高松琴平電気鉄道
高松琴平電気鉄道株式会社(たかまつことひらでんきてつどう)は、香川県に3つの路線を持つ鉄道会社である。本社は香川県高松市栗林町二丁目19番20号。グループキャッチフレーズは「うみ・まち・さと - 心でむすぶ」。また、2011年4月から1年間は、ことでん開業100周年記念キャッチフレーズ「ひ や く ?」が併せて使用されていた。
目次
概要
太平洋戦争中の1943年11月1日、陸上交通事業調整法に基づいて高松市周辺の鉄道事業者が合併して誕生した。直後に、同じく高松市周辺のバス事業者を吸収している。
空襲による市内線の焼失、その代替として高松築港までの路線延長を行うなどの結果、1950年代前半に現在の鉄道路線網ができあがった。以降、琴電グループの中心として、鉄道事業・バス事業などを行ない、1970年代には流通事業、ホテル業に進出した。バス事業は1986年に子会社の高松バス(現在のことでんバス)に譲渡している。
転機となるのは、鉄道3線の拠点である瓦町駅の近代化計画である。1970年代に構想が持ちあがったもので、駅ビルを建設し百貨店を開くというものである。しかし、諸般の事情により計画の具体化は1980年代後半となり、着工は1994年、竣工は1997年となった。そしてそごうグループと提携して「コトデンそごう」を設立・開店した。しかし、バブル経済期の甘い見通しのもとに立てられた収支計画、ならびに2000年のそごうグループ破綻の余波を受け、2001年(平成13年)1月22日にコトデンそごうは民事再生法の適用を申請し閉店する[1][2]。その同社への債務保証が原因で高松琴平電鉄は経営難に陥り[3]、2001年12月に子会社のコトデンバス(現在のことでんバス)とともに民事再生法適用を高松地裁に申請した[4]。結果、琴平電鉄時代からの経営者である大西一族は退陣、代わりに香川日産グループや地元の大手食品メーカー「加ト吉」(現・テーブルマーク)などの支援を受け、経営再建することになった。この再生計画は2006年3月に終了した。
かつては琴電(ことでん)・TKR、後に片仮名書きのコトデンの愛称で親しまれていたが、民事再生法適用申請後、イメージを一新するためにことでんと平仮名書きに改めた(ただし、駅名には漢字の「琴電」が引き続き使われる)。車両の社名銘板の表記は「高松琴平電鉄」となっている。この表記は直営時代のバスでも用いられていた。なお、現在のことでんのことを「琴平電鉄」「高琴電鉄」と表記している文書等もあるが、この表記は誤りである[5]。
また、2005年2月2日には四国の鉄道・バスでは初となる非接触式ICカードシステムIruCa(イルカ)をことでんバスとともに導入した。
歴史
琴平電鉄
- 1920年(大正9年)2月7日 - 金比羅電鉄に対し鉄道免許状下付(香川郡栗林村-仲多度郡琴平町間)[6]。
- 1920年度 - 琴平電鉄に名称変更[7]
- 1924年(大正13年)7月28日 - 琴平電鉄設立[8][9]。
- 1925年(大正14年)10月23日 - 鉄道免許状下付(高松市塩上町-同市桜町間)[10]。
- 1926年(大正15年)12月21日 - 栗林公園 - 滝宮間が開業[11]。
- 1927年(昭和2年)
- 1938年(昭和13年)5月1日 - 塩江温泉鉄道(仏生山 - 塩江)を合併[14]。塩江線とする。
- 1941年(昭和16年)5月10日 - 塩江線を廃止[15]。
東讃電気軌道、四国水力電気、讃岐電鉄
- 1909年(明治42年)6月8日 - 高松電気軌道に対し軌道特許状下付(高松市西浜町-大川郡志度町間)[16]。同名会社があったため(後述の長尾線の前身会社)、後日、東讃電気軌道に社名変更願出[17]。
- 1910年(明治43年)5月1日 - 東讃電気軌道[18]設立。
- 1911年(明治44年)
- 1912年(大正元年)8月4日 - 鉄道免許取消(津田町-松尾村間)[22]。
- 1913年(大正2年)10月15日 - 出晴(現在の瓦町駅志度線ホーム附近) - 今橋間が開業[23]。
- 1915年(大正4年)
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)
- 1942年(昭和17年)4月30日 - 電力統合に伴い四国水力電気が解散。鉄軌道事業は讃岐電鉄[31]が設立され引き継ぐ。
高松電気軌道
- 1907年(明治40年)5月30日 - 軌道特許状下付(高松市新湊町-大川郡長尾村間他)[32]。
- 1909年(明治42年)10月28日 - 高松電気軌道設立[33][34]。
- 1912年(明治45年)
- 1916年(大正5年)4月24日 - 鉄道免許失効(大川郡長尾村-同郡白鳥本町間)[36]。
高松琴平電気鉄道
- 1943年(昭和18年)
- 1945年(昭和20年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)10月19日 - 志度線 八栗 - 琴電志度間を復旧し営業再開。
- 1951年(昭和26年)12月26日 - 長尾線 瓦町 - 花園間を現在線に変更。
- 1955年(昭和30年)9月10日 - 築港線 高松築港駅を本駅に移転。
- 1957年(昭和32年)
- 1961年(昭和36年)12月 - コトデンタクシー(株)設立
- 1964年(昭和39年)3月 - 出晴検車場 設置
- 1965年(昭和40年)12月 - ストアー事業(コトデンストアー、後にコトデンスーパー)を分社。琴電商事(株)設立。
- 1969年(昭和44年)
- 2月 - 出晴検車場を瓦町検車区に変更。今橋工場を閉鎖。
- 12月 - (株)屋島水族館設立。
- 1971年(昭和46年)4月 - 高松グランドホテル(株)設立。
- 1976年(昭和51年)8月1日 - 志度線 今橋 - 松島二丁目間で列車衝突事故が発生。
- 1977年(昭和52年)11月 - 今橋工場跡地に今橋検車区を開設。瓦町検車区を廃止、留置線化。
- 1979年(昭和54年)3月1日 - 志度線にATS設置され全線設置完了。
- 1986年(昭和61年)4月 - バス事業を高松バスに譲渡。高松バスはコトデンバス(現在のことでんバス)に改称。
- 1994年(平成6年)6月26日 - 瓦町駅改良工事着工。志度線は長尾線・琴平線と線路が切り離される。代わりに長尾線の列車が築港線に直通。
- 1996年(平成8年)12月21日 - 瓦町新駅舎完成。
- 1997年(平成9年)4月23日 - 350億円の債務保証を行い、瓦町駅ビルにそごうグループと提携した百貨店の「コトデンそごう」を開業[38]。
- 2000年(平成12年)7月12日 - そごうグループが破綻。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2005年(平成17年)2月2日 - 非接触式ICカードシステムIruCa(イルカ)導入(これに伴い紙の回数券、及び鉄道における紙の定期券は全廃)。
- 2006年(平成18年)3月 - 民事再生法に基く再生計画が終了。
- 2007年(平成19年)7月31日 - 通常営業用車両の100%冷房化を達成。
- 2011年(平成23年) - 開業100周年。記念電車などが運転、一部列車にヘッドマーク掲出[42]。
- 2013年(平成25年)12月15日 - 全駅に駅ナンバリング導入。
- 2014年(平成26年)6月18日 - 真鍋康正が社長に就任。
民事再生法申請後の主な施策
民事再生法適用前のサービスはことでんバスとともにお世辞にも良いとはいえず、バス運転手や車掌、駅員の乗客に対する横柄な態度も問題視されていた。そのため民事再生法適用時も「身から出た錆」「別に廃線になっても困らない」など住民は琴電擁護や支援に消極的だった(後述するマスコットキャラクター「ことちゃん」がイルカになった理由は、この時に「琴電はいるか[3]、いらないか」と話し合ったことに由来する)。香川日産出身の真鍋社長就任後はサービス改善を最重要事項とし、以下のような取り組みを行なった。その結果、住民からの信頼も少しずつながら取り戻しつつある。
- IruCaの導入
- 企画乗車券「ことでん・JRくるり〜んきっぷ」、「ことでんフリーきっぷ」などの発売。
- 駅の改装
- トイレのリフォーム(利用者からの改善要望が最も多く、最初に力を入れた)
- 駅名標の更新
- 栗林公園駅全面改装。
- ことでんバスとの連携強化
- 駅近くのバス停留所名を「ことでん○○駅前」に改称し、利用者にわかりやすくした(「円座駅」など)。
- CTCの導入。
- 国土交通省の鉄道軌道近代化設備整備費補助金制度(通称近代化補助)および香川県ほか周辺自治体の補助を受けて行われた。
- ATSの更新
- 同社のATS装置(大同信号製)は、停止現示の絶対信号機直下の地上子を通過(信号冒進)すると即座に非常ブレーキをかける絶対停止機能をもち、保安度の高いATSであったが、2005年の土佐くろしお鉄道宿毛駅衝突事故とATS装置の更新時期を契機に、終端駅の過走防止対策を施したATSへ更新することとなった。このATSは時素式速度照査機能をもったATS(従来型と同じく大同信号製)で、頭端式ホームをもつ高松築港・瓦町[43]・仏生山[44]・一宮[45]・琴電琴平・長尾・琴電志度の各駅には、過走防止対策として20km/h、15km/h、10km/h、5km/hの4段階で速度照査を行う車上時素式速度照査地上子を設置した。これらのATSの更新も国土交通省の近代化補助を受けて行われている。
- デッドマン装置の取り付け
- 2006年の鉄道に関する技術上の基準を定める省令の改正により、車両にデッドマン装置または緊急列車停止装置(EB装置)を設置することが義務づけられたのに伴い、2009年度当時保有していた営業用旅客車80両、動態保存車4両、合計84両に足踏式デッドマン装置が設置された[46]。これ以後に導入された車両にも同様に設置されている。
- ほとんどの駅から運転取扱業務を行う「駅長」呼称は無くなり、運行管理の責任者は運転営業所営業係に一元化される。従来の駅長に相当し駅における運転業務を取り扱う運行管理営業係は、琴平線で高松築港、瓦町、仏生山、琴電琴平、志度線で今橋のみに常駐勤務している。
- 有人駅の営業時間短縮および駅員無配置化、駅業務の子会社(ことでんサービス)の業務委託を行っている。
- 無人駅に簡易型自動券売機を導入し、乗車券発売委託を全廃。
- 運行管理をのぞく営業関係の駅員は、ことでんサービスからの業務委託化されている。
- 香川県内在住の車掌(契約社員)を採用し、運転士の国家試験(甲種電気車動力車操縦者免許)を選抜で積極的に受験させ、合格すれば正社員として採用し、車掌としては契約社員も正社員も差別の無い実力主義の企業。
- 路線別のイメージカラーを制定。
- 冷房化推進のため新型電車を導入し、旧型の非冷房車を置き換え。
- 毎月最後(12月は毎週)の金曜日に「午前0時便」と銘打ち、高松側ターミナルを午前0時以降に発車する列車を増発して最終列車の時刻を延長。
- マスコットキャラクター「イルカのことちゃん」の誕生。
路線
現有路線
琴平線のうち高松築港駅 - 瓦町駅間(高松市内三駅)は「築港線」とも呼ばれる。
全線の軌間は1435mm(標準軌)で、四国で唯一の採用例である。動力に電気(直流1500V)を使用し、列車集中制御装置 (CTC) を導入している。路線はすべて讃岐平野に存在し、一切トンネルが存在しない。
途中下車の制度があり、指定された駅については、その駅までと同額の乗車券でなければ途中下車が可能である。指定駅には無人駅も含まれるが、この場合は下車時に列車の乗務員に申告する。ただし、IruCa利用の場合は非適用となる。
現有3線は元々それぞれが別々の会社・規格によって建設され、その名残で軌道として建設された長尾線と志度線は鉄道として建設された琴平線に比べて駅の平均的な設置間隔が短く、特に志度線に至っては琴平線の2倍の密度で駅が設置されている(琴平線の平均駅間距離1.65kmに対し長尾線の平均駅間距離は0.97km、志度線の平均駅間距離は0.83km)。
運転形態及び変遷
琴平線高松築港駅 - 一宮駅間は日中15分間隔、その先琴電琴平間は日中30分間隔、長尾線と志度線は日中20分間隔の中頻度運転を行っている。長尾線の列車も乗り入れる琴平線高松築港駅 - 瓦町駅間は日中毎時7本、朝ラッシュ時には最大1時間あたり13本の列車が運行されている。
琴電の所有する各路線は架線電圧や車両のサイズなど、直通可能な路線や使用可能な車両の組み合わせが独特の変遷を遂げてきた。それらの主な変遷を時系列で記せば、概ね以下の通りである。
- 志度線昇圧まで - 琴平線は架線電圧1500Vで築港線(高松築港駅-瓦町駅)まで単線運転、志度線は600Vで築港線まで単線運転(瓦町駅でスイッチバックを行う)、つまり築港線は複線でなく単線並列で運転されていた。長尾線は600Vで瓦町駅折り返し。
- 1966年 - 志度線が1500Vに昇圧されると、築港線は複線運転となった。各路線の運転系統は1と同じ。
- 1976年12月23日 - 長尾線が1500Vに昇圧されると、志度線と長尾線の使用車両が共通化された。ここでも運転系統は1,2と同じ。
- 1994年6月26日 - 瓦町駅の改良工事にともない、志度線は線路が分断された瓦町駅で折り返し運転。逆に長尾線が琴平線同様、築港線へ直通運転を行うことになった。
- 2006年 - 車両寸法の制限が琴平線は18m強(これまでの入線車両でもっとも長かったのは、譲渡元の阪神電気鉄道で新性能車として使われていた車両)、志度線は16m、長尾線は17mと差があったが、長尾線も18m車入線可能に改良し、長尾線と琴平線で使用車両を共通化。以後この形態が続いており、新たな変更の計画は公表されていない。
廃止路線・区間
前身各社の廃止路線も含む。
車両
総説
2012年10月現在、営業用旅客車80両(琴平線20編成40両、長尾線10編成20両、志度線20両)、動態保存車4両、業務用車両2両の計86両を保有する。地方都市の民営鉄道としては最も多い。
琴電を構成した各社は車両を自社発注していたが、琴電成立後は一部を除き他社からの譲渡車両が投入されている。ファンの間では通称「動く電車の博物館」とさえ呼ばれていた。
これは戦後復興期以降、1970年代中盤まで、一貫して輸送力の増強を行う必要があり、いわば「質より量」が求められていたためである[50]。 それでも琴平線では、暫時車両の代替とある程度の車種統一が行われ、1970年代 - 1980年代前半は元名古屋鉄道および阪神電気鉄道、三岐鉄道の車両が投入された。1985年以降は元京浜急行電鉄および京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の車両が投入され、2005年に冷房化100%を達成した。
一方、長尾線・志度線は路線規格の問題で、18m級以上の琴平線レベルの車両の入線が不可能だった。このため、大手私鉄から小型車両が淘汰された1980年頃を境に代替が止った。ゆえに、平成時代になっても戦前 - 昭和20年代に製造された車両で運行されていた。1998年以降には名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)の車両を京王重機整備経由で導入し、車両の近代化・冷房化と車種統一を急速に進めたものの、旧型車すべてを置きかえるほどの車両の確保はできなかった。
そのため、2000年代中盤の民事再生法適用下での経営方針策定で、長尾線に関しては琴平線レベルに路線改良を行い、中型車の導入を行なうことになった。2006年に改良工事が竣工し、同年から翌年にかけて2両編成5本の中型車を投入して旧型車を淘汰した。 また、冷房付き小型車にも余剰が発生したが、これらは志度線に転用され、同線の旧型車を淘汰した。 これにより営業用旅客車両の冷房化率100%を2007年7月に達成した。また、非冷房車である旧型車のうち5両をイベント等のための動態保存車とした。
なお、同じ頃に合理化案として列車のワンマン化を検討していたが、採算性が疑問視されたことから駅の無人化と引き換えに廃案となった。
機器面での特徴
- 総括制御
- ラッシュ時と日中で輸送量の差が大きく、車両の増解結を頻繁に行うため、原則として異なる車両同士でも連結運転できるように主幹制御器を統一しノッチ段数を統一することで手動加速制御車と自動加速制御車の総括制御を実現した(なお、一般営業用の手動加速車は琴平線では2005年に廃止。長尾線・志度線では2007年に廃止され、自動加速に統一されている)。
- 手動加速車の直列制御ノッチは5段、並列制御ノッチは4段で、自動加速車もこれに合わせている。自動加速車は主幹制御器の位置に関わらず直並列制御の最終段まで自動進段する[51]。
- 自動加速車が手動加速車を併結した場合、手動加速制御車に操作を合わせる。操作は手動加速になるが自動加速車両は自動的にそれぞれの最終段まで進段する。そのため最初は起動加速力の良い手動加速車が威力を発揮し、手動加速車が並列最終段まで達した後は高速性能の良い自動加速車が力を発揮するといった運転も行われていた。
- ブレーキは SME(非常弁付直通ブレーキ)に電磁給排弁を付加して応答性の向上と長編成化への対応を実現した電磁SME、ブレーキシューは鋳鉄製に統一されている。もと発電制動併用電磁直通ブレーキ (HSC-D) 装備車はセルフラップ機能のカット(ブレーキ弁の電気接点付き三方弁への交換)を行い、電磁SME-Dとしている。電磁SMEで電制を併用した場合、低速域に入り電制が失効すると制動力が半減するが、制輪子に低速域での減速性能が良い鋳鉄シューを用いることでブレーキ力を確保している。また、空気圧縮機も自動加速車は C-1000形、手動加速車は DH-25形でそれぞれ統一されている。
- なお、これらの改造が行なわれていない1300形は他車との併結ができないため、他編成との連結の必要がない長尾線で使用されている。
- 台車・主電動機の交換
- 1982年の1053形(初のカルダン駆動車)より前に導入された車両は、台車・主電動機の交換を頻繁に行っていた。従って各車両の記事にある車両の履歴は車体を基準としたものであることを念頭に置いて読む必要がある。
- その他
- 客用扉の車掌スイッチは他の鉄道と操作が逆で、「開」はドラムスイッチを上から下、「閉」が下から上)である。
- 増結・解放を非常に多く行うため、正面非貫通の車両は多くが貫通式に改造されていたが、非貫通のままの車両も存在した。
- かつては瓦町駅のホームが急曲線であったため、18m級の3扉車では中央の扉とホームの隙間に乗客が転落する危険性があるとの理由から、1050形以降入線した一部の車両[52]は譲渡時に2扉に改造していた。1080形以降は扉改造をせず譲渡前のままで入線している。
車両番号
合併の際に長尾線車両を20 - 30番台に改番したほかは、もとの事業者での車両番号をそのまま使用した。これが元で、長尾線・志度線車両が00 - 99、琴平線車両が100以降という法則ができあがった(いずれも4*は欠番)。ただし、琴平線と長尾線・志度線の間を転属した車両については、この限りではない。
琴平線では琴平電鉄時代の方式を踏襲し、形式より車両番号が1桁小さく、かつ2桁目が進む独特の車両番号体系が用いられた(例えば1000形の車両番号は100・110・120…となる)。1960年頃を境に新規導入の車両形式は車両番号と同じ3桁となったが、2桁目が増える方式は相変わらずだった。一方、10000形1001-1002以降、固定編成で入線した車両、および18m級以上の車両は、1000番台の車両番号が振られている。こちらは1桁目が増えて行く通常の方式である。形式も10000と12000を除き、車両番号と同じ4桁である。
長尾線・志度線は10番単位で形式を振り、その中で1桁目が続番となる。しかし、使える車両番号が00 - 39、50 - 99に限られる(40 - 49は禁忌とされていた)ため、ある形式が消滅後すぐに2代目(3代目)として同一形式・車両番号が振られる事態が多発した。結局、600形の入線時にこの法則はなくなっている。
現存形式
形式番号の小さい順に列記する。2012年10月現在。
琴平線
2両編成20編成40両
- 600形(0番台) - 元、名古屋市営地下鉄250形・1000系列中間車 2編成4両
- 1070形 - 元、京急600形(2代) 2編成4両
- 1080形 - 元、京急1000形(初代) 5編成10両
- 1100形 - 元、京王5000系 4編成8両
- 1200形(1200番台) - 元、京急700形(2代) 7編成14両
長尾線
2両編成10編成20両
- 600形(0番台) 2編成4両
- 1200形(1200番台) 1編成2両
- 1200形(1250番台) 3編成6両
- 1300形 - 元、京急1000形(初代)4編成8両
志度線
2両編成8編成16両、その他4両、計20両
動態保存車
4両
- 1000形・3000形・5000形 - 琴平電鉄自社発注車 各1両
- 20形(3代) - 元、近鉄モ5620形←大阪鉄道デロ20形 1両
事業用車両
消滅形式
最終配置線区別、琴電及び前身事業者での入線順に列記する。
琴平線
- 11000形 - 元、国鉄ワフ25000形
- 10000形 - 自社発注車
- 12000形 - 元、国鉄モハ1200形・クハニ7200形←93形・95形←富士身延鉄道モハ100形・クハユニ300形
- 1010形 - 自社発注車
- 8000形・820形 - 元、国鉄クハ5610形←豊川鉄道クハ100形
- 950形 - 元、国鉄オハ31形客車
- 1020形 - 元、名鉄3700系 (2代)
- 1050形・1053形・1060形 - 元、阪神5001形・5231形・5101形
- 1013形・1063形 - 元、三岐鉄道モハ120形・130形・クハ210形
長尾線・志度線
- 01形 - 東讃電気軌道自社発注車
- 変1形 - 四国水力電気自社発注車
- 20形 (初代) - 高松電気軌道自社発注車
- 30形 (初代) - 高松電気軌道自社発注車
- 50形 (初代) - 四国水力電気自社発注車
- 7000形→880形・9000形 - 元、東武←総武鉄道モハ1000形・クハ1200形
- 60形・70形 (初代) - 元、東急クハ5100形←京浜電気鉄道29号形、山陽1000形他
- 80形 (初代) - 元、山陽36形
- 20形 (2代) - 元、京急デハ110形
- 2000形 - 元、国鉄←宮城電気鉄道クハ301←サハ301形
- 6000形 - 元、国鉄1形・6形←15形・10形←23500形・33500形
- 920形 - 元、山陽100形
- 10形・90形 - 元、京急クハ120形←東急5120形←京浜電気鉄道41形
- 30形 (2代)・50形 (2代) - 元、阪神881形
- 850形 - 元、国鉄クハ6010形←南武鉄道クハ250形
- 750形 - 元、玉野市←備南電気鉄道モハ100形
- 70形 (2代)・80形 (2代) -元・東濃鉄道モハ100形・クハ200形(一部は←日本国有鉄道←南武鉄道モハ100形)
- 780形→860形 - 元、山形交通三山線モハ111形←西武モハ221形(クハ1221形)←モハ251形←モハ200形
- 740形→890形 - 元、山形交通高畠線モハ4←西武クモハ151形←モハ550形
- 30形 (3代) - 元、京急デハ230形←東京急行電鉄←京浜電気鉄道・湘南電気鉄道
保存車両
廃車後はほとんどの車両が解体処分されていたが、2000年代に入り第三者の手で静態保存された事例がある。
- 62号:さぬきこどもの国(高松市香南町由佐)
- 760号:玉野市総合保健福祉センター(通称・すこやかセンター 岡山県玉野市) 玉野市電保存会による保存。
- 335号:道の駅「源平の里むれ」(高松市牟礼町原)
- 810号・820号:個人所有
車両工場
車両検修施設として以下の工場を有する。
2011年、高松市在住の写真家・GABOMIが車両工場を撮影した広告が2012年全広連鈴木三郎助地域賞優秀賞、香川広告協会広告賞印刷部門 新聞部門で各優秀賞を受賞。写真集『ことでん 仏生山工場』も発売されている。
高松市LRT構想への対応
2007年に就任した高松市の大西秀人市長は、市内中心部の活性化策としてLRTの導入を積極的に推進する立場を表明。これに関連して、2005年以来凍結状態になっていた高松築港駅・栗林公園駅および花園駅間の連続立体交差化事業(JR高松駅隣接地への乗り入れが予定されていた)の打開策として、琴平線をLRT化することで工費の削減を図ってJRとの接続改善を実現するというプランも一時示され、2008年1月に開催された県による連続立体交差化の検討委員会でLRT化に関する議論がなされた。琴電側は輸送力の違いを理由に「今の路線での導入は非現実的」という意見を述べた[53]。県の検討委員会は2009年5月の最終答申ではLRT化を案からはずした。2010年3月31日をもって連続立体交差事業は中止された[54]。
その後、高松市は「高松市総合都市交通戦略検討協議会」を発足させ、LRT導入に関する検討を行っている。2009年3月の会合では、複線路盤を持つ琴平線の高松築港駅・仏生山駅間(現在複線で運行されているのは栗林公園駅以北)にLRTを走らせる案も委員から示された。これに対しても琴電側は「現在のダイヤでも需要に合っている。経済合理性の面から、LRTが持続可能な構想なのか疑問がある」という意見を示している[55]。投資面からは既存の路線バス(ことでんバスの親会社でもある)などを活用するほうが合理的であるとしていた。協議会は2009年12月の会合で、琴平線の仏生山駅以北でのLRT運行につき4つの構想案を示した。その内容は、
- 琴電は現状維持、LRTを同時運行
- 琴電は現状維持、JR高松駅・仏生山駅間にLRT運行
- 琴電は瓦町駅起点とし、JR高松駅・仏生山駅間にLRT運行
- 琴電は仏生山駅始発とし、JR高松駅・仏生山駅間にLRT運行
である。これについて、琴電側はピーク時の輸送能力などへの懸念から、3・4の案には反対している[56]。
関連会社
- ことでんバス - 連結子会社
- 徳島西部交通
- 四国高速バス - ことでんバスが株式の50%保有、持分法適用会社
- ことでんサービス - ことでんタクシーは同社の一部門。2004年に旧・コトデンタクシーとビルメンテナンス業の北四国総業が合併。駅業務の受託も行っている。女性駅員を積極的に採用している。タクシーの車両はワゴンタイプを除きほぼ日産・セドリックになっている。
- 高松グランドカントリークラブ
- 屋島ドライブウェイ
かつての関連会社
- 屋島登山鉄道(屋島ケーブル) - 2004年10月(正式廃止は2005年8月)まで屋島でケーブルカーを運営。
- 新屋島水族館 - 旧・屋島山上水族館(株式会社屋島水族館)。2006年9月まで営業、同年10月より世界的水槽メーカーの日プラの子会社、せとうち夢虫博物館株式会社が運営。
- コトデントラベルサービス - 本体の民事再生法申請前に事業休止。なお、ことでんバスの「バスツアー」は、ことでんバスを主催旅行会社とする主催旅行として、愛称「ハートツアー」として現在も催行中。
- コトデンそごう
- 瀬戸大橋高速バス
- 琴電商事 - コトデンスーパーを経営していた。本体の民事再生法申請前に自己破産している。
- 高松グランドホテル - 高松築港駅上にあったホテル。全日空ホテルズの一員でもあった。再開発のため廃業。
脚注
関連項目
- IruCa
- テーブルマーク - 旧社名「加ト吉」
- 真鍋康彦
- 大西潤甫
- サークルKサンクス - 以前、サンクス店のフランチャイジー企業を設立していた
- 百年の時計 - 創業100周年記念映画。2012年香川県内先行公開。2013年全国公開。
外部リンク
- ことでんホームページ
- マスコット「ことちゃん」のTwitterアカウント
- 高松琴平電鉄連続立体交差事業(2010年3月31日をもって事業は中止)