ジェノヴァ

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テンプレート:コムーネ ジェノヴァテンプレート:Lang-it-shortテンプレート:IPA audio link)は、イタリア共和国北西部にある都市で、その周辺地域を含む人口約58万人の基礎自治体コムーネ)。リグーリア州の州都であり、ジェノヴァ県の県都である。

リグリア海に面した港湾都市で、中世には海洋国家ジェノヴァ共和国)として栄え、商工業・金融業の中心地としての長い歴史を持つ。現代においてもミラノトリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つジェノヴァ港はイタリア最大の貿易港であり、地中海有数のコンテナ取扱高を誇っている。コムーネ人口は全国6位(2011年現在)。

名称

標準イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。

日本語文献では英語名称より「ジェノア」と記されることもある。ジェノヴァのプロサッカークラブは、イギリス人が設立した経緯から「ジェノア」(Genoa Cricket and Football Club)を正式名称で用いる。

地理

位置・広がり

ジェノヴァ県内では西部に位置するコムーネである。ジェノヴァ市街は、ミラノから南南西へ約120km、トリノから南東へ約124km、ニースから北北東へ約156km、フィレンツェから西北西へ約197km、首都ローマから西北へ約399kmの距離にある。

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

古代・中世

ジェノヴァの古名 Janua または Jenuaケルト語入り口の意、他の説によると先住民族の王だったと思われるヤヌス(イタリア語ではGiano)から来たとも。

紀元前6世紀頃から人類が居住していたとされる。ローマ時代には以前より天然の良港という環境を生かしテンプレート:要出典、海運業や軍港として発展した。

ジェノヴァ共和国

テンプレート:Seealso 1100年頃より自治都市となり、その後はジェノヴァ共和国として発展する。ヴェネツィアピサアマルフィなどの他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増した。特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、黒海貿易を独占するなどした。コルシカ島カッファなどのクリミア半島南岸諸都市、コンスタンティノポリス金角湾北部、イスラーム統治下のイベリア半島諸都市などに植民地あるいは商館を築くなど、地中海の覇権をヴェネツィアやオスマン帝国と争った。16世紀には金融業で財を成した貴族が多く現れ、繁栄がピークに達した。アンドレア・ドーリア海軍提督の頃はスペイン王に協力し、多くの貴族が金融で富を築く。その頃は la Superba、すなわち「華麗な都市」との異名があった。

フランス革命戦争からイタリア統一まで

1797年ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に侵攻され、その傀儡国家であるリグリア共和国となり、1805年にはフランスに併合、ナポレオン失脚後のウィーン会議後も共和国であったため回復させてもらえず、ウィーン議定書によりサルデーニャ王国へ編入され、ジェノヴァは独立を失った。その後リソルジメントでサルデーニャ王国がイタリア半島統一を成し、イタリアの有力な都市の一つとして発展した。

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後は郊外の新港を中心に発展したが、旧港を中心とした旧市街が未整備のまま一部残され、インナーシティ問題が拡大した。その後1992年万国博覧会(特別博)「国際船と海の博覧会」を開催。都市内部再開発事業などで、古くからの港湾都市としての歴史を生かした新しい町作りに取り組んでいる。

2001年にはG8の開催地となり、グローバリゼーションへの抗議行動で話題を呼んだ。2006年にはレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ世界遺産に登録された。

観光

歴史のある町並みが市内中心地に大きな規模で残っており、貴族の邸宅から庶民の町まで、中世自治都市の栄華を伝える雰囲気がある。また旧港を中心とした地域は、1992年に開催されたジェノヴァ国際博覧会の際に建築家レンゾ・ピアノの再開発プロジェクトにより、文化観光地域に生まれ変わっている。

交通

空港

スポーツ

ジェノヴァを舞台とする作品

姉妹都市

人物

著名な出身者

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脚注

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関連項目

  • ジーンズ - ジェノヴァ産の布を使用した。ジェノヴァのフランス語名 Gênes が英語読みで「ジーンズ」と読まれ、のちに jeans と綴りかえられた。

外部リンク

テンプレート:Commons&cat

公式
観光

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