北野順一(JK)が日替わりで担当。
放送時間は開始当時は22:30~24:00の1時間半だったが、その後日付が変わって24:00を過ぎて2時間番組だったり、短いときは22時台だけの50分番組だったりなど度々放送時間が変わり、放送終了当時は22:00~23:20の1時間20分だった。なお、途中まで毎年10月の番組改編後~翌年1月初めの3ヶ月間、専門学校を紹介する10分番組が放送された関係で、この時期だけは10分間短縮された。
1993年10月1日、この日の担当パーソナリティーだったJKこと北野順一が「ラジオジャック終了」のアナウンスで8年半の幕を閉じた。後番組は「ラジ・ゲリラ」(1993年10月4日~1995年4月7日)。
1990年6月~1991年4月の9ヶ月間、金曜日は「東京発ラジオジャック『うりひゃー!東京カラーランド』」(RBC東京支社製作)として東京から放送。1990年9月までは月曜~木曜でも5分間ミニ番組として放送され、通常のラジオジャックはその後、ステーションブレイクなしで放送。但し10月以降は「東京発ラジオジャック」の冠タイトルはなくなり、別番組となったが放送時間枠は22時台のみに短縮されたのみにとどまった。
春闘などでストになった場合は、当時大ベテランだった仲地昌京アナ(現在は定年退職したが、今でも同局で土曜夜にワイド番組を持っている)が「いつもならこの時間はラジオジャックの時間ですが、今日は都合によりレコード音楽をお送りします」と番組枠使って懐かしい音楽を流した。
パーソナリティー
メインパーソナリティー
箕田和男
- (1985年4月~1992年9月)
- 担当曜日
- サブタイトル
- 1985年4月~1987年3月 ミノカズのまるかじりステーション(火曜)
- 1987年4月~1990年10月 とんがりマンデーラジオは竜宮城(月曜)
- 1987年4月~1990年4月 みのかずと公平のメンズメンズナイト(火曜)
- 最初の1ヶ月はみのかずと公平のメンズメンズワールド だった。
- 1988年4月~1989年4月 みのかずのどんとまかちょけー(水曜)
- 1990年4月~10月 ラジオはオッペケペーのポンポコピー(火曜)
- 1990年10月~1991年4月 ファンキー野郎のもっこりラジオ(月曜)
- 1991年4月~1992年9月 ファンキー野郎の今夜もいかすぜ(月曜)
- 担当アシスタント
- 吉田君枝 1985年4月~1987年3月・火曜担当
- 新垣美穂(ミホ・みほ) 1987年4月~1990年10月・月曜担当
- 小沢公平(沖縄タレントアカデミー校長) 1987年4月~1990年10月・火曜担当
- 喜瀬つよし 1988年4月~1989年4月・水曜担当
- 大田和正(クロマル) 1990年10月~1992年9月・月曜担当 →10月からメインに昇格
- 主な準レギュラー
- 橋本邦彦 1987年4月(RBC入社)~1988年4月・火曜担当 →同月木曜メインに昇格
- 磯部昇
- 三輪真佐子 1990年4月~10月・火曜担当 →同月メインに昇格
- 主なコーナー
比嘉京子
- (1985年4月~1990年4月)
- 担当曜日・サブタイトル
- 1985年4月~1990年4月 金曜担当
- サブタイトル とんでもナイト、ときめいてフライデー。
- 担当アシスタント(いずれも金曜担当)
- 上江洲朝男 1985年4月~11月
- 嘉手苅智(現かでかるさとし) 1985年11月~1987年4月
- 島袋勇 1987年4月~1988年9月
- 富原志乃 1987年4月~1990年4月 →同年10月、木曜メインに昇格
- 主なコーナー
- 女王様とお呼び!
- わらわさー
- イヤだ!
- 今週の“寿”(「寿千年万年」というバンドグループを紹介するコーナー)
- カメおばぁのうちなぁ昔話
- スナフキンのノートから
- チバリヨー!受験生 ほか
玉城美智子
- (1985年4月~1988年4月)
- 担当曜日
- 1985年4月~1987年4月 木曜担当
- 1987年4月~1988年4月 水・木担当
- サブタイトル
- 1985年4月~1988年4月 お茶目な木曜日(木曜)
- 1987年4月~1988年4月 水曜日にはラジオをきいて…(水曜)
- 担当アシスタント
- デビット・シェーン 1985年4月~9月・木曜担当
- 大原裕 1985年9月~1986年4月・木曜担当
- 東盛敬 1986年4月~10月・木曜担当
- 塚田浩司 1986年10月~1988年3月・木曜担当
- 北野順一 1987年4月~1988年4月・水曜担当 →1990年10月火曜アシスタント →金曜メインへ
- 1988年3月~4月の1ヶ月間は木曜のアシスタントも担当(塚田浩司が卒業・降板のため)。
土方浄
- (1985年4月~1987年3月)
- 担当曜日
- 1985年4月~1987年3月 月曜担当
- サブタイトル
- 1985年4月~1986年3月 月曜夜ははんぱじゃナイト
- 1986年4月~1987年3月 キヨやんのがんばりマンデー
- 担当アシスタント(いずれも月曜担当)
- 大嶺美雪 1985年4月~1986年3月
- 富原志乃 1986年4月~1987年4月 →同月金曜へ異動 →1990年10月から木曜メインへ
柳卓
- (1985年4月~1987年4月)
- 担当曜日・アシスタント・サブタイトル
- 1985年4月~1987年4月 水曜担当
- サブタイトル おもしろラジオの水曜日
- アシスタント 我如古清美
橋本邦彦
- (1988年4月~1993年9月)
- 担当曜日
- 1988年4月~1989年4月 木曜担当
- 1989年4月~1990年4月 水・木担当
- 1990年4月~5月 水~金担当
- 同年6月~10月 水・木担当
- 同年10月~1993年9月 水曜担当
- サブタイトル
- 1988年4月~1990年10月 夢みるラジオ夜遊びしまひょ(木曜→水曜)
- 1988年4月~1989年4月6日は木曜版、1989年4月12日~1990年10月は水曜版のサブタイトル
- 1990年からは最後の"しまひょ "が"しましょ "になった。
- 1989年4月~1990年10月 満員御礼!木曜ラジオクラブ(木曜)
- 1990年4月~5月 きまぐれ金曜ふう来デイ(金曜)
- 1990年10月~1993年9月 どうにも好い曜族(水曜)
- 1988年4月~1990年10月 夢みるラジオ夜遊びしまひょ(木曜→水曜)
- 担当アシスタント
- 当山かおり 1988年4月~1990年3月・木曜担当
- 当間なつみ 1989年4月~1990年9月・水曜担当
- 1989年8月下旬~9月中旬には木曜の代理アシスタントも務める(当山かおりが就職活動で上京したため)
- 宮城里香 1990年4月~10月・木曜担当
- 長嶺江利子 1990年4月~5月・水曜担当 →同年6月~1993年3月・水曜担当
- 名嘉山末子 1993年4月~9月・水曜担当
- 主な担当AD
- 仲宗根武 1988年4月~1989年4月
- 川平ひさみ 1989年4月~1990年3月
- 吉川朝邦 1990年4月~?
- 伊計ひでき ?~1993年9月
- 主なコーナーレギュラー
- 上原力(現在琉映取締役営業部長)
- 主なコーナー
- ラジオゲームコーナー
- おまかせシネマ
- アニメ三本勝負→アニメスクランブル
- 週刊ラジオマンガ(最初の2年、春~夏にやっていたが下記のコーナー開始により途中で打ち切られた)
- あなたの知らない世界(7月後半~8月の夏休み期間中にやっていた)
- 合格神社(受験が近づく12月~翌年3月頃にやっていた。BGMは水前寺清子の「365歩のマーチ」)
- かおりの日記
- 橋本の趣味の音楽
- かおりのこれ聞いてぇ
- 伝言板コーナー→声の伝言板コーナー
- それは先生のコーナー(ジングルは森昌子の「せんせい」)
- 六甲おろしのコーナー
(プロ野球応援のコーナーだが、タイトル名は発案者であるリスナーが阪神ファンだったから。BGMは当然六甲おろしだった) - なつみのおまじない大好き
- ボーイズ オブ ラブ→ボーイズ オブ バレンタイン→卒業メッセージ
(ある年の民放ラジオの「ゆく年くる年」でやったのがきっかけ) - 住めば宮古(宮古テレビの男性アナウンサーが毎週電話出演し、宮古島の話題を紹介)
- ラジオタイトルマッチ
(リスナーに電話でつなぎ1対1で山手線ゲーム形式で対戦する。BGMはアントニオ猪木の入場テーマ曲だった) - サイリク歌合戦
(2人がかけたいリクエスト曲をサイコロで勝負、勝った方がフルコーラスでかかり、負けた方は勝った方の曲をかける前に最初の部分のみかけて次第に音を絞る) - モノモノショップ
- エリーのハートの詩
- リーにまかせなさい!恋のSOS(ジングルにはピンクレディーの「SOS」のサビの部分だった)
- 末子の保健室 ほか
富原志乃
- (1990年10月~1993年9月)
- 担当曜日
- 1990年10月~1993年9月 木曜担当
- サブタイトル ふんだりけったり木曜日
- 担当アシスタント(いずれも木曜担当)
- 石川清敏 1990年10月~1993年4月
- 飯田泰彦 1993年4月~9月
- 担当AD
- 吉川朝邦 1990年10月~?
- 伊計ひでき ?~1993年9月
- 主なコーナー
- ピノキオ君出番ですよ
- フリートークのコーナー(リスナーからのフリーな内容のはがきを紹介するコーナーでほとんどがこのコーナーだった)
- 木曜メールボックス ほか
三輪真佐子
- (1990年10月~1993年9月)
- 担当曜日
- 1990年10月~1993年9月 火曜担当
- サブタイトル
- 1990年10月~1992年3月 ぬれてみだれてナイチャーズ
- 1992年4月~1993年9月 美男美女の火曜日・ビューティフルチューズデー
- 担当パーソナリティー(いずれも火曜担当)
- 北野順一 1990年10月~1991年4月 →同月金曜メインに昇格
- 宮之前浩 1991年4月~1993年9月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時部長)
- 担当AD
- 増地学 1990年10月~1991年4月 (琉球大学放送サークル〈RUB〉当時部長?)
- 鮫島洋一郎 1991年~1992年12月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時宴会部長?)
- 益田勇 1993年1月~9月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時副部長)
- 荒井岳 1993年1月~9月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時部長)
- (益田と荒井はラジオジャック終了後、番組内でニュース担当だった垣花章や玉城美智子がメインを務める「わんからナイト」等のADを担当)
- 主なコーナー
北野順一
- (1991年4月~1993年10月)
- 担当曜日・サブタイトル
- 1991年4月~1993年10月 金曜担当
- サブタイトル フライデーエアメール
大田和正(クロマル)
- (1992年10月~1993年9月)
- 担当曜日・サブタイトル・アシスタント
- 1992年10月~1993年9月 月曜担当
- サブタイトル クロマルのはみだしチャンピォン
- 担当アシスタント 末吉甘奈
- 担当AD
- 鮫島洋一郎 1992年10月~12月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時宴会部長?)
- 益田勇 1993年1月~9月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時副部長)
- 荒井岳 1993年1月~9月(琉球大学放送サークル〈RUB〉当時部長)
- 主なコーナー
- 青春ネットワーク ほか
アシスタント
- 太字は後にメインパーソナリティーに昇格
1985年
- 大嶺美雪
- 1985年4月8日~1986年3月31日・月曜担当(初代)
- 土方浄担当初代アシスタント
- 吉田君枝
- 1985年4月9日~1987年3月31日・火曜担当(初代)
- 箕田和男担当初代アシスタント
- 我如古清美
- デビット・シェーン
- 上江洲朝男
- 大原裕
- 嘉手苅智(現・かでかるさとし)
- 1963年生まれ。沖縄県浦添市出身。沖縄国際大学卒業。
- 1985年11月8日~1987年4月3日・金曜担当(2代目)
- 番組降板後、仲里幸弘と漫才コンビを組み「ニーニーズ」を結成。同局や沖縄テレビの番組に出演した。
- 1990年代後半には東京でも活躍し、フジテレビ系タモリのスーパーボキャブラ天国などにも出演した。
- 2000年に帰郷後、ソロとして再び同局の番組に出演。現在は「ちむどんぱあく」に出演。
1986年
1987年
- 新垣美穂(ミホ・みほ)
- 小沢公平
- 1987年4月7日~1990年10月2日・火曜担当(2代目)
- 仲間由紀恵や亜波根綾乃らを輩出した沖縄タレントアカデミー校長
- 箕田和男火曜担当最後のアシスタント
- 唯一メインパーソナリティーよりも年上のアシスタント
- 北野順一
- 1987年4月8日~1988年4月6日・水曜担当
- 玉城美智子水曜担当唯一のアシスタント
- 1990年10月9日~1991年4月2日・火曜担当
- 三輪真佐子担当初代アシスタント
- 1991年4月12日、メインパーソナリティーに昇格
- 島袋勇
- 1987年4月10日~1988年9月9日・金曜担当
- 土方浄担当の終了に伴い月曜から異動した富原志乃とともにアシスタント2人体制となるが、新聞のラジオ欄は富原志乃よりも先に掲載されていた。
1988年
- 喜瀬つよし
- 沖縄国際大学卒業。
- 1988年4月13日~1989年4月5日・水曜担当
- 箕田和男水曜担当唯一のアシスタント
- 降板後も芸能活動を続け、後にニーニーズの弟分にあたる“サンサンズ”を結成。1993年10月~1995年4月には後番組「ラジ・ゲリラ」の月曜担当を務めた。
- 当山かおり
- 1966年生まれ。沖縄県国頭郡恩納村出身。沖縄国際大学卒業。
- 1988年4月14日~1990年3月22日・木曜担当
- 橋本邦彦メイン昇格後、初代アシスタント
- この番組のほかに「RBCポップサンデー」のアシスタントも務めたり(?~1990年3月)、RBCテレビのリポーターも務めた。
- 番組の最終コーナー「かおりの日記」はワンマンコーナーだった
- 実際は1990年4月5日まで枠があったが、就職が東京なため、ADの川平ひさみとともに2週間早めて卒業となった。沖縄タイムスのラジオ欄は卒業した3月29日と4月5日も「当山かおり」の名前が載っており、4月5日には「さよならかおりちゃん」の内容まで出ていた。
- 2年間東京の東海大学で勤務後、1992年に帰郷し放送界に復帰。しばらくRBCやラジオ沖縄の番組に出演した。
1989年
- 当間なつみ
- 1970年生まれ。那覇市出身。沖縄国際大学短大部卒業。
- 1989年4月12日~1990年10月3日・水曜担当
- 橋本邦彦担当2代目・水曜進出初代アシスタント
- 3ヵ月後の1989年7月から自らのコーナー「なつみのおまじない大好き」がスタート。同年10月からは番組最初のコーナーとなった。
- 1989年8月~9月の4回、木曜担当アシスタントの当山かおりが就職活動で上京するため、木曜のピンチヒッターも務め水木2日連続の出演となった。しかし同局のラジオ欄を載せてる沖縄タイムスや琉球新報などのラジオ欄にはこの期間中も木曜は「DJ・橋本邦彦 当山かおり」のままだった。
- 1990年5月30日から、金曜担当だった長嶺江利子が同局東京支社製作の別枠「うりひゃー!東京カラーランド」スタートで金曜枠が廃止されたため、水曜に異動。卒業する10月3日までの4ヶ月間アシスタント2人体制となる。卒業後は長嶺江利子だけが残ることに。ちなみに2人とも出身高校、当時在学中大学は同じ(高校の学科は別々)。
1990年
- 宮城里香
- 1969年生まれ。那覇市出身。沖縄国際大学卒業。
- 1990年4月12日~10月4日・木曜担当
- 橋本邦彦木曜担当最後のアシスタント
- 愛称は「リー」
- 自らのコーナーは「リーにまかせなさい!恋のSOS」
- 長嶺江利子
- 1970年生まれ。那覇市出身。沖縄国際大学卒業。
- 1990年4月13日~5月25日・金曜担当 →同年5月30日~1993年3月31日・水曜担当
- 橋本邦彦金曜進出のアシスタントだったが、6月から同局東京支社製作の「うりひゃー!東京カラーランド」スタートに伴い、2ヶ月で打ち切り。その後水曜に異動。10月3日までの4ヶ月間は当間なつみとアシスタント2人体制。当間なつみが卒業した後の10月10日以降はアシスタント一人に戻る。2人のときは当間なつみが先に水曜担当だったため、やや遠慮がちだったが、一人になってからはそれもなくなった。
- 番組最後のコーナー「エリーのハートの詩」はワンマンコーナーだった。
- 大学卒業とともに降板したが、2000年に糸満市のコミュニティFM局、FMたまんで土曜昼に放送されていた「リゾート気分で」のパーソナリティーを務め、7年ぶりにラジオに復帰した。
- 大田和正(クロマル)
- 1990年10月8日~1992年9月28日・月曜担当
- 箕田和男担当最後のアシスタント
- 1992年10月より、箕田和男アナの後を引き継ぐ形でメインに昇格
- 石川清敏
- 1969年生まれ。沖縄県浦添市出身。沖縄国際大学卒業。
- 1990年10月11日~1993年4月1日・木曜担当
- 富原志乃メインパーソナリティー昇格後初代アシスタント
1991年
- 宮之前浩
- 1971年生まれ。鹿児島県出身。琉球大学卒業。
- 1991年4月9日~1993年9月28日・火曜担当
- 三輪真佐子担当2代目アシスタント。
- 自らのコーナーは「浩の片想い日記」、それをもじってADの鮫島洋一郎のコーナー「ゴルゴ洋一郎のエロエロ日記」なるものまでスタートした。
- 当時同局で土曜日に放送されたコカ・コーラ提供の番組「スタジオ・C2スクエア」でも三輪真佐子アナとコンビで放送した。石垣島の八重山毎日新聞のラジオ欄にはこの番組を「スタジオ"Q2"スクエア」("Q2"はダイヤルQ2の"Q2"と同じ)と誤表記していた。
- のちにADで登場する益田勇と荒井岳は、宮之前とは琉球大学放送クラブ〈RUB〉だけでなく、琉球大学学生寮の先輩・後輩の間柄である。
1992年
- 末吉甘奈
1993年
- 名嘉山末子
- 那覇商業高校卒業。
- 1993年4月7日~9月29日・水曜担当
- 橋本邦彦アナ担当最後のアシスタント
- もともとフリーアナとして沖縄県広報テレビ番組「みんなの県政」のリポーターなどをはじめ、テレビ・ラジオで活躍。
- 自らのコーナーは「末子の保健室」
- 番組終了後もFM沖縄の「名嘉山末子のミュージックティアラ」などテレビ・ラジオで活躍していた。
- 飯田泰彦
- 1969年生まれ。沖縄国際大学卒業。
- 1993年4月8日~9月30日・木曜担当
- 富原志乃担当最後のアシスタント
- 前任者石川清敏とは同じバンド仲間だったらしい。
- ニックネームは「パッパラー飯田」
曜日別サブタイトル&パーソナリティーの変遷
サブタイトル
- 月曜日
- 1985年4月8日~1986年3月31日 「月曜夜ははんぱじゃナイト」
- 1986年4月7日~1987年3月30日 「キヨやんのがんばりマンデー」
- 1987年4月6日~1990年10月1日 「とんがりマンデーラジオは竜宮城」
- 1990年10月8日~1991年4月1日 「ファンキー野郎のもっこりラジオ」
- 1991年4月8日~1992年9月28日 「ファンキー野郎の今夜もいかすぜ」
- 1992年10月5日~1993年9月27日 「クロマルのはみだしチャンピォン」
- 火曜日
- 1985年4月9日~1987年3月31日 「ミノカズのまるかじりステーション」
- 1987年4月7日~1990年4月3日 「みのかずと公平のメンズメンズナイト」
- 最初の1ヶ月は「みのかずと公平のメンズメンズワールド」だった。
- 1990年4月10日~10月2日 「ラジオはオッペケペーのポンポコピー」
- 1990年10月9日~1992年3月31日 「ぬれてみだれてナイチャーズ」
- 1992年4月7日~1993年9月28日 「美男美女の火曜日・ビューティフルチュースデー」
- 水曜日
- 1985年4月10日~1987年4月1日 「おもしろラジオの水曜日」
- 1987年4月8日~1988年4月6日 「水曜日にはラジオをきいて…」
- 1988年4月13日~1989年4月5日 「みのかずのどんとまかちょけー」
- 1989年4月12日~1990年10月3日 「夢みるラジオ夜遊びしまひょ」
- 1990年に入ってからは最後の部分が「しましょ」に変わった。
- 1990年10月10日~1993年9月29日 「どうにも好い曜族」
- 木曜日
- 1985年4月11日~1988年4月7日 「お茶目な木曜日」
- 1988年4月14日~1989年4月6日 「夢みるラジオ夜遊びしまひょ」
- 1989年4月13日~1990年10月4日 「満員御礼!木曜ラジオクラブ」
- 1990年10月11日~1993年9月30日 「ふんだりけったり木曜日」
- 金曜日
- 1985年4月12日~1990年4月6日 「とんでもナイトときめいてフライデー」
- 1990年4月13日~5月25日 「気まぐれ金曜ふう来デイ」
- 1990年6月1日~1991年4月5日 うりひゃー東京カラーランド
- 1991年4月12日~1993年10月1日 「フライデーエアメール」
パーソナリティー
太字はメーンパーソナリティー(準レギュラー・ADは省略)
- 月曜日
- 1985年4月8日~1986年3月31日 土方浄・大嶺美雪
- 1986年4月7日~1987年3月30日 土方浄・富原志乃
- 1987年4月6日~1990年10月1日 箕田和男・新垣美穂
- 1990年10月8日~1992年9月28日 箕田和男・大田和正(クロマル)
- 1992年10月5日~1993年9月27日 大田和正(クロマル)・末吉甘奈
- 火曜日
- 1985年4月9日~1987年3月31日 箕田和男・吉田君枝
- 1987年4月7日~1990年10月2日 箕田和男・小沢公平
- 1990年10月9日~1991年4月2日 三輪真佐子・北野順一
- 1991年4月9日~1993年9月28日 三輪真佐子・宮之前浩
- 水曜日
- 1985年4月10日~1987年4月1日 柳卓・我如古清美
- 1987年4月8日~1988年4月6日 玉城美智子・北野順一
- 1988年4月13日~1989年4月5日 箕田和男・喜瀬つよし
- 1989年4月12日~1990年5月23日 橋本邦彦・当間なつみ
- 1990年5月30日~10月3日 橋本邦彦・当間なつみ・長嶺江利子
- 1990年10月10日~1993年3月31日 橋本邦彦・長嶺江利子
- 1993年4月7日~9月29日 橋本邦彦・名嘉山末子
- 木曜日
- 1985年4月11日~9月5日 玉城美智子・デビッドシェーン
- 1985年9月12日~1986年4月3日 玉城美智子・大原裕
- 1986年4月10日~10月9日 玉城美智子・東盛敬
- 1986年10月16日~1988年4月7日 玉城美智子・塚田浩司
- 1988年4月14日~1990年4月5日 橋本邦彦・当山かおり
- 1989年8月24日~9月14日は当間なつみが代理アシスタント
- 当山かおりは1990年3月22日卒業。3月29日と4月5日は橋本邦彦一人で行った
- 1990年4月12日~10月4日 橋本邦彦・宮城里香
- 1990年10月11日~1993年4月1日 富原志乃・石川清敏
- 1993年4月8日~9月30日 富原志乃・飯田泰彦
- 金曜日
- 1985年4月12日~11月1日 比嘉京子・上江洲朝男
- 1985年11月8日~1987年4月3日 比嘉京子・嘉手苅智(かでかるさとし)
- 1987年4月10日~1988年9月9日 比嘉京子・島袋勇・富原志乃
- 1988年9月16日~1990年4月6日 比嘉京子・富原志乃
- 1990年4月13日~5月25日 橋本邦彦・長嶺江利子
- 1990年6月1日~1991年4月5日
- 「うりひゃー!東京カラーランド」(東京支社製作・東京から放送) きゃんひとみ・ジェームス天願
(ラジオジャックの枠としては1990年10月5日まで、10月12日~1991年4月5日は別番組扱い)
- 「うりひゃー!東京カラーランド」(東京支社製作・東京から放送) きゃんひとみ・ジェームス天願
- 1991年4月12日~? 北野順一・西村悦子
- ?~1993年10月1日 北野順一
放送時間
期間 | 放送時間 | 脚注 |
---|---|---|
1985年4月8日~1986年4月4日 | 月曜~金曜22:30~24:00(90分) | |
1986年4月7日~9月22日 | 月曜~金曜22:30~24:30(120分) | |
1986年9月23日~10月3日 | 月曜~金曜22:30~24:20(110分) | 1 |
1986年10月6日~1987年1月2日 | 月曜~金曜22:30~23:50(80分) | 1,2,3 |
1987年1月5日~4月3日 | 月曜~金曜22:30~24:20(110分) | 1 |
1987年4月6日~10月9日 | 月曜~金曜22:30~24:00(90分) | 4 |
1987年10月12日~1988年1月11日 | 月曜~金曜22:30~23:50(80分) | 2 |
1988年1月12日~10月7日 | 月曜~金曜22:30~24:00(90分) | |
1988年10月10日~1989年1月13日 | 月曜~金曜22:30~23:50(80分) | 2 |
1989年1月16日~10月6日 | 月曜~金曜22:30~24:00(90分) | |
1989年10月9日~1990年1月5日 | 月曜~金曜22:00~22:50(50分) | 2,5 |
1990年1月8日~3月30日 | 月曜~金曜22:00~23:00(60分) | |
1990年4月2日~20日 | 月曜~金曜22:00~23:30(90分) | 6 |
1990年4月23日~5月31日 | 月曜~金曜22:05~23:30(85分) | 7 |
1990年6月4日~10月4日 | 月曜~木曜22:10~23:30(80分) | 7.8,9 |
1990年10月8日~1991年1月7日 | 月曜~木曜22:05~23:20(75分) | 2,7,8 |
1991年1月8日~4月4日 | 月曜~木曜22:05~23:30(85分) | 7 |
1991年4月8日~6月28日 | 月曜~金曜22:00~23:25(85分) | 10 |
1991年7月1日~11月4日 | 月曜~金曜22:00~23:30(90分) | |
1991年11月5日~1992年1月13日 | 月曜~金曜22:00~23:20(80分) | 2 |
1992年1月14日~10月2日 | 月曜~金曜22:00~23:30(90分) | |
1992年10月5日~1993年4月2日 | 月曜~金曜22:05~23:20(75分) | 7,11 |
1993年4月5日~10月1日 | 月曜~金曜22:00~23:20(80分) |
- 10分間のミニ英語番組を放送するため(ただし1987年1月1日~2日は休止したため、当番組が10分延長され24:00まで放送)。
- 沖縄県外の専門学校を紹介する10分番組「キャンパス通信(青春って何だ)」(季節限定)放送のため。
- 24:00~24:20に全国ハイスクールステーションなどを放送するため。
- 「榎さんのおはようさん」ネット開始のため、「旺文社大学受験ラジオ講座(ラ講)」と「百万人の英語」が早朝から深夜への時間移動に伴うもの。このためTBSラジオの「スーパーギャング」のネットが打ち切られた(~1989年9月)。
- 22:00以降の番組の大幅改編に伴うもの。これにより1987年4月から中断していたTBSラジオの深夜番組「スーパーギャング」のネットが再開され、「百万人の英語」がFM沖縄へ移行した(放送時間も早朝に戻った)。また「ファンファントゥデー」(ニッポン放送制作の日立1社提供の全国ネットの帯番組)が当番組の開始前の22:00~22:30から終了後の23:00~23:30へ時間移動した。
- 「ファンファントゥデー」の放送終了に伴うための延長(ニッポン放送制作日立提供枠は日曜夜へ移動し、週1回に縮小)。
- 22:00から5分間ニュースを放送するため。
- 1990年6月1日~1991年4月5日の毎週金曜日は東京支社製作のうりひゃー!東京カラーランドの放送のため、金曜の放送を中止(1990年9月まではラジオジャックの特別版として放送)。
- 22:05から5分間うりひゃー東京カラーランドのミニ番組を放送するため。ミニ番組終了後ステーションブレイクで当番組がスタート。
- 当時午前中に放送されていた5分間のミニ宅建講座番組の再放送を放送するため。また金曜の放送を再開。
- 関西放送制作の10分番組「らじとぴあワールド」がラジオ沖縄から移行されるに伴うもの。