中松義郎
テンプレート:質問 テンプレート:Infobox Engineer 中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、1928年(昭和3年)6月26日[1][2] - )は、日本の発明家、実業家である。「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会会長[注 1][3]。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった[4]。 アパグループ広報誌「アップルタウン」では「サー中松義郎博士」と表記されている[5]。
目次
経歴
生い立ち
東京府(現在の東京都)出身[6]。母親は東京女子高等師範学校を卒業した教師であった[7]。学校は、はじめ麹町小学校に越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校付属小学校に4年生から編入した[7]。
その後は旧制麻布中学校、海軍兵学校舞鶴分校[8]、旧制成城高等学校理科甲類。東京大学工学部を卒業した[2][6]。卒業後は三井物産に就職した[2][6]。ヘリコプターの営業に携わり、この際にヘリコプターによる農薬散布を発案したという。
1959年(昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務、副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。
発明家として
これまでの発明件数は3,000件以上であり、トーマス・エジソンの1,093件を上回り世界一だとしている[1]。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許取得件数は1991年時点で193件であり、中松の「3000件以上」という数字には特許を取得していない「発明」が多数含まれている[9]。また、特許取得件数のギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定(2011年には6,314件で再認定)されており、中松を大きく上回っている。
1980年から1993年にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年11月号に掲載された記事『「ドクター中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、現在の「3,000件以上」という主張となった[9]。
政治家として
初めは1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った[4]。結果はわずか2万7,145票で惨敗ではあったが、その一方でバラエティー番組に「奇抜な発明家」として登場する機会も増え、一躍有名人になった[4]。
翌1992年の参院選には比例区に政党「発明政治」を率いて出馬したが落選した[4]。
また、1995年東京都知事選挙に立候補を表明するも[10]、告示前に断念し[11]、上田哲候補の応援に回っている[12]。
2003年の都知事選では、会見で「ドクター中松ディフェンス(DND)」という発明品で、「ミサイル攻撃を防止できる装置の発明で、首都を、そして都民をこのミサイル攻撃から救う」「北朝鮮のミサイルをUターンさせられる」などと発表した[4]。
2005年のインタビューで「元来、政治家は国のために働くもの。『国のため』という気概をどの程度が持っているかが重要なポイントだ」と政治家には愛国心が必要であると訴えた[13]。
2007年、第21回参議院選挙に立候補した際に発表した「ドクター・中松ドクトリン」には、「私にしか出来ない最先端の発明が日本のためになる」「官僚はよく働く者のみなし数を1/2にする」「現行憲法は存在しない。現行憲法の名称は大日本帝国憲法の昭和二十一年改正であるべきである」等記載されていた。
2011年の都知事選に無所属で出馬した時には記者会見で、当選しない場合はあと10回以上選挙に挑戦しつづけると宣言した[14]。また80代の年齢で都知事の激務に耐えられるかを尋ねられ、筋トレで身体を鍛えているため80歳時点で50トンの重り(キログラムの誤記ではない)を持ち上げることができ、体力に問題はないと答えた[15]。
2012年の都知事選では、届け出名をそれまでの「ドクター」から本名に変えたが、これは橋下徹が「『カタカナ名前はふざけている』と言ったらしい」というのが理由であるという[16]。
2013年、第23回参議院選挙を前に小林興起が設立した政治団体つばさ日本の最高顧問に就任し、公認候補として比例区から出馬すると発表[17]。しかしその後つばさ日本が候補者の選定などに難航し、同選挙への候補者擁立見送りを発表する[18]と、無所属で東京都選挙区から立候補すると発表した[19]。届け出名については前回につづき本名の「中松義郎」で届け出るとしており、理由については「偽物の博士が多くなった。一緒にされては困る。」と語った[20]。
年 | 選挙 | 選挙区 | 政党 | 得票 | 惜敗率 | 順位 | 名義 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1991年 | 東京都知事選 | - | 無所属 | 27,145 | 1.18% | 7/16 | 中松義郎 |
1992年 | 第16回参院選 | 比例区 | 発明政治 | 139,728[注 2] | - | - | 中松義郎 |
1993年 | 第40回衆院選 | 旧東京3区 | 新自民党 | 13,965 | 21.66% | 8/10 | 中松義郎 |
1995年 | 第17回参院選 | 東京都選挙区 | 無所属 | 101,547 | 23.30% | 8/72 | 中松義郎 |
1999年 | 東京都知事選 | - | 無所属 | 100,123 | 6.01% | 7/19 | ドクター・中松 |
2001年 | 第19回参院選 | 比例区 | 自由連合 | 36,076 | - | - | ドクター・中松 |
2003年 | 東京都知事選 | - | 無所属 | 109,091 | 3.53% | 4/5 | ドクター・中松 |
2007年 | 東京都知事選 | - | 無所属 | 85,946 | 3.06% | 5/14 | ドクター・中松 |
2007年 | 第21回参院選 | 東京都選挙区 | 無所属 | 92,512 | 13.53% | 10/20 | ドクター・中松 |
2009年 | 第45回衆院選 | 比例東京ブロック | 幸福実現党 | 35,667 | - | 7/9 | ドクター・中松[注 3] |
2010年 | 第22回参院選 | 比例区 | 幸福実現党 | 38,242 | - | - | ドクター・中松 |
2011年 | 東京都知事選 | - | 無所属 | 48,672 | - | 5/11 | ドクター・中松 |
2012年 | 東京都知事選 | - | 無所属 | 129,406 | - | 5/9 | 中松義郎 |
公約
ドクター中松の公式HPに拠れば、主な公約は以下の通りである[21]。
政策
幸福実現党名義での出馬
2009年(平成21年)7月、宗教法人「幸福の科学」を母体とする政党幸福実現党に招聘されて同党特別代表に就任し、2011年(平成23年)2月28日の退任まで務めた。中松は「幸福の科学」の会員ではないものの[24][25]、第45回衆議院議員総選挙(2009年)には同党の比例代表東京ブロックに立候補して落選している[26]。
発明品
- 灯油ポンプ
- 1942年、中松が中学生の頃に母親が醤油を瓶に移し替えるのに苦労しているのを見て発明した「醤油チュルチュル」が現在の灯油ポンプとなった主張している。これは1949年に「サイフォン」として実用新案登録されている。ちなみに家庭用手動式石油ポンプは1950年代に、現在のプラスチック製のものは1970年代に普及したようである。
- 頭に良い物質を適当に配合したことを特徴とする食品
- 特許出願では、「頭が良くなる根拠が不明である」との理由で不採用となっている。その他「頭に良い~」シリーズの発明は膨大ながら、特許を得ているものはない。
- 原子力除雪装置
- 除雪車に搭載された原子炉の炉心に直接雪を送り込み、その熱で雪を溶かして一次冷却水にするというもの。ただし、放射性物質に汚染された排水の処理の仕方が明記されていないとの理由から特許としては不採用となっている[27]。
- ドクター中松エンジン(エネレックス)
- “宇宙エネルギー”[注 4]によって動作すると言われる原動機。実際には太陽電池と同じく電磁波をエネルギーに換えるものであり、もしくはラジオメーター(ラジオメーター効果)とも解釈される[注 5]。
- ハイドロジェン・オン・デマンド(HOD)
- 水に水素化ホウ素ナトリウムを混ぜて金属触媒によって水素を取り出して自動車の燃料とする装置であり、原理としては燃料電池と同様のものである。2006年(平成18年)に発明して国際特許を取得。水素化ホウ素ナトリウムの単価が高いため、実用化には至っていない。
- この発明に、環境技術に関する映画を企画していた米国の製作会社「ダークホース・エンターテインメント」が注目、中松を主題としたドキュメンタリー映画「マスター・オブ・イノベーション〜ドクターナカマツ・ストーリー」の制作を2007年1月に発表した。制作発表ではこれは日本人として史上初の「個人」が扱われるハリウッド映画であり、年内に米国と日本で公開するとしていた。
- フライングシューズ(ピョンピョンシューズ)
- 底が板バネになっており、ピョンピョンと高くジャンプできる靴。中松の代名詞的発明であり、テレビ出演時にこれを履いて登場することが多い。このまま旅客機に乗り込もうとして、ピョンピョン跳ねた勢いで天井に頭をぶつけてしまい「頭が悪くなったらどうしてくれる!」と怒鳴ったというエピソードを持つ。
- ラブジェット
- 中松が発明した「セックス方程式」に基づいて開発された性感度が3倍になるとされる香水。男女共用で若返り効果もあるとしている。
- ドクター中松パター
- ゴルフクラブのパター。一般的なクラブよりグリップが太く短く、普通は右利き用の場合で右手の方がヘッドに近い位置を握るのに対し、両手で同じ位置を握る。
- スマ手(Smarte)
- スマートフォンを固定できるポケットが付いた左手用グローブで、常に左手甲にスマートフォンを固定することで、使用時に取り出す手間が省け、置き忘れ防止効果があるとしている。2012年6月に84歳記念の発明品として発表し、ドクター中松公式サイトで市販を開始。国内スマートフォンユーザーの8割を販売目標としている[28]。なお、中松は2003年にも既存の携帯電話を左手にベルトで固定する「ウデンワ」という類似の発明を発表している。
フロッピーディスクの原理
中松がフロッピーディスクの発明者であり特許を取得したと主張し、これが話題になったため、一時期盛んにテレビやラジオに出演した。五ツ木書房の「Selett」のテレビCMでは、「私の発明にはフロッピーディスクがある」という中松のセリフを流したことがある。また、2010年現在「ドクター中松 創研公認オンラインショップ」でも、「フロッピーディスクの発明者、ドクター・中松」として関連商品を販売している[1]。
ただし、中松の主張する「フロッピーディスク」と、一般に「フロッピーディスク」と呼ばれるコンピュータ用の外部記憶デバイス(IBMによる登録商標名「ディスケット」)は同一ではない。そのため、以下、一般的な意味の「フロッピーディスク」を区別のため「ディスケット」と表記する。
中松の主張にある「1948年(昭和23年)に特許出願して、1952年(昭和27年)に登録されたフロッピー媒体」[29]と時期的に一致する特許は「ナカビゾン」 もしくは「積紙式完全自動連奏蓄音器」[注 6]の二つしかなく、ナカビゾンは何枚も繋がった紙の横一行一行に譜面が記録されていて、自動連奏蓄音機の譜面読み取り部分が左右に振れることで譜面を読み込み演奏するものである。
IBMの「ディスケット」はアラン・シュガートが率いるIBMの開発チームが1970年(昭和45年)に開発し、1971年(昭和46年)より商品化されており、特許を取得しているのはIBMである。これは中松の資料の年表でも明記されており、自分の発明品とは区別されている[29]。
IBMが日本でのディスケット販売に関連して中松の持つ特許の「非独占的特許使用契約」を結んだのは事実だが、中松の主張によればIBMが中松と契約したのは1979年(昭和54年)2月[29]であり、既にディスケットの商品化がされて何年もたってから契約したことになる。そのため、中松の特許はディスケットの商品開発段階で直接関与はしていない。
IBMは自社の特許を守るため、当時ディスケットの構造に抵触しそうな他者の特許に対して契約を結んでいた。中松の特許もその一つに過ぎず、これは、IBMがディスケットを日本で発売する際に、中松との紛争を避ける目的である。その契約内容は技術的なものではなく、エンベロープの意匠に関するものであったとされている。
商標登録
特許以外にも数多くの流行語の商標登録出願を行い、「元祖平成維新」や「新・民主党」「知本主義」などは商標登録されている。
しかし、「がんばれ日本(にっぽん)」はJOCから不使用取消審判が請求され、審決取消訴訟を経て、中松の商標登録取消が確定した[30][31]。
2011年12月、「日本維新の会」の名称を商標登録するため特許庁に出願、2012年8月に拒絶査定(却下)されている。中松は同年10月、不服を申し立てるため特許庁に審判請求書を提出し、審判が行われる見通し。特許庁の審判は1年程度かかるという。特許庁の審判結果になお不服の場合は知的財産高等裁判所を経て最高裁判所まで争うことができる。中松は1989年(平成元年)より著書や講演活動などで「維新」の言葉を使用していると主張、既に「東京都維新の会」、「平成維新の会」については中松により「セミナーの企画・運営又は開催」、「書籍の製作」などを指定商品として商標登録が行われている。
2012年9月に大阪市長橋下徹らによって結成された政党日本維新の会は中松の届出に困惑しており、同会も商標登録を行う予定であるが、中松の出願について審判・訴訟で拒絶が確定しない限り、別の者が「日本維新の会」の商標出願をしても登録されることはないことから、同会が商標登録できるのは早くとも2013年末以降になる見通しである[32][33]。
評価
1989年、ニューズウィーク誌に掲載された『Who Said Talk Was Cheap?』という短い記事において、講演料が高額な人物11人の中で元大統領ロナルド・レーガン、超音速機パイロット・チャック・イェーガー、アメフトチーム監督マイク・ディトカ(Mike Ditka)、タイタニック号の発見者ロバート・バラード(Robert Ballard)と並んで唯一の日本人、フロッピーディスクを発明した「日本のエジソン」として講演料1万ドルと紹介された[34]。記事のソースは講演斡旋会社とされており、編集部が評価したものではなく、中松は12人の中で最も低額であった[9]。
1993年、マハトマ・ガンディー記念国際財団よりマハトマ・ガンディー世界平和賞が贈られたテンプレート:要出典。
2006年、インターネット世論調査で、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、第1位となったエジソンに次ぐ2位となった[注 7][35]。
2010年、インド・デリーの寺院でチベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパ(第3世セ・リンポチェ)から「金剛大阿闍梨」に認定されたという[36]。一方、問い合わせを受けたガンデン・ティパは、中松に金剛大阿闍梨の地位を授けたことはなく、そもそもガンデン座主にそのような権限や風習がない、とその事実を否定した[37]。
アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、「ドクター中松デー」という記念日が制定されている。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な顕彰とは位置づけが違っている[9]。また、世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「発明協会」とは無関係の組織)の会長は中松自身である[9]。
イグノーベル賞
2005年、「35年間に渡り自分の食事を毎回撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析し続けたこと」に対して、ノーベル賞のパロディであるイグノーベル賞(栄養学賞)が贈られた。
42歳のときから食べた食事の記録、血圧や体重などの情報を集めるようになり、撮影した食事の写真は1万枚以上に上る[38]。食事を二食、一食と減らして自身の体調の変化を観察したところ、一食の時に調子がよかったことから、「リボディ」という健康法を思いついた。その中身とは、一日一食主義をはじめとして、体によい五十五品目の摂取、ビタミンBやビタミンC、D、亜鉛といった栄養素の重要性、調理器具の正しい選択、強い精神の鍛錬、心地よい睡眠などであり、実践すれば144歳まで生きられるという[38]。
しかし、自身の86歳の誕生日となった2014年6月26日、彼自身は治療不可能の前立腺がんに侵されており2015年末までの余命と医師から宣告されたことを公表した。彼は会見の場において、今後は残された時間を使って新しい「がん治療ロボット」の開発に取り組むことを宣言している[39]。
受賞以来、政見放送では「IG(アイジー)ノーベル賞受賞」と自ら紹介している。
著書
- 三×(バイ)の人生(学習研究社、1977年)
- (新2版、CP、1985年、ISBN 4-915637-00-X)
- 独創力の秘密(PHP研究所、1981年、ISBN 4-569-20636-0)
- 人間関係方程式(現代史出版会、1983年、ISBN 4-19-502799-3)
- 中松義郎式新頭脳革命(山手書房、1983年)
- 中松義郎式新創造革命(山手書房、1983年)
- 異学発想のすすめ(講談社、1986年、ISBN 4-06-202606-6)
- 子どもの頭をよくする生活習慣(牧羊社、1986年、ISBN 4-8333-1560-2)
- 中松義郎のゴロ寝してスーパーマンになる法 上(マネジメント社、1987年、ISBN 4-8378-0198-6)
- 中松義郎のゴロ寝してスーパーマンになる法 下(マネジメント社、1988年、ISBN 4-8378-0217-6)
- ドクター中松義郎の発明百科(成美堂出版、1988年、ISBN 4-415-07365-4)
- ドクター中松平成日本を診断する(ビジネス社、1989年、ISBN 4-8284-0391-4)
- 「スジ・ピカ・イキ」で考えろ(情報センター出版局、1991年、ISBN 4-7958-0135-5)
- ドクター中松の常識やぶりバンザイ!(ベストセラーズ、1991年、ISBN 4-584-00774-8)
- ドクター中松の頭をもっと良くする101の方法(ベストセラーズ、1992年、ISBN 4-584-00795-0)
- ドクター中松の0からの創造(廣済堂出版、1992年、ISBN 4-331-50357-7)
- ドクター中松のスーパー育児術(自由国民社、1993年、ISBN 4-426-83101-6)
- 頭の良い子を育てる環境・運動・食事(ベストセラーズ、1994年、ISBN 4-584-00890-6)
- (新装版、CP、2002年、ISBN 4-915637-01-8)
- ドクター中松超常現象裏のウラ(DHC、1994年、ISBN 4-88724-013-9)
- 日本劣頭改造論(創現社出版、1994年、ISBN 4-88245-107-7)
- 宇宙と地震のメカニズム(泰流社、1995年、ISBN 4-8121-0110-7)
- ドクター中松の超パソコン発想入門(青春出版社、1996年、ISBN 4-413-01662-9)
- 頭脳革命(WAVE出版、1996年、ISBN 4-900528-75-7)
- ドクター中松の超創造力(廣済堂出版、1996年、ISBN 4-331-50561-8)
- 東大キャンパスにおける創造学講義(ビジネス社、1997年、ISBN 4-8284-0707-3)
- (新装版、CP、2002年、ISBN 4-915637-02-6)
- ドクター中松の独創思考(日本能率協会マネジメントセンター、1997年、ISBN 4-8207-1251-9)
- ドクター中松のここちよいリボディ(成星出版、1998年、ISBN 4-916008-52-9)
- ドクター・中松のリボデイ(新装版、CP、2002年、ISBN 4-915637-03-4)
- ドクター・中松ドクトリン(CP、2003年、ISBN 4-915637-04-2)
- ドクター・中松の発明伝説(CP、2003年、ISBN 4-915637-05-0)
- ドクター・中松の発明ノート(PHP研究所、2007年、ISBN 978-4-569-69298-2)
- バカと天才は紙二重(ベストセラーズ、2008年、ISBN 978-4-584-12187-0)
- お母様(ミヤオビパブリッシング、2008年、ISBN 978-4-900833-48-7)
- クリエイティブパワー(幸福の科学出版、2010年、ISBN 978-4-86395-051-1)
- 日本は負けたのではない(文芸社、2013年、ISBN 978-4-286-13911-1)
出演
映画
CM
私生活
家族は妻と2男1女。座右の銘は「撰難楽」(“せんなんらく”。愚か者は楽な道を、天才は困難な道を選ぶという意味)。趣味・特技はカメラ、ピアノ、ダンス[45]。
尊敬する人は101歳で死去した母であり、東京都知事選への出馬を促したのも母であったという[46][47]。
野球などのスポーツに造詣が深く、1990年には日本人として初めてメジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツの始球式を行っている[48]。
「君が代」をコンピューターで行進曲調にアレンジし、歌詞は原曲の通りに自身で吹き込んだシングルCDを発売したことがある[49]。
20歳の頃にセックスをすると頭が悪くなるとも主張しており、自身も24歳までセックスをしていなかったという[50]。
参考文献
注釈
外部リンク
テンプレート:Normdaten- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 2.2 「[訴える人・07都知事選](5)ドクター・中松さん78」『読売新聞東京本社版』2007年3月30日付朝刊、32面。
- ↑ 日本文化振興会新会長就任披露 世界婦人平和促進財団台湾総支部十周年記念行事 敬天新聞社テンプレート:リンク切れ
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 テンプレート:Cite web
- ↑ ビッグトーク第251号 セントルイス大学教授 サー中松善郎博士 x APA GROUP代表 元谷外志雄 アパグループ
- ↑ 6.0 6.1 6.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 7.0 7.1 母流のユニークな学校選択 ドクター中松コラム 『お受験どっとこむ』 平成23年5月30日閲覧
- ↑ 海軍兵学校出身者(生徒)名簿 (1978)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 「トンデモ本の世界」(と学会、1995年)260-268頁
- ↑ 「発明家・中松義郎氏が出馬表明 都知事選、2度目」『読売新聞東京本社版』1995年3月9日付朝刊、34面。
- ↑ 「発明家の中松氏、都知事選出馬を断念」『読売新聞東京本社版』1995年3月21日付朝刊、34面。
- ↑ 「都知事選きょう投開票 有力6候補密着ドキュメント」『読売新聞東京本社版』1995年4月9日付朝刊、30面。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 中松氏5度目の出馬「当選するまで」 - 政治ニュース : nikkansports.com
- ↑ 50トン持ち上げる!?ドクター・中松出馬(SANSPO.COM、2011年3月4日)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 活動報告|つばさ日本
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ ドクター中松HPより(2014年2月2日 時点)
- ↑ Dr. NakaMats ドクター・中松 Twitter 2014年2月4日18:40のツイートより
- ↑ mネット・民法改正情報ネットワーク「2003年民法改正に関する政策アンケート」
- ↑ 「ドクター・中松、幸福実現党から出馬…本人直撃!」ZAKZAK、2009年7月29日
- ↑ 「伝説の候補者列伝(2) ドクター・中松氏『今回の選挙にも秘策の発明ある』」MSN産経ニュース、2009年8月16日
- ↑ 「ドクター中松氏が幸福実現党から出馬」スポーツ報知2009年7月30日
- ↑ 特許電子図書館において特許公開出願番号「S58-120906」で検索可能
- ↑ ドクター・中松氏の新発明は「スマ手」(東スポweb、2012年6月30日)
- ↑ 29.0 29.1 29.2 1985年に中松側が配布した資料「WHO? is the inventor of Floppy」より。
- ↑ 共同通信「ドクター中松氏敗訴確定 『がんばれ日本』商標」47NEWS、2005年4月12日。
- ↑ 「発明家『ドクター・中松』氏、敗訴確定 『がんばれ日本』の商標登録問題」『読売新聞東京本社版』2005年4月13日付朝刊、33面。
- ↑ 「日本維新の会」の商標登録、審判の場へ ドクター・中松氏譲らず(1)2012年10月4日 MSN産経ニュース
- ↑ 「日本維新の会」の商標登録、審判の場へ ドクター・中松氏譲らず(2)2012年10月4日 MSN産経ニュース
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 「第91回 アンケート結果『この人のおかげで今がある』と思う発明家を教えてください。」DIMSDRIVE、2006年
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 38.0 38.1 テンプレート:Cite news
- ↑ スポーツ報知2014年6月27日「ドクター・中松氏、前立腺がん 余命1年半と公表」
- ↑ KINENOTE「シベリア超特急3」
- ↑ KINENOTE「ヅラ刑事 THE RUG COP」
- ↑ インターネット・ムービー・データベース「The Invention of Dr. Nakamats (2009) テンプレート:En icon」
- ↑ デンマーク映画協会「Opfindelsen af Dr. Nakamats / The Invention of Dr. Nakamatsテンプレート:En icon」
- ↑ 「[CM界]負け惜しみは発明の母? 不敵に笑うドクター中松」『読売新聞東京本社版』1997年6月23日付夕刊、16面。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ ドクター・中松氏大リーグ始球式で怪気炎!「鳩山くん、大先輩に挨拶がないぞ」(リアルライブ、2009年9月26日)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref>
タグがありますが、対応する <references group="注"/>
タグが見つからない、または閉じる </ref>
タグがありません