スタニスワフ・レム
スタニスワフ・レム (Stanisław Lem, 1921年9月12日 - 2006年3月27日)は、ポーランドの小説家、SF作家、思想家。ポーランドSFの第一人者であるとともに、20世紀SF最高の作家の一人とされる。また、著書は41の異なる言語に翻訳され、2700万部が販売されており、世界で最も広く読まれているSF作家である[1]。代表作に、2度映画化もされた『ソラリスの陽のもとに』など。
日本での翻訳初期にはロシア語版からの重訳での出版が多かったためか、ロシア語読みでスタニスラフ・レムと紹介されることが多かった。
目次
経歴
1921年、ポーランドのリヴィウ(現ウクライナ)に[2]生まれる。父サムエルはユダヤ系、母サビーナはカトリック系であるが、レムはカトリック教徒として育てられる(のちに長じて無神論者になる)。ギムナジウム時代に知能指数が180であることが分かり、当時の南ポーランドでは最も頭のいい子供だったという。1940年にルヴフ医科大学に入学し生物学を学ぶ傍ら、数学や、思想・哲学・サイバネティクスの研究も行う。ルヴフがナチス・ドイツに占領された期間は自動車工、溶接工として働いた。大学卒業後は大学に研究員として勤務。1946年、ルヴフがソ連に割譲されると、クラクフに移住、ヤギェウォ大学に進む。この頃から雑誌に詩や短編小説を発表する。1948年にヤギェウォ大学を卒業し、大学附属の科学研究院に勤め、月刊誌「科学生活」の科学顧問として科学の方法論などに関する論文を発表する。この年、長編小説『失われざる時』を執筆、これは現代小説で3部作のうち第2、3部は社会主義リアリズム作品となっているが、出版されたのは「雪解け」後の1955年だった。
1951年、『金星応答なし』で本格的にSF作家としてデビューした。この時期の作品は社会主義リアリズム影響下にあり、レム自身その価値を否定している。1955年に金十字功労賞受賞。1957年、クラクフ市文学賞受賞。1959年、ポーランド復興十字勲章受章。1965年、ポーランド文化芸術大臣賞第二席。1959年から1964年に書かれた『エデン』『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』は後にファーストコンタクト三部作と呼ばれ、異星人とのコミュニケーション不可能性がテーマとなっている。『ソラリスの陽のもとに』は代表作の一つとされ、『惑星ソラリス』(1972年、監督アンドレイ・タルコフスキー)および『ソラリス』(2003年、監督スティーブン・ソダーバーグ)として2度映画化された。
1969年、外務省から外国でのポーランド文学普及に対して表彰状を受ける。1970年代になると、研究書『SFと未来学』や、メタフィクション『完全な真空』『虚数』などを発表。1976年、文化芸術大臣賞第一席。1979年、ポーランド復興上級十字勲章受章。
戒厳令の敷かれた1982年、西ベルリンの高等科学研究所の研究員として招聘される。この同僚であったオーストリア文学研究所所長ヴォルフガング・クラウスの招待で1983年にウィーンに移り、1988年帰国。2005年、レム著作集(ポーランド語版、34巻)完結を記念して、クラクフにて出版元「文学出版社(Wydawnictwo Literactkie)」による「レム会議(Kongres LEMologiczny)」が開催され、県立図書館での展示会、ヤギェウォ大学天文台での見学ツアーと講演、町の中央広場での地球外生命大集合と宇宙ファッション・コンクール、シンポジウム「私とレム」などが行われた。2006年3月27日、ヤギェウォ大学病院にて死去。
受容と評価
社会主義リアリズム時代の著作『金星応答なし』『マゼラン星雲』はソ連で100万部以上出版され、その後社会主義国全域で出版されるようになり、60年代にはポーランドで最も有名な現代作家となった。日本では『金星応答なし』が1961年、『ソラリスの陽のもとに』が1965年に邦訳、『砂漠の惑星』が1968年に『世界SF全集』に収録され、高い評価を得る。1970年に日本で開かれた国際SFシンポジウムにおいて、日本以外の西側諸国において初めてレムの存在が認知されて、レム・ブームが起こる。1973年にアメリカSF作家協会の名誉会員とされるが、アメリカSFへの批判が元で1976年に資格を剥奪される、いわゆるレム事件が起きる(ただしレム自身は相手にしていなかった)。1984年にはレムの代表的論考を集めた『Microworlds』が英語圏で出版されて評価を得る。1987年に出版された『大失敗』は、1995年までに欧州13ヶ国語に翻訳出版されている。
作品
作品には、初期作品も含む現代小説、『ソラリス』などのシリアスなSF、泰平ヨン・シリーズや『宇宙創世記ロボットの旅』などの寓話的SF、評論やメタフィクションなどがある。作品はポーランド語独特の表現法がちりばめられていることが多く、他言語への翻訳は非常に難しいとされる。
作家活動期
レムの作家活動は、1984年の自伝で述べられる三つの時代[3]と、それ以降の二つの時代[4]でおおざっぱに分けられる。
- 初期(1946-58)
- 当時の社会主義リアリズムが支配的な出版状況下で書かれた、『失われざる時』などの現代小説、『金星応答無し』『航星日誌』などのSF小説。自身は「楽天主義」「二流の作品ばかり」と述べるが、これらによって国内、東欧における名声を得た。
- 第2期・SF小説の時代(1959-69)
- ファーストコンタクト三部作と言われる『エデン』『ソラリス』『砂漠の惑星』などのSF小説の傑作を書く。自身「すでに他の者達に全面的に占拠されている領土の果てにまで達した」と述べ、またこれらの作品によって西欧でも高く評価されるようになり、現代SFの最高峰と見なされている。並行してメタミステリ作品『捜査』『浴槽で発見された手記』など、人間の認識の限界に挑む作品や、『技術大全』などの評論集も書いた。連作短篇集『宇宙飛行士ピルクス物語』では、人工知能論、システム論とバグの問題、シミュレーション科学などに基づくアイデアを扱っている。
- 第3期・超フィクションの時代(1970-80)
- 架空の本の書評集『完全な真空』、実在しない未来の本の序文集『虚数』といったメタフィクションに挑む。
- 第4期・SF回帰の時代(1981-87)
- メタフィクション『挑発』『二十一世紀図書館』、SF小説として『現場検証』『地球の平和』『大失敗』、その中間的な『GOLEM XIV』など。最後の長編小説となった『大失敗』は「二十世紀SFの巨匠の創作活動の掉尾を飾るにふさわしい集大成」と評された[5]。
- 第5期・小説からの撤退(1988-2006)
- 評論集、対談、書簡集などを出版。
長編
- 『宇宙飛行士たち (Astronauci)』 1951年。
- 『マゼラン星雲 (Obłok Magellana)』 1956年 (未訳)
- 『捜査 (Śledztwo)』 1959年。
- 邦題『捜査』 深見弾訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1978年、ISBN 978-4150103064
- 『エデン (Eden)』 1959年。
- 邦題『エデン』 小原雅俊訳、 早川書房、1980年、ISBN 978-4152020215。早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1987年、ISBN 978-4150107451
- 『ソラリス (Solaris)』 1961年。
- 邦題『ソラリスの陽のもとに』 飯田規和訳、早川書房)、1965年。『ソラリス』 沼野充義訳、国書刊行会、2003年、ISBN 978-4336045010
- 『星からの帰還 (Powrót z gwiazd)』 1961年。
- 邦題『星からの帰還』 吉上昭三訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1977年、ISBN 978-4150102449。集英社、1980年、ISBN 4-08-773016-6
- 『発見された手記 (Pamiętnik znaleziony w wannie)』 1961年。
- 『無敵 (Niezwyciężony)』 1964年。
- 邦題『砂漠の惑星』 飯田規和訳、世界SF全集23巻収録、1968年。早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1977年、ISBN 978-4150102739
- 『主の声(Głos Pana)』 1968年。
- 邦題『天の声』 深見弾訳、サンリオSF文庫、1982年。『天の声・枯草熱』 沼野充義・吉上昭三・深見弾訳、国書刊行会、2005年、ISBN 978-4336045034
- 『枯草熱 (Katar)』 1976年。
- 邦題『枯草熱』 吉上昭三・沼野充義訳、サンリオSF文庫、1979年、ISBN 978-4387795223
- 『GOLEM XIV (GOLEM XIV)』1981年(日本では『虚数』収録)
- 『地球の平和』1987年
- 『大失敗 (Fiasko)』 1987年。
- 邦題『大失敗』 久山宏一訳、国書刊行会、2007年、ISBN 978-4336045027
短編集
- 『宇宙飛行士ピルクス物語 (Opowieści o pilocie Pirxie)』 1968年。邦題『宇宙飛行士ピルクス物語』 深見弾訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉
- 『完全な真空 (Doskonała próżnia)』 1971年。邦題『完全な真空』 沼野充義訳、国書刊行会、
- 『すばらしきレムの世界 1・2 (Opowiadania)』1969年 深見弾訳 講談社文庫
- 『虚数 (Wielkość urojona)』 1973年。邦題『虚数』 長谷見一雄・西成彦・沼野充義訳、国書刊行会、
- 『レムの宇宙カタログ (The Best of Stanisław Lem)』1981年 吉上昭三訳 大和書房
『ロボット』シリーズ (ツィベリアダ)
- 『ロボット物語 (Bajki Robotów)』 1964年。邦題『ロボット物語』 深見弾訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1982年
- 『ツィベリアダ (Cyberiada)』 1965年。邦題『宇宙創世記ロボットの旅』 吉上昭三・村手義治訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉
- 『完世音菩薩 (Kobyszczę)』
- 『トルルの機械』
- 『みごとな青あざ』
- 『赤鉄王子と水晶王女の物語 (O Królewiczu Ferrycym i królewnie Krystali)』
『泰平ヨン』シリーズ
- 『恒星日誌 (Dzienniki gwiazdowe)』 1957年(1971年に加筆)。邦題『泰平ヨンの航星日記』・『泰平ヨンの回想記』 深見弾訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉 - のちの2分冊版にもとづき刊行 - のちに『泰平ヨンの航星日記〔改訳版〕』 深見弾+大野典宏訳で刊行
- 『現場検証? (Wizja lokalna)』 1981年。邦題『泰平ヨンの現場検証』 深見弾訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉
- 『未来学会議 (Kongres futurologiczny)』 1983年。邦題『泰平ヨンの未来学会議』 深見弾訳、集英社
評論集・随想集
- 『対話 (Dialogi)』1957年
- 『軌道に乗る(Wejście na orbitę)』1962年
- 『技術大全 (Summa Technologiae)』 1964年 (未訳)
- 『高い城 (Wysoki Zamek)』 1966年。邦題『高い城・文学エッセイ』 沼野充義・巽孝之・芝田文乃・加藤有子・井上暁子訳、国書刊行会、2004年
- 『偶然の哲学 経験論の見地から見た文学 (Filozofia przypadku. Literatura w świetle empirii)』1968年
- 『SFと未来学(Fantastyka i futurologia)』1970年
- 『論争と論文(Rozprawy i szkice)』1975年
脚注
- ↑ http://www.mirror.co.uk/news/top-stories/2011/11/23/stanis-aw-lem-google-doodle-ten-things-you-need-to-know-about-the-polish-science-fiction-writer-115875-23582355/ Stanisław Lem Google Doodle: Ten things you need to know about the Polish science fiction writer
- ↑ 『ザ・ニューヨーカー』59号(1984年1月30日)88-98頁に掲載の自伝的エッセイ"Chance and Order" および『ジューイッシュ・クロニクル』掲載の死亡記事(2006年5月18日)から。
- ↑ 「偶然と秩序の間で-自伝」(『高い城・文学エッセイ』国書刊行会 2004年)
- ↑ 久山宏一「訳者あとがき」(『大失敗』国書刊行会 2007年)
- ↑ 山岸真(『本の雑誌』本の雑誌社 2006年11月号)
参考文献
- 「SFの本」第5号(新時代社、1984年7月:特集スタニスワフ・レム サイエンス・フィクションを超えて)
- 「ユリイカ」1986年1月号(特集 スタニスワフ・レム)
- 沼野充義「レムは一人でそのすべてである」、石川喬司「ソラリスの海に漂うSF」(「SFマガジン」誌2006年8月号)
外部リンク
- Solaris 公式サイト(ポーランド語 / 英語)。レム自身が解説するレムの経歴などもあり。テンプレート:Link GA