もんじゅ
もんじゅは、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。
目次
概要
MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)を使用し、消費した量以上の燃料を生み出すことのできる高速増殖炉の実用化のための原型炉であり、高速実験炉常陽でのデータをもとに建設された日本で2番目の高速増殖炉である。核燃料サイクルの計画の一環であり、新型転換炉ふげんと共に開発が進んでいた。日本は高速炉開発を国家プロジェクトと位置付けており[1]、国際的にも高速炉を始めとした第4世代原子炉の研究開発において主導的な役割を果たしているとされた[2]。もんじゅはその中心となる施設である。2011年現在、常陽及びもんじゅによって得られたデータをもとにして高速増殖炉開発の次の段階となる実証炉の設計が行われている[3]。
1995年に冷却材であるナトリウム漏洩による火災事故を起こした。その後、運転再開のための本体工事が2007年に完了し、2010年5月6日に2年後の本格運転を目指して運転を再開した。しかし、2010年8月の炉内中継装置落下事故により再び稼働ができなくなった。2012年に再稼働する予定[4]であったが、2012年夏時点は未定である。
もんじゅの目的は、高速増殖炉の実用化(商用化)に向けた技術を原型炉(もんじゅ)によって開発し、その設計や建設、そして稼働の経験を通じて高速増殖炉の発電性能および信頼性・安全性の実証、また高速増殖炉の経済性が将来の実用炉の段階において既存の発電炉に対抗できる目安を得ることであり、高速増殖炉の研究開発の場として今後の利用が予定されている。
一方で物理学者の槌田敦のように、もんじゅは軍事用プルトニウムを生産する目的で作られた軍事目的の原子炉であるとする見方もある。槌田の主張によれば、もんじゅは建前ではウランの有効利用を謳っているが、高速増殖炉はプルトニウムを2倍にするのに理論上で90年かかる。また、使用済みの燃料に残るプルトニウムの90%は炉心にあるが、炉心のプルトニウムを完全に再処理する技術は世界になく、さらには高速増殖炉の燃焼の激しさから、さまざまな貴金属ができてしまい、それらがプルトニウムと混ざり合って硝酸に溶けないことから再処理は不可能で、90%のプルトニウムは廃棄しなければならないことから意味がない。もんじゅの真の理由は、高速増殖炉を使うことで純度が高く(純度98%)再処理が簡単な軍事用のプルトニウムがブランケットにわずかにでもでき、これを軍事利用することである。日本の核武装化をいちばん望んでいるのはアメリカであり、対中共戦略がその理由である。中国は冷戦後、核戦略の対象をモスクワから南方海域に移しており、万が一、南方海域でことが起きた場合にアメリカが直接中国と衝突するのを避ける目的で、日本に核武装させる戦略を持っていると主張している[5]。
もんじゅは日本原子力発電株式会社敦賀発電所と関西電力株式会社美浜発電所の2つの発電所と接続されている[6]。
名称の由来
- 「もんじゅ」の名は仏教の文殊菩薩に由来する。若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺の本尊から来ているといわれる。「ふげん」とも「文殊、普賢の両菩薩は、知慧と慈悲を象徴する菩薩で、獅子と象に乗っている。それは巨獣の強大なパワーもこのように制御され、人類の幸福に役立つのでなければならない」[7]と願いを込めて命名された。
- 「もんじゅ」の命名は、他の新型動力炉「常陽」「ふげん」とともに動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の副理事長・清成迪(きよなり・すすむ)が発案[8]したものであるが、その発案に当たっては、当時の仏教学界や国文学界の首脳とも相談したということが当時の広報室長・関根瑛應の証言で判明している。仏教学界では宮本正尊、国文学では土岐善麿の名前が挙げられている。[9][10]
巷間でよく言われる曹洞宗の大本山永平寺の貫首(住職)が名付け親という話、清成に助言した[11]というのは、まったくの誤情報である。永平寺の機関誌『傘松』第630号(1996年3月)では、貫首命名説を訂正・謝罪しており、命名の時期が1970年ということからも成りたたない。[12]
仕様
- 原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
- 熱出力:71万4千kW(714MW)
- 最大電気出力:28万kW(280MW)
- 燃料の種類:MOX燃料
- 燃料交換間隔:約6か月
- 燃料交換方式:単回転固定アーム方式
- 熱効率:39%
- 冷却材:金属ナトリウム
- 原子炉入口冷却材温度:397℃
- 原子炉出口冷却材温度:529℃
- 燃料集合体:198本
- 燃料増殖比:約120%(1.2)
- 制御棒本数:19本
- 原子炉格納容器:鋼製格納容器
- 建設費: 約5,900億円 / 約1兆810億円(当初予算 / 現在までの累計額)
- 製造メーカー:日立製作所・東芝・三菱重工業・富士電機
設備
番号 | 原子炉形式 | 建設主体 | 定格電気出力 | 定格熱出力 | 運転開始 | 現況 |
---|---|---|---|---|---|---|
MONJU | 高速増殖炉(FBR) | 日立製作所・東芝・三菱重工業・富士電機 | 24.6万kW | 71.4万kW | 1995年8月 | 原子炉内中継装置落下事故により停止中 |
歴史
ここでは公式の表記との比較のため元号も併記している。
- 1967年(昭和42年)10月2日:動力炉・核燃料開発事業団(動燃)設立
- 1968年(昭和43年)9月26日:高速増殖炉の実験炉「常陽」の次の段階として、原型炉の予備設計開始
- 1970年(昭和45年)4月:建設候補地に、福井県敦賀市白木を選定。立地自治体の敦賀市の了承、福井県の内諾。地質等調査開始
- 1975年(昭和50年)9月17日:原子力委員会によるチェックアンドレビュー開始
- 1976年(昭和51年)2月20日:福井県および敦賀市と安全協定を締結
- 1978年(昭和53年):環境審査開始
- 1980年(昭和55年):安全審査開始
- 1980年(昭和55年):4月1日:原子炉産業4社(東芝、日立製作所、富士電機システムズ、三菱重工業)が出資して高速炉エンジニアリングを資本金3億円で設立
- 1983年(昭和58年)1月25日:建設準備工事着手
- 1985年(昭和60年):本体工事着工
- 1990年(平成2年)7月20日:動燃アトムプラザ開館
- 1991年(平成3年)3月22日:ナトリウム現地受入れ(国内輸送)開始
- 1991年(平成3年)5月18日:機器据付け完了式典・試運転開始
- 1992年(平成4年)12月:性能試験開始
- 1994年(平成6年)4月5日:10時01分臨界達成
- 1995年(平成7年)8月29日:発電開始
- 1995年(平成7年)12月8日:ナトリウム漏洩事故発生
- 1998年(平成10年)10月1日:動燃解体 - 核燃料サイクル開発機構発足
- 2005年(平成17年)3月3日:ナトリウム漏洩対策の準備工事を開始
- 2005年(平成17年)9月1日:ナトリウム漏洩対策の本体工事着手
- 2005年(平成17年)10月1日:独立行政法人日本原子力研究開発機構発足
- 2007年(平成19年)5月23日:本体工事終了
- 2007年(平成19年)8月31日:運転再開に向けての原子炉の確認試験開始
- 2008年(平成20年)5月15日:新燃料(初装荷燃料)の1回目の輸送
- 2008年(平成20年)7月18日:新燃料(初装荷燃料)の2回目の輸送
- 2010年(平成22年)5月6日:10時36分運転再開
- 2010年(平成22年)5月6日・7日:放射性ガスの検知器が誤作動
- 2010年(平成22年)5月8日:10時36分臨界確認。試験として約1時間後、19本の制御棒のうち2本を挿入し未臨界とした。
- 2010年(平成22年)8月26日:原子炉容器内に筒型の炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下。長期の運転休止となる。
- 2010年(平成22年)12月28日:非常用ディーゼル発電機(発電出力:4250Kw)3台のうち1台(C号機)の故障が判明[13]
- 2011年(平成23年)3月23日:東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、福井県はもんじゅの安全性確保について、文部科学省に申し入れをした[14] [15]。
- 2011年(平成23年)4月5日:福島第一原子力発電所の事故を受け、全電源喪失時対応訓練を実施した[16](なお、4月26日の共同通信の報道[17]によると、4月現在の装備では、もんじゅを含めた多くの原子炉で電源車では十分な冷却が不可能とされた。日本原子力研究開発機構や各電力会社では電源車の追加配備を計画している)。
- 2011年(平成23年)4月20日:経済産業省からの緊急安全対策を指示を受けて、日本原子力研究開発機構はもんじゅに電源車の配置、緊急時の使用済燃料貯蔵槽の冷却確保などの安全対策を施し、またすべての電源喪失を想定した訓練を行ったなどとする報告書を経済産業大臣に提出した[18]。
- 2012年(平成24年)11月、保安規定に基づく機器の点検漏れが9679個あったと原子力規制委員会が公表。
- 2013年(平成25年)2~3月、原子力規制委員会の立ち入り・保安検査により、非常用発電機などの重要機器で13の点検漏れ、虚偽報告が発覚。
- 2013年(平成25年)5月29日:原子力規制委員会は日本原子力研究開発機構に対し、原子炉等規制法に基づき、もんじゅの無期限の運転禁止を命じた[19]。
もんじゅをめぐる訴訟
許可無効を求める裁判
もんじゅの原子炉設置許可について、周辺住民32人が国(経済産業大臣)による設置許可の認可を無効とすることを求めた行政訴訟(1985年提訴)が争われ、2003年1月27日には名古屋高等裁判所金沢支部がもんじゅの設置許可処分が無効であることを確認する判決を一度下した[20]。その後の2005年5月30日、最高裁判所は「国の安全審査に見過ごせない過誤や欠落があったとは言えず、設置許可は違法ではない」との判決を下し、国の勝訴が確定した。
一方で、もんじゅの建設・運転の差止めを求めた民事訴訟も起こっていたが、2003年に原告が訴訟を取り下げた。
もんじゅ西村裁判
1995年12月8日に発生したもんじゅのナトリウム漏洩火災事故において、事故現場の様子を撮影したビデオの一部を隠したことが発覚し、マスコミに追及された。 隠蔽公表の翌日の1996年1月13日6時10分、ビデオ隠しの特命内部調査員としてマスコミ報道の矢面に立たされていた動燃総務部次長の遺体が発見された。警察発表で自殺とされた。
遺族は自殺の原因を動燃にうその記者会見を強要されたためであるとして損害賠償請求訴訟を起こしたが[21]、2012年1月31日付けで敗訴が決定した。[22]
ナトリウム漏洩火災事故
1995年、二次冷却系で温度計の破損によって金属ナトリウムが640kg±42kg(推定)が漏洩[23]し、火災となった。この事故は国際原子力事象評価尺度ではレベル1と判定されたものの、事故への対応の遅れや動力炉・核燃料開発事業団(当時)による事故隠しが問題となった。
この事故以来、もんじゅは運転休止状態が続き2010年まで運転を停止していた。
事故の経緯
12月8日、もんじゅでは運転開始前の点検のための出力上昇の試験が行われた。 その後目標の熱出力43%を目指し、出力を徐々に上げていたところで事故が起きた。
- 19時47分:二次冷却系配管室で配管のナトリウム温度計がわずかに低下、その後200℃前後まで急低下した後に480℃まで復帰してすぐに「温度高」を示した。通常480℃のところ600℃の目盛りを振切っていて、実際何度になっているか判らなくなってしまった(なお、この温度検出器は熱電対であり、断線するとオーバーレンジとなってしまうため、ナトリウムが600℃以上になったわけではない)。
- 19時47分:火災報知器が2か所発報し、ナトリウム漏洩を知らせる警報が発報し、運転員は2次主冷却系配管室で「もやっている程度の煙」(ナトリウムエアロゾル)[24]を確認した。その後も火災警報の範囲は広がり、ついには階を超えて発報を始めた。
- 20時00分:火災警報機が14ヶ所発報した時点で、運転員らは異常時運転手順書「2次主冷却系のナトリウム漏洩」に従い原子炉の停止を決定、原子炉の出力を徐々に落とし始めた。
原子炉を急激に停止させる「緊急停止」は炉に負担をかけるため、炉を保護する為に緩やかな出力降下を目指した。その後、非常に大きなベル音が連続して鳴動するため、 運転操作の妨げになるとしてベルの停止操作を行った。そのため、別の火災報知器がさらに発報していることに気づくのが遅れた。
- 20時50分:運転員が現場で白煙の増加を確認。
- 21時20分:事故発生から1.5時間後、火災警報器が34か所発報にも及んだ時点で、事態を重く見た運転員らが手動で原子炉を緊急停止させた。充満した白煙と高温により、防護服を着用しても現場に立ち入ることは困難で、被害状況は全くつかめなかった。しかし、原子炉停止後も火災報知器の発報は続き、最終的には66か所に及んだ。
- 22時40分:二次冷却系Cループ配管内のナトリウムの抜き取り操作を開始した(9日0時15分終了) 。
- 23時13分:二次冷却系Cループ配管室及び蒸気発生器室の換気空調系が停止。
翌日午前2時、事故現場に立ち入り状況を確認したところ、高融点の鋼鉄製の床が浸食され、さらにナトリウムが周囲にスプレー状に飛散していた。 なお、漏洩した金属ナトリウムは二次冷却系のもので、放射能漏れは無かった。
事故後の対応
事故後の会見はもんじゅのプレスセンターで行い、動燃は事故当時撮影した1分少々のビデオを公開した。しかし数日後、これがカット編集されたビデオであることが発覚し、マスコミに指摘を受けた動燃は未公開部分 [25] [26] [27]を順次公開。数日後、動燃は事故発生直後の現場のビデオがさらに存在すると発表。その中で報道の矢面に立たされた西村成生・動燃総務部次長が死亡し、死因は自殺とされた。
事故の原因
事故から1か月経った1996年1月8日未明、前夜から行われていた漏洩箇所のX線撮影により、ナトリウム漏洩の明確な原因が明らかになった。ナトリウムの温度を測定する熱電対温度計の収めてある「さや(ウェル)」の先端は、X線写真によれば途中のくびれ部分から完全に折損しており、中の温度計は45度ほど折れ曲がった状態で管内にむき出しになっていた。日本原子力研究所が調べたところ、ナトリウムの継続的な流れにより「さや」に振動が発生、徐々に機械的強度が衰え、折損に至ったことがわかった。
さらに、火災報知器が広範囲で発報した理由として、ファン付きの換気ダクトによって白煙の拡大を招いていたからであったことが明らかになった。直径60cmのナトリウム管路の下方に、直径90cmの換気ダクトがある。事故当時、換気ダクトのファンは作動したままになっていた。原子炉停止後ナトリウムの抜き取り作業が進み、ナトリウムの液位が下がった事でようやく自動停止した。
また、調査の結果、換気ダクトのファンに付着したナトリウムが遠心力で周囲に飛散していたことがわかった。
事故発生直後、運転員はゆるやかな出力降下による原子炉停止を行っていたが、これは運転マニュアルに違反した対応だった。運転マニュアルには、火災警報が発報した場合は直ちに原子炉を「緊急停止」するように記載されていた。
停止後の経緯
- 2005年2月6日:福井県知事の西川一誠は、それまで留保していたもんじゅの改造工事を了承した。
- 2005年9月27日:フランス共和国が、日本に対しもんじゅの共同利用を提案した。
- 2009年4月22日:運転再開を目指しているもんじゅでナトリウム漏れ検出器の取り付けミスなどのトラブルを多発していることに関して日本原子力研究開発機構は、経済産業省の原子力安全・保安院小委員会に報告書を提出した。
- 2010年2月10日、原子力発電所に反対する市民団体や住民運動団体が、日本原子力研究開発機構に対して「危険なもんじゅの運転再開はするな」、「万全な地震対策を」などを申し入れた。また、関西電力や日本原子力発電に対しても耐震対策の確立などを申し入れた。
運転再開
再開は4回ほど延期されたが、経済産業省・原子力安全・保安院・内閣府・原子力安全委員会が2010年3月に安全性を「妥当」と判断し、2010年4月28日に福井県知事も運転再開を了承。2010年5月6日、停止後から延べ14年5か月ぶりに運転を再開した。
5月8日には出力0.03%で核分裂反応が一定になる臨界に達する。
予定では、2011年度に出力40%に上げたのち、3段階で出力を引き上げる性能試験を3年間行うとされており、発電は2011年5月ごろから開始し、本格運転に入るのは2013年4月になる見込みであった。
原子炉内中継装置落下事故
2010年8月26日、炉内中継装置をつり上げ作業中に落下させる事故が起きた。
日本原子力研究開発機構は2010年10月1日「落下による影響はない」として装置の引き揚げ作業を続行し、同年10月4日(直後に中断)と13日に24回の引き抜き作業を試みるもののいずれも失敗している[28]。
炉内中継装置は燃料を燃料交換時に仮置きする金属製の筒で、原子炉容器にふたをしている鋼製の遮蔽プラグの穴を通して出し入れする。直径46cm・長さ6mの2本の筒を8本のピンで縦につないだ構造で、全長12m、重さ3.3トン。また炉内はアルゴンガスや不透明なナトリウムに覆われており、変形部分を直接目視することができない。この事故によって、一時期「技術的常識に従えば本格運転も廃炉措置もできない」という主張も出され[29]、事態は混迷を極めることになった。
その後、以下の推移を経て2011年に装置の引き抜きに成功したが、2013年現在、運転再開には至っていない。
- 2010年11月16日、ファイバースコープ及びCCDカメラで2本の筒の接続部にギャップが発生し変形していることを確認した[30]。
- 2011年1月28日、落下した装置を引き抜くための追加工事や試験などの復旧作業に約9億4千万円の費用がかかることがわかった[31]。また、停止中も維持費に1日5500万円の費用がかかると報道された。
- 2011年2月14日、装置を現場で担当する燃料環境課長が福井県敦賀市の山中で自殺し、遺体で発見された[32]。この落下事故への解決策として、日本原子力研究開発機構は落下した炉内中継装置を燃料出入孔スリーブと一体で引き抜く保全計画を策定し国の確認を受けたうえで実施する計画を立てた[33][34]。
- 2011年6月23日:20時50分より工事を契約した東芝が引き抜き作業を開始する。
- 2011年6月24日:4時55分引き抜きを完了した[35]。この引き抜き作業の準備のために原子炉容器の上に機器を新設したことを受けて、撤去にかかった費用は計約17億5000万円となっている。
- 2011年7月7日:炉内中継装置の分解点検作業を開始する。
- 2011年7月12日:分解点検作業を終了した。分解点検の結果、炉内中継装置の全構成部品293点の回収を確認した[36]。ここで回転ラックの「駆動軸ジョイント」部(ユニバーサルジョイント側)の平行ピン1本が切断されており、他1本の平行ピンに約8mmのずれがあること、また回転ラック軸下端部のすり傷及び回転ラック軸受台下面の縁に摩耗痕があることを原子力研究開発機構は確認した[37]。原子力研究開発機構は破断面のレプリカを取得し、機器破片が原子炉容器内に残存していないか確認していくとしている[38]。
- 2012年3月9日:落下事故の報告書を日本原子力研究開発機構が経済産業省原子力安全・保安院に提出[39]。
点検漏れ事件
2012年(平成24年)11月、保安規定に基づく機器の点検漏れが9679個あったことを原子力規制委員会が公表した。
2013年(平成25年)2~3月に原子力規制委員会が立ち入り・保安検査したところ、非常用発電機などの重要機器に関する更なる13の点検漏れが発覚した。これらを重くみた原子力規制委員会は、2013年5月13日、原子炉等規制法に基づき、日本原子力研究開発機構に対し、もんじゅの無期限の使用停止を命じる方針を固めた。同月17日には原子力研究開発機構理事長の鈴木篤之が引責辞任[40]。同月30日には試験運転再開準備の停止が正式に命令された[40]。
2014年1月には、この点検漏れと指摘を受けて点検計画の内容を確認中だったにも拘らず、“見直し完了”を原子力機構が規制委員会に報告していたことが発覚した[41]。
MOX燃料の輸送
もんじゅを始めとした高速増殖炉に使用されるMOX燃料は、プルトニウムを含んでいる。もんじゅのMOX燃料は茨城県東海村にある日本原子力研究開発機構の東海研究開発センター核燃料サイクル工学研究所から出荷され、常磐自動車道・首都高速道路・東名高速道路・名神高速道路・北陸自動車道を経て、福井県敦賀市のもんじゅまでトラックで輸送される。この際、テロを警戒して警備車両や警察車両が伴走するが、特別な交通規制はなく、一般の乗用車やトラックと共に高速で走行する。輸送容器(MONJU-F型)は、9mからの落下衝撃に耐え、800℃・30分の条件下に耐えうるものであるが、実際の高速道路での事故の衝撃やトンネル火災の温度はそれ以上になることが心配されている[42]。
- 1992年度:5回 - MOX燃料集合体120体
- 1993年度:4回 - MOX燃料集合体85体
- 1995年度:2回 - MOX燃料集合体48体
- 2008年度:3回 - MOX燃料集合体38本(5月15日、16日:MOX燃料集合体 18体[43] / 7月17日、18日:MOX燃料集合体14体[44] / 12月16日:MOX燃料集合体 6体[45])
実質稼働日数
責任者の自殺
批判
安全性
- 冷却材に通常の原子力発電所で使われる水の代わりに金属ナトリウムを使い、発電タービンは水蒸気作動であるため、2つの熱伝達部分をもっている。炉心の金属ナトリウムからタービン系統の水部分へは薄い蒸気発生器の壁を通じて熱伝達を行う。蒸気発生器の壁は薄いため、ピンホールが発生する可能性を完全には否定できず、ピンホールが発生してしまった場合、金属ナトリウムが蒸気発生器の水と化学反応を起こして爆発事故を起こす可能性がある。実際、イギリスで事故が起きている[46]。
反論
- ナトリウムの安全確保は二重三重に図られている。まず、一次系の配管は、原子炉容器の出口よりもできるだけ高い位置にしてある上、位置が低くなる原子炉容器などは、保護容器内に設置されている。よって万一ナトリウムが配管から漏れても、炉心の冷却に必要なナトリウムは確保される。次に、一次系の部屋は窒素が封入されていて、ナトリウムが漏れても燃焼しないようになっている。また、ナトリウム漏出を検出する機器があるので、ナトリウムの流出はすぐに感知できる。さらに、主循環ポンプが止まってもナトリウムが自然循環して炉心を冷却できる仕組みになっている[47]。
- 研究段階での経済性を実用炉と比較することは一概にはできない。そもそも、もんじゅは経済性の研究のために作られた炉ではない[48]。
トリビア
- 1994年5月24日、郵政省が『高速増殖原子炉「もんじゅ」臨界記念』の記念切手を発行している。
脚注
関連項目
- 常陽 - 茨城県大洗町にある実験炉
- 高速増殖炉
- 原子力発電
- フェニックス (原子炉) - フランスにある高速増殖炉
- しきしま - プルトニウム輸送の護衛に供される巡視船
- ふげん
- もんじゅ訴訟
- 2011年敦賀市長選挙
- もんじゅ君
- 原子力村
外部リンク
- 高速増殖原型炉もんじゅ - 日本原子力研究開発機構
- もんじゅ関連情報ホームページ - 日本原子力研究開発機構敦賀本部
- 高速増殖原型炉もんじゅ - 福井原子力センター
- 高速増殖炉もんじゅ特集 - 富士電機
- 高速増殖炉「もんじゅ」の開発 - 原子力百科事典 ATOMICA
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ "Japan is already playing a leading role in the Generation IV initiative, with focus on sodium-cooled FBRs" テンプレート:Cite web
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- ↑ 宝島30 1996年3月号(宝島社)P70「『もんじゅ』と核兵器と原発の黄昏」
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- ↑ 『動燃二十年史』 『動燃三十年史』口絵
- ↑ 諸岡さとし『創造への旅』2001年 280頁 「佛教タイムス」第849号 1970.6.6 1面 「原子力と仏教 文殊普賢と命名」等
- ↑ 原子力eye 2005 Vol.51 No.5「仏教界の怒りを越えて―「もんじゅ」への期待―」 【産経】 1996.5.21等
- ↑ 【中外】2012年7月10日「もんじゅ・ふげん原子力政策容認していた仏教界」
- ↑ 【毎日新聞】2011年10月14日
- ↑ 【佛教タイムス】第2494号(2012/7/5)3面「命名伝説を検証」
- ↑ 高速増殖原型炉もんじゅの非常用ディーゼル発電機で確認されたシリンダライナ部の傷について(原子力安全委員会)2011年1月6日 - 2011年10月27日閲覧
- ↑ 原子力災害に係る福井県の対応について(福井県) - 2011年10月27日閲覧
- ↑ [1](福井県 - 2011年3月23日) - 2011年10月27日閲覧
- ↑ 「もんじゅ」全電源喪失時対応訓練の実施について(日本原子力研究開発機構) 2011年4月5日 - 2011年10月27日閲覧
- ↑ |追加の電源装置、冷却機能に懸念 9社の原発ともんじゅ (共同通信)2011年4月26日 - 2011年10月27日閲覧
- ↑ 福島第一原子力発電所事故を踏まえた緊急安全対策に係る実施状況の報告について (日本原子力研究開発機構 - PDF) 2011年4月20日 - 2011年10月27日閲覧
(なお、もんじゅでは電気がなくても高低差と温度差による対流で金属ナトリウムを循環させて原子炉を冷却できる構造になっており、報告書によると、電源喪失時にも冷却が可能であることを再確認したとある。しかし運転停止中のため、データ解析などによる確認のみで同機構の担当者は「実際に機能するかどうかは出力試験後に確認したい」としている) - ↑ もんじゅ運転禁止を正式決定 点検漏れで規制委 共同通信
- ↑ 大飯原発 判決確定までは時間もNHKニュース・2014年5月22日、2014年5月23日観覧
- ↑ [2]|うそ会見強要で自殺と提訴 動燃次長の遺族が賠償請求(共同通信) - 2011年10月27日閲覧]
- ↑ [3]|もんじゅ事故調査中の自殺 動燃元次長遺族の敗訴確定
- ↑ [4](日本原子力研究開発機構)2011年10月28日閲覧
- ↑ http://www.jaea.go.jp/04/monju/category05/mj_accirep/mj_accirep04.html%7C「もんじゅ」事故と原因究明の現状](日本原子力研究開発機構) - 2011年10月28日閲覧
- ↑ 「動燃が隠そうとしたもんじゅナトリウム漏れ直後のビデオ」 8分43秒
- ↑ [http://www.youtube.com/watch?v=UgSV4wxXjQM 「動燃がカットしたもんじゅナトリウム漏れ事故の映像〜いわゆる16時ビデオのオリジナルその1:NPJ動画ニュース第5-1回 5分
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- ↑ 小林圭二『高速増殖炉もんじゅ―巨大核技術の夢と現実』(七つ森書館) 1994年2月
- ↑ 鶴蒔靖夫『「もんじゅ」の読み方』IN通信社 1994年4月134-135頁
- ↑ もんじゅについてお答えします 日本原子力研究開発機構