大槌町
大槌町(おおつちちょう)は、日本の岩手県上閉伊郡に所在する町。
縄文時代の遺跡が多く見られる、太平洋に面している町であり、現代では、振興山村、辺地、過疎地域の指定を受けている。1973年(昭和48年)4月には、東京大学海洋研究所国際沿岸海洋研究センターが開所している[1]。
目次
地理
自然
北上山地に発してほぼ並行して南東方向へ流れ、太平洋に開けた大槌湾へと注ぐ2つの川である大槌川と小鎚川が形成する、沖積平野部が地域の中心をなす。大槌湾の北には船越湾もある。 人口は大槌湾に面した海沿いに集まり、鉄道や主要道路も海岸に沿って走っている。北上山地の一端をなす西部は人口が少ない。
主要な地形
- 山地
- 河川系
- 大槌川(おおつちかわ)、小鎚川(こづちかわ)
- 近海・沿岸地形
広域地域区分
- cf. 岩手県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
隣接する自治体
- cf. 岩手県の市町村全図 :≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
町内の地域
- cf. テンプレート:Cite web
歴史
盛岡藩の港町
戦国時代、当地は周辺地域の有力武将であった大槌氏の支配下であった。大槌氏は九戸政実の乱や岩崎合戦で南部方の武将として活躍した。大槌氏は特産の南部鮭の交易で財を成したが、中央集権化を進める南部利直によって謀反の嫌疑をかけられ、処罰された。
大槌氏亡き後、この地は大槌城代が置かれて盛岡藩の管理下となり、その後は大槌代官所(南閉伊代官所)が置かれ、現在の山田町と釜石市の一部を含めた地域の行政を管轄した。
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大槌町も強い揺れに襲われた(同町では新町に地震計が設置されていたが、震度の観測記録は無し。隣接する市町村は、釜石市が6弱、宮古市と遠野市で5強、山田町は5弱であった)[6]。 加えて、この地震が引き起こした大津波とそれによって発生した火災により、町は壊滅的被害を受けた[7][注 1][注 2]。
- 震災時、町長・加藤宏暉を始めとする町職員幹部ら約60人は災害対策本部を立ち上げるべく町庁舎2階の総務課に参集したが、止まない余震にいったん駐車場へ移動し、さらに津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたものの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は間に合わず、庁舎の1、2階を襲った津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶える[8][9]。町長以外にも課長クラスの職員が全員行方不明となったため、行政機能が麻痺した[10][11]。県都である盛岡市から車で数時間かかる地勢も災いして、被害の全容が外部に伝わりにくく、周囲から孤立したような状況がしばらく続いた。
- JR山田線の大槌駅は駅舎などが津波で流失し、線路にも大きな被害が出た[12]。
- テンプレート:Anchor東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターは、人的被害こそ無かったものの、建物は3階まで津波に洗われ、特に壊滅的状態となった1、2階では紙媒体と電子媒体による保存データの全てが失われた。また、港に係留してあった研究船は沈没した[13][8]。
- テンプレート:Anchor三陸海岸初の双胴型高速旅客船である釜石市所属の観光船「はまゆり」(109t、200人乗り)は、定期検査のために赤浜地区の岩手造船所で陸に揚げられた3時間後、津波にさらわれた。第2波が来たときには防波堤を越えて内陸へ押し流され、150mほど北にある2階建ての民宿の屋根に引っかかってその上に乗る形でほぼ無傷のまま止まった[14][15][16]。
- 3月19日:行方不明となっていた加藤町長が遺体で発見される[7]。津波被害のため選挙が実施できず、以後5ヶ月余りにわたって町長が空席となる。
- 4月9日:この時点で判明した人的被害は死者583人・行方不明者1,068人・避難者9,070人[7]、建物被害は詳細不明。
- テンプレート:Anchor4月24日:津波で民宿の屋上に漂着した釜石市の観光船「はまゆり」は、防災教育を主目的とした震災のモニュメントとして保存する案が地震研究者らの提言で浮上していたが、この日、釜石市は「町の復旧に支障が出る」として解体を決めた[15][16]。
- 4月25日:町立大槌小学校の運動場にて、大槌町役場の仮庁舎が開庁[17][18]。
- 5月10日:釜石市の観光船「はまゆり」が2台のクレーンによって民宿の屋根から地表に下ろされる(その後、現地にて約1ヶ月かけて解体された)[19]。
- 5月26日:この時点で判明した人的被害は死者768人・行方不明者952人・重軽傷者不明、建物被害は依然として詳細不明[20]。
- 6月6日:この時点で判明した人的被害は死者777人・行方不明者952人[21]。
- 6月20日:副町長・東梅政昭の任期が満了し、翌21日に総務課長の平野公三が町長職務代行を引き継ぐ[22]。町長選挙は8月28日に実施と決まり、首長不在の異常事態はなおも続くこととなった[22][23]。
- 8月28日:町長選挙が実施され、元町総務課長の碇川豊が当選する。
- 現在、町内の防災行政無線のお昼のチャイムは、同町にある蓬莱島がモデルの1つと言われる「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングが使われている。
- 避難所生活をおくる人たちのために民謡を歌って慰問活動をしていた地元の女子中学生がテレビの報道番組に映り、それがきっかけとなって、2012年7月に臼澤みさきとして歌手デビューした[24]。
年表
近世以前
- 建武・正平年間(14世紀):遠野横田城主・阿曽沼朝綱(cf. 阿曽沼氏)の次男である大槌次郎が、東部海岸地方を分知され、居城として大槌城を築いたと伝えられる。
- テンプレート:Anchor天正18年(1590年)夏:豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏の小田原城が落城したことにより、主家を無くした伊豆清水氏が船で気仙浦に逃れる[2][25]。
- 安土桃山時代末期:大槌城主・大槌孫八郎政貞が、特産の鮭を新巻(塩鮭)に加工する方法を開発し、「南部鼻曲がり鮭」の名で江戸と通商して大いに富を得る。
- 元和3年(1617年):大槌孫八郎政貞が南部利直から謀反の嫌疑をかけられて切腹し、大槌氏は家名断絶する。
近代以降
- 1938年(昭和13年)4月5日:国鉄(JRの前身)山田線の大槌駅と吉里吉里駅が開業。
- 1955年(昭和30年)4月1日:旧・大槌町と金沢村が合併し、現町制下の大槌町が誕生。
- 1961年(昭和36年)12月20日:山田線の浪板駅(現・浪板海岸駅)が開業。
- テンプレート:Anchor1971年(昭和46年)4月1日:旧・大槌漁協、および、赤浜漁協、吉里吉里漁協が合併し、新生の大槌町漁業協同組合として開所する。
- 1973年(昭和48年)4月:東京大学海洋研究所が赤浜地区に大槌臨海研究センターを開設[5]。
- 1973年(昭和48年):井上ひさしが長編小説『吉里吉里人』の執筆を始める。
- 1982年(昭和57年):地域おこしの一環として、吉里吉里駅を擁する大槌町がミニ独立国「吉里吉里国」として“独立宣言”し、1980年代における「ミニ独立国ブーム」のきっかけとなった。
- 1994年(平成6年)12月3日:浪板駅が浪板海岸駅に改称。
- 2003年(平成15年)4月:東京大学海洋研究所付属の「大槌臨海研究センター」が「国際沿岸海洋研究センター」に改称・改組[5]。
- 2005年(平成17年)10月15日:フォートブラッグ市(en。アメリカ合衆国カリフォルニア州)と姉妹都市盟約を締結。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、大槌町も被害甚大(※節を改めて詳述する)。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
- 1889年(明治22年)4月1日:南閉伊郡で大槌村(おおつちむら)・小鎚村(こづちむら)・吉里吉里村(きりきりむら)が合併した上で町制を施行し、大槌町が成立する。同じく、金沢村(かねざわむら)が単独で村制を施行し、同郡に金沢村が成立する。cf. #町内の地域。
- 1896年(明治29年)3月29日:南閉伊郡と西閉伊郡が合併し、上閉伊郡となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日:大槌町と金沢村が合併し、新生の大槌町が誕生[26]。
行政
歴代町長
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
|
山崎三雄 | 1999年(平成11年)5月 | <center>2007年(平成19年)5月7日 | 2期。 |
<center> | 加藤宏暉 | 2007年(平成19年)5月8日 | <center>2011年(平成23年)3月20日[1] | 1期目在任中に死亡。左記の退任日は死亡が確認された日付。[1] |
<center>- | 東梅政昭 (とうばい まさあき) |
<center>(代行:2011年3月11日) | <center>(代行:2011年6月20日) | 副町長として町長職務を代行。 |
<center>- | 平野公三 | <center>(代行:2011年6月21日) | <center>(代行:2011年8月28日) | 町職員(課長)。法の規定により町長職務を代行。[2] |
<center> | 碇川豊 | 2011年(平成23年)8月29日 | <center>(現職) | 1期目。 |
- 2011年3月11日に起こった東日本大震災で津波に呑まれて行方不明となっていたが、同月19日に町庁舎から約500m離れた国道沿いで遺体が発見され、翌20日に当人と確認された[9]。町長の行方不明後、町長職務代行者には副町長の東梅政昭が就き、町長の死亡確認後も代行を継続した。
- 副町長職が任期満了となる6月20日の翌日、地方自治法第152条第3項に従って総務課長の平野公三が後任の職務代行者に就いた。なお、その後町長となった碇川豊が前任の総務課長であったが、震災以前に町長選出馬準備を理由に辞職しており、震災の時点で総務課長は空席となっていた。また、他の課長クラスの職員も全員が加藤とともに死亡もしくは行方不明となったため、震災当時主任であった平野が総務課長に昇格していた[27][22]。
エリア放送
地上一般放送局の免許を受け、49chによりワンセグエリア放送を実施している。[28]
姉妹都市・友好都市
警察
- 釜石警察署 大槌交番 :所在地 本町6-14。 [29](2011年4月25日より、上閉伊郡大槌町上町1番3号に所在)[30] [31]
- 釜石警察署 吉里吉里警察官駐在所 :所在地 吉里吉里1-6-1。(流失 連絡先 大槌交番)[30]
- 釜石警察署 金沢警察官駐在所 :所在地 金沢第27地割56番地2。[30]
郵便
- 大槌郵便局(集配局) :所在地 本町6-7 [29]。(2011年10月24日より、大槌第15地割字迫田48番地3に所在)
- 吉里吉里郵便局 :所在地 吉里吉里1-4-15。
- 安渡郵便局 :所在地 安渡2-5-8。
郵便物等の集配業務は、本来は大槌郵便局の担当だが、東日本大震災で被災したことに伴い同局の集配業務が停止したため、釜石郵便局が代行して担当。
医療
経済
産業
水産業
- 吉里吉里漁港 :船越湾にある吉里吉里港内。
- 大槌漁港 :大槌湾にある大槌港内。
- 大槌町漁業協同組合 :cf. 1971. [注 3]
- 本部(安渡地区)、吉里吉里支所(吉里吉里地区)、大槌支所(須賀町地区)、安渡支所(須賀町地区)、赤浜支所(赤浜地区) [29]
- 大槌町漁業協同組合魚市場 :所在地 安渡3-11-6。
地域
県全体の平均所得が236万円なのに対し、大槌町では170万円と、格差が激しい。 一方、国民健康保険料は、全国11番目に高額である。
人口
健康
- 平均年齢
教育
高等学校
中学校
- 大槌町立大槌中学校
- 大槌町立吉里吉里中学校
小学校
- 大槌町立大槌小学校
- 大槌町立吉里吉里小学校
金融機関
交通
鉄道路線
路線バス
道路
一般国道
県道
主要地方道
一般県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 大槌湾内にある島で、ひょっこりひょうたん島のモデルとなった島[4]。
出身著名人
- 二代目・前川善兵衛(通り名:吉里吉里善兵衛):商人(廻船問屋)。1637年生まれ。陸奥国は盛岡藩領の吉里吉里村(現・岩手県大槌町吉里吉里)出身。一族は相模国(現・神奈川県)の出(後北条氏配下)。[2][25]
- 大槌孫八郎:武士(大槌城主)。廻船業主。
- 松橋暉男:東郷神社名誉宮司。小槌神社禰宜。
- こしたてつひろ:漫画家。吉里吉里地区出身。
- 佐佐木勝彦:漫画家。吉里吉里地区出身。
- 佐藤ひろ美:シンガーソングライター
- 中村龍徳:イラストレーター。桜木町地区出身。
- 姫神ゆり:グラビアアイドル。
- 山口ともみ(旧芸名:山崎友見):演歌歌手。吉里吉里地区出身。
- 平野仁:格闘家。浪板地区出身。
- みち乃く兄弟:演歌歌手。吉里吉里地区出身。
- 臼澤みさき:歌手
その他の関連事象
関連書籍
- 野口法蔵『お地蔵さまと心の癒し 大槌町復興地蔵物語』(七つ森書館)
脚注
出典
関連項目
外部リンク
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- 国土地理院、地形図閲覧システム
- テンプレート:Cite web岩手県の市町村全図。
- ↑ 大槌臨海研究センターから国際沿岸海洋研究センターへの改組 | 大気海洋研究所50年史. 2014年2月11日閲覧
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 テンプレート:Cite web
- ↑ 5.0 5.1 5.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite news:被災状況全図。
- ↑ 8.0 8.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 15.0 15.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 16.0 16.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web動画あり。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web:※資料に住家と公共施設の区別無し。
- ↑ テンプレート:Cite web:原典は国土地理院提供資料。
- ↑ 22.0 22.1 22.2 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/usuzawa-misaki/profile/
- ↑ 25.0 25.1 25.2 25.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 同年3月30日、総理府告示第811号「町村の廃置分合」
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 免許状況の詳細 放送(東北総合通信局)
- ↑ 29.0 29.1 29.2 29.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 30.0 30.1 30.2 テンプレート:Cite web
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