海行かば
詞は、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(『国歌大観』番号4094番。『新編国歌大観』番号4119番。大伴家持作)の長歌から採られている。作曲された歌詞の部分は、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)の引用部分にほぼ相当する。
この詞には、明治13年(1880年)に当時の宮内省伶人だった東儀季芳も作曲しており、軍艦行進曲の中間部に今も聞くことができる。
信時潔の作品
テンプレート:大言壮語 当時の大日本帝国政府が国民精神強調週間を制定した際のテーマ曲。信時潔がNHKの嘱託を受けて1937年(昭和12年)に作曲した。信時の自筆譜では「海ゆかば」である。出征兵士を送る歌として愛好されたテンプレート:要出典(やがて、若い学徒までが出征するにおよび、信時は苦しむこととなるテンプレート:要出典)。
1937年(昭和12年)11月22日に国民歌謡で初放送。本来は、国民の戦闘意欲高揚を意図して制定された曲だった。本曲への国民一般の印象を決定したのは、大東亜戦争(太平洋戦争)期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕を伝える際に、必ず冒頭曲として流されたことである(ただし真珠湾攻撃成功を伝える際は勝戦でも流された)。ちなみに、勝戦を発表する場合は、「敵は幾万」、陸軍分列行進曲「抜刀隊」、行進曲『軍艦』などが用いられた。
曲そのものは賛美歌風で、「高貴」ないし「崇高」と形容して良い旋律である。それゆえ、敗戦までの間、「第二国歌」「準国歌」扱いされ、盛んに愛唱されたが、戦後は事実上の封印状態が続いたテンプレート:要出典(関連作品参照)。
創立以来1958年まで桜美林学園は旋律を校歌に採用した。
冨士大石寺顕正会の会歌『遺命重し』はこの曲を編曲したものである。
歌詞
歌詞は2種類ある。「かえりみはせじ」は、前述のとおり「賀陸奥国出金詔書歌」による。一方、「長閑には死なじ」となっているのは、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)による。大伴家持が詔勅の語句を改変したと考える人もいるが、大伴家の「言立て(家訓)」を、詔勅に取り入れた際に、語句を改変したと考える説が有力ともいわれるテンプレート:誰2。万葉学者の中西進は、大伴家が伝えた言挙げの歌詞の終句に「かへりみはせじ」「長閑には死なじ」の二つがあり、かけあって唱えたものではないか、と推測している。
原歌
陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)
現代日本語訳
音声資料
- CD 藍川由美『「NHK 國民歌謡〜われらのうた〜國民合唱」を歌う』(COCQ-83299)
- オムニバスCD 『海ゆかばのすべて』(KICD-3228)
- このCDには詳細なライナーノートがあり、ピアノ譜も含まれている。皮肉なことに、林光(下記参照)編曲の室内楽版も収録されている。
登場する映像作品
『海ゆかば』は帝国海軍を象徴するものとして、映画やテレビドラマで度々使用された。
関連作品
- ダーク・ダックスの喜早哲は、(楽譜通りに演奏することを条件として)自著の中で信時の『海ゆかば』の音楽性を賞賛した。
- 現在出版されている信時潔の歌曲集にこの曲はなく、上記CD『海ゆかばのすべて』発売以前は、ピアノと共に演奏することは容易ではなかった。このような音楽出版社、およびNHKの姿勢について、臭い物にはフタ式の不誠実な態度であると、藍川由美はみずからの著作やCDのライナーノートなどで繰り返し批判している(2005年に再刊された春秋社の曲集には、付録として『海ゆかば』が収載されている)。
- 合唱組曲『原爆小景』の作曲者であり、緋国民楽派やこんにゃく座との関連で知られる林光は、軍国主義を批判する立場から『旗はうたう』(昭和62年(1987年))を作詞・作曲した。この中で林は、信時の『海ゆかば』を痛烈にもじっている。
- 小津安二郎の映画『父ありき』(昭和17年(1942年))のラストシーンにも信時作品が用いられた。しかし当該部分は戦後、GHQの検閲により音声が削除された。ソ連軍が満州から持ち去り保管していたフィルムにより、オリジナルの姿が知られる。
- 近代に作られた神楽である靖國の舞にも、この歌詞が使われている。
外部リンク
- 信時潔研究ガイド - 信時潔の孫である信時裕子のサイト。信時作曲『海ゆかば』についての記載があり、「曲名の表記は『海ゆかば』として欲しい、作曲年代が大正となっている文章があるが誤りである」としている。
- 海行かば東京音楽学校演奏
- テンプレート:YouTube