サーシャ・コーエン
サーシャ・コーエン(Sasha Cohen、本名:アレクサンドラ・ポーリーン・コーエン、Alexandra Pauline Cohen、1984年10月26日[1] - )は、アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2006年トリノオリンピック女子シングル銀メダリスト。競技名のサーシャとはアレクサンドラのロシア語風の愛称。
目次
人物
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 趣味はファッションデザイン、料理、旅行。好きな食べ物はアイスクリームである。ロシア語を解することもできる[2]。
父のロジャー・コーエンはユダヤ系アメリカ人の弁護士兼経営コンサルタントである。母のガリーナ・フェルドマンはウクライナ出身のユダヤ系移民で元バレエダンサーだった[3][4]。妹のナタリア(ナターシャ)は2006年8月に大学に入学している。家族は全員が敬虔なユダヤ教徒であり、よくシナゴーグに通っている。
2002年のソルトレイク五輪の開会式では、アメリカ選手団の中にいたジョージ・W・ブッシュ大統領が、母親と通話中のサーシャ・コーエンの携帯電話を取り上げ、「貴女の娘さんはお行儀良くやっているよ。競技での活躍をお祈りしています。」と話した。またこの五輪中の試合でタイツを忘れてしまい、村主章枝からタイツを借りたことがある。村主は2006年に出演したNHK「英語でしゃべらナイト」でその時の逸話に言及し、「早く返してください(笑)」と冗談めかして語った。他の競技会でもタイツを忘れ、荒川静香から借りたことがある[1]。
2005年に自叙伝『Fire on Ice』を出版。2007年公開のアメリカ映画『俺たちフィギュアスケーター(Blades of Glory)』では、トリノ五輪フリースケーティングの衣装を着てカメオ出演している。
技術・演技
高い柔軟性を活かしたスパイラルシークエンスと優美なレイバックスピンが得意。特にスパイラルは、サポート無しで足を前に高く上げての前向き滑走、真っすぐ伸ばした180度開脚など、高度な技巧で最高難度のレベル4を頻繁に獲得しており、トリノオリンピックではショート・フリーの両方でGOEで2.0点加点されていた。
表現力も非常に高く評価されており、演技構成点で8点台を出すことがある。トリノオリンピックのショートプログラムでは、技術点ではイリーナ・スルツカヤ、荒川静香に次ぐ3位であったが、演技構成点でこの2人を抑え、トータルポイントでは1位となった。
経歴
幼少期~2005年
カリフォルニア州ロサンゼルス出身。幼い時から体操とバレエを経験し、7歳の時にフィギュアスケートに転向。ジョン・ニックスコーチに師事した。
2002年のソルトレイクシティオリンピックは、ショートプログラムは安定した演技で3位となったが、フリースケーティングではコンビネーションで2つめのジャンプでの着氷失敗が響き、総合では4位入賞に終わった。
2002-2003シーズンではグランプリシリーズ2連勝、グランプリファイナルでも優勝を果たす。
2003-2004シーズン、2003年12月にコーチをタチアナ・タラソワから、サラ・ヒューズのコーチだったロビン・ワグナーに変更している。2004年世界選手権では2位に終わる。
2004-2005シーズン、グランプリシリーズを背中の故障で全て欠場した。同年12月後半にコーチをロビン・ワグナーからジョン・ニックスに戻している。オレゴン州ポートランドで行われた2005年の全米選手権で復帰し2位。続くモスクワでの世界選手権でも2位に終わる。
2005-2006シーズン
グランプリシリーズ、初戦のスケートアメリカは臀部の故障により欠場。次戦のエリック・ボンパール杯で2位。2006年の全米選手権では、インフルエンザによる体調不良を克服し初優勝。2006年トリノオリンピックのアメリカ代表となった。
トリノオリンピックではショートプログラムをミスの無い演技で終え、イリーナ・スルツカヤと荒川静香を抑え僅差でトップに立った。フリースケーティングでは、序盤のジャンプで転倒や両手を着くなどの大きなミスを犯したが、中盤から終盤にかけてはほぼ完璧な演技でまとめて、優勝の荒川静香に次いで銀メダルを獲得した。
トリノオリンピックから1ヵ月後にカナダのカルガリーで開催された世界選手権でも、ショートプログラムではコンビネーションジャンプで両足着氷したものの、質の高い演技を披露しトップに立ったが、フリースケーティングでは中盤から終盤にかけてミスを連発、1位のキミー・マイズナー、2位の村主章枝に及ばず3位に終わった。
2006-現在
2006-2007シーズン以降は主要競技会に出場せず、アイスショーを中心に活動していたが、 2010年のバンクーバーオリンピックに向けて、2009-2010シーズンより復帰することを明らかにした[5]。しかし、足の怪我により2009年のグランプリシリーズは全て欠場。翌2010年1月の全米選手権で、3大会連続の冬季五輪代表選出を目指したが結局4位に終わり、バンクーバー五輪への出場はならなかった。
主な戦績
大会/年 | 1997-98 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2009-10 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
冬季オリンピック | 4 | 2 | ||||||||
世界選手権 | 4 | 4 | 2 | 2 | 3 | |||||
全米選手権 | 6 N | 2 J | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 1 | 4 | |
GPファイナル | 1 | 2 | ||||||||
GPエリック杯 | 3 | 1 | 1 | 2 | ||||||
GPスケートアメリカ | 5 | 1 | ||||||||
GPスケートカナダ | 1 | 1 | ||||||||
GPロシア杯 | 4 | 2 | ||||||||
GPスパルカッセン杯 | 5 | |||||||||
フィンランディア杯 | 1 | |||||||||
世界ジュニア選手権 | 6 | |||||||||
JGPスウェーデン | 1 |
シニア
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年1月21日-23日 | 全米フィギュアスケート選手権(スポケーン) | 2 69.63 |
4 104.65 |
4 174.28 |
</div>
</div>
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2006年3月19日-26日 | 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) | 3 27.59 |
1 66.62 |
4 114.67 |
3 208.88 |
2006年2月10日-26日 | トリノオリンピック(トリノ) | - | 1 66.73 |
2 116.63 |
2 183.36 |
2006年1月7日-15日 | 全米フィギュアスケート選手権(セントルイス) | - | 1 65.15 |
1 134.03 |
1 199.18 |
2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 2 60.96 |
3 114.16 |
2 175.12 |
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 1 28.41 |
2 61.37 |
2 124.61 |
2 214.39 |
2005年1月9日-16日 | 全米フィギュアスケート選手権(ポートランド) | - | 2 | 2 | 2 |
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2004年3月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 1 | 1 | 3 | 2 |
2004年1月3日-11日 | 全米フィギュアスケート選手権(アトランタ) | - | 1 | 2 | 2 |
2003年12月11日-14日 | 2003/2004 ISUグランプリファイナル(コロラドスプリングス) | - | 2 60.80 |
2 116.68 |
2 177.48 |
2003年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 1 69.38 |
1 127.81 |
1 197.19 |
2003年10月30日-11月3日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | - | 1 71.12 |
1 126.48 |
1 197.60 |
2003年10月23日-26日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レディング) | - | 1 66.46 |
1 130.89 |
1 197.35 |
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2003年3月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 3 | 5 | 3 | 4 |
2003年2月28日-3月2日 | 2002/2003 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク)[6] | - | 1 | 2 | 1 |
1 | |||||
2003年1月12日-19日 | 全米フィギュアスケート選手権(ダラス) | - | 2 | 3 | 3 |
2002年11月21日-24日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 2 | 2 | 2 |
2002年11月14日-17日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 2 | 1 | 1 |
2002年10月31日-11月3日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | - | 1 | 1 | 1 |
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2002年3月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) | 2 | 5 | 4 | 4 |
2002年2月9日-21日 | ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) | - | 3 | 4 | 4 |
2002年1月6日-13日 | 全米フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | - | 2 | 2 | 2 |
2001年11月14日-18日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 3 | 3 | 3 |
2001年10月24日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 4 | 5 | 5 |
2001年10月5日-7日 | 2001年フィンランディア杯(ヘルシンキ) | - | 1 | 1 | 1 |
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2000年11月16日-19日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | 4 | 4 | 4 |
2000年11月7日-12日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | 4 | 6 | 5 |
ジュニア
開催日 | 大会名 | クラス | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
2000年3月5日-12日 | 2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(オーベルストドルフ) | ジュニア | 2 | 9 | 5 | 6 |
2000年1月6日-13日 | 全米フィギュアスケート選手権(クリーブランド) | シニア | - | 1 | 2 | 2 |
1999年11月4日-7日 | ISUジュニアグランプリ サルコウ杯(ストックホルム) | ジュニア | - | 1 | 3 | 1 |
プログラム
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2009-2010 | エスパーニャ・カーニ 作曲:パスカル・マルキーナ・ナロ |
第1楽章、第3楽章 ピアノソナタ第14番より 作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
Sick and Tired ボーカル:アナスタシア 振付:サーシャ・コーエン ハレルヤ 作曲:レナード・コーエン ボーカル:ジェフ・バックリィ 振付:サーシャ・コーエン 私の男 映画『キャバレー』より ボーカル:ライザ・ミネリ 振付:サーシャ・コーエン Don't stop the music ボーカル:リアーナ |
2006-2007 | 黒い瞳 演奏:スタンリー・ブラック楽団 |
- | Don't Cha ボーカル:プッシーキャット・ドールズ ゴッド・ブレス・アメリカ 作曲:アーヴィング・バーリン ボーカル:セリーヌ・ディオン ミュージカル『ウエスト・サイド物語』より</small> 作曲:レナード・バーンスタイン |
2005-2006 | 映画『ロミオとジュリエット』より[7] 作曲:ニーノ・ロータ 振付:デヴィッド・ウィルソン |
ゴッド・ブレス・アメリカ 作曲:アーヴィング・バーリン ボーカル:セリーヌ・ディオン パレードに雨を降らせないで 作曲:バーブラ・ストライサンド | |
2004-2005 | パ・ド・ドゥ バレエ『くるみ割り人形』より[1] 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:マリナ・ズエワ |
パレードに雨を降らせないで 作曲:バーブラ・ストライサンド | |
2003-2004 | マラゲーニャ 作曲:エルネスト・レクオーナ 演奏:スタンリー・ブラック |
白鳥の湖[8] 作曲:ピョートル・チャイコフスキー |
映画『ロメオとジュリエット』より 作曲:ニーノ・ロータ ミュージカル『マイ・フェア・レディ』より |
2002-2003 | ピアノ協奏曲第2番 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ |
映画『ロメオとジュリエット』より 作曲:ニーノ・ロータ Oneday I'll Fly Away 映画『ムーラン・ルージュ』より | |
2001-2002 | My Sweet and Tender Beast 作曲:エフゲニー・ドガ |
歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー |
ヘルナンドの隠れ家 作曲:エラ・フィッツジェラルド アリア 『ブラジル風バッハ』より 作曲:エイトル・ヴィラ=ロボス |
2000-2001 | 黒い瞳 演奏:スタンリー・ブラック楽団 |
Anytime, Anywhere ボーカル:サラ・ブライトマン トゥ・ラヴ・ユー・モア ボージャル:セリーヌ・ディオン | |
1999-2000 | バロックセレクションズ 原曲:トマゾ・アルビノーニ、アントニオ・ヴィヴァルディ |
ヴァイオリン協奏曲 作曲:フェリックス・メンデルスゾーン |
歌劇『蝶々夫人』より 作曲:ジャコモ・プッチーニ |
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.51
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ AIPS Web Site
- ↑ トリノ五輪銀メダリストのコーエンが競技復帰へ『AFP BB news』2009年05月09日更新
- ↑ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
- ↑ 「スタンダードナンバー比較 ロミオとジュリエット編」『フィギュアスケートDays vol.4』DAI-X出版、2007年10月、pp.68-71
- ↑ 「フィギュアスケート スタンダードナンバー大比較 白鳥の湖編」『フィギュアスケートDays vol.5』DAI-X出版、2008年2月、pp.64-67
外部リンク
- テンプレート:Isu name
- 全米フィギュアスケート協会によるサーシャ・コーエンのプロフィール
- SashaCohen.com - 公式サイト
- Sasha Cohen interview
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:SportsReference
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