ゴボウ
項目 | 分量 |
---|---|
炭水化物 | 15.4 g |
食物繊維総量 | 5.7 g |
水溶性食物繊維 | 2.3 g |
不溶性食物繊維 | 3.4 g |
ゴボウ(牛蒡または牛旁、悪実、テンプレート:Lang-en-short、学名: Arctium lappa L. )は、キク科の多年草。ユーラシア大陸原産。
目次
特徴
日本で自生はしていないが、縄文時代の遺跡からは植物遺存体として確認されており、縄文時代か平安時代に日本に伝わったともいわれる[2]。主に食すようになったのは江戸時代から明治にかけてであり、根や葉を食用とする。茎の高さは1mほど、主根の長さは品種にもよるが50cm〜1mほどある。花期は6〜7月。紫色のアザミに似た総苞にトゲのある花を咲かせる。
利用
食用
日本では根を食用としてきんぴらや天ぷらのかき揚げなどに使われるほか煮物に用い、近年では細切りにした根を湯がいてサラダにもする。旬は初冬で、新ゴボウは初夏となる。
根は、日本の他、日本が統治していた朝鮮半島、台湾、中国東北部の一部以外では食材としない。太平洋戦争中に英米人捕虜がゴボウを「木の根」だと思い、木の根を食べることを強要し虐待されたとして戦後、日本人将兵が戦犯として裁かれたこともあった(下記)。
ゴボウにはポリフェノールであるクロロゲン酸が豊富に含まれている。クロロゲン酸は、ゴボウを水にさらしたときに出てくる茶褐色の成分であり、コーヒーにも含まれ、抗酸化作用がある。ゴボウを長く水にさらすとクロロゲン酸が失われてしまうので、皮はむかない、水にさらさず、すぐ調理する、大きめにゴロンと切る、ことがゴボウ調理の三大新常識となっている[3]。
ゴボウは、食物繊維、特に水溶性食物繊維が豊富であり[1]、イヌリンが水溶性食物繊維の主体を成している[4]。
なお、アザミの根もヤマゴボウ[5]、キクゴボウ、菊ごぼうという名前で食されることがある[6]。
薬用
欧米では根を薬用としてハーブ(バードックと呼ばれている)として用いられている。また、ゴボウは生薬・漢方薬に用いられ、利尿、発汗、血液浄化、皮膚疾患(ニキビ、湿疹、乾癬)の薬の材料としても使われている[7][8]。
日本には薬草として中国から伝来。薬草としては発汗利尿作用のある牛旁根(ごぼうこん、テンプレート:Lang-en-short)のほか、浮腫、咽頭痛、解毒に用いる種子(悪実(あくじつ)、または牛旁子(ごぼうし))を用いる。日本では乳腺炎に種をそのまま食べるか、煎じる使用法も有効として民間に口伝で知られる。繊維質が多く、便秘予防に効果があるとされる。大腸がん・直腸がん予防に効果があるとするむきもあるが、これは正確ではなく、現在テンプレート:いつのところでは試験管レベルの実験で酸素状態の悪い成長した大腸がんの細胞にたいして選択的に倍加した毒性を発揮する性質があるとされている[9]。
ゴボウの根の部分を野菜として利用するのは日本と朝鮮半島だけの特徴であり、先述のように葉の部分を野菜として、根や種の部分を漢方薬として使用されることが多い。
アレルギー
キク科植物に対しアレルギー性を有している場合は、注意が必要である[10]。
ゴボウが関連する言葉
- ごぼう抜き - リレー走や駅伝競走などで、後方からほかの選手を一気に抜き去ること、または、多数抜き去ることをごぼう抜きと言うことがある。『広辞苑』(第5版)には、「(牛蒡を土中から引き抜くように)一気に抜きあげること。」とある。なお、「ごぼう抜き」という言葉には、座り込みなどを行う人物を力ずくで排除するという用法もある。
- ごんぼ(牛蒡)堀り - 青森県の方言に「ごんぼほり」(牛蒡堀り)というのがある。ぐずぐず不平を言って譲らない、酔ってくだを巻く(時に居座る)、強情である、ふてくされる(特に子供)、といった態度(あるいはそのような態度の者)ぐらいの意。なだめたり、お引き取り願うことはゴボウを「掘る」ことと同じくらい難儀であることから、であろうか。秋田県にも同様の言い回しがあり、秋田のローカルヒーローである「超神ネイガー」には「ゴンボホリー」という悪役が登場する。
- 太平洋でごぼうを洗う - 男女の性交において、女性の膣の締め付けがゆるいと同時に、男性の陰茎が細いため、男女とも十分な満足感が得られないたとえ。
- 牛蒡剣 - 三十年式銃剣の俗称。
- 牛蒡積み - 石垣の工法の一つで、野面積みの一種。奥行きのある石を短径面が外側になるように積んでいく工法で、名称の由来は石の積み方がゴボウの束を積み重ねたようであるため[11]。大洲城、若松城、彦根城、松江城などで見られる。
食文化の違いによる誤解
太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウ
ゴボウにまつわる食文化の違いがもたらした悲劇的な逸話として、「戦時中、外国人捕虜にゴボウを与えたところ、木の根を食べさせられたと誤解され、戦後にBC級戦犯として虐待の罪で処罰された」というものがある。1952年(昭和27年)12月10日に行われた第15回国会参議院法務委員会で法務省保護局長齋藤三郎が行った米国派遣報告では
裁判のときには相当国情が違い、日本の事情を知らない人が裁判をしたため不当と言えば不当と言える裁判があるのだ。一例としては、俘虜収容所の所員が、終戦真際食糧が非常に不足している。併しこれに対してできるだけいい食物を与えたいというのでごぼうを買つて来て食わした。その当時ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆を二日も三日も続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつた。そのごぼうを食わしたところが、それが乾パン代りに木の根を食わして虐待したというので、五年の刑を受けたという、こういう例もあると述べている[12]。また、翌昭和28年7月2日の参議院厚生委員会では日本社会党の藤原道子が「ごぼうを食べさしたものを木の根を食べさせたのだということで二十五年の禁錮を受けておる」と発言している[13](ただし、量刑が異なっている)。漫画 『はだしのゲン』でも「捕虜にヤマゴボウを食べさせて25年の重労働を課された」とあり、映画『私は貝になりたい』では「ゴボウを食べさせて5年の懲役を受けた」という話が出てくる。
新潟県の直江津町(現上越市)にあった東京俘虜収容所第4分所の所長らが、終戦後、収容されていたオーストラリア人捕虜達から「木の根を食べさせられた」という告発を受け、うち所長を除く8名が横浜裁判で絞首刑となった(直江津捕虜収容所事件[14])。また、長野県下伊那郡天龍村にあった東京俘虜収容所第12分所(満島捕虜収容所)に勤務していた警備員1名が無期懲役の判決となり、その裁判中にゴボウを食べさせたことが虐待として扱われた[15]。相馬暁は1996年の著書の中で「アメリカ人捕虜にゴボウを食べさせたために、昭和21年に、横浜の戦犯裁判で捕虜収容所の関係者が、二人が死刑、三人が終身刑、二人が十後年以上の有期刑の判決を受けた」と述べている[16]。また、村山有が捕虜にゴボウを差し入れたことを理由に戦犯容疑者としてGHQに逮捕された[17]。このほか東京裁判時の弁護団だった清瀬一郎は「ある捕虜収容所」のケースとして「牛蒡をオックス・テイル(牛の尾)、豆腐をロツン・ビーンズ(腐った豆)と誤訳したため、捕虜から不満が出た」と述べている[18]。
ただし劣悪な衛生環境を放置したことや殴打などの暴力行為、虐待行為によって捕虜を大量に死亡させたことが直接的な判決理由であり、「ゴボウを食べさせた」から有罪になったわけではなく、「ゴボウを食べさせたから死刑になった」は一種の都市伝説に過ぎない。
参考画像
- Japanese Gobo Salad.jpg
ゴボウサラダ
- Schwarzwurzeln.jpg
脚注
- ↑ 1.0 1.1 五訂増補日本食品標準成分表
- ↑ 「日立 世界・ふしぎ発見!」 2010年5月22日放映
- ↑ 「ゴボウの新常識、アク抜き最低限に、抗酸化成分を保つ」2005.11.26 日本経済新聞
- ↑ 牛蒡ノ成分ト「ヂフテリー」毒素ノ関係、肥田 音市、片山、細菌學雜誌、Vol.1908 (1908) No.146
- ↑ 標準和名としての「ヤマゴボウ」はヤマゴボウ科ヤマゴボウ属の一種テンプレート:Snameiの和名である。
- ↑ kotobank > キクゴボウとは。株式会社日立ソリューションズ。
- ↑ Chan Y.-S., Cheng L.-N., Wu J.-H., Chan E., Kwan Y.-W., Lee S.M.-Y., Leung G.P.-H., Yu P.H.-F., Chan S.-W.,"A review of the pharmacological effects of Arctium lappa (burdock)" [Article in Press] Inflammopharmacology 2010
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:PDFlink(2010年12月16日時点のアーカイブ)
- ↑ 流行中の「ゴボウ茶」、副作用報告があるなんて! 日経メディカルオンライン 記事:2012年6月8日
- ↑ 石垣の分類
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 上坂冬子『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』1986年、文春文庫1989, p.136
- ↑ 1996年11月10日の朝日新聞連載記事『地球・食材の旅』。ただし、この警備員はまもなく釈放されたといい、実際に本人に取材を行ったがこの話については語ってくれなかった、と述べられている。
- ↑ 1996年『野菜学入門』
- ↑ 飯田正孝信濃毎日新聞記者による報告、松本高麗大学Asi-Pon第30号(1993年12月8日)[1]
- ↑ 『秘録東京裁判』(中公文庫)