恩納村
恩納村(おんなそん)は、沖縄県内、沖縄本島の中央部に位置する村である。
日本屈指のリゾート地であり、東シナ海の海岸に沿って走る国道58号線沿いには多くの大型リゾートホテルが立ち並ぶ。アメリカ合衆国のビル・クリントン前大統領やロシアのプーチン大統領などの世界の首脳も、2000年の九州・沖縄サミットの際には当村のホテルに滞在した。
目次
地理
沖縄本島北部の西海岸に位置し北西に東シナ海を望む。南北27.4km、東西4.2kmと細長い地域である。山がちの地形で村面積のうち8割は山岳、3割は軍用地である。各所に小河川があり、その河口域に集落がある。河口には小規模なマングローブが見られることもある。水が豊富であるため、古くから稲作や藺草の栽培も行われた。またこの地域は首里や那覇から見た場合、山原(やんばる)では最も近い所に位置するため、「近山原」とも呼ばれていた[1]。
村内では恩納岳がもっとも目立つ山である。山林はおもにリュウキュウマツなどからなる二次林に被われる。恩納岳にはかつては保存のよい照葉樹林もあり、ヤンバルクイナも生息していたと考えられるが、現在では実弾演習場となり、リュウキュウマツやススキのブッシュが大部分である。
主な丘陵
- 恩納岳(362.8m)
- 大綾岳(234.2m)
- 石川岳(214.2m)
- 読谷岳(201m)
字一覧
- 名嘉真(なかま)
- 安富祖(あふそ)
- 喜瀬武原(きせんばる)
- 瀬良垣(せらがき)
- 恩納(おんな)
- 谷茶(たんちゃ)
- 冨着(ふちゃく)
- 前兼久(まえがねく)
- 仲泊(なかどまり)
- 山田(やまだ)
- 真栄田(まえだ)
隣接している自治体
- 名護市(1970年7月まで名護町)
- 沖縄市(1956年まで越来村、その後1974年3月までコザ市)
- うるま市(戦前は美里村、戦後~2005年3月は石川市)
- 金武町(1980年3月まで金武村)
- 宜野座村(戦前まで金武村)
- 読谷村(戦前まで読谷山村)
人口
歴史
1673年に金武間切と読谷山間切からそれぞれ分離され、12の村をもって恩納間切となり、1908年に恩納村となる。1975年の海洋博覧会開催を境に道路整備が進み、その後現在のようにリゾート地へと発展した。
ただし、内陸部の大部分は米軍基地であり、林野の中を金網が走っていて、その内部は立ち入り禁止となっている。恩納岳周辺は実弾演習場である。
姉妹都市・友好都市
- テンプレート:Flagicon 美波町(徳島県)
- テンプレート:Flagicon 石狩市(北海道)
- テンプレート:Flagicon 岡山県加賀郡吉備中央町1998年10月31日友好交流縁組(旧・加茂川町)友好交流縁組
行政
行政区
- 宇加地
- 塩屋
- 真栄田
- 山田
- 仲泊
- 前兼久
- 冨着
- 谷茶
- 南恩納
- 恩納
- 太田
- 瀬良垣
- 安富祖
- 喜瀬武原
- 名嘉真
郵便
- 郵便局
- 恩納郵便局
- 仲泊郵便局
交通
那覇から沖縄自動車道を利用して、一時間程度の距離に位置する[3]。
バス
- 20番・名護西線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行、那覇バスターミナル - 国道58号 - 名護バスターミナル)
- 48番・石川読谷線(沖縄バス、読谷バスターミナル - 仲泊 - 石川東山入口)
- 120番・名護西空港線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行、那覇空港 - 国道58号 - 名護バスターミナル)
かつては県道104号を通り村内陸部の喜瀬武原を経由するバスも運行されていたが1995年に廃止された。また路線バスのほかに、那覇空港から主要リゾートホテルを結ぶ空港リムジンバスとエアポートライナーが運行されており、ここでは琉球バス交通と沖縄バスのほかに東陽バスも運行されている。
道路
医療
- ランデブーポイント[4] 9箇所
※民間救急ヘリコプターMESH のヘリポートとして使用
その他
伊武部
テンプレート:節stub 伊武部(いんぶ)は恩納村北部、名護との境界、ヤーシ川(伊武部川)近くの一帯。現在は字名嘉真(なかま)の伊武部原(いんぶばる)。元々は川に沿って境界標識、即ち「印」を設けたことからの「印部」であり、「伊武部」は当て字である。この地域の部落は、1870年(明治3年)頃に儀間、次いで嘉手納の一族が移り住んできたのが発祥である。何分「オンナ」村の「インブ」とのことで、戦後の一時期、外部の人間の目を気にして「インベ」と呼ぶことにしたが、やはり先祖由来の歴史ある地名を変えるに忍びないと言うことで、現在は伊武部に回帰しており、一帯のビーチもインブビーチと呼ばれている。また、1980年の『恩納村村史』には、恐らく作りものの笑い話であろう、としながらも、「私の出身は恩納のインブです」「いや、おおよその人間はオンナのインブ出身であろう」という話や、豪雨時に川の堤が破損した時、沖縄県庁に「恩納の伊武部の土手破損」との電文を打ったところ、「名護の病院に連れて行け」と返電が有った話が紹介されており、更には、外部の人間にとっては一度聞けば忘れぬことの出来ぬ、独特な素晴らしい地名であると結んでいる。なお、恩納村には他にも万座毛(まんざもう)という景勝地がある [5]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
ビーチ(海水浴場)
- ムーンビーチ
- 万座ビーチ
出身有名人
脚注
参考文献
- 仲松弥秀 編著 『恩納村史』 恩納村役場 1980年3月
- 平凡社地方資料センター 編 『日本歴史地名大系第48巻 沖縄県の地名』 p.421「恩納村」、p.424「万座毛」、p.425「伊武部」