ボディビル
ボディビル(ボディビルディング、英語:bodybuilding)は筋肉繊維をウェイトトレーニング、栄養の摂取、そして休養を組み合わせることによって発達させる過程のことである。ボディビルを行う人をボディビルダーと呼ぶ。「ボディビル競技会(コンテスト)」にて、ボディビルダーたちは彼らの肉体(physiques)を審査員に披露し、審査員は審美的造型に基づいて得点をつける。審美的、というのは、胸回りが何センチあるか、と言った尺度ではなく、全体的な形の美しさで審判するという意味である。 バルク(筋肉の量)、ディフィニション(definition、皮下脂肪の無い輪郭が見える筋肉)、バランス(全身の均衡ある筋肉)をパンプ・アップ(pump upウェイトトレーニングをして血液が筋に送られ充血する筋肉)した状態を審査する。有名なボディビルダーには俳優としても活躍したアーノルド・シュワルツェネッガー、ルー・フェリグノなどがいる。
歴史
アスレチックスポーツとしてのボディビルは11世紀のインドにまで遡ることができる。そこではアスリート達が「ナル」と呼ばれる木の棒の外側に石をくくりつけたダンベルを使用していた。
草創期
「筋肉を披露する技芸」としてのボディビルが誕生したのは19世紀末のことである。この時代にボディビル競技を推進したのが「近代ボディビルの父」としばしば評されるドイツ(当時プロシア)出身のユルゲン・サンドウ(ユージン・サンドウとも)である。
サンドウは最初に運動器具(マシンド・ダンベル、スプリング・プーリー、テンション・バンド)を発明・販売した。
1901年9月14日にサンドウは初めて、ボディビルコンテストを開いた。そのコンテストは「グレートコンペティション」と呼ばれ、英国、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された。審査員はチャールズ・ロウズ卿とアーサー・コナン・ドイル卿が務めた。コンテストは大成功を収め、勝利者には彫刻家フレデリック・ポメロイによるサンドウを模したトロフィーが与えられた。このトロフィーは1977年からミスターオリンピアの優勝者にも贈呈されている。20世紀初頭、ベルナール・マックファッデンとチャールズ・アトラスがサンドウに引き続いてボディビルの普及を推し進めた。
黄金時代
シンメトリーやディフィニションより、サイズの大きさが優先されて評価されるようになった現代では、1940年から1970年はボディビルの「黄金時代」と回顧されることがある。トレーニング技術が発達し、出版物やコンテストが増加したのもこの時代である。
この時代のボディビルは、米国カリフォルニア州のサンタモニカのマッスル・ビーチ(en:Muscle Beach)ヴェニス (カリフォルニア州)で、特に盛んであった。マッスルコンテストとしてヴェニスビーチの屋外トレーニングジムの近くで、5月の最終日曜日のメモリアルデー戦没将兵追悼記念日、7月4日の独立記念日、9月第一月曜日のレイバー・デーの年3回開催され、男・女・マスターズ(35歳以上)のボディビル部門、フィジック部門(男)、フィギュア部門(女)、ビキニ部門(女)に分かれビーチに似合う身体を競うカリフォルニア最大級のアマチュアコンテストで米国内だけでなく海外参加も多い。
人気が高まるにつれ、アマチュア・アスレチック・ユニオン(AAU)が1939年にボディビル競技会を既存のウェイトリフティング競技の一つに加え、翌年にはこの競技会をAAUミスター・アメリカと命名した。しかし、AAUはアマチュア競技者のみを許可し、ウェイトリフティングのオリンピック競技を重視したため、多くのボディビルダーの反発を招いた。
これをきっかけに、ベンとジョンのウィーダー兄弟が国際ボディビルダーズ連盟(IFBB)(en:International Federation of BodyBuilding & Fitness)を発足させるに至った。IFBBミスター・アメリカはプロも参加可能なコンテストであった。1950年には全米アマチュアボディビルディング協会 (NABBA)(en:National Amateur Bodybuilders Association) が「NABBAミスター・ユニバース・コンテスト」を英国で開始した。これと双璧をなすミスター・オリンピアの第1回は1965年に開催された。現在ではミスター・オリンピアはボディビル界でもっとも栄誉あるタイトルになっている。 当初はそのコンテストは男性限定であったが、1965年にNABBAはミス・ユニバースをコンテストに加え、1980年にはミス・オリンピアが創設された。
ソード&サンダル映画
古代を舞台にソード&サンダル(剣とサンダル)を着たヘラクレスやサムソンや剣闘士を題材にしたスティーヴ・リーヴス(en:Steve Reeves)主演の映画が1958年から1964年に製作され、ボディビルダーの姿を見た欧米の観客が影響を受けボディビルのトレーニングをするようになった。アーノルド・シュワルツェネッガーも、スティーヴ・リーブス主演映画を見てボディビルダーを目指した。
1970年代以後
1970年代までに、ボディビルは、アーノルド・シュワルツェネッガーと1977年の映画「パンピング・アイアン」により大きな市民権を獲得するようになった。このときにはIFBBがボディビル界を統括しており、AAUはその後塵を拝した。また、この時代にはアナボリックステロイドが他のスポーツと同様にボディビルにも浸透していった。
1981年、第一回ワールドゲームズ(アメリカ合衆国・サンタクララ、ワールドゲームズ1981)から非オリンピック競技としてボディビルが競技種目として採用され、ワールドゲームズ1985、ワールドゲームズ1989、ワールドゲームズ1993、ワールドゲームズ1997、ワールドゲームズ2001、ワールドゲームズ2005、ワールドゲームズ2009で公式競技種目として開催される。 このような状況に対し、国際オリンピック委員会のメンバーに認めてもらうために、IFBBは数種のステロイドホルモン剤と他の禁止薬物に対して厳格なドーピング検査を導入した。2000年代初頭、IFBBはボディビルをオリンピックの競技にしようと試みた。
2000年にはIOCの会員となり、(オリンピックの正式種目として採用される可能性のある)公開競技としての開催が試みられたものの、結局成功にはいたらなかった。この背景には実際のコンテストでは運動競技の様な「記録」が無い事から、ボディビルはスポーツではないという主張するものがいることや、ボディビルではオリンピックの競技で禁止されているアナボリックステロイドの使用が不可避であるとの根強い誤解がある。これに対し支持者はポージング・ルーチンには他のスポーツと同じように技能と準備が必要だと主張しており、依然として論争の的になっているテンプレート:要出典。
ワールドゲームズも、日本ボディビル・フィットネス連盟によると、ドーピング違反のため、ワールドゲームズ2013ではボディビル競技は実施されず、ワールドゲームズ2017でもボディビル競技の実施予定も無い。(2013年8月現在)
アジア大会におけるボディビル競技
アジア競技大会においては2002年釜山大会から正式種目に採用され、次の2006年ドーハ大会でも正式種目であったが、アジア大会の肥大化を受けてアジアビーチゲームズに移行されることとなった。2008年アジアビーチゲームズ(インドネシア・バリ島)、2010年アジアビーチゲームズ(オマーン・マスカット)では正式競技として行われた。 2009年にアジアボディビル連盟(ABBF)がIFBBから除名される事態が生じ[1]、新たにアジアボディビルフィットネス連盟(AFBF)が設立された。日本ボディビル連盟(JBBF)はIFBBの一員としてAFBFに加盟することになったが、ビーチゲームを統括するアジアオリンピック評議会(OCA)はABBFを承認団体としているために、JBBFは2010年アジアビーチゲームズには参加できなかった。一連の内紛の影響で、2012年アジアビーチゲームズの実施競技からボディビルが除外されている。しかし、日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)によると、アジアボディビルフィットネス連盟(AFBF)をアジアにおける正式の団体として、アジアビーチゲームズに2014年から復帰予定との事である。(2013年8月現在)
日本のボディビル
日本のボディビルは若木竹丸に始まる。
若木はユルゲン・サンドウの著書に刺激され、1938年『怪力法並に肉体改造体力増進法』を出版した。
身長162cm体重69kgの体で胸囲132cm上腕51cmを誇った。フロアプレス(寝差し、床に寝たベンチプレス)で300kg以上を上げたという。柔道の木村政彦や空手の大山倍達などにも指導し、大きな影響を与えている。
若木はヤカンや硬貨を掌で挟んで潰したり、柔道未経験にも関わらず柔道の総本山講道館に乗り込み「何人倒せば五段を貰えるか」などと言ったり、その怪力をめぐるエピソードには事欠かない。日本拳闘倶楽部で渡辺勇次郎とスパーリングして勝っている。
1955年頃から当時人気のプロレスとあいまって第一次ボディビルブームが起こり、広くボディビルが普及した。同年10月には「日本ボディビル協会」(現在の日本ボディビル連盟JBBF)が発足し、第一回ミスター日本ボディビルコンテストが行われた。1967年にはIFBB世界大会に日本選手を派遣し、日本ボディビルが本格的に国際化する。その後もIFBBやNABBAの国際大会で日本選手が相次いで好成績を収めている。末光健一が1972年IFBBのMr.Universe ショートクラス優勝、須藤孝三が1975年1976年NABBA Mr.Universe ミディアムクラス優勝、杉田茂が1976年NABBA Mr.Universe アマチュア部門ショートクラス優勝1981年IFBB Mr.International ミドル級優勝、飯島ゆりえが1988年女子世界選手権52kg以下級優勝、廣田俊彦が1997年ワールドゲームズボディビル部門ライト級優勝、水間詠子が1997年ワールドゲームズボディビル部門52kg以下級優勝、小沼敏雄が2002年IFBB World Amateur Championships マスターズのライト級優勝している。(アジアを対象としたボディビル大会の優勝者は数が多いので記載を省略する。) 1983年には初の女性ボディビル全国大会である「ミス日本コンテスト」が開催された。 2012年6月19日現在のボディビル連盟登録選手の競技人口は男3160人、女323人で、国内最大の大会の日本ボディビル選手権でも賞金は無く副賞としてプロテイン1か月分が授与される。 2013年4月、社団法人日本ボディビル連盟は公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟に改称した。
競技会のポージング
- 競技会では、多くの参加者を選抜する為に、まず、規定ポーズで審査し、基本ポーズを通過した者だけが、自分で選曲した音楽で芸術性を込めたポージングするフリーポーズで下位入賞者から発表され、最後に優勝者が発表される。
- ステージに登場し、フロント・リラックス・ポーズFront relax pose(前向きの自然体と言う意味で力を入れているのでリラックスしていない)、ターン・ライト Turn right(右回り)で4分の1回転しサイド・リラックス・ポーズ(左)Side relax pose(left)、ターン・ライトで4分の1回転しリアー・リラックス・ポーズ Rear relax pose、ターン・ライトで4分の1回転しサイド・リラックス・ポーズ(右)Side relax pose(right)、で、ターン・ライト4分の1回転しでフロント・リラックス・ポーズに戻り、それぞれの選手の身体の状態を審査する。
- 規定ポーズは、日本ボディビル連盟(JBBF)は以下の1〜7(女子と男女ペアは2と5のラット・スプレッドは含まれない)、日本ボディビルディング連盟(NBBF)は以下の1〜8。
- フロント・ダブル・バイセップス(Front double biceps pose)直訳すると前面の2本の上腕二頭筋。両腕に力こぶをつくり前面から審査。
- フロント・ラット・スプレッド(Front lat spread pose)直訳すると前面から後背筋の広がりで、身体前面から見て広がった後背筋を審査。
- サイド・チェスト(Side chest pose)直訳すると横の胸で、胸の厚みと共に腕の太さ、背、脚、身体の厚み、肩の大きさを審査。
- バック・ダブル・バイセップス(Back double biceps pose)直訳すると背面の2本の上腕二頭筋で、フロント・ダブル・バイセップスの後ろ向きだが、身体を背の方に反らし後背筋と脚を審査。
- バック・ラット・スプレッド(Back lat spread pose)直訳すると背面の広背筋を広げるで、広がった後背筋を背面から審査。
- サイド・トライセップス(Side triceps pose)直訳すると横の上腕三頭筋で、横から見た上腕三頭筋を含めた腕の太さと脚の厚みを審査。
- アブドミナル・アンド・サイ(Abdominals and thighs)直訳すると腹筋と脚で、脂肪がしぼられて割れている腹筋と脂肪のしぼられながら厚みのある脚を審査。
- モスト・マスキュラー(Most muscular pose)直訳すると最上の筋肉で、首の横の僧帽筋や肩の大きさ腕の太さを審査。
- ボディビルの効果はトレーニングを始めてから3ヶ月で出始めるが、コンテストに出る身体にするには、1年目に体重を最大限に増やし、2年目に1年目の体重を変えずに筋肉を増大し(バルク)、3年目に筋肉を減らさず体脂肪を減らして筋繊維の陰影が出るようになって出場する。日焼けをするのは、白い肌より黒い肌の方が筋肉の陰影が出るからと海外のコンテストで認められているカラー(肌に日焼け色を付けるもの)が日本のコンテストでは公共施設の壁や床にカラーの色が付くので禁止されているからである。[2]
カテゴリー
- 女性は、ボディビル、健康美、ボディフィットネス、フィットネスの4部門のカテゴリーが有る。
- 男性はボディビルのみのカテゴリーだが、都道府県別、関東、東日本、西日本、日本の地域範囲別大会、クラス別は体重の階級別、オーバーオールは無差別級、オープン大会は出場の制約が無い大会で東京オープンの場合は新人大会、年齢別ではマスターズ大会、21歳未満のジュニア大会、高校生大会、大学生大会が有る。
応援の声の意味
- キレテル=筋肉の形がはっきり分かり、筋繊維のスジが見えている。
- デカイ=筋肉が大きい事。
- バリバリ=脂肪が無く皮一枚にまで鍛えている。
日本での国際大会開催
- 1982年10月東京でアジアボディビルディング選手権男子開催。
- 1986年9月東京でミスター・ユニバース(世界アマチュア・ボディビル選手権World Amateur Bodybuilding Championships)開催。
- 1987年5月東京で第1回国際女子アマチュア・ボディビル招待選手権開催。(以後東京で1988年、1989年、1990年開催。)
- 1989年10月鳥取でアジアボディビルディング選手権男子、アジア・ミックスド・ペアボディビル選手権開催。
- 1992年9月東京でアジア女子ボディビル選手権、アジア・プロ・アマクラシックボディビル選手権、アジア・ミックスド・ペアボディビル選手権開催。
- 1997年9月東京でアジア女子ボディビル選手権、アジア・ミックスド・ペアボディビル選手権開催。
- 2001年秋田県で第六回ワールドゲームズ2001が開催され、公式競技としてボディビルが競技された。
ボディビルと薬物
ボディビルディングと薬物とのかかわりは他のスポーツよりも深く、1960年代に薬物の洗礼を受けたと言われる。その結果として、「ボディビルダーは誰も彼もが薬物を使用(ドーピング)している」という誤ったイメージをもつ人も多い。
現代では、ボディビルダーの「二極分化」が進んでいると言われるテンプレート:要出典。無制限に薬物を使用し、異常なまでに発達した筋肉で人々の注目を集めるタイプのボディビルダー(例:IFBBミスターオリンピア)が存在する一方で、一切薬物を使用すること無く、自然なサプリメント摂取と地道なトレーニングを積み重ねるタイプのボディビルダーが存在する。後者は「ナチュラルビルダー」とも呼ばれる。
通常、この両者は同じコンテストに出場することは無く、各々に専用のコンテストが存在する。ナチュラルビルダーが出場するコンテストにおいては、一般的に厳重な薬物検査が実施され、違反者は即失格となる(ナチュラルである事を標榜していても、ローカルなコンテストでは、予算の関係で検査ができない事もある)。中には、薬物を使用していながら、使用していないと偽ったり検査で出にくくしてナチュラルビルダーのコンテスト(筋肉の大きさだけを問うのであれば、ナチュラルの方がレベルが低い)に出場する者もいるため、検査項目にポリグラフ(嘘発見器)を使用しているコンテストもある。
薬物使用ビルダーが、薬物大量摂取による後遺症で健康を損ねたり、あるいはそれが原因で死亡する事が問題となり、それで公然の秘密とされていたボディビルの薬物汚染に批判が集まり、検査が実施されるに至った。しかし、コンテストにおけるボディビルダーを「健康美」の対象としてではなく、「見世物」と考える観客も多く、そういった人々は怪物のような肉体を見ることのみを望み、ボディビルダーの健康には関心が無かった。入賞者に賞金の出る「プロボディビルダー」の大会では、興行のためにそういった観客の「需要」を無視する事ができず、薬物検査をせず、暗に薬物使用を認めることになった。一度は薬物検査を実施しておきながら、その結果コンテストが不人気になってしまい、慌てて薬物検査を取りやめたプロの大会も存在するテンプレート:要出典。
かつては、「薬物使用可=プロのコンテスト」「薬物使用不可=アマチュアのコンテスト」という図式があったがテンプレート:要出典、薬物検査を欺く技術が発達したため、現在ではアマチュアコンテスト出場者であってもナチュラルビルダーとは言えず、単に「プロライセンスを持たない者のコンテスト」という意味になりつつあるテンプレート:要出典。また、最近の健康志向の風潮からナチュラルビルダーに対する評価が上がり、「プロのナチュラルビルダー」というカテゴリーも存在するようになった。
薬物使用(ドーピング)をどれほどまで許容すべきか、という論争は、ボディビルディングにおいては、多少は許容すべきという意見があれば、一切廃すべきという意見もあるテンプレート:要出典。
ドーピングは筋肉の発達を促すが、かつてオリンピアで"伝説"とまで称されたセルジオ・オリバは薬物により得られる効果に否定的だった。彼は生涯で一度ステロイドを使用し、確かに本人が考えていた以上の筋肉を得られたものの「筋肉が付きすぎる(美しくない)」という理由で使用をやめたと語っている。
薬物使用者の告白
IFBBに出場経験のあるビルダーが告白した内容は衝撃的であった。 山盛りの成長ホルモンに山盛りのステロイド。 信じられないほどたくさんの経口薬と注射薬を毎日使用しているとのことである。 下記はあるアマチュアボディビルダーの使用例である。 このボディビルダーはプロの世界では大成することはなく引退したのだが、『もしかすると、プロの世界ではこの程度の薬物ではどうにもならなかったのかもしれない。』と発言している。
【オフシーズン】
デポテストステロン 600mg 1日おき
プロホルモン 300mg 1日おき
ダイアナボール 10 毎日
クレンブテロール 10~20 毎日
メリージェーン(マスキング物質:薬物使用の痕跡を体内から消す作用があるといわれる薬物) 30g 毎週
【コンテスト6週間前】
パラボラン+プリモデポ 1日おき
プロホルモン 3cc 1日おき
ハロテスティン 50mg
ファスティン 毎日
クレンブテロール 20~25 毎日
ペルコダン 必要に応じて
メリージェーン 30g 毎週
薬物の副作用
- 内臓肥大(特にここ10年内は、薬物の影響で内臓肥大が進行し、腹部が極端に隆起肥大しているトップビルダーも珍しくなくなった。あまりにも酷いのでIFBBは内臓肥大による腹部の隆起を減点対象とする採点法に変更した。)
- 頭髪の脱毛(個人差がある)
- 体毛が濃くなる
- 変声(低音化)
- 女性化乳房
- 睾丸の縮小、異化
- 動脈硬化
- 高血圧
- ある種の癌(アナボリックステロイドと白血病の因果関係は事例では相当数に上る)
- 心臓疾患(心不全)
女性ボディビルダーの身に起きた変化
「New York Post」2013年10月23日配信のニュースではステロイド使用が女性の男性化をもたらした様子を物語る報道が為された。概して「女性ボディビルダーのキャンディス・アームストロングは仲間のすすめでトレンボロン(ステロイド剤)の服用を開始したがすぐに1日の投与量を超えて依存症となってしまい、以後2年間使用を続けた。その結果としてまずはニキビやヒゲに悩まされ、そして骨格が大きくなり男のような歩き方に変わり、最終的には彼女の陰核が長さ1インチの陰茎に成長してしまった。」という内容の事例が扱われた。[3]
著名ボディビルダーの薬物使用による死亡、重症例
ポール・デマヨ(死亡)
アンドレアス・ミュンツァー(腹部大動脈破裂により死亡)
モハメド・ベナジザ(利尿剤が原因と見られ、心不全にてコンテスト直後死亡)
デニス・ニューマン(白血病)
マッスル・北村(内臓肥大、過度の減量の影響による心不全により死亡)
フレックス・ウィラー(腎臓疾患による腎臓摘出移植手術。過去の薬物使用過多が原因でホルモンが体内生成されず、外部に頼らざるを得ない状況)
マイク・メンツァー / レイ・メンツァー(兄弟)(死亡)
ドン・ロング(内臓疾患により引退)
マイク・マタラゾ(心不全により一時危篤状態へ、その後回復)
アーノルド・シュワルツネッガー(心臓弁の形成手術、将来における心臓発作の予防措置)
ドリアン・イェーツ(内臓肥大)
ロニー・コールマン(内臓肥大)
山岸秀匡(日本人初のプロボディビルダーミスターオリンピア入賞者、内臓肥大)
関連項目
関連語
選手関係の項目
関連団体
ボディビルをしている(いた)著名人
- アーノルド・シュワルツェネッガー:俳優・政治家(前・カリフォルニア州知事)
- ガイ・ピアース:俳優
- ストロング小林:プロレスラー
- アニマル浜口:プロレスラー
- マッスル北村:ボディビルダー
- ビリー・ヘリントン:ポルノ男優
- 三島由紀夫:作家
- 小渕恵三:自民党所属の国会議員、第84代内閣総理大臣
- 馬淵澄夫:民主党所属の国会議員(国土交通大臣)
- 石井直方:東京大学教授、理学博士。専門は身体運動科学、筋生理学
- 草野仁:アナウンサー、司会者
- 丸山忠久:将棋棋士
- なかやまきんに君:お笑い芸人
- テンゲン ガリ中島:お笑い芸人
- 漆原晃(予備校講師)代々木ゼミナールで物理を担当
- はな寛太:漫才師
ボディビルを題材にしたテレビドラマ
- マッスルボディは傷つかない(2002年、北海道テレビ放送)脚本:安田顕
- ドラバラ鈴井の巣第2回作品。劇中に脚本家と同姓同名の日本人ボディビルダーが出演し、演者もボディビル大会に出場した。
テレビ講座
- テレビスポーツ教室2014年7月6日14時30分NHK Eテレで講師にボディビルダー合戸孝二、司会に真凜、ゲストに、なかやまきんに君で、初心者の中高生に自分の体重を負荷とした腕立て伏せ、チューブやバーベルを負荷とした筋トレも、正しい姿勢や呼吸法でないと働く筋肉に違いが出て効果が出にくい事が解説され、トレーニング中の筋肉の動きが動画で初心者にも分かり易く放送された。
外部リンク
- 日本ボディビル・フィットネス連盟 JBBF
- 歴代ボディビルコンテスト入賞者
- ボディビル大会における基本ポーズ
- JPC
- IFBB official website
- AFBF official website
- ABBF official website
- NABBA International
脚注
- ↑ 社団法人日本ボディビル連盟会長挨拶参照
- ↑ 2014年6月21日放送TBS「炎の体育会TV」
- ↑ Female bodybuilder: Steroids gave me a penis NEW YORK POST October 23, 2013 | 4:37pm