ビスマルク・バレット・ファリア
テンプレート:BLP unsourced テンプレート:サッカー選手 ビスマルク・バレット・ファリア(Bismarck Barreto Faria, ビスマルキ・バヘト・ファリーアと発音、1969年9月17日 - )はブラジル出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。前線の選手へパスを送るゲームメーカー。一方で2列目からミドルシュートを打つこともあった。CK、FKなどセットプレーでキッカーを務めたこともある。
来歴
ブラジルの名門クラブ・ヴァスコ・ダ・ガマなどでプレーし、1990年のワールドカップイタリア大会のブラジル代表のメンバーに選ばれた。 日本では1993年のJリーグ・日本信販・NICOSシリーズ(第2ステージ)にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)入団。1993~95年の3年連続で同シリーズステージ優勝、また1993,94年の年間チャンピオンに貢献した。
その後、チームの運営方針の見直しから、1997年に鹿島アントラーズに移籍。 1998年、2000年のシーズンのリーグ年間優勝の中心選手となる。2000年Jリーグ唯一の三冠(2014年現在)に貢献、2001年に退団。
一度帰国した後、2003年には降格の危機に瀕したヴィッセル神戸にシーズン途中から入団。チームのJ1残留に貢献する活躍を見せるも、その年限りで退団、現役を引退した。
2004年に母国ブラジルのリオデジャネイロに代理人事務所を設立。2005年9月現在、契約選手約40人が所属している。
エピソード
- ゴールを決めた後、眉間を指でつまみひざまずくポーズが特徴。これはクリスチャンである彼が神に祈りをささげるものである。当時の小学生がこのポーズを三浦知良のカズダンスと併せて真似をしていた。
- 背番号固定制施行以前のV川崎時代は主に背番号7で出場していた。本人は背番号10に強いこだわりを持っていたが、当時V川崎のチームメートであるラモス瑠偉に敬意を表し、自ら7番を選択した。ラモスが日本代表に合流してチームを離脱した間に行われた1993年のナビスコカップでは1試合だけ10番で出場した(このときの7番は永井秀樹)が、結局ビスマルクは7番に戻し、永井が10番を付けていた。しかしその後のJリーグでは鹿島在籍時から引退に至るまで10番をつけている。
- 鹿島退団の決まっていた2001年チャンピオンシップ第2戦で交代でベンチに下がる際にこれまでの功績をたたえてか、主審より握手を求められるシーンがあった。このとき交代してピッチに入ったのが後の鹿島の10番本山雅志である。
- 2010年に行われたFIFAクラブワールドカップにおいて、SCインテルナシオナルの試合を観戦する姿をテレビ画面で映し出される場面があったが、現役を引退してしばらく経ったためか、現役時の印象からは想像のつかない肥満体型となっていた。
- 鹿島に移籍した理由の一つに、本田泰人の存在があげられる。V川崎在籍時には本田を大の苦手にしていたため、「(鹿島に移籍すれば)本田を敵に回さなくてよくなる」と考えたらしい。
所属クラブ
- 1979年 - 1993年 テンプレート:Flagicon CRヴァスコ・ダ・ガマ
- 1993年7月 - 1996年 テンプレート:Flagicon ヴェルディ川崎
- 1997年 - 2001年 テンプレート:Flagicon 鹿島アントラーズ
- 2002年 テンプレート:Flagicon フルミネンセFC
- 2002年 テンプレート:Flagicon ゴイアスEC
- 2003年 テンプレート:Flagicon ヴィッセル神戸
個人成績
テンプレート:節スタブ
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top
テンプレート:サッカー選手国内成績表 th
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|1987||rowspan=7|ヴァスコ・
ダ・ガマ||||||||||||||||||||
|-
|1988||||||||||||||||||||
|-
|1989||||||||||||||||||||
|-
|1990||||||||||||||||||||
|-
|1991||||||||||||||||||||
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|1992||||||||||||||||||||
|-
|1993||||||||||||||||||||
テンプレート:サッカー選手国内成績表 th
|-
|1993||rowspan=4|V川崎||rowspan=4|主に7||rowspan=6|J||17||6||7||6||3||2||27||14
|-
|1994||42||14||3||6||2||1||47||21
|-
|1995||51||11||colspan="2"|-||3||1||54||12
|-
|1996||27||5||15||2||5||3||47||10
|-
|1997||rowspan=5|鹿島||rowspan=5|10||32||11||11||3||5||2||48||16
|-
|1998||30||6||3||0||3||1||36||7
|-
|1999||rowspan=3|J1||23||7||5||2||2||1||30||10
|-
|2000||26||3||7||2||4||0||37||5
|-
|2001||26||6||6||0||0||0||32||6
テンプレート:サッカー選手国内成績表 th
|-
|2002||フルミネンセ||||||||||||||||||||
|-
|2002||ゴイアス||||||10||1||||||||||||
テンプレート:サッカー選手国内成績表 th
|-
|2003||神戸||10||J1||9||0||6||0||0||0||15||0
テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始||||||||||||||
テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行283||69||62||25||24||11||369||105
テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終||||||||||||||
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その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1994年
- 1995年
- サンワバンクカップ 1試合1得点
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
国際大会
- アジアクラブ選手権 試合得点
- アジアカップウィナーズ選手権 3試合1得点
個人タイトル
- 1993年 JリーグヤマザキナビスコカップMVP
- 1994年 Jリーグベストイレブン,ナビスコカップMVP
- 1995年 ベストイレブン
- 1997年 ベストイレブン
- 2005年 功労選手賞
代表歴
- ブラジル代表(13試合)1989年 - 1990年
- 1990 FIFAワールドカップ(ベスト16、0試合0得点)