アルフォンソ・ソリアーノ
テンプレート:Infobox baseball player アルフォンソ・ギレアルド・ソリアーノ(Alfonso Guilleard Soriano、1976年1月7日 - )は、ドミニカ共和国・サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
目次
来歴・人物
広島時代
プロ野球選手としての経歴は日本の広島東洋カープから始まる。同球団が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ来日。広島時代の背番号は74。テンプレート:Byはカープで二軍のウエスタンリーグで三塁と遊撃を守り、57試合に出場し、打率.214(131打数28安打)、本塁打0、13打点。
テンプレート:Byに一軍登録され、9試合出場。17打数で2安打。身体が細いにもかかわらず、この頃からすでに振り回すバッティングフォームであった。また足が遅いことで有名だったためあだ名はロバと呼ばれていた[1]。広島で遊撃手として守った時が、人生で一番精神的に疲れたという。当時を振り返り、「19歳(実際は21歳)だったんだ。自分の手は震えが止まらずにいたよ。誰も自分に向かってゴロを打って欲しくなかった。ポロリと落とすってわかっていたからね」と語った[2]。
テンプレート:By、球団は4万5000ドルを提示するも代理人の団野村は18万ドルを要求したため年俸調停を申し立てたが、球団の提示額を妥当と調停が下るも、それに納得しなかったため任意引退公示で退団[1]。ドミニカに戻り野球に興じていたソリアーノの素質をニューヨーク・ヤンキースが見抜き、1998年の9月29日にソリアーノの保有権を持っていた広島に310万ドルを支払い契約した。この一連の問題に関しては「カープに対しては恨みなどはない。確かにいざこざはあったが、感謝している。僕に初めてプロでプレーする機会をくれたチームだから」と語っている[1]。
ヤンキース時代
テンプレート:By、2Aで89試合に出場。打率.305、15本塁打、24盗塁を記録し、マイナーリーグ版オールスター・オールスター・フューチャーズゲームではMVPに選出された[3]。同年9月14日メジャーデビューを果たし、9試合に出場した。翌テンプレート:Byも3Aを中心に1シーズンプレーし、22試合に出場。テンプレート:Byのオープン戦でも内野手として悪送球を連発したが、正二塁手チャック・ノブロックが肩を痛めたため、守備には目を瞑って二塁手に抜擢されたテンプレート:要出典。158試合に出場し、打率.268、18本塁打、73打点、リーグ3位の43盗塁を記録した。新人王の投票ではイチロー、C.C.サバシアに次ぐ3位に入った[4]。
テンプレート:By、リーグ1位となる128得点、209安打、41盗塁を記録し、球団新記録となる打数696、157三振を記録した[5]。本塁打が39と40本塁打に1本足りず40-40クラブ入りを逃した。MVP投票ではミゲル・テハダ、アレックス・ロドリゲスに次ぐ3位に入った[6]。
テンプレート:By、打率.290、38本塁打、91打点を記録し、1996年、ブレイディ・アンダーソンが記録した先頭打者本塁打のシーズン記録12本を更新する13本塁打を放った[7]。また、35盗塁を記録し、史上5人目となる2年連続で30-30を達成[7]。ワールドシリーズでヤンキースはフロリダ・マーリンズに敗退。シーズン中は不動のリードオフマンだったが、ポストシーズン中、特にこのワールドシリーズで不振に陥り、両チーム最多の9三振を喫してしまい、5戦目にはついにスタメン落ちした。
レンジャーズ時代
テンプレート:By2月16日にアレックス・ロドリゲスがヤンキースへ移籍した大型トレードに伴いテキサス・レンジャーズへ移籍。レンジャーズでは当初、ソリアーノを駒にして投手陣の補強のためにニューヨーク・メッツとの間で再度トレードを行うことを検討していたが、これは実現しなかったテンプレート:要出典。また、この移籍の際にこれまで1978年生まれとされていたプロフィールが誤りで、実は1976年生まれであることが発覚したテンプレート:要出典。
2004年5月8日のデトロイト・タイガース戦では、レンジャーズ球団史上初となる1試合(9回で)6安打を記録[8]。オールスターではファン投票トップで選出され、先発二塁手として出場。初回にロジャー・クレメンスから3ラン本塁打を放ち[9]、オールスターMVPにも選ばれた。テンプレート:Byにはレンジャーズ球団史上初、自身3度目の30本塁打30盗塁(36本塁打30盗塁)を達成。
ナショナルズ時代
リーグ最低の得点力を改善するため、強打者を必要としたワシントン・ナショナルズは[10]、2005年12月13日にブラッド・ウィルカーソンとターメル・スレッジ及びアーマンド・ガララーガとの1対3の交換トレードでソリアーノを獲得[11]。ナショナルズの正二塁手には堅守のホセ・ビドロがいたため、ソリアーノは外野手(左翼手)へ転向された。
テンプレート:By3月20日のオープン戦ではレフトの守備を拒否し、試合出場をボイコットした[12]。これに対して、球団側は契約違反であるとして「今後、指示に従わない場合は給料の支払いをストップする」などの強硬手段をとると通告した。このため、一時は「メッツがソリアーノと松井稼頭央のトレードに関心」と報道される騒ぎになった[13]。結局、コンバートを受け入れたため騒動はひとまず落ち着いた。
シーズンでは俊足を活かした強打の1番打者として順調に本塁打と盗塁を積み重ねた。8月18日のフィリーズ戦で30個目の盗塁を決め、39本塁打と合わせて自身4度目の30本塁打30盗塁を達成。8月25日のブレーブス戦で、通算200個目の盗塁を決め、MLB史上最速の929試合目で200本塁打200盗塁を達成し、テンプレート:Byにエリック・デービスが記録した1053試合目での記録達成を更新[14]。9月16日のブルワーズ戦で、自身初、MLB史上4人目の40本塁打40盗塁を達成した。また、二塁打も40本以上記録し、MLB史上初の40本塁打40盗塁40二塁打を同時に達成した選手になった。本塁打数で初の40本台の大台に乗せ自己最多を更新した。オフの10月29日にFAとなった。ナショナルズは5年総額7,000万ドルで契約延長を打診したが拒否した[15]。
カブス時代
2006年11月20日にシカゴ・カブスと当時史上5番目の大型契約である、総額1億3,600万ドルの8年契約に合意した[16]。
テンプレート:Byシーズン開幕からは中堅手にコンバートされたが、若手の中堅手フェリックス・ピーエイなどの成長もあり、4月終盤から左翼手を守ることになった。6月に打率.336、11本塁打、18打点を記録し、月間MVPを受賞した。9月にはMLB記録となる7本の月間先頭打者本塁打を含む14本塁打を放ち、カブスの中地区優勝には貢献した。
テンプレート:Byは4月15日に左太腿裏を痛め故障者リスト入り。4月は打率.175・2本塁打・5打点と不調だったが、5月1日に復帰を果たし、5月は打率.345・10本塁打・29打点と復調。復調の理由をソリアーノは「自分ではよくわからないが、開幕直後はバットの振りがブレていたのが、今は投球に対して真っ直ぐにバットが出ているからだと思う」と語っている[17]。しかし、6月11日に死球を受け、左手骨折で故障者リスト入り。シーズン2回の故障者リスト入りの影響でメジャー定着後最低の109試合にしか出場出来なかったが、29本塁打を放ち、9月6日の試合では1試合で3本塁打5打点を記録。
テンプレート:Byは、故障の影響で117試合の出場に留まりながらも9年連続で規定打席に到達した。しかし、成績は自己最低と言っていい数字が残った。得点・安打・打点・盗塁・打率・出塁率・長打率・塁打・OPS・死球・犠打・犠飛は自己最低ないし最低タイであり、出場試合数・打数・三塁打・本塁打は自己ワースト2位となる数字である。
テンプレート:Byは、4年ぶり・カブス移籍後では自身初となる140試合以上の試合に出場した。しかし、本塁打は3年連続で20本台に留まり、盗塁もレギュラー定着後では自己最低の5盗塁に終わった。
テンプレート:Byは、自己最多の108打点を記録、32本塁打と5年ぶりに30本台に乗せた。
ヤンキース復帰
テンプレート:By7月26日にコーリー・ブラックとのトレードで、ヤンキースに復帰した[18]。8月7日に日米通算2000本安打を達成し、外国人選手としてはアレックス・ラミレスに続く史上二人目となる名球会入りの資格を得た[19]。その直後の8月27日にはブルージェイズ戦でメジャー通算400号となる28号ホームランを放ち、2013年のシーズンは打率.255・34本塁打・101打点・18盗塁を記録。2年連続で30本塁打と100打点をクリアした。特に本塁打は、2009年以降5年連続で本数が増加している。また、2ケタ盗塁を記録したのは、2008年以来5年ぶりの事であった。
テンプレート:Byは開幕ロースター入りし、5月12日にはヤンキースおよびレンジャーズでの通算安打数が1000本に達し、史上7人目となる両リーグで1000本安打を達成した。しかし67試合の出場で、打率.221と結果を残せず、7月6日にDFAとなった[20]。7月14日に放出された。
選手としての特徴
初球から積極的に打ちにいき、四球は少なく三振が多いため打率は伸び悩む傾向にある。大きなスイングであるにも関わらず右打席から一塁まで4.0秒で走るスピードを誇り[21]、シーズン40盗塁以上を3度達成した。
体格は細身であるが二塁手としては長身で、打撃面でのパワーはシーズン30本塁打以上を7度(うち35本塁打以上が4度、そのうちの1度が46本塁打)記録するほど優れている。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 広島 | 9 | 19 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 |
テンプレート:By2 | NYY | 9 | 8 | 8 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .500 | .625 |
テンプレート:By2 | 22 | 53 | 50 | 5 | 9 | 3 | 0 | 2 | 18 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .180 | .196 | .360 | .556 | |
テンプレート:By2 | 158 | 614 | 574 | 77 | 154 | 34 | 3 | 18 | 248 | 73 | 43 | 14 | 3 | 5 | 29 | 0 | 3 | 125 | 7 | .268 | .304 | .432 | .736 | |
テンプレート:By2 | 156 | 741 | 696 | 128 | 209 | 51 | 2 | 39 | 381 | 102 | 41 | 13 | 1 | 7 | 23 | 1 | 14 | 157 | 8 | .300 | .332 | .547 | .880 | |
テンプレート:By2 | 156 | 734 | 682 | 114 | 198 | 36 | 5 | 38 | 358 | 91 | 35 | 8 | 0 | 2 | 38 | 7 | 12 | 130 | 8 | .290 | .338 | .525 | .863 | |
テンプレート:By2 | TEX | 145 | 658 | 608 | 77 | 170 | 32 | 4 | 28 | 294 | 91 | 18 | 5 | 0 | 7 | 33 | 4 | 10 | 121 | 7 | .280 | .324 | .484 | .807 |
テンプレート:By2 | 156 | 682 | 637 | 102 | 171 | 43 | 2 | 36 | 326 | 104 | 30 | 2 | 0 | 5 | 33 | 3 | 7 | 125 | 6 | .268 | .309 | .512 | .821 | |
テンプレート:By2 | WSH | 159 | 728 | 647 | 119 | 179 | 41 | 2 | 46 | 362 | 95 | 41 | 17 | 2 | 3 | 67 | 16 | 9 | 160 | 3 | .277 | .351 | .560 | .911 |
テンプレート:By2 | CHC | 135 | 617 | 579 | 97 | 173 | 42 | 5 | 33 | 324 | 70 | 19 | 6 | 0 | 3 | 31 | 4 | 4 | 130 | 9 | .299 | .337 | .560 | .897 |
テンプレート:By2 | 109 | 503 | 453 | 76 | 127 | 27 | 0 | 29 | 241 | 75 | 19 | 3 | 0 | 4 | 43 | 11 | 3 | 103 | 9 | .280 | .344 | .532 | .876 | |
テンプレート:By2 | 117 | 522 | 477 | 64 | 115 | 25 | 1 | 20 | 202 | 55 | 9 | 2 | 0 | 2 | 40 | 6 | 3 | 118 | 7 | .241 | .303 | .423 | .726 | |
テンプレート:By2 | 147 | 548 | 496 | 67 | 128 | 40 | 3 | 24 | 246 | 79 | 5 | 1 | 1 | 3 | 45 | 3 | 3 | 123 | 12 | .258 | .322 | .496 | .818 | |
テンプレート:By2 | 137 | 508 | 475 | 50 | 116 | 27 | 1 | 26 | 223 | 88 | 2 | 1 | 0 | 2 | 27 | 4 | 4 | 113 | 15 | .244 | .289 | .469 | .759 | |
テンプレート:By2 | 151 | 615 | 561 | 68 | 147 | 33 | 2 | 32 | 280 | 108 | 6 | 2 | 0 | 3 | 44 | 5 | 7 | 153 | 18 | .262 | .322 | .499 | .821 | |
テンプレート:By2 | 93 | 383 | 362 | 47 | 92 | 24 | 1 | 17 | 169 | 51 | 10 | 5 | 0 | 3 | 15 | 2 | 3 | 89 | 9 | .254 | .287 | .467 | .754 | |
NYY | 58 | 243 | 219 | 37 | 56 | 8 | 0 | 17 | 115 | 50 | 8 | 4 | 0 | 1 | 21 | 1 | 2 | 67 | 2 | .256 | .325 | .525 | .850 | |
'13計 | 151 | 626 | 581 | 84 | 148 | 32 | 1 | 34 | 284 | 101 | 18 | 9 | 0 | 4 | 36 | 3 | 5 | 156 | 11 | .255 | .302 | .489 | .791 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:1年 | 9 | 19 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 | |
MLB:15年 | 1908 | 8157 | 7524 | 1130 | 2045 | 466 | 31 | 406 | 3791 | 1136 | 288 | 84 | 9 | 50 | 490 | 67 | 84 | 1732 | 120 | .272 | .321 | .504 | .825 |
- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- MLB
- 盗塁王:1回 (2002年)
表彰
- MLB
- シルバースラッガー賞:4回 (2002年、2004年、2005年(以上二塁手部門)、2006年(外野手部門))
- オールスターゲームMVP:1回 (2004年)
記録
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:7回 (2002年 - 2008年)
- NPB
- 初出場・初先発出場:1997年8月5日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、7番・二塁手で先発出場
- 初安打:1997年8月10日、対阪神タイガース17回戦(広島市民球場)、2回裏に中込伸から左前安打
背番号
- 74 (1996年 - 1997年)
- 66 (1998年)
- 58 (1999年)
- 53 (2000年)
- 33 (2001年)
- 12 (2002年 - 2014年途中)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシックドミニカ共和国代表
テンプレート:Navboxes- ↑ 1.0 1.1 1.2 無限の可能性 アルフォンソ・ソリアーノ『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、42-43頁。
- ↑ [1]テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 澤田敏典 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 シカゴ・カブス/CHC チームに勢いをもたらしてきたが……」『スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-8、83項。
- ↑ Yankees bring Soriano's bat back to Bronx
- ↑ ソリアーノ、大台到達に「ハッピー」=米大リーグ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、44-47頁。