ハウス (映画)
テンプレート:Infobox Film 『HOUSE ハウス』は、1977年公開の日本映画。ファンタジータッチのホラー・コメディ作品。
目次
概要
CF監督として活動していた大林宣彦の初劇場用映画監督作品。大林宣彦はのちに尾道三部作『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)を制作して代表作とする。原案者の大林千茱萸(ちぐみ)は大林監督の実娘で当時12歳の女子中学生だった。
当時、日本映画は大作洋画に押されて振るわず、特に若い観客は日本映画から離れていた。大林自身「日本映画を見て育った人間としてそれじゃ淋しい。CMをそれまで作ってきた長い間に、僕と東洋現像所で開発した色んな技術を全部使って、今までにない日本映画を作ってやろうと思った」という製作の動機を話している。このため、映画のほとんど全シーンに何らかの特殊効果が使われている[1]。
内容は羽臼(ハウス)屋敷を舞台にしたホラー映画。7人の美少女が夏休みを屋敷で過ごそうとやってくるが、実はその屋敷は人を喰らう妖怪であり、少女達は1人また1人と屋敷の餌食にされていく。少女が1人食べられるごとに屋敷の女主人は若返り、花嫁衣装を着られる様になる。但し少女達が食べられる際、大抵はシュールかつチープな特撮技術で処理しており、ダイレクトな流血シーンは少ない。
大林は「作品を自分で売りたい」と、本作の監督と同時にプロデューサーを兼ね、多くのマスメディアに登場して作品を売り込んだ[2][3]。また主要出演者の7人は「ハウスガールズ」と呼ばれ、映画の宣伝の為TVや雑誌に登場。それ以外では、南田洋子が今までの経歴からは想像できない様な役柄を演じ、歌手の尾崎紀世彦も三枚目キャラを演じた。更に、当時既にスターだった三浦友和や檀ふみは、1分に満たないシーンではあるが、ストーリー上重要な役柄で友情出演している。また、大林監督の家族や小林亜星などの製作スタッフも作品に登場している。
劇中でファンタが井戸から逃げてきた際にメロディーが「泥だらけの純情?」と言うシーンがあるが、これは、当時本作と同時上映されていた山口百恵・三浦友和主演の映画タイトルでもある。一方、『泥だらけの純情』にも、モブシーンでハウスのTシャツを着た若者(エキストラ)が登場する。
「ドラえもん」には、「人食いハウス」(小学三年生1977年8月号発表。てんとう虫コミックス14巻収録)というこの映画のパロディのような作品がある。作中で静香が「こわあいの。家が人を食べちゃうの」という映画を見た、と話している。
他社の映画会社作品のパロディー〔原一平扮する寅さんそっくりの男→『男はつらいよ』(松竹)中盤でラーメンを食べる男がトラック野郎→『トラック野郎』(東映)等〕が含まれたり、少女達のニックネームに商品名(ファンタ、メロディー等)が使用されている事から、著作権、商標権がうるさくなった近年、地上波での放送はされていない。
なお、当時の雑誌の特集記事によると、続編の話があったらしい[4]。
あらすじ
東京郊外のお嬢様学校に通う快活な現代っ子のオシャレは、ある日突然帰国した父から再婚相手を紹介されショックを受ける。夏休みに父や再婚相手と軽井沢に行きたくない彼女は、所属する演劇部の合宿先に長年会っていなかった“おばちゃま”の家を提案してしまい、後からおばちゃまに訪問したい旨を手紙で伝え、許可をもらう。そして夏休み、オシャレとその仲間達は羽臼屋敷に向かう。7人はおばちゃまに歓迎されるが、その後降り掛かる惨劇の事は予想だにしていなかった――。
舞台
オシャレ達の通う女子高は東京の郊外にある。少なくともオシャレは通学しており、他のメンバーも通学しているものと考えられる。
一方、羽臼邸は具体的な場所は不明だが、人里離れた山奥にある事だけは確かである。羽臼家はその昔開業医だったが、戦後過疎の為もあって屋敷の周辺は開発から取り残され、事実上交通手段を失ってしまった。
7人の少女達はまず東京駅から特急か快速電車に乗り、次に路線バスに揺られ、森の中を徒歩で屋敷迄向かった。また、涼子は次の日の早朝、車で屋敷に向かった。前者はオシャレが屋敷の場所を知っていた為、後者はオシャレの父親から道順を聞いたらしく、いずれも無事到着できたが、東郷先生は途中道に迷い、結果到着できなかった。
一説によると、羽臼邸は未婚の娘にしか見えないと言う・・・。
スタッフ
- 監督 - 大林宣彦
- 製作者 - 大林宣彦、山田順彦
- 原案 - 大林千茱萸
- 脚本 - 桂千穂
- 撮影 - 阪本善尚
- 殺陣 - 伊奈貫太
- 音楽 - 小林亜星、ミッキー吉野、ゴダイゴ
- 助監督 - 小栗康平
- 製作 - 東宝映像
キャスト
本作の7人の美少女の役名はあだ名であり、それまでの映画にはないユニークなものであった[5]。当時、演じる女優の所属事務所から「何とか名前を付けてもらえませんか。キャスティングできません」と言われたと大林は話している[5]。
- オシャレ- 池上季実子
- 本編のヒロイン。幼い頃に母を亡くし、現在は父と父方の祖母との三人家族である。
- 外見は容姿端麗な典型的お嬢様だが、実際は金持ち扱いされる事を嫌う、少々甘えん坊だが明朗快活な現代っ子。所属する演劇部では花形女優として活躍している。
- ニックネームはファッションやメイクに対して関心が高い事に由来するが、おばちゃまや涼子からも「オシャレちゃん」と呼ばれている事から、本名を流用している可能性が高い。
- 大好きな父の突然の再婚話に反発しており、新しい母親と軽井沢の別荘には行きたく無い為、部活仲間に夏休みの合宿先を羽臼邸にする事を提案する。
- ファンタ - 大場久美子
- 夢見がちで少々ドジっ子だが、明るく人懐っこい女の子。写真撮影が趣味で、常にカメラを携帯している。
- オシャレの一番の親友で、東条先生に好意を持っている。
- ニックネームの由来は英語で空想を意味する「ファンタジー (fantasy)」と清涼飲料水の「ファンタ」を掛け合わせたもの。
- ガリ - 松原愛
- メガネが特徴の優等生で委員長タイプ。
- 少々口うるさいものの、しっかり者で仲間の面倒見も良い。演劇部では、彼女が部長と思われる。
- ニックネームの由来は、「ガリ勉」と「ガリ」を掛け合わせたもの。
- 松原は映画『愛と誠』の主題歌オーディションで合格し歌手としてデビュー。また、前年のラジオドラマ版にも出演している。
- クンフー - 神保美喜
- メンバーの中でも長身で、ニックネームの通り空手の達人。武闘派で正義感が強い一方で、友達思いで明るく気さくな性格の持ち主。
- 屋敷内でのタンクトップとブルマーと言ういでたちと、その人柄故、当時の男子中高生の間で断トツの人気を誇った。
- ニックネームの由来は「クンフー」で、オシャレ同様食べ物に由来しない。
- マック - 佐藤美恵子
- 陽気で天真爛漫な、気のいい女の子。とにかく食いしん坊で、どの場面でも必ず食べ物を手にしている。
- 制服姿の時は一応髪を二つに結っているが、メンバーの中でも髪が短めで、判別がしやすい。
- ニックネームの由来は英語で「胃袋」を意味する「ストマック (stomach)」から。
- スウィート - 宮子昌代
- ふんわりカールのヘアスタイルに、当時流行だったガーリーなファッションを好む、乙女チックな女の子。
- 甘ったれでか弱いが、アットホームで大変優しい性格の持ち主。また、綺麗好きで家事は万能。
- 甘いを意味する「スウィート (sweet)」がニックネームの由来。
- 宮子は間もなくして結婚を機に引退したが、大林が講演の為に地元に訪れた時は和装で訪問し、再会を喜び合ったと言う。
- メロディー - 田中エリ子
- 音楽が大好きで、特技はピアノ演奏。
- 基本的には明るく良い子だが、今で言う所の天然系かつ不思議系キャラで、しばしばスベリギャグを口にする。
- ニックネームの由来は音楽を意味する「メロディー (melody)」と、商品名がそれに由来する当時不二家から発売されていたチョコレート[6]。
- 田中はテレビ版『愛と誠』でも池上と共演している。また、実際にピアノは得意で、後に出演した映画でもピアノ演奏を披露している。
- 東郷圭介先生 - 尾崎紀世彦
- 7人が通う女子高の先生で、演劇部の顧問。予告編では馬に乗り颯爽と登場。明るく優しいがおっちょこちょいなのが玉にキズ。
- 階段で白い猫を避けようとして足を踏み外して転倒、軽傷だったものの尻がバケツに入ってしまい、病院で診てもらっていた為に出発が遅れてしまう。
- その為屋敷迄の道順が分らなくなってしまい、7人を追って珍道中をする羽目になる。
- オシャレの父 - 笹沢左保
- 職業は音楽家。仕事柄、海外を飛び回る事が多い。
- イタリアで意気投合した涼子を連れ突然帰国、家族に再婚する事を報告し、オシャレを困惑させる。結果的にとは言え、事件の元凶となった人物。
- 役名の名字は「木枯」だが、これは笹沢の代表作「木枯し紋次郎」に由来している。
- オシャレの母 - 池上季実子(一人二役)
- おばちゃまにとっては実の妹に当たる。死因は不明だが若くして亡くなっており、写真(遺影)でだけ登場。オシャレと瓜二つ。
- 西瓜を売る農夫 - 小林亜星
- 半袖シャツに半パン、麦藁帽子で「裸の大将」を彷彿とさせる格好をしたひょうきんな巨漢。
- 東郷先生に「スイカよりバナナが好き」と言われてショックを受け、何故かガイコツになってしまう。
- なお、小林は本作の音楽も一部担当している。
- 写真屋さん - 石上三登志
- ベレー帽に芸術家髯で、いかにも芸術家と言ったいでたちの男性。
- オシャレの母の結婚式の記念撮影を担当。姉妹だからと言う事で、白無垢姿で幸せまっただ中のオシャレの母と黒っぽい服で寂しげな表情のおばちゃまを一緒に撮影してしまう。
- 江馬涼子 - 鰐淵晴子
- オシャレの父の再婚相手。オシャレの父とはイタリアで出会った。
- 職業は宝飾デザイナー。そのせいかメイクもファッションも派手で、必ず長いスカーフを巻いている。
- 陽気で気が良く料理上手だが、世間知らずで超鈍感。それでなくても父の再婚など考えもしていなかったオシャレには快く思われていない。
- 何とかオシャレに気に入られようと、よせばいいのに後から羽臼家を訪れ、やはり食べられてしまう。
- 羽臼香麗(おばちゃま) - 南田洋子
- オシャレの母方の伯母。地元でピアノ講師をしていた。上品な感じの初老の女性で、オシャレ達ハウスガールズがやって来た時は車椅子に乗って出迎えたが、途中から何故か歩ける様になっている。
- 実は本編より数年前に亡くなっており、屋敷の正体はおばちゃまの体である。
- 名前は「はうす かれい」と読む[7]。
- 寅さんに似た男 - 原一平
- 東郷先生が道中で出会った、車寅次郎のそっくりさん。中盤のコメディリリーフの1人。
- ラーメン屋の客 - 広瀬正一
- 東郷先生が中盤で出会うギャグメーカーの1人。熊が営んでいるラーメン屋でラーメンをすすっていた。映画「トラック野郎」シリーズのパロディであるらしい。
- 村の老人 - 大西康雅
- 中盤のコメディリリーフの1人、東郷先生が屋敷への道のりを聞くも、チンプンカンプンな解答ばかりする。
- オシャレの祖母 - 津路清子
- オシャレの父方の祖母。母が亡くなり、父も海外へ行く事が多いオシャレの面倒を見ている。
- おばちゃまのフィアンセ - 三浦友和 (友情出演)
- おばちゃまの最愛の人。医者で羽臼医院の跡取り(婿養子)としても羽臼家から期待されていたが、ある日赤紙が届いてしまう。おばちゃまに戦地から戻ったら結婚すると誓うも戦死。その事実を受け入れられないおばちゃまは、彼を待ち続ける事になる。
- 彼の軍服姿の写真がおばちゃまの鏡台に置かれているのを、軽い好奇心でおばちゃまの部屋に入ったオシャレが発見する。
- 三浦は併映作『泥だらけの純情』に主演(山口百恵とのコンビ6作目)しており、翌年には南田・大林と『ふりむけば愛』で組むことになる。
- 女教師 - 檀ふみ (友情出演)
- 7人が通う高校の先生。近日中にお見合い結婚する事になっている。その為か夏休みの計画を話す生徒達を見て、「いいなあ、夏休み!」と羨ましがる。
- 撮影現場を見学していた所、大林から出演依頼が来たとの事。
- 東京駅の若者 - ゴダイゴ (友情出演)
- 出発前の7人の内、先にホームにいたオシャレを除く6人と何故か意気投合する。なお、東京駅前にいた理由は不明。
- ゴダイゴは、小林と共に本作の音楽を担当している。
以下ノンクレジット
- 靴屋のおじさん - 薩谷和夫
- 東郷先生が暮らす下宿先の1階で、靴屋を営んでいる。気だてが良く、東郷先生を始めとする住民達と仲がいい。
- 靴屋の女の子 - 大林千茱萸
- おじさんの傍らで仕事を手伝う。おじさんの娘か孫かと思われる。
- ホームで別れる恋人 - 大林宣彦
- 彼女との別れのひと時を、7人に邪魔される。いつまでも彼女に未練を持っていた模様。
- ホームで別れる恋人 - 大林恭子
- 彼女が電車に乗る方。彼氏と別れてから結構サバサバしており、明るい表情で花束を持って客室に乗り込んでいった。
- 電車の乗客 - 桂千穂
- 派手なアロハシャツを着ており、その隣になぜかシロが座っていた。セリフ等は一切無いが、妙に存在感がある。
- シロ-アカ
- オシャレが飼っている白いペルシャネコ。ちなみにおばちゃまも同じ種類のネコを飼っている。
撮影時のエピソード
大林に映画製作の話を持ちかけたのは、東宝映像企画室長の角田健一郎であった。新しい企画を探していて、東宝スタジオでCF撮影を行なっていた大林に目をつけていたという[8][9]。企画としては1975年に東宝の会議を通っていたが[9]撮影所の助監督を経験していない大林が監督することに、当時の東宝の助監督たちは反対した[8]。それに対し、「我々が映画を作っても、ヒットしない。ここは、外部の人にやらせて、どれだけのものができるかを知ろうではないか」と説得したのが、東宝出身の映画監督である岡本喜八であった。
1976年6月には準備稿台本が完成し製作についての報道もされたがすぐに製作開始とはならず、宙吊り状態になっていた[9]。大林は作品を自分で売るという気持ちから、監督と同時にプロデュース権を持ち[2]「『HOUSE』映画化を実験するキャンペーン」と銘打って、CM製作で付き合いのあったテレビやラジオに自身を売り込み、積極的にテレビ出演やインタビューに応じるタレント活動のような事をやった[10]。オーディションで選んだ平均年齢当時18歳の7人のアイドルに水着を着させて大磯ロングビーチでキャンペーンをやったり[11]『HOUSE』のイラスト入りの大きな名刺を作り、会う人ごとに渡したりした[9]。映画製作はなかなか進まず、プロモーションに2年を要した[11]。ニッポン放送「オールナイトニッポン」枠で生放送されたラジオドラマ『オールナイトニッポン特別番組 ラジオドラマ ハウス』は、映画製作が進めてもらえないため、映画製作より先に『HOUSE』ブームを起こしてやろうと大林が仕掛けたものだった[9]。大林自身「『HOUSE』での仕事は八割がプロデューサーとしてのもので監督としての仕事は全体の二割くらいだった」と述べている[9]。先の『HOUSE』のイラスト入り名刺を見た角川春樹は「こういうことをしている監督がいるのか」と興味を持ったと話している[9]。既存の映画界とは別のところで仕事をしていた大林と角川は、ほぼ同時期にそれぞれの方法で「メディアミックス」を仕掛けていた[9]。ラジオドラマの好評を受けて映画の製作開始へと至る[8][9]。当初は『東宝チャンピオンまつり』の一本として公開することも検討されていた[8]。
初期の大林作品らしく、登場人物が脱ぐシーンが多い。主演の池上季実子が入浴シーンでヌードになった他、ラスト近くでファンタを襲うシーンでもセミヌードになった。ガリ役の松原愛も水中ヌードを披露した。
池上は「従来の役柄のイメージを払拭したい」と言う意向から脱ぐ事を快諾、その結果、実力派女優への脱皮に成功している。また、「火が噴く程恥ずかしかったけど、他の皆さんが頑張っていたので自分も一発奮起した」と語る松原は脱ぐだけでなく潜水の必要があった為、都内のプールで2日間猛特訓を受けた。更に湯気が出るのを防ぐ為、水温10℃の中での撮影だったが、適温のお湯の入ったドラム缶で暖を取りながら撮影に臨んだ。その甲斐あって、水中シーンはどれもほぼ一発でOKが出ている。
池上はデビュー4年目での初主演映画。当時は演出家と役柄の確認をしながら芝居をしていた。演じる役柄の気持ちになり切らないとうまく芝居はできないという自身の演技法であったのだが、大林の極めて独特の演出法に戸惑った。「笑って」という指示に「嬉しそうに笑えばいいんですか? それとも面白そうに笑えばいいんですか? それによって笑い方も違ってくると思います」と聞き返すと、「いいから、とにかく笑ってください。笑ってくれさえすれば、こちらで判断します」と言われ、いろんな笑いの表情、パターンを撮られ、消化不良の連続。池上は、女優デビュー40周年を回顧しても「この映画ほど悩んだり、葛藤した作品はなかった」と述べている。また「自分では納得できる芝居ではなかったが、この映画の評価が年を追うごとに上がっていったことで、振り返ってみると、時代感覚を先取りした大林監督のデビュー作に主演できたことはいい思い出になっている」と話している[12]。
当時アイドルとして活躍中だった大場久美子は一切脱がなかったが、その分泥まみれになったり、水浸しになったりとイメージを壊さない範囲内で相当ハードなシーンをこなしている。
また、マック役の佐藤美恵子は、生首の模型を作る為の型取りで苦労した。呼吸だけはできる様にしてあったものの、頭部に石膏を流し込まれ、2時間そのまま保持しなければならなかった。その後、型にゴムが流し込まれ、完成した。
30年後の全米公開
2009年春、本作は初めて北米巡回興行を開始。興行形態は、一般映画の様に単館、もしくは数千館一斉同時公開と云う形ではなく、1ヶ所づつ、毎週末、違う都市で巡回興行して行く。既に追加興行を含む100都市以上が公開予定にリストアップされている。北米での配給は1950年代からニューヨークに本拠を置く老舗配給会社のJanus Filmsが行っている。アメリカの会社でありながら、扱うタイトルは主に欧州作品で、黒澤明、小津安二郎、大島渚作品等、数多くの日本映画、クラシック作品の配給を手がけている。日本公開から30年以上経っての全米公開は異例で、数年前にある中国系アメリカ人のファンが本作をネット上で発見し、Janus Filmsに配給を促したとされる。開始から1年経った2010年春も全米公開は続いている[13]。同作は既に2009年、英国でDVDリリースされ、北米ではJanus Filmsの系列会社クライテリオン・コレクション社が2010年10月26日にリリース。
サウンド・トラック
テンプレート:Infobox 1977年6月25日に同映画のサウンドトラックが、ゴダイゴのアルバムとしてリリースされた(品番:YX-7177 )。但し、オリジナル・アルバムとしてはカウントされない。シングル・カットとして、同年6月1日には『LOVE THEME(ハウスのふたりーハウス愛のテーマ)/MAIN THEME(ハウスーハウスのテーマ)(品番:YK-87)』が、9月1日には『CHERRIES WERE MADE FOR EATING(君は恋のチェリー)/YES, I THANK YOU(イエス・アイ・サンキュー)(品番:YK-91)』がリリースされた。なお、『YES, I THANK YOU』は、前記のシングルのみの収録曲(当時)。
収録曲
- MAIN THEME(ハウスーハウスのテーマ)
- BUGGY BOOGIE(バギー・ブギー)
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- HUNGRY HOUSE BLUES(ハングリー・ハウス・ブルース)
- 作詞・作曲:スティーヴ・フォックス、編曲:ミッキー吉野、歌:スティーヴ・フォックス
- EAT(イート)
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- SWEET DREAMS OF DAYS GONE BY(いつか見た夢ーハウスのテーマより)
- 作曲:小林亜星、編曲:ミッキー吉野
- A LETTER IN THE PAST(昨日来た手紙ーハウスのテーマより)
- 作曲:小林亜星、編曲:ミッキー吉野
- CHERRIES WERE MADE FOR EATING(君は恋のチェリー)
- 作詞:H.E.R. バーンズ、作曲・編曲:ミッキー吉野、歌:タケカワユキヒデ
- EAT EAT(イート・イート)
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- IN THE EVENING MIST(夜霧は銀の靴ーハウスのテーマより)
- 作曲:小林亜星、編曲:ミッキー吉野
- ORIENTAL MELON MAN(西瓜売りのバナナ)
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- EAT EAT EAT(イート・イート・イート)
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- LOVE THEME(ハウスのふたりーハウス愛のテーマ)
ラジオドラマ
映画本編公開に先駆け、1976年11月23日にニッポン放送の「オールナイトニッポン」において、4時間生放送のドラマとして『オールナイトニッポン特別番組 ラジオドラマ ハウス』が放送された。大林宣彦と上野修の共同演出、主な出演は岡田奈々、林寛子、木之内みどり、松本ちえこ、三木聖子、秋野暢子、松原愛(彼女は映画本編にも出演)。ナレーションは若山弦蔵が務めた。テーマ音楽は小林亜星、演奏はゴダイゴ、の他に放送当時の番組ナレーションでは音楽 成毛滋、つのだ☆ひろ、と紹介された。
映像ソフト
脚注
参考文献
外部リンク
テンプレート:大林宣彦監督作品テンプレート:Link GA- ↑ 「宝島」1986年9月号(宝島社)P113
- ↑ 2.0 2.1 「特別対談 大林宣彦×大森一樹」キネマ旬報、1979年2月下旬号、P245-253 引用エラー: 無効な
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タグ; name ".E3.82.AD.E3.83.8D.E6.97.AC19792"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』ダヴィッド社、1980年、P198-213
- ↑ 外部リンクの内、ファンサイト内のコレクションで確認できる。
- ↑ 5.0 5.1 人間環境学部TOPICS - 関東学院大学 人間環境学部 大林監督へのインタビュー記事(PDFファイル)
- ↑ 他に雪印からも同名のアイスクリームが発売されていた。
- ↑ 名前の由来は当時協賛していたハウス食品のカレーと思われる。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 テンプレート:Cite
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 9.8 #中川P52-53、75、92
- ↑ 佐藤忠男、山根貞男編集『シネアルバム 日本映画1978 1977年公開映画全集』芳賀書店、1978年、p138
- ↑ 11.0 11.1 大林 宣彦さん 映画作家 | 「介護110番」総合案内
- ↑ 東京スポーツ連載-女優デビュー40周年回顧録「池上季実子 あら?もう40年?!」連載⑬、2013年1月30日
- ↑ Movie Review | 'House' - The New York Times 、国連フォーラム:UN FORUM:国際仕事人に聞く第11回 小林立明さん
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