キース・エマーソン
キース・エマーソン(Keith Emerson 、1944年11月2日 - )はイギリス出身のキーボーディスト。
目次
概要
1970年代前半に、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」(Emerson, Lake & Palmer, ELP) のメンバーとして活動し、本国イギリスやアメリカを初め、世界的に有名になった。また、当時まだ開発されて間も無いシンセサイザー(モーグ・シンセサイザー)を世界に知らしめた功績でも有名。特に「ロックという分野においてシンセサイザーをどう使うかという方法論を提示した最初の人物」とロバート・モーグから評されている[1]。
略歴
ランカシャー州のトドモーデン生まれ。本名は Keith Noel Emerson。終戦後にウェスト・サセックス州のワージングに転居。8歳半よりピアノのレッスンを始める。15歳の時、地元で開催されたワージング・ミュージック・フェスティバルに出場し、バッハの部で2位を獲得。本人によると、これが人生初のライブ・ステージである。
その後、ワージングで編成されたスウィング・オーケストラでジャズ・ピアノを弾き始め、同オーケストラのベーシスト/ドラマーとともにジャズ・トリオを結成し、ジャズ・クラブなどでの演奏を手がける。学校[2]を卒業後に地元の銀行に就職したが、バンド演奏を優先したことで退職。
20歳でドラマーのブライアン・ウォーキーに誘われ、ロンドンに出てゲイリー・ファー&T・ボーンズに加入。マーキークラプなどで演奏するようになる。その後、このバンドにリー・ジャクソンが加入し知り合うことになった。
T・ボーンズ解散後の1966年暮れ、スプーキー・トゥース(Spooky Tooth)の前身であるVIPs(The V.I.P.'s)というバンドに参加している時に、P.P.アーノルドのバック・バンドを結成するオファーがあり、リー・ジャクソンらとナイスを結成。1967年より単独バンドとして活動を開始し、同バンドにおける活動で、イギリスやアメリカを初めの多くのロック・ファンにその名を知られるようになる。
1970年、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成し、全盛期と呼ばれる1974年までの活動を通じて世界的な知名度を獲得した。ELPが消滅した後の1980年代には、映画音楽制作の傍ら、エマーソン・レイク・アンド・パウエル、3(スリー)などのバンド活動をおこなった。1992年および2010年にはエマーソン・レイク・アンド・パーマーを復活させている(詳細は「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」を参照)。
音楽性
彼の音楽性の根本にはジャズ、クラシック、ロックの3本の柱がある。その時々においてウェイトは変わるものの、常にこの3つの柱が見え隠れする。使用する楽器においても彼独特の使い方が存在する。
ハモンドオルガン
ハモンドオルガンの使用と言えばキースが出始めた当時、ジャズオルガンとしてが主流だった。ハモンドの新しい可能性を指向したキースはよりヘビーな音を出すための方法として、オルガンを歪ませる、2nd又は3rdパーカッションの音を敢えて強調するという手段をとった。同じような可能性を指向していた人物としてディープ・パープルのジョン・ロードがいた。
彼が痛めつける目的で使っていたのはハモンドL-100でザ・ナイス時代から使用している。使用不能になったオルガンも数多かったと言う。電源を切ったり入れたりを繰り返してピッチを不安定にさせたり(電源を切っても構造的にトーンホイールの回転はすぐには止まらないので、音程が不安定になりながら回転が遅くなり、最後には回転が止まると共に音も鳴らなくなる。逆に電源を入れると、徐々にピッチが上がって、一定のピッチで安定する)、ハモンドの鍵盤にナイフ(1972年、ELPの後楽園球場公演では日本刀をも突き刺した。当時はステージ毎に鍵盤を交換していたらしい)を突き立てて音を鳴りっぱなしの状態にしたり、オルガンを傾けたり持ち上げ、オルガンの上に乗って揺さぶりながら前に進んだり、場合によっては放り投げたり蹴り飛ばし、スプリング・リバーブの特性である過度の衝撃での爆発音を出し(スプリング・リバーブに手を突っ込み、爆音を鳴らすこともあった)、さらにL-100のスピーカーと、オルガンのすぐ脇にあるキーボードのモニターとして使用されているPAスピーカーを近づけてハウリングを起こさせたり、オルガンの下敷きになってキーボードを弾いたりなどと、ハードロックのギタリスト顔負けの過激なステージングを行った。その当時は「オルガンのジミ・ヘンドリックス」と形容されたりもした。ザ・ナイス時代にロイヤル・アルバート・ホールで行われたビアフラ救済チャリティーコンサートにおいては、オルガンを蹴り飛ばし、裏返しにした上でそこにアメリカ国旗をのせ、国旗ごと火を放つというパフォーマンスを行い、以後同ホールはロックミュージシャンには一切使用許可を出さなくなった[3]。
これらについて聞かれた際に本人は「ピート・タウンゼントがやっていることと別に変わらない」「扱い方を知るまでは嫌がらずに修理してくれたが、知ってからは断られ続けた」と懐述している。
彼のこの方法は、その昔ドン・シンというオルガニストの演奏を見て発展させたものだ、と言う。キースがドン・シンが出演するライブを見に行き、彼がオルガンを修理しながら演奏しているのを見て、意図的に痛めつける方法を思いついたと言う。目的は、キーボードを目立たせるためと、ショーアップとして必要だったからだ。そして音とビジュアルの相乗効果に関して試行錯誤の末、あのようないくつかのパフォーマンスを考えだした。その場の衝動でやっていたわけではない。ハモンドオルガンを揺らして衝撃を加えることによって爆音を得るテクニックは、ジョン・ロードがディープ・パープルのライブでもやっている。
ナイス後期に導入されたC-3は、その後レコーディングのメインキーボードとなった。同時にL-100はステージ用キーボードとしての役割を受け持つことになった。C-3はMIDI改造され今でも現役で使用されている。
シンセサイザー
また一方、シンセサイザーを初めてロックに持ち込んだ一人として音楽史に功績を残している。音色面において最初に分かりやすい形で示されたのはエマーソン・レイク・アンド・パーマーのデビューアルバムの中のタンク及びラッキー・マンのエンディング部分でのソロである。ライブにおいてはリアルタイムで音色を作るという構図が、「テクノロジーと人間との格闘」と言う図式を演出(ハモンドアクションもその意図)した。現在の音楽シーンにおいては格闘の部分は影を潜め、つまみをいじって音色を変える行為が、一つの表現形態として昇華されている。
「ピアノなどのアコースティック楽器は、音の強弱が表現できても、音質が変えられない。一方、ハモンドオルガンなどは、ある程度音質が変えられるが、鍵盤を弾くタッチで音の強弱が変えられない」と、常にフラストレーションが溜まっていたともいう。一説には、モーグ・シンセサイザー開発の際の、モニター兼スタッフの中にも入っていたという。しかし、ELP名義の"Works"リリース以降はもっぱらヤマハの"GX-1"を愛用するようになる。それ以降は様々なメーカーのシンセサイザーを使用した。彼のオリジナリティ溢れる音色も存在するのだが、1990年代になって彼の中でハモンドやピアノが再び重要な位置を占めてくる。その理由として彼は「シンセサイザーは誰が使っても同じ音が出るが、ピアノやオルガンはそうではない」と語った。
ピアノ
クラシック奏法を極めると同時に、オールドジャズの影響も大きく、その影響は特にピアノソロにおいて多く出てくる。即興でいろいろなジャズアーティストのフレーズを弾き、そこからバンド演奏に引き継がれる、といったことも定番で行われていた。特に左手が強く、左手で低音のアルペジオを延々と繰り返し、右手でソロを弾く、といったことも行っていた。
現在
時折ジャズオーケストラなどのコンサートに飛び入りし、スタンダート曲やELPの曲をジャズ風アレンジしたものなどを演奏する。
- 2002年 - 2003年
- 元ナイスのメンバー、ベースとボーカルのリー・ジャクソン (Lee Jackson)とドラムスのブライアン・デイヴィソン (Brian Davison 1942-2008)とのナイス再結成ツアーをイギリスやスコットランドで敢行。その他のサポートメンバーはギターとヴォーカルのデイヴ・キルミンスター (Dave Kilminster)、ベースのフィル・ウィリアムス (Phil Williams)、ドラムスのピート・ライリー (Pete Riley)
- 2004年
- キース・エマーソン・バンドとしてギターとヴォーカルのデイヴ・キルミンスター (Dave Kilminster)、ベースのフィル・ウィリアムス (Phil Williams)、ドラムスのピート・ライリー (Pete Riley)のメンバーで全米ツアー。
- 2005年10月
- キース・エマーソン・バンドとして来日。 2004年のツアーと同メンバー。
- 2006年6月16日〜7月20日
- メンバーチェンジをしたキース・エマーソン・バンドとしてアメリカとヨーロッパをツアー。ギタリストのデイヴ・キルミンスターが抜け、マーク・ボニーヤ (Marc Bonilla)がギターとヴォーカルを担当。
- 2007年初期
- 2007年12月10日
- ロンドンのO2で開催されたレッド・ツェッペリン再結成コンサート / アーメット・アーティガン・トリビュートに参加し、イエスのクリス・スクワイア、アラン・ホワイト、元フリー・バッド・カンパニーのサイモン・カークとのスーパーグループでアーロン・コープランド作曲の「市民のためのファンファーレ」を斬新なアレンジで演奏し、イベントのオープニングを飾った。近年には時折ジャズ・オーケストラとスタンダートジャズやELPの曲をジャズ風にアレンジしたナンバーを演奏する。
- 2008年4月13日
- ロン=ティボー国際コンクールなどで優勝経歴のあるアメリカのピアニスト、ジェフリー・ビーゲル (Jeffrey Biegel) が米イリノイ州のシャンペーンーアーバナ・交響楽団 (Champaign Urbana Symphony Orchestra)をバックに『ELP四部作』(Works, Vol.1)に収録されているキース・エマーソン作曲のピアノ協奏曲第1番 (Piano Concerto No. 1) を演奏。コンサートの前にキース自身によるの曲の紹介がある。
- 2008年8月20日
- キース・エマーソン・バンド・フィーチャリング・マーク・ボニーヤ(Keith Emerson Band Featuring Marc Bonilla) としてJVCからソロアルバムのリリースした。
- 2008年8月22日 - 9月7日
- メンバーチェンジをしたキース・エマーソン・バンドとしてバルト三国、ロシア、ブルガリアをツアー。マーク・ボニーヤ (Marc Bonilla)に加え、新メンバーはベースのトラヴィス・デイヴィス (Travis Davis) とドラムスのトニー・ピア (Tony Pia)(ブライアン・セッツァー・オーケストラ)マークとキースはツアー後新譜プロモーションのためにドイツ、イギリス、イタリアを廻る。
- 2008年10月15、16、18、20日
- ウドー音楽事務所招聘で東京と大阪で来日公演を行った。また、この際にフジテレビ系列の朝のワイドショー番組、『情報プレゼンター とくダネ!』のコーナー「小倉智昭の週刊!エンタ☆マイスター」のゲストとして10月17日に生出演し、展覧会の絵―プロムナード (Pictures at an Exhibition-Promenade) から始まるメドレーをギターとヴォーカルのマーク・ボニーヤと生演奏した。その他の来日メンバーはベースのトラヴィス・デイヴィス (Travis Davis) とドラムスのトニー・ピア (Tony Pia)(ブライアン・セッツァー・オーケストラ)
- 2009年12月16日
- ノキア・シアターで行われた、ロサンゼルスのラジオ番組95.5KLOSマーク・アンド・ブライアン主催の恒例クリスマス・コンサートにゲスト出演。Karn Evil 9「悪の教典#9」とレッド・ツェッペリンのBlack Dog 「ブラック・ドッグ」の二曲をマーク・ボニーヤ、トラヴィス・デイヴィス、グレッグ・ビソネット、エド・ロス、ロブ・ハルフォード(ジューダス・プリースト)、スラッシュ(ヴェルヴェット・リヴォルヴァー、ガンズ・アンド・ローゼズ)、ジェイソン・ボーナム(レッド・ツェッペリン ジョン・ボーナムの息子)、スティーヴ・ルカサー(TOTO)、リー・スクラー(TOTO)などの著名なメンバーと共演。
- 2010年1月8日
- ハリウッドでのチャリティーイベントで長男(1970年生まれ)のアーロン・エマーソンとの初共演。これに触発されたアーロンは初めてオリジナル曲のシングルをリリースし好評を受ける。
- 2010年4月1日〜25日
- 2010年7月25日
- エマーソン・レイク・アンド・パーマーの一夜限りの再結成コンサートがロンドンでのイベント「ハイボルテージフェスティバル (High Voltage Festival)」で実現。今後のELPとしての活動の予定はないが、その後にエマーソン&レイクとしてのヨーロッパでのツアー、および来日公演の予定が発表されている。
- 2011年3月20日
プライベート
子供はAaron (生1970)と Damon (生1976)。孫は2人。元妻Elinorとは1993年に公式離婚。元妻は「キース・エマーソン夫人」の名義で日本のロック・バンド「キャロル」のドキュメンタリー映画「キャロル」に出演している。
現在日本人のガールフレンドと供に南カリフォルニアに居住。
ソロアルバム
- ホンキー (Honky)(1981年)
- ザ・クリスマス・アルバム (The Christmas Album)(1988年)
- チェンジング・ステイツ (Changing State)(1995年)
- エマーソン・プレイズ・エマーソン (Emerson Plays Emerson)(2002年)
- ハマー・イット・アウト (Hammer It Out: The Anthology)(2005年)
- キース・エマーソン・バンド・フィーチャリング・マーク・ボニーラ (Keith Emerson Band featuring Marc Bonilla)(2008年)
サウンドトラック
- 『インフェルノ』(1980年、ダリオ・アルジェント監督)
- 『ナイトホークス』(1981年)
- 「アイム・ア・マン」で当初、スティーヴ・ウィンウッドに歌わせるはずが、スティーヴのスケジュールの都合がつかず、締め切りが迫り自暴自棄になって泥酔状態でヴォーカルを担当する羽目になった(MUSIC LIFEのインタビューより)が、現在入手可能なほとんどのビデオ商品では別の曲に差し替えられている。
- 『幻魔大戦』(1983年)
- 『ベスト・リヴェンジ』"Best Revenge"(1983年)
- 『マーダロック』"Murderrock"(1985年、ルチオ・フルチ監督)
- 『ザ・チャーチ(デモンズ3)』"La Chiesa"(1991年)
- 『アイアンマン』(1994年のテレビシリーズ)
- 『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)
- CDのライナーノーツには、本作の音楽を担当したことを「名誉なこと」と書いている。ただし時間的な制約が厳しかったため出来栄えには不満があるという。
関連人物
- グレッグ・レイク - エマーソン・レイク・アンド・パーマーのメンバー。
- カール・パーマー - エマーソン・レイク・アンド・パーマーのメンバー。
- コージー・パウエル - エマーソン・レイク・アンド・パウエルのメンバー。
- ロバート・ベリー - スリーのメンバー。
- ロバート・モーグ - モーグ・シンセサイザーの開発者。
- 小室哲哉 - キース・エマーソンに大きな影響を受け、音楽雑誌で対談したことがある。
- エマーソン北村(シアターブルック) - キース・エマーソンから影響を受けている。
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