周防正行
テンプレート:ActorActress 周防 正行(すお まさゆき[1]、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。太田出版監査役[2][3]。
目次
来歴
幼少時は野球好きで、野球をするために中学はわざわざ越境入学してまで武蔵工業大学附属中学校・高等学校(現・東京都市大学付属中学校・高等学校)に進学。しかし中学2年の時に肘を痛めて野球の道は断念した[4]。高校卒業後2年間浪人生活を送る[4]。
1981年立教大学文学部仏文科卒、在学中に非常勤講師として来ていた蓮實重彦の講義「映画表現論」に出会い、映画監督を目ざす[5]。その後イメージフォーラム映像研究所に進みながら、高橋伴明・若松孝二・井筒和幸といった監督のもとで助監督として修行を積む[4]。
1984年に小津安二郎へのオマージュを含んだにっかつロマンポルノ『変態家族兄貴の嫁さん』で監督デビュー。朝日新聞で蓮實がその年のベスト5にあげた。その後、矢島周平名義にてピンク映画にかかわるが、1989年の『ファンシイダンス』で一般映画に進出。1992年『シコふんじゃった。』、1998年『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞。
1993年にはアルタミラピクチャーズの設立に参加[6]。1997年7月、「Shall we ダンス?」の全米配給で関係の生まれたミラマックスと、以後の映画製作に関するファーストルック契約を結ぶ[7](現在は失効)。2007年に太田出版の監査役に就任[3]。
2008年、『それでもボクはやってない』が2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門の1位に選ばれる[8]。2009年、草刈民代とともに第2回プラチナ夫婦アワードを受賞[9]。
2011年6月に発足した新時代の刑事司法制度特別部会の委員に選ばれ「取り調べの全面可視化」「証拠の全面開示」「人質司法改善すること」を主張[10]。
2013年、『終の信託』で毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞した[11]。
幼少の頃の野球好きから、現在でも東京ヤクルトスワローズの熱狂的ファンである[4]。
作品
監督
映画
- 変態家族 兄貴の嫁さん(1984年)
- マルサの女をマルサする(1987年)
- マルサの女IIをマルサする(1988年)
- ファンシイダンス(1989年)
- シコふんじゃった。(1991年)
- Shall we ダンス?(1996年)
- それでもボクはやってない(2007年)
- ダンシング・チャップリン(2011年)
- 終の信託(2012年)
- 舞妓はレディ(2014年公開)
テレビドラマ
- サラリーマン教室(1986年)
オリジナルビデオ
- 大災難(1995年)
ミュージックビデオ
- 有頂天「カラフルメリィが降った日」(1990年)
製作
- がんばっていきまっしょい(1998年)
出演
著書
小説
エッセイ・ノンフィクション
- 『Shall weダンス?』アメリカを行く(1998年2月、太田出版)
- スタジアムへ行こう!―周防正行のスポーツ観戦記(2000年9月、角川書店)
- インド待ち(2001年3月、集英社)
- アメリカ人が作った『Shall we dance?』(2005年4月、太田出版)
- それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!(2007年1月、幻冬舎)
- 周防正行のバレエ入門(2011年4月、太田出版)
対談・インタビュー
脚注
外部リンク
テンプレート:周防正行監督作品 テンプレート:ブルーリボン賞監督賞
テンプレート:毎日映画コンクール監督賞- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 会社概要 - 太田出版
- ↑ 3.0 3.1 太田出版、監査役に周防正行監督 売上高8億6657万円で増収 - 文化通信・2007年12月19日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「周防正行監督・Shall we ダンス?」 - NHK BSコラム・2011年11月14日
- ↑ 立教大学
- ↑ 周防正行(SUO MASAYUKI) - アルタミラピクチャーズ
- ↑ 『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』p.365
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2014年4月23日中日新聞朝刊33面「冤罪の危険省みられていない〜捜査側可視化骨抜きの恐れ」
- ↑ テンプレート:Cite web