クリス・ジェリコ
テンプレート:Infobox プロレスラー テンプレート:Infobox Musician クリス・ジェリコ(Chris Jericho、1970年11月9日 - )は、カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身のプロレスラー、ミュージシャン、俳優。本名はクリストファー・キース・アーヴァイン(Christopher Keith Irvine)。
目次
人物
プロレスラーとしてはかつてFMW、WAR、新日本プロレスに来日、ECW、WCW、WWEに所属していた。ニューヨーク州マンハセット生まれ、カナダ・ウィニペグ育ち。父は元NHLの選手。ニックネームはY2K問題にかけたY2J。リングネームはメキシコ時代のコラソン・デ・レオン、レオン・デ・オロ、ライオンハート、新日本プロレス東京ドーム大会でのスーパーライガーなど。自称「世界の王(King of The World)」、「世界一のレスラー(The best in the world at what I do)」、「ハデハデの王(King of Bling Bling)」、「ロックンローラーの教祖(Ayatollah of Rock'n Rolla)」。
またプロレスラーと並行してヘヴィメタルバンド「FOZZY」のヴォーカルを務め、すでにアルバムを4枚出している。3枚目のアルバム発表時まではFOZZYではムーングース・マックイーン(Moongouse McQueen)を名乗っていた。2005年以降、WWEを離脱しFOZZYでの活動に専念、数か月~数年後またWWEに復帰するというサイクルで主に活動しており、WWEへの復帰は毎回大きなサプライズとなっている。2010年6月から7月まで、クイズ番組ダウンフォールの司会を務めた。
WWEでのトップヒールとしての活躍が有名であるが、若い頃は金髪と女性ウケのいい甘いマスクのせいで「パっとしないベビーフェイス」に甘んじることが多かった。しかしながら日本のスタイル、軽量級の王座をいくつも獲得した空中殺法、そして伝統的なアメリカンプロレスの小悪党的なヒール像(ハンサムで技巧派でアピールが上手い、そして反則を巧みに使って王座を防衛していくといったもの)を独自にアレンジし最終的にはヒール、ベビーフェイスにも当てはまらない独自のポジションを築く。たゆまぬ努力と研究の結果、独自のスタイルを確立したことがクリス・ジェリコを団体の頂点へと押し上げた原動力である。シングルもタッグも器用にこなすだけではなく、ラダーマッチ、ケージマッチ、TLC、エリミネーション・チェンバー・マッチ、自らが考案したマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチなどのハードコアマッチも得意とし、また豊富なスタミナと技の引き出しの多さからバトルロイヤル等の長期戦でも盛り上げや見せ場を作るのに非常に長けており、WWEのストーリーラインには欠かせない存在である。
若手の頃は日本を主戦場としていたこともあり、『週刊ゴング』を愛読していて、流暢な日本語を話すことや片仮名の読み書きができるなど親日家であり、WWEの日本公演時はたいていの場合出場し、記者会見にも応じている。なお、2010年8月現在、実に42回来日している。来日する度に海外だけではなく日本のヘヴィメタルバンドのCDを買い漁ることでも有名。特に好きなバンドはLOUDNESSとX JAPANで「カナダのX JAPAN大使」を自称するほどである。過去にクリス・ジェリコ名義でBURRN!のインタビューも受けたことがある。
来歴
カナダのインディー団体でランス・ストームとの試合でデビューする。1990年にアメリカのスモーキー・マウンテン・レスリングに参戦するが、すぐに団体自体が経営に行き詰まったため、ジェリコも団体を離れメキシコ、ドイツなどで修行する。1991年には、下積みを共にした盟友ストームとのタッグチーム「サドン・インパクト(この後スリル・シーカーズに改称)」でFMWに初来日。この時、まだ素顔だったハヤブサとも対戦している。
その後はメキシコでティーンエイジのアイドルレスラーとなり大活躍するが、1993年にはWARにレギュラー参戦し、リングネームを一時的に「ライオン道」と改める(ちなみにこの頃の冬木軍は冬木弘道はじめ、邪道、外道とリングネームに「道」が付くことが自然になっていた)。
1995年には邪道、外道と共に「消火器三連射」の伝説を築き、また6月には外道を破ってWARジュニアヘビーのタイトルを奪取するなど、名実共にWARの名物外国人となった。
1996年にアメリカに戻り、ECWを経てWCWに入団。エディ・ゲレロ、レイ・ミステリオ、クリス・ベノワ、ウルティモ・ドラゴンらとWCWクルーザー級王座を争い、通算4度獲得した。nWoを筆頭にヒールが人気を博すWCWに於いて、その流れに反する無名のベビーとして暫く活動していたが軟弱系のエゴイストとしてヒールターンし、パフォーマーとしての才能を発揮する。音楽ネタを用いて対戦相手をからかったり、当時無敵の超人ギミックでありWCWの看板レスラーであったビル・ゴールドバーグを「グリーンバーグ(経験不足の青二才)」呼ばわりするなど、コミカルなヒールを演じ人気を博した。1998年にWCWと提携関係にあった新日本プロレスに遠征した際にはエディ(2代目ブラック・タイガー)とのコンビでIWGPジュニアタッグ王座の初挑戦者も務めている。
当日になって急に変更されるnWoメンバー中心のマッチメイクや、nWoの乱入決着ばかりの乱雑した番組構成、ヘビー級至上主義である団体の方針に見切りを付け、1999年にWWEに入団。入団の際、あまり積極的に他団体のレスラーをリサーチしないビンス・マクマホンに『今までどこにいたんだ?』と言われたという。WCW時代のスタイルを踏襲する形で軟弱系ヒールとして売り出され、いきなり同団体のトップスーパースター、ザ・ロックとの抗争が組まれる破格の待遇を受ける。ここでクリス・ジェリコは潜在していたヒールとしての才能を爆発させ人気を獲得し、次々とWWEの主要タイトルを獲得していく。
2001年10月に、ロックを破りWCWヘビー級王座を奪取。その後一度は奪い返されるものの、12月のヴェンジャンスにてロックを破りWCWヘビー級王座を奪還、さらに同日にストーン・コールド・スティーブ・オースチンをも破りWWFヘビー級王座を獲得。史上初のWWE&WCW統一世界王者となり、名実ともに業界のトップへと上り詰めた。それ以降"一夜にしてオースチンとロックを倒した男""初の統一王者"というのがジェリコの形容詞の一つとなっている。2002年のWrestleMania X8ではメインイベントに出場という快挙を成し遂げる。統一王座からは転落するもトップヒールのポジションは確保し、翌年のWrestleMania XIXでは若手時代からの憧れだったというショーン・マイケルズと対戦、自らもベストバウトと述べるほどの名勝負を残しWMを圧巻した。
2003年から自分のトークコーナーハイライトリールを持つ。殆どの場合、招いたゲストをジェリコ得意の話術で操り続け、笑いものにしてしまうものであり、観客の反響を呼ぶ。また同年秋から半年以上続いたトリッシュ・ストラタス、クリスチャンとの古典的な恋愛劇はその関係性が話題となった。二人との抗争が終了した2004年夏からは若手のバティスタ、シェルトン・ベンジャミンといった、いまだ世界王座を手にしていないレスラー達と抗争しポジションの格上げを手伝う。
2005年中頃にヒールターンし、2005年8月のサマースラムでジョン・シナとWWE王座戦を行った。双方ともバンド活動を行なっていることから、対戦を盛り上げるためにRAWにおいてバンド対決も行なわれた。しかし、ジェリコは音楽・俳優活動に注力するため、このサマー・スラムではシナに敗れ、その翌日にエリック・ビショフに敗者解雇戦を条件に再戦を直訴して認めてもらうがその試合もシナに敗れ、ビショフから解雇通告を受けるという設定でしばらく第一線から遠のく。
2007年
2007年には、親友であるクリス・ベノワが死去した際、ゲストとして『ラリー・キング・ライブ』や他の主要ニュース番組に出演する。また10月25日には自伝を発売、宣伝のため精力的にインタビューなどのメディア出演をこなしていた。また、同じ頃に、11月19日という日付が示唆された、映画マトリックス風の黒地に白い文字が現れる意味不明な映像がWWEのTV放送で流され始めた。11月18日のサバイバー・シリーズで「明日何かが起こる」という映像が流れ、翌日のRAWでベビーフェイスとして電撃復帰を果たした。12月16日のアルマゲドンでランディ・オートンとWWE王座戦を行うが、JBLの乱入にあい抗争がスタートする。
2008年
ロイヤルランブルにてJBLと対戦し反則負けを喫した。ノー・ウェイ・アウト以後3月10日のRAWにて自身8回目となるIC王座を奪取する。その後、バティスタ、ショーン・マイケルズのベビー三人で、リック・フレアーの引退などをめぐって、微妙な抗争をする。その後のRAWで開かれたハイライトリールにゲストとして招いたマイケルズに対し、当初は普通に話を続けたが徐々に態度を変えて襲撃し、スクリーン(ジェリトロン5000)に顔を叩きつけて目を負傷させ(アングル上)、本格的にヒールターンした。ロングタイツの着用を止めたのもこの時期である。またIC王座はドラフトで移籍してきたコフィ・キングストンに奪われている。マイケルズとの抗争は続き、アンフォーギヴェンでの非公式シングルマッチで敗北。しかし同PPVの世界ヘビー級王座戦にCMパンクの代理で出場し勝利、新世界ヘビー級王者となった。PPVサイバー・サンデーではバティスタに世界ヘビー級王座を奪われるも8日後の800回記念放送での金網戦で勝利して再び王座奪還。サバイバー・シリーズでジョン・シナに王座を奪われた。アルマゲドンで再びシナに挑むが敗北。年末にはスラミー賞の「スーパースター・オブ・ザ・イヤー」を受賞するが、それを鼻にかけてハクソー・ジム・ドゥガンとの対戦を拒否するなどの傲慢な姿を見せるようになる。
2009年
2009年に入ってもその傲慢な態度は変わらなかったため、GMのステファニーから解雇を言い渡される(アングル上)が、翌週復帰したビンス・マクマホン会長の勧告によりステファニーやファンへ屈辱的な謝罪をさせられ復帰。その後は前年公開となった映画「レスラー」主演のミッキー・ロークを批判(アングル上)に端を発し、レジェンド軍(リック・フレアー、リッキー・スティムボート、ジミー・スヌーカ、ロディ・パイパー)と抗争。4月のWrestleMania XXVではスティムボート、スヌーカ、パイパーと1対3のハンディキャップマッチを行ない勝利。試合後、ロークを挑発。挑発に乗ったロークはリングに上がり、ジェリコはパンチでKOされた。レッスルマニア後のドラフトでSmackDown!に移籍する。6月7日のエクストリーム・ルールズでレイ・ミステリオを下し、自身の持つ最多記録を更新する9回目のIC王座奪取する。6月28日のザ・バッシュでミステリオに敗れ王座を失うが、スマックダウンGMのセオドア・ロングによりトリプルスレット形式となった統一タッグ王座戦にエッジと参戦、勝利し統一タッグ王者となった。
しかし、7月にまたもエッジが負傷離脱したためビッグ・ショーを新たなパートナーに迎え、7月26日のナイト・オブ・チャンピオンズでのタッグ王座戦で王座を防衛。その後PPVごとに様々なタッグチームと王座を巡り争い、そのたびに防衛していたが12月に行われたTLCでのTLC戦でD-ジェネレーションXに敗れ王座を失う。
2010 - 2011年
ビッグ・ショーとのタッグを解消したジェリコはロイヤルランブルのランブル戦に参戦するも長期離脱からの電撃復帰を果たしたエッジによって敗退させられる。しかし続くエリミネーション・チェンバーのエリミネーション・チェンバー・マッチ方式での世界ヘビー級王座戦において、ショーン・マイケルズの乱入の漁夫の利を得る形で王者のジ・アンダーテイカーを破り、通算3度目の世界ヘビー級王座を奪取した。直後のRAWにおいて先のロイヤルランブルで優勝しレッスルマニアでの王座挑戦権を獲得していたエッジがジェリコへの挑戦を表明し、WrestleMania XXVIで対戦し王座防衛を果たす。しかし翌週のスマックダウンにおいて、リング上でエッジからスピアーを受けた直後、ジャック・スワガーにマネー権を行使され敗北、王座から陥落した。
2月から開始した新番組NXTの第1期ではウェイド・バレットを指導するプロとして登場し、積極的なプロデュースでバレットを優勝に導いた。
4月26日のRAWで行われたドラフトでRAWへの移籍が決定する。 サマースラムではシナ、エッジ、ブレット・ハートなどとWWE軍としてネクサスと闘い、チームは勝利する(自身はエッジと共にシナと仲間割れをしている内に敗退)。
8月20日・21日に両国国技館で行われたRAWサマースラムツアーに出場し20日にヨシ・タツとのシングルマッチ、21日にシェイマスと組んでヨシタツ&ジョン・シナ組との試合を行った他、21日に渋谷J-POP CAFE SHIBUYAにてFOZZYのクリス・ジェリコとしてサイン会を行った。
9月27日のRAWを最後にFOZZYのLiveツアーを行うため、オートンからパントキックを喰らい長期離脱するというアングルで欠場に入った。WWEとの両立も目指していたが契約問題が難航し、結果契約を更新せずに退団した。 2011年は主にFOZZYのボーカルとして活動した。
2012年
FOZZYのボーカルとして活躍中にジェリコがTwitterにて「WWEに戻る気はない」「レスリングに関する質問は答えない」などと引退を示唆するを発言をしたが、2011年終盤より番組内でジェリコ復帰を仄めかすような映像が流れ、結果的に2012年1月2日のRAW SuperShow収録で復帰し大歓声で迎えられた。 その後、WWE王座獲得を狙うためCMパンクと抗争を開始しヒールとして活動を再開する。しかし後にFOZZYのツアーが控えていたためにPPVのWWE王座戦で敗北。これでまたもやWWEから離脱した。 しかし6月25日のRAW SuperShow収録で復帰した。
その後、2012年のWWE復帰以来大舞台で勝ち星を上げられていないこと馬鹿にしたドルフ・ジグラーとの抗争を開始し、ベビーターンする。 さらに、サマースラム直前のハイライトリールにおいて、自身の闘志に再度火を付けるとして、「Y2J」の復活を宣言した。サマースラム2012ではジグラーをシングル戦で破り、レッスルマニア26以来初めての大舞台での勝利を飾った。また時同じくしてFOZZYのツアーが控えていたこともあり、一時離脱として翌週のRAWではジグラーとマネーの権利と退団を賭けてのシングル戦に敗れ退団という扱いになっている。
2013年
ロイヤルランブルで復帰。2番手として、1番手のジグラーとともに長く戦ったが最後はジグラーに落とされた。その後、エリミネーション・チェンバー世界王座挑戦者決定戦や、RAWで行われたミズやバレットとのIC王座戦では勝利を逃している。 祭典ではファンダンゴと対戦したが丸め込まれ敗戦、その後のエクストリーム・ルールズでは勝利した。その後はライバックやカーティス・アクセルなどと戦ったが、7月のアクセル戦を最後にショーに登場しなくなり、公式サイトでも退団を仄めかすツイートをしたことが発表されている(公式サイトのロスターからも外れている)。
2014年
6月30日のRAWにて、欠場から復帰したミズのマイクパフォーマンス中に、自らもサプライズ復帰。一方的に喋り続けるミズに無言でコードブレイカーを見舞った後、マイクを持ち軽快に喋りだしたが、次の瞬間場内が暗転しワイアット・ファミリーが現れ袋叩きにされワイアット達との抗争を開始。PPVバトルグラウンドにてワイアットに勝利した。
得意技
- ウォールズ・オブ・ジェリコ
- ジェリコの代表的な必殺技。WWEデビュー当初は腰を落とさずに行うのが特徴であったが、2001年頃からは普通の逆エビ固めと大差が無くなっていた。名前の由来はドイツのバンドHELLOWEENのデビューアルバム"Walls of Jericho"から。ジェリコは背後から丸め込んでから掛ける、ライオンサルトに相手が膝を立てたところを着地し掛けるなどどんな体勢からでもこの技を使うことができる。なおこの技に限ったことではないが、ジェリコは昨今のWWEの選手ではあまり見られない関節技の際の審判への「ask him!」の問いかけを頻繁に行う。
- ライオンテイマー
- 相手の頭や背中に膝を押しつけるか、片膝立ちで行う高角度の逆エビ固め。主に軽量級戦線で活躍したWCW時代までの決め手であったが1999年のWWE移籍後にウォールズ・オブ・ジェリコへ移行した。使用を辞めた理由は「ベテランにこの技をかけると嫌がるから」としている。だが2010年頃からは主に軽量級選手に対し稀に解禁している。WWEの実況からはウォールズ・オブ・ジェリコと同じ技として扱われている。
- ライオンサルト
- リングの中央に仰向けに寝かせた相手を走って飛び越え、そのままセカンドロープ中央に足をかけて素早くムーンサルトプレスを行う技。リングロープの中央はコーナーに比べ安定感に欠ける上、相手の回避や膝での剣山を察知し体勢を変え着地することもあるためジェリコの高い技術が垣間見える技である。しかしヒールの時は失敗することが多い。
- コード・ブレイカー
- 自分の両膝を使ってのフェイスバスターでありカリートのバックスタバーと同じ動作を相手の背中ではなく顔面に行う珍しい技。ジェリコ以前にはザ・ハリケーンが片足で行うタイプの技を使用していた。2007年のWWE復帰からピンフォールを奪える技として新たに使用開始。当時のインタビューでプロレスリング・ノアの丸藤正道の技からヒントを得たとコメントしている。技名は復帰告知映像で"Y2J"を示唆する暗号(コード)が使われていたことに由来する。
- ランニング・エンズイギリ
- 初期は決め技になることも多かったが、現在は繋ぎ技として使用。シャイニング・ウィザードの様に立っている相手の足・腰を踏み台にすることが多い。
- 三角飛びドロップキック
- 相手がエプロンに居るとき、セカンドロープ・コーナーを利用して三角飛びの要領でジャンプしドロップキックを放ちリングアウトさせる。ロイヤルランブルでもよく使用する技。
- ダブルアーム・バックブリーカー
- リバースフルネルソンの体勢から相手を持ち上げ背中から自分の膝の上に落とす技。
- フラッシュバック
- スリーパードロップ。2007年のWWE復帰後は、ジェフ・ハーディーが同型の技を使っていたためか使用しなくなった。
- ブレイクダウン
- フルネルソンの体勢から、ジェフ・ジャレットのストロークのモーションで前に倒す技。統一王座獲得など活躍した2001年前後にはザ・ロックからフォールを奪ったこともあるが、それ以降は使用頻度が減った。後にザ・ミズが同型の技を使用し始めたこともあってか近年は全く使用していない。
- ライオン・スパイク
- コーナートップで相手を立たせた状態からの雪崩式フランケンシュタイナー。若手時代に使用していたここ一番での大技で、1997年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニア公式戦ではこの技で同年度の優勝者のエル・サムライを破っている。
- タイガー・スープレックス
- WAR時代に使用。WWEでは殆ど使用していないが、2005年のECW ワン・ナイト・スタンドにて盟友ランス・ストームと試合をした際に久々に繰り出している。
決め台詞
- Welcome to RAW is JERICHO(「RAW is ジェリコ」へようこそ)
- 番組名(当時:RAW is WAR)に引っ掛けたもので、WCW時代はMONDAY NIGHT JERICHOだった。
- Would you please, shut the hell up!(頼むからその減らず口を閉じやがれ!)
- ヒール相手のマイクを遮った時など。ヒールターンした現在は使用していない。
- I am the King of the world!(俺は世界の王だ!)
- 統一王座の戴冠以降、試合中やインタビュー時を問わずよく使われた言葉。
- Never ever be the same again(絶対に、永遠に)
- everの「エ」を長く伸ばしてタメを作る。
- Jerichoholics(ジェリコ中毒者)
- 自身のファンをこう呼ぶ。また、ファンもボードを掲げてJerichoholicsを名乗る。
- I am the best in the world at what I do(俺は世界最高のレスラーだ)
- 2008年ヒールターン以降、現在最もよく使う台詞。
- all these Hypocrites, all these parasites(ここにいる偽善者、寄生虫共)
- これもヒールターン以降、よく使う。WWEユニバース(ファン)に対して使う侮蔑言葉。
- Do you understand what I am saying to you right now?(俺の言っている意味がわかるか?)
- Y2Jキャラクターの封印以降、難しい言葉や言い回しを好んで選び、観客の神経を逆なでしている。
タイトル歴
- WWF/WWE
- 世界ヘビー級王座 : 3回
- WWF統一王座 : 1回
- IC王座 : 9回(史上最多)
- ヨーロピアン王座 : 1回
- 世界タッグ王座 : 5回(w / クリス・ベノワ、ザ・ロック、クリスチャン、エッジ、ビッグ・ショー)
- WWEタッグ王座 : 2回 (w / エッジ、ビッグ・ショー)
- WWE・ハードコア王座 : 1回
- WCW王座 : 2回
- トリプルクラウン達成(2001年)
- グランドスラム達成(2001年)
- WCW
- WCWクルーザー級王座 : 4回
- WCW・世界TV王座: 1回
- ECW
- 日本
- WAR 認定インターナショナルジュニアヘビー級王座
- WAR 認定インターナショナルジュニアヘビー級タッグ王座
- メキシコ(EMLL)
- NWA認定世界ミドル級王座
入場テーマ
- Crank The Walls Down
- King of My World (Saliva)入場時に使用していた時期もあるが、主にハイライト・リールのイントロとして使われた。
- Break The Walls Down (Sevendust) - 現在使用中
- Don't You Wish You Were Me?
その他
- 2001年のWWE王座獲得により、WWE史上3人目のグランドスラムを達成。
- 少年時代に憧れたアイドル選手はリッキー・スティムボート。レスラーになってからも最大の目標はリッキーが保持していたIC王座の獲得で、初代統一王者となったことは「自分の想像の限界を超えた出来事」だったという。
- 2007年の復帰がささやかれると、インタビュー等の際には「WWEとの再契約はしていない」と答え、自身のホームページ上にTNAのロゴを登場させたりするなどしてファンをかく乱した。この他にも復帰前になると、復帰を強く否定する傾向がある。
- ジェリコがWWE(ハウス・ショー)を終えて外にある駐車場からレンタカーを借りて帰ろうとしたところ(駐車場の周りにはファンがたくさんいた)、一人、ジェリコに挑発をしてジェリコが乗った車を追いかけボンネットの上に乗ったりと通行を妨害した男性がジェリコに殴られるという事件が発生した。
- 2006年までのヒール時はテンションがベビーフェイスとの差もないほど高かったが、2008年にヒールターンした後は「Y2Jは死んだ」など日本武道館大会で言い放ち、いつものマイクパフォーマンスはしていない。
- WWEの初めての日本公演の際、放送用のゲストコメンテーターに武藤敬司がいたため、ロック等の他のレスラーは敬意を評してリングに上がる前に、わざわざ行って握手するなどしていたが、ジェリコは武藤の前に行くと悪態をつくなどして挑発し、ビンタを食らわした。武藤も側にあったモニターで殴りかかろうとするジェスチャーをした後、お互いニンマリと笑っていた。
- WCWと契約する直前、ビショフが提示していた金額よりも多い金額を要求したところすぐに承認されたことに大変驚いたという。しかし契約後、給料の支給が遅れたり会場に到着しても機材が到着しない、レスラー達がストーリーラインについて話し合っていたのを目の当たりにし、移籍を決意するようになった。
- 2003年秋頃、自身を誇張する起用や試合時間の短縮など、団体が自分中心に動かない事に不満を爆発させていたビル・ゴールドバーグに意見する為、彼のいる控え室を尋ねたが直ぐさま口論となり、ゴールドバーグに対しヘッドロックを仕掛けて床に引きずり倒し、現場に居合わせたレスラー達に引き離されるという事件が起きた。なお、WCWを離れることを決意させた要因の一つがストーリーラインで散々煽りに煽ったにも関わらず、ゴールドバーグ戦が実現しなかったことと述べている。その原因がゴールドバーグの個人的な理由(ヘビー級がクルーザー級にやられるのはおかしい)であり、ビショフもこれについて「ゴールドバーグに大人気ないところがあった」とゴールドバーグの姿勢を批判している。
- ザ・ロックと対戦中、観客が持っていた紙コップを奪い取ってその中身をかけた所ロックが異常に苦しみ試合に支障をきたすことになってしまった。実はこのコップはタバコの火消しとして使用されており、それを知らないジェリコがロックの顔にかけてしまい、ロックが激痛のあまり正常な試合をすることが困難になってしまった。試合後もロックの目は一時間以上開かなかったという。
- 2010年のRAW日本公演では、メインイベントでの試合中に観戦に来ていた高山善廣を威嚇したり、「BAKA!」と日本語を披露した。ちなみに2009年のSMACKDOWN!日本公演でも、観戦に来ていた高山善廣と睨みあった。
- 自身のDVDの中で、近年WWEのレスラーがインディーやアメリカ以外での活動経験がほとんどない状態で入団してくることに疑問を感じつつも、長年の経験や知識を積極的に若手に伝えているとのこと。とりわけ海外経験がある若手には注目しているようで、ヨシタツへの指導、さらにはバレットについてもヨーロッパでの経験は大きいと述べている。
- 日本でのプロレス戦歴が長く、親日派でもあるが日本のプロレスに根ざしている「プロレス最強説」に基づいた傾向に対しては否定的である。雑誌のインタビューで「プロレスはエンターテイメントなのに、シュートやMMA(総合格闘技)と結びつけてしまった」ことが昨今の日本におけるプロレスの衰退の主な原因であるとしている。