小野川才助
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小野川 才助(おのがわ さいすけ、1830年(天保元年)- 1873年1月14日(明治6年1月14日))は、筑後国山本郡(現:福岡県久留米市)出身の元大相撲力士。本名は森光(のち川村)幾藏。
来歴
京都相撲を経て、1853年(嘉永6年)二段目で江戸相撲の初土俵を踏む。1858年(安政5年)11月場所で新入幕を果たす。当時の四股名は虹ヶ嶽 杣右エ門(にじがたけ そまえもん)で徳島藩の抱えだった。1861年(万延2年)2月、久留米藩の抱えとなり初日から小野川と改名した。文久元年(万延2年から改元)10月、西小結に昇進すると引退まで三役を下がることはなく関脇7場所小結6場所を務めた。1867年(慶應3年)11月場所限りで江戸を去り京都に戻る。1870年(明治3年)2月五条家から京都相撲初の横綱免許を受け9月まで土俵入りのみ務めた。1873年(明治6年)1月14日没(44歳)。
主な成績
- 幕内通算成績:85勝32敗8分1預50休 勝率.726(19場所)
- 不知火光右衛門とは虹ヶ嶽時代に1敗1分。鬼面山谷五郎とは2勝4敗3分。陣幕久五郎とは1勝4敗3分だが、幕内で通算5敗しかしなかった陣幕に対して本場所最後の土をつけた。(慶応2年春場所6日目)