ジョイパックフィルム

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テンプレート:Infobox ジョイパックフイルム株式会社は、かつて存在した日本映画会社である[1][2][3]ミリオンフィルム株式会社は、合併後は同社のピンク映画を中心に製作・配給するレーベル「ミリオンフィルム」となった[4]。1989年(平成元年)4月、株式会社ヒューマックスピクチャーズと社名を変更した[3][5]。現在は、2003年(平成15年)3月の営業譲渡により、ヒューマックスシネマが同社の全事業を継承した[3]

本項では、前身から始まり、ミリオンフィルムおよびジョイパックフィルムの名称の時代(1965年11月 - 1989年4月)を扱う。

ヒューマックスピクチャーズおよびヒューマックスシネマについては「ヒューマックスシネマ」を参照

沿革

  • 1965年11月29日 - 株式会社ムーランルージュプロダクションを設立[2][3][5]
  • 1967年8月 - 株式会社恵通プロダクション(社長林瑞峰)と改称[2]
  • 1968年8月1日 - ミリオンフィルム株式会社(社長加来章)設立[4]
  • 1975年4月1日 - ミリオンフィルム株式会社と株式会社恵通プロダクションが合併し、ジョイパックフィルム株式会社(社長林瑞峰)を設立する[1]
  • 1983年4月 - 恵通企業株式会社の映画興行部門を独立・分社化、興行会社ジョイパックシネマ株式会社を設立[3]
  • 1989年4月 - ジョイパックフィルム株式会社を株式会社ヒューマックスピクチャーズに、ジョイパックシネマ株式会社を株式会社ヒューマックスシネマ(第一次)にそれぞれ社名を変更[3]
  • 1991年7月 - 株式会社ヒューマックスピクチャーズは、株式会社ヒューマックスシネマ(興行・第一次)、株式会社ヒューマックスアルファチャンネル(放送)と対等合併、新社名は株式会社ヒューマックスピクチャーズを継承する(製作配給興行放送の統合)[3]
  • 1995年7月 - 株式会社ヒューマックステクノロジー(現在の第二次ヒューマックスシネマの前身)を設立[3]
  • 2003年2月 - 株式会社ヒューマックステクノロジーを株式会社ヒューマックスシネマ(第二次)に社名変更[3]
    • 同年3月 - 株式会社ヒューマックスピクチャーズの全事業を株式会社ヒューマックスシネマ(第二次)に営業譲渡[3]

テンプレート:See

データ

  • 社名 : ジョイパックフィルム株式会社
  • 所在地 : 東京都新宿区歌舞伎町21番地3号 地球会館6階[1][6]
    • 現在の東京都新宿区歌舞伎町1丁目21番7号 ヒューマックスパビリオン新宿アネックス
    [[[:テンプレート:座標URL]]35_41_43.46_N_139_42_3.81_E_{{{9}}} 北緯35度41分43.46秒東経139度42分3.81秒]
  • 資本金 : 8,000万円 (1978年)[1]
  • 代表取締役社長 : 林瑞峰[1]
  • 取締役 : 井田喜八郎林瑞禎林瑞祥河東栄 (1978年)[1]
  • 関西支社
    • 所在地 : 大阪府大阪市北区堂島北31番地 堂北ビル5階[6]
      • 現在の大阪府大阪市北区堂島2丁目3番2号 サンアール堂北ビル(現存)
      [[[:テンプレート:座標URL]]34_41_47.32_N_135_29_36.6_E_{{{9}}} 北緯34度41分47.32秒東経135度29分36.6秒]
  • 中部支社
    • 所在地 : 愛知県名古屋市中村区広小路西通1丁目20番地 ガーデンビル7階[6]
      • 現在の愛知県名古屋市中村区名駅南1丁目4番12号 ガーデンビル(現存)
      [[[:テンプレート:座標URL]]35_10_4.13_N_136_53_25.25_E_{{{9}}} 北緯35度10分4.13秒東経136度53分25.25秒]
  • 九州支社

概要

1965年(昭和40年)11月29日、株式会社ムーランルージュプロダクションとして設立された[2][3][5]。ヒューマックスの公式ウェブサイトには「1965年11月 ジョイパックフルム(株)設立」(下線部ママ、「ジョイパックフルム株式会社」の脱字)と記されているが[3]、『健康とレジャーの組織』によれば、当時の同社の商号は上記の通りであり、1967年(昭和42年)8月に株式会社恵通プロダクションと改称、同社の親会社・惠通企業株式会社(現在の株式会社ヒューマックス)の常務取締役であった林瑞峰が、恵通プロダクションの代表取締役社長に就任した[2][7][8][9]

1968年(昭和43年)8月1日には、ミリオンフィルム株式会社(社長加来章)が設立され[4]、同年9月には、日本芸術協会が製作したピンク映画『セックス女優残酷史』(監督向井寛)を配給、同作が記録に残るもっとも古い、ミリオンフィルムの配給作である。1975年(昭和50年)4月1日、林瑞峰は、当時すでに常務取締役として経営に参加していたミリオンフィルム株式会社と、自らが社長を務める株式会社恵通プロダクションを合併させ、ジョイパックフィルム株式会社を新たに設立[1]、同年5月、同社代表取締役社長に就任する[7]。『映画年鑑 1978』の同社の項の設立年月日欄には、「1975年4月1日」である旨の記述がある[1]。合併以降も「ミリオンフィルム」はレーベルとして残り、ピンク映画を中心に製作・配給した[4]

1983年(昭和58年)4月、恵通企業株式会社は、映画興行部門を独立・分社化、興行会社ジョイパックシネマ株式会社を設立している[3]。1987年(昭和62年)7月、恵通企業株式会社は株式会社ヒューマックスに社名変更、グループ名をヒューマックスグループと改称した[3]。同年から「ミリオンフィルム」の製作・配給本数は削減され、1988年(昭和63年)5月に製作・公開された『冴島奈緒 監禁』(監督浜野佐知、主演冴島奈緒)が同レーベルの最後の作品となった。同年5月14日に二本立て公開された『DOOR』(監督高橋伴明、主演高橋惠子)、『死霊の罠』(監督池田敏春、主演小野みゆき)を最後に、「ジョイパックフィルム」の名で製作・配給した作品は見当たらない。

1989年(平成元年)4月、ジョイパックフィルム株式会社を株式会社ヒューマックスピクチャーズに、ジョイパックシネマ株式会社を株式会社ヒューマックスシネマにそれぞれ社名を変更し、「ジョイパックフィルム」の名称は消滅した[3]。『映画年鑑 1998』の「株式会社ヒューマックスピクチャーズ」の項の設立年月日欄には、「1965年11月29日」である旨の記述がある[5]。ジョイパックフィルムの後身であるヒューマックスピクチャーズの全事業は、2003年(平成15年)2月にヒューマックスシネマに譲渡され、現在、製作・配給・興行といった映画事業のすべてをヒューマックスシネマが継承している[3]テンプレート:See

「ジョイパック」の名称は、ヒューマックスグループのなかでは、ジョイパックレジャー(社長林光男)を中心とした「ジョイパックグループ」のみが現在も引き継いでいる[3]

フィルモグラフィ

ミリオンフィルム

特筆以外の製作・配給はすべて「ミリオンフィルム」である[10][11][12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23][24][25][26][27][28][29]

ジョイパックフィルム

特筆以外はすべて配給のみ、以下は外国映画のおもな作品、日本映画のすべてである。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 『映画年鑑 1975』、時事映画通信社、1975年
  • 『映画年鑑 1978』、時事映画通信社、1978年
  • 『映画年鑑 1998』、時事映画通信社、1998年
  • 『健康とレジャーの組織 - ライフスタイルの管理と創造』、水野肇山田紘祥第一法規出版、1988年12月 ISBN 4474151119

関連項目

外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 年鑑[1978], p.204.
  • 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 水野山田[1988], p.302.
  • 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 沿革、ヒューマックス、2013年7月14日閲覧。
  • 4.0 4.1 4.2 4.3 年鑑[1975], p.206.
  • 5.0 5.1 5.2 5.3 年鑑[1998], p.262.
  • 6.0 6.1 6.2 6.3 年鑑[1978], p.前付15.
  • 7.0 7.1 第80期有価証券報告書ワンダーテーブル、2009年6月24日付、2013年7月18日閲覧。
  • 役員・主要メンバー略歴フィロソフィア、2013年7月18日閲覧。
  • 有価証券報告書の訂正報告書、ギャガ・コミュニケーションズ(ギャガ)、2006年7月14日付、2013年7月18日閲覧。
  • 1969年 公開作品一覧 537作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1970年 公開作品一覧 365作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1971年 公開作品一覧 392作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1972年 公開作品一覧 390作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1973年 公開作品一覧 391作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1974年 公開作品一覧 341作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1975年 公開作品一覧 411作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1976年 公開作品一覧 432作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1977年 公開作品一覧 410作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1978年 公開作品一覧 399作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 20.0 20.1 1979年 公開作品一覧 472作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1980年 公開作品一覧 433作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 1981年 公開作品一覧 482作品、日本映画データベース、2013年7月17日閲覧。
  • 23.0 23.1 23.2 23.3 23.4 23.5 23.6 1982年 公開作品一覧 431作品、日本映画データベース、2013年7月17日閲覧。
  • 24.0 24.1 24.2 24.3 24.4 1983年 公開作品一覧 455作品、日本映画データベース、2013年7月17日閲覧。
  • 25.0 25.1 25.2 25.3 25.4 1984年 公開作品一覧 452作品、日本映画データベース、2013年7月17日閲覧。
  • 26.0 26.1 1985年 公開作品一覧 376作品、日本映画データベース、2013年7月17日閲覧。
  • 27.0 27.1 27.2 1986年 公開作品一覧 356作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 28.0 28.1 28.2 1987年 公開作品一覧 343作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 29.0 29.1 29.2 29.3 1988年 公開作品一覧 331作品、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • セックス女優残酷史、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。
  • 鞭と陰獣、日本映画データベース、2013年7月15日閲覧。